孤独な王女

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階段をのぼる

留学生③

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 日中の式典は、王さまの発言とかを聞かず、様々訪れた貴族たちの会話に耳を傾けながらぼーっと突っ立っていたら終わっていた。
 王さまのそばにいつもいるベリオルはともかく、公爵位を継いで多忙になったらしいネフィルと辺境からきたエルサの顔を久しぶりに見れてほっとした。話す暇はないから、近況報告は夜会をあてにしている。



 夜会の最初は王さまの言葉。そのあと、私とヴィーで踊って、パーティは始まった。

 黒地に鮮やかな金糸の刺繍の施された衣装の王さまは、はじめに壇にたっただけで後はずっと腰かけて、話しかけてくる人の相手をしている。
 濃紅のドレスの女王陛下は、白と青の衣装のヴィーをつれてあちこちに突撃をかましていた。ヴィーはたまに踊ってもいるみたいだった。あの子にはまだ婚約者がいないから、女性たちからは結構狙われているのだ。

 あぶれた私はこの時ぐらいにしか口にできない、甘いデザートを上品に頬張りつつエルサに話しかけにいった。探すまでもなく、エルサは容姿も雰囲気も目立つので、簡単に見つかる。近づいてくる私の顔を見ると、エルサを囲んでいた人たちは、さささーっと離れていった。挨拶をなるべく避けようという態度は呆れるが、毎度のことで、面白いといえば面白い。
「お久しぶりです、エルサさま」
「お久しぶりです殿下。身長がまた伸びたようですわね?」
「そのようです。自分ではあまり実感がわかないのですが……半年前に着ていた服が着られなくなって、少し大変です」
 このドレスも少しぎりぎりだ。ふんわりと広がる袖を撫でていると、扇を口許に当てていたエルサが眩しそうに目を細めて見下ろしてきた。その胸に去来するのは、四年前の濃密な日々。彼女らしくもなく、初対面の頃を思い出しては懐かしさと誇らしさを感じていたのだ。
 髪もそれなりに伸び、身に纏う雰囲気は子どもらしさをかなぐり捨てているようなものだけれど、それがリエン姫の気高い眼差しにぴったりと合っていた。年々その緑の瞳は賢さと力強さを増しているが、後ろめたさもなくこれを直視できる人間はどれくらいいるのか……。
「……お健やかに過ごされていたようで、何よりですわ」
「エルサさまの教育のお陰です。ここだけの話ですが、やはり『深窓の令嬢』というのは肩がこります」
「まあ……」
 これだけ似合わないことはないとくすくす笑うエルサにつられて私も笑った。市井に情報が出回ってないのは昔も今も変わらないので、この場で安心させたかったのだが、うまくいったようだ。
「……お二方、失礼しても?」
「あら、アルビオン公どの」
「ネフィルさま。お久しぶりです」
 他愛もない話に混じってきたネフィルは、会うのはエルサほど久しぶりではないが、会っていない月日は半年を数える。まあ、会ったといっても廊下ですれ違っただけだが。
「ご無沙汰しております、リエン姫。ユーリ女伯爵もお変わりないようで何よりです」
「わたくしの方は後継がよく育ってきましたから、楽をさせていただいておりますわ」
「私もあまり忙しいことはなかったので……代わりにネフィルさまは疲れてますね?顔がやつれてますよ」
 いくらか化粧でごまかしているのだろうが、頬がこけているのはわかる。そっとその輪郭をなぞると、ネフィルはくすぐったそうに微笑した。よく笑うようになったなぁ、と他人事のように思うリエンに、ネフィルは肩を竦めた。
「一族が私の限界を試してきていましてね。当主に容赦のないことです」
「そういえば、私、あなた以外の一族にあったことがありませんね。お会いしておくべきでしょうか……」
「いえ、姫はどうかそのままで。心配は無用、成人までの期限をみな守るつもりですから」
「会ったことがないのにそこまで放任は……」
「万が一は私が何としてでも抑えますので。本当にご容赦ください」
 ネフィルが慄いたようにきっぱり言い切ったので、なら安心していいか、と思い直した。エルサは終始にこにこと叔父と姪の不思議な交流を眺めている。
「わかりましたが、無茶はしないでくださいね」
「……あなたの方こそ、よろしいのか。大人しくしているのは骨が折れるでしょう」
 みんなよくわかっていることで、と思わず噴き出してしまった。
「墓穴を掘るのは二度で充分ですからね。溜まりきる前に発散しているので、昔のようなことにはなりません」
 ここでいう墓穴は、一つはかつて女王陛下を煽って五年ぶりの暴力を受けたこと、もう一つは王さまを煽って「家族水入らずの晩餐会」という罰を食らったことだ。
 もういい加減、無駄に人を煽らないと学習した。とばっちり恐ろしい。
 適度な発散は健康にも身の安全にも大事。溜めすぎはよくない。
「発散……」
 なぜか顔をひきつらせたネフィルに首をかしげていると、エルサがころころと軽やかな笑い声を上げた。





 そのまま雑談という名の情報交換を粗方終えると、エルサが「レオンハルト殿下にもお会いしてきますね」と言ってその場を離れた。
「……そっか。ユーリ辺境伯領ってシュバルツ国との国境方面か」
 だとすれば知り合いなのだろう。エルサに会わなければこの国には入れない。それほどまでに「ジヴェルナの守り刀」はこの国の重鎮なのだ。
 ネフィルも他の人に挨拶にいくようで、ぽつんと一人取り残された。
 暇なので、舞踏の曲がいくつも流れるのを耳にしながら、会場の端に寄って漫然と人々を眺めることにした。あちこちで会話を楽しむ集団ができていたが、混ざることはできない。さっきのエルサの時のようになるのがまし、ひどいとそれとなく無視されたりする。
 でもこうして見ているだけでも、ルシェル派の内部構造をある程度見てとれるのだから、四年前までの地獄の勉強は生き続けている。
 そんな大人たちとは違い、子どもたちはみな子どもらしく楽しんでいるようだった。特に若い女性たちの意識は、ヴィーと、エルサと話し始めたレオンハルト殿下に向いている。モテる男ということか。レオンハルト殿下は国賓として接待を受けて、まだ誰とも踊っていないから、女性たちが牽制しあっている。これは面白いが……役に立つ情報がなければそこまでの興味はない。
(飽きたし、バルコニーに出ようかな……)
 そういえば、今日の夜は晴れだったなと思い出す。蜜の匂いが漂う晩夏の夜空は、姉さまの瞳の色を思い出すので好きだ。
 そうして足を向けた時だった。

「――リエン王女殿下。一曲よろしいでしょうか」

 思わず固まった。王さまと話したあとエルサと話していたはずだろうとか余計なことを考えたせいで、とっさに断る言葉が思い浮かばない。というかなぜ私を誘った――王女だからか!メンツか!
「……喜んで、お受けいたします」
 女性たちどころか他の人々の視線まで集めてしまい敗北した私に、目の前に現れた漆黒の衣装の王子はにこりと微笑んだ。







☆☆☆











 白と黒が華麗に舞う。彼らの優雅な足取りは、若者の瑞々しさを夜会に振り撒いている。くるくると二つの色が入り交じる度に、少女のわずかに垂れた長い金の髪がきらきらと清廉な光を撒き散らし、周囲の視線を釘付けにしていた。


 ベリオルはその光景を比較的冷静に見ながら、虚ろな顔をしている王に呟いた。
「陛下……狙ってましたね?」
 いらえはない。しかしその沈黙の意味がわかって、小さく吐息をこぼした。
 病弱という建前ならヴィオレット王子とも踊らずに済んだのに、この王は王子を唆してリエン姫を踊らせた。……そうなると、隣国の王子からの誘いも無下にできない。彼がリエン姫に常ならぬ関心を寄せているのはヴィオレット王子から聞いていた。
(全く……回りくどい真似を)
「まあよろしいではないですか。陛下も父親として、少しは目覚めてきたようですし」
「エルサさま」
 隣国の王子に発破をかけた本人が向かいから歩み寄り、微笑ましく二人の踊りを眺めていた。
「選ぶのは姫殿下であることに変わりはないのです」
「……しかし、あれではまたいらぬ厄介ごとを背負うでしょう」
「レオンハルト殿下も、少しなら察しておりますよ。ヴィオレット王子殿下もいらっしゃいます。……姫殿下が揺らぐなら、その方があの方にとっての幸せでもあります。選択肢は与えてあげるべきです」
「…………」
 ベリオルは否定できず苦い顔になった。ここ数年「深窓の令嬢」を装いながら、裏でこそこそまたろくでもないことをやっているのは知っていた。それを放置していたのはリエン姫本人の要望だったからだ。一人で、立ち上がるために。
 救いになれない自分が情けないし、狭い一本の道を走っていくあの姫が哀れでならない。……それを、あの王子が救えるのか?
「エルサさま。彼の人となりは?」
「あなたも学園から報告が上がっているでしょう?」
「……私を挟んで言葉を交わすな、二人とも」
「うっさいですよ。父親面できないなら黙っといてください」
「陛下がもっとしゃんとしていれば、姫殿下も苦労せずにすむのですよ」
 二人に容赦なくずばっと切られ、哀れな国王陛下は沈黙することになった。







 一曲終わって退散しようとしたら、二曲目もまた踊るはめになった。逃げ道を正確に潰されていた。なぜだ。
 周囲のどよめきが背中に響くが、目の前で私の手のひらを優しく握る青年は全く気にした風ではない。よくも悪くも見られるのに慣れすぎている様子だった。

「……ええと、レオンハルト殿下」
「レオンで構いませんよ、姫君」
  ぱちりとウインク。気障ったらしい。一回踊っただけで馴れ馴れしくなってないかこの人。
「どうしました?」
「……いえ。なぜそんなにこちらを見ているのかと思いまして。穴が開きそうです」
「ふふっ。あなたはずいぶんとはっきりものを言いますね」
 楽しそうに笑われた。そして周囲からの視線がよりいっそう棘を増した。待って、私のせいじゃない。ああ、さすがに女王陛下も気づいてるか……ステップを間違えろ足を踏め恥をかけという顔だ。……いや、私もできるものならしたいけど。
「これまでほとんど社交界に姿を現さなかったと聞きましたが……立派に踊れていますね。数年前、ユーリ女伯爵に養育されたと伺いましたが、そのためですか?」
「ええ、まあ数ヶ月でしたけれど。エルサさまに師事していただいたあの日々があったからこそ、私は恥をかかずにすんでいますね」
 正確に言えば、私が社交で恥をかけばエルサの汚名になる。だからどうしても失敗は許されないのだ。
「あなた自身の努力でもあるでしょう。巷であなたはどんな風に言われているかご存じですか?」
 ……病弱ってだけじゃないのか?きょとんと見上げると、レオンハルト殿下はとてもいい笑顔で呟いた。

「――妖精姫、と。あなたはそう言われていますよ」
「――はい?」

 思わず足を踏みかけたが耐えた。危なかった。……って、うん?
「……妖精姫、ですか?」
「あなたの儚げな美貌と病弱という特徴が合わさって名付けられているようです。一切の社交に姿を現さないことがそれに神秘性を増していますね」
 ベリオルなんかに言ったら大爆笑されそうなことを、この人さらっと言ったぞ今。……儚い?神秘性?……言葉の意味を考え直そう。
「居措は淑女の鏡と言うべき完璧さで、お披露目の時は春の妖精もかくやというお姿でいらっしゃったと聞いています」
 ……ううん?なぜ私が市井で褒められてるんだ?あの場には貴族しかいなかったから悪し様にしか噂は広まらないだろうに……。
 エルサという存在を思い出したのはそのときだ。
 私を貶せば教育したエルサも貶すことになる。ルシェル派は「ジヴェルナの守り刀」を敵に回す真似はできなかっただろう……。なるほど。
 納得して、また妖精姫の名について考えていると、ぐいっと手を引かれてまたターンした。
「……殿下?」
「大変思慮深い方ですね、あなたは。……ご自分の環境を辛いとは思われないのですか?」
 環境……。この人はどこまで知っているのだろうか。虐待はさすがにないか。ただ、見渡す限りは敵だらけというところ?
「別に、今の生活に不満はありません。少なからず私によくしてくれる方もいますし」
「ユーリ女伯爵と、アルビオン公爵ですね」
 先程の交流を見られていたような、的確な返答だった。なんで見た。
「それから、ヴィオレット王子もです」
 付け加えると不思議そうな顔をされた。
「……そういえば、あなたは恨みになどは思っていないのですね。ずいぶんと生い立ちに差があるでしょうに、よく慈しんでおられる」

 ……ここまできて、ようやくかちんときた。
 安い同情など昔から必要としたことなどない。勝手にヴィーと私の関係を語るな。私が恵むだけの存在だと思っているのか。

 眉間にしわを寄せそうになったところで儚いという言葉を思い出して、「深窓の令嬢」らしくたおやかに微笑んだ。
「……お戯れもほどほどにお願いいたしますね。口が過ぎますよ」

 ちょうど曲の終わり目だった。
 いたずらに素の表情で一瞬その灰色の瞳を睨み上げた。
 硬直したレオンハルト殿下から手を離して一礼し、今度こそ逃亡した。
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