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階段をのぼる
留学生⑤
しおりを挟むふと目を開けると、いつぞやと全く同じ風景だったので、ひとまず冷静にはなれた。
「起きられましたね」
しわがれた声に目を向けると、四年前にもお世話になったお医者さまだった。……このときに、ここで寝るに至った経緯を全て思い出した。
(……遅効性の麻痺毒……。朝ごはんか)
てきぱきと診察を受け、苦い生姜湯を飲んで一息ついた。ぽかぽかと温まってきた体に、痺れはほとんどなくなっていた。
「リィ、大丈夫?」
席を外したお医者さまと入れ替わりに近づいてきたのは、ヴィーと王さまだった。
「……え、え。大丈夫、よ」
完全に麻痺が解けたわけではなく、呂律がうまく回らなかった。ヴィーは眉をしかめ、王さまは淡々とした声でそんな彼に退出を命じた。
「……父上」
「姉が起きるまでという約束で、勉強を止めてもらっておるのだろう。帰りなさい」
「……はい」
ちらちらと振り返り振り返り去っていくヴィーを笑顔で見送ろうとしたら、うまく笑えた気がしなかった。頬をつねると、皮一枚隔てられている感覚だ。でも、これも徐々に回復するだろう。お医者さまは軽度の麻痺症状だと言っていたから。
「王さま、また、迷惑をかけて、ごめんなさい。あと数時間すれば、完治できると思うから、それまで、ゆっくりさせてください」
私を立ったまま見下ろしてくる王さまの瞳は、虚ろから少し脱却していた。特に今は、多大なる呆れを滲ませているようで、そのまま物憂げに薄い唇を開いた。
「…………そなた、倒れてから何日経過したと思っている」
「……へ?」
なんだか嫌な予感がした。麻痺が残っていたことを考えると、数時間程度だと思っていたのだが、……何日。
「今は二日目の昼だ」
「え、で、でも、軽度の、麻痺だ、って」
「あやつも驚いていたが。そなた、麻痺だけで昏睡状態になったわけではないのだろう。……何日寝ていなかった。もしくは、ここ数日の合計睡眠時間はどれくらいだ」
……どうやら、疲労がたまっていたのが昏睡の大きな原因らしい。ただし王さまのいう方面のものではなく。呂律を意識してゆっくりと声を発した。
「ちゃんと、寝てました。今回は……私の内面が、脆かったのが敗因です」
また錯乱してしまって、もうどこにもいない姉さまに助けを求めてしまったことも思い出していた。……全く、成長できていない。
「どうやら、私。痛いのと苦しいのがトラウマみたいで。ましてや久しぶりに毒に中ったと思ったら、これまで耐性がなかった麻痺毒だったので。昔を思い出して、心に限界が来ていたのだと思います」
ふぅ、とため息をついた。掬っても掬ってもなくならない心の澱を吐き出すように。……何度、何度私の心にひびが入れば、周りの人たちの気が済むのだろう。
日常的な虐めでさえ平気なふりをしていても傷は受けているのに――特に最近は、地味に精神への攻撃力が増してきていてしんどかったのだ。そこにトラウマになるような苦痛があれば、それは現実世界から逃げたくもなるというものだ。
(……休憩所となる小部屋も、癒してくれる姉さまも、もういないけれど)
どこまでも進歩のない自分が情けなくて自嘲の笑みが漏れた。四年前は三日。今回は二日なのだから、ましになった方なのだろうか……。
「……そなた、私にそれを言ってよかったのか」
なんとも言えないとばかりに変な顔をしている王さまを、きょとんと見上げた。
「……私の弱みを知ったところで、あなたはベリオルたちのように私と周囲に何かしようという気にはならないでしょう?」
後宮破壊だなんだと騒がしくなりそうなネフィルとベリオルならともかく。この人は私と「同類」なだけで、私に踏み込もうとしていない。そのやる気すらないものだと思っていたのだが……違うのか?
「ベリオルは、王さまに関わるから接点の私を通して後宮破壊をしようとしてるし、ネフィルは私を優先しているらしいから、私に危機があると知れば動くかもしれない。でも、王さまは違いますよね?自分も見捨てて世界も見捨てて、心底どうでもいいはずです」
かつての私のように。……いや、今もか。一番を失ってから、代わりのものを求めるのが怖くて心の真ん中にはぽっかりと空洞が開いている。
埋めたいとも、思わない。
「では、そなたは、助けを求めるつもりはないということか」
「……何を当たり前のことを言ってるんですか。今回は油断してただけです。これしきのことを自力でかわさないで何ができるっていうんですか」
「倒れたそなたの発見が遅れて、死ぬ危険はあったのだぞ」
「死にませんよ。私を一番嫌ってる女王陛下ですらまだ私を殺してないのに。私も自殺行為は避けてますし」
私は自由になるのだ。なのにこんなどぶで死に絶えたいわけがないじゃないか。
「……念のため聞きますが、手は出してませんね?」
王さまはわずかに眉間にしわを寄せて、渋々と答えた。
「……そなたが倒れた時点で原因が毒だとわかっていたのは、私とベリオルとネフィル、先ほどそなたを診察していたヒュレムだけだ。……ネフィルとベリオルはすでにそなたの指示があれば処分できる状態にまで持ち込んでいる」
予想外の言葉に、ゆっくりと枕にもたれかかっていた背中を思わず浮かせて、王さまをふり仰いだ。
「……どういうことです?女王陛下が後宮の管理責任者なのでしょう?あの人は身柄の引き渡しを拒否したはずです。どうやって侍女を処分できるんですか」
「そなたは外宮で倒れたのだぞ。閉鎖されている後宮ではなく。毒殺だと誰かが騒げばあれの立場が悪くなるのは目に見えておろう。……ヴィオレットの、もな」
言われてみれば確かにそうだが。圧倒的多数派が背後についている女王陛下が、そんな蚊の刺した程度の痛みで引き下がるのか果てしなく疑問だ。
納得いかない、という思いを読み取ったのか、やれやれとばかりに王さまが肩をすくめ、すとんと今さら椅子に座った。目線が近くなると、やっぱり虚ろは虚ろなのだと再認識できた。冷たい水色の瞳に私の姿が映っている。でも、それだけ。
一度たりともこの人が父親面をしてないところだけは、少し気に入っている。
「……そなた、全く気づいておらんのか」
「はい?」
なんだか脈絡もなくいきなり馬鹿にされた。……気づくとは、何に。
「いかに反ルシェル派が騒いだところで、あれは気にも止めんだろう。だが、それが他国の王族ならばどうだ」
これまでの厄介ごとの種の、とある王子の顔が頭によぎった。
「…………」
「あの王子はそなたのことを気に入っている。……式典後の夜会であれほどそなたに叩かれてもな」
なんでそれを知ってるのかと思ったが、問いかけるのはなんだかためらわれて、目を逸らすだけにした。
「……あえてあの方が騒ぐメリットがないと思うのですが。気に入ってる、とは。ありえないでしょう。次の王はヴィーですよ?なぜあえて反対派の方に回るのですか」
レオンハルト殿下にとって、国から孤立しており、ましてや嫌われてもいる王女を擁護するのはどこから見ても無駄な行為だ。だいたい、後宮のことなど留学生の立場で関わるべき問題ではない。立派な内政干渉だ。
「はっ!単にそっちの方が楽だからベリオルたちが引きずり込もうとしてるだけでは!?」
「…………自覚がないならよい。それから、引きずり込まなくてもあの王子は立派に当事者の一人だぞ」
詳細を聞いたところによると、私の朝食に毒を盛った侍女はとある貴族の娘に買収されていたらしい。期待したことはなかったけど、軍の警備ほんとに笊だな。
そして、私に毒を盛るよう侍女に命じたその令嬢は、例の夜会でレオンハルト殿下と仲睦まじげ(外観のみ)にしていた私に嫉妬していたとのこと。……つまり私はとばっちりで、あの厄介王子が根本的な理由ではないか。どこまでもあの方は私に迷惑しか運んでこない。もう関わりたくない。早く国に帰ってくれ。
「一応そのご令嬢の名前を教えていただきたいのですが」
「法務大臣の娘、だけで伝わるだろう」
……思わず天井を仰いだ。
私が手を出すまでもなく自滅しにかかるとか……。救いようがない愚かさに、逆に天晴れと言いたくなる。
「……でもいま潰すのはもったいないなぁ……」
毒殺未遂が公になれば私の計画にも狂いが出る。ここは穏便に、円満な解決をすべきか。ちょっと悩むふりをしたあと、うん、と頷いた。ここは内々に処理して、と。
「ご令嬢はひとまず放置で。侍女は毒を取り上げて監視でいいでしょうね。少なくとも殿下が帰るまでは女王陛下も気を引き締めてくれるでしょう。……殿下にも惑わした女性方に釘を刺していってもらいたいものですが」
だいたい、なぜたった二回踊っただけでそこまで嫉妬を受けなければならないんだ。私は特になにもしてない以上、彼女たちへレオンハルト殿下が思わせぶりな態度でもとっていたのだろう。遊ぶならちゃんと火消しまでやってほしい。迷惑。
「……話も終わりましたし、また一眠りさせてください。次に起きたらちゃんと帰りますので。あ、トラウマ云々は、間違ってもネフィルたちに伝えないでくださいよ。あなただから言ったんですから」
ぽすん、と最高品質の枕に頭を落とし、目を閉じた。
「……おい。そなた、私を伝令扱いするつもりか」
私が言い残したことに虚を突かれたらしく、反応が遅れた王さまが何か言ってるが、こちとら心の疲弊はいまだ回復できていないのだ。話している内に麻痺が解れただけよかったが。
ちゃんと、今度起きるときにはしっかり繕い終わっていることを信じて。
一人で立ち上がれますように。
……お休みなさい。
……意識が落ちる直前に額をかさかさの大きな手が撫でていったのは、あのとき見て見ぬふりをした瞳の揺らぎは、私の弱くて脆い甘えが生み出した夢なのだろう。
私が一人で歩いていかなくてはならないことに、変わりはないのだ。
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