孤独な王女

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階段をのぼる

花の行方

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 姉さまがいなくなって、一瞬道が見えなくなった。紛れもなく姉さまは私の生きる理由だったから。
 ……でも、姉さまの声は全部、心に残ってる。大好きと言ってくれたこと。愛しいと思ってくれていたこと。

 ――あなたは私。私はあなた。

 姉さまが消えて流れ込んできた、前世の私――前の世界の姉さまの記憶。道が見えなくても、最後に灯火をくれた姉さま。
 真っ暗でも歩いていけるように。世界に絶望しても、その片隅に落ちている些細な幸せを見つけられるように。一人だと思って泣いていたらヴィーがそばにいたことに気づかせてくれたように。

 姉さまは、きれいで強くて逞しい人だ。その人が「私」であるという。「私」の一部だという。
 絶望寸前というよりも、わずかでもそうしたその瞬間に、爆発的な意志と負けん気と反骨心でのしかかる闇を振り払って、最低な世界を駆け抜けていった姉さまは、今私の中にいる。













☆☆☆

















 昨日の夜は雨だったからか、今朝は庭が靄で覆われていた。
 窓を開けると、しとっとした空気が流れ込む。今年の冬は遅いのか、まだ暖かい。とはいっても比較的というだけなので、ショールをぎゅっと胸の前で合わせて身震いした。
「身に滲みる……」
 薄い空は白んでいるところで、雀の鳴き声が日の出を迎えているように響く。自然光は目に優しくていい。蝋燭の火はもう勘弁。
 頭痛をこらえてはふりとため息をついていると、さく、さく、と下生えを踏む音が聞こえてきた。

「……あら。おはよう、ヴィー」
「おはよう、リィ」

 金の癖っ毛は湿気のせいかいつもより落ち着いている。藍色のリボンで短いのを頑張って括っているせいか輪郭がはっきりして、その面立ちがいつもよりしゃっきりして見えた。
 天使だ何だと誉めそやされる美貌は歳を追うごとに磨きがかかっていて、初対面ですれ違えばみんな、十秒以上はその場で硬直する。微笑まれれば真っ赤になって慌てて目を逸らすような、そんな罪作りとも言える容姿に成長してしまった。
 今のところ耐性があるのは王さまと私と、あとは王さまの側近でもベリオルくらい。女王陛下は母親のくせにたまに悩殺されている。

 そんな義理の弟は、いつもよりかっちりした礼服を着ていた。そこで、なぜヴィーがこの時間に訪ねてきたのか思い至る。
「あ、今日はお披露目だったわね」
「……やっぱり忘れてたね。出席するようにって、父上から言われてないの?」
 ヴィーは窓辺まで近寄ってくると、苦笑いした。
「必要ない限りは出ないわよ。いてもすることないし。それに私は『病弱』だから」
「……二日も徹夜する体力がある人が『病弱』ねぇ?」

 ぐっと言葉に詰まった。なぜばれた。日数までとか怖いわ。
 そっとその白い指が、ひきつった頬に触れた。

「バレバレだよ。また隠し部屋に籠って研究?」
「……これから寝るわ」
 きまり悪くなって目を逸らしつつその手をひっぺがした。代わりにこっちからその頬を撫でてやる。頭は整えられてるので遠慮した形だが、ヴィーはそれが不満なようだった。ちょっと笑って頭をぽんぽんと軽く叩くと、ようやく満足したように表情がとろける。
「……やっぱり行こうかしら」
「え、興味ないんじゃないの?」
 あなたが誰かにお持ち帰りされないか心配なのよ、と姉さまの記憶を掘り起こして心の中で突っ込む。この世界で――特に私の環境だと、お持ち帰りという言葉はない。けど私はその意味も危険性も知ってる。

 ヴィーはきょとんとしていたが、まあいいか、とすぐに柔和な笑顔に戻った。
「昼までぐっすり寝ていてよ。その代わり、夕方から父上に呼ばれてるんだけど、一緒にいて。どうせ晩餐も今日は外宮だし。いいでしょ?」

 ちょっと嫌な顔をしてしまったけど、今日のヴィーは引く気はないらしい。ややあって頷いた。
「……わかったわ。第一図書館で時間潰してるから、お披露目が終わったら呼んで」
「はーい」
 にこにことヴィーはとても嬉しそうだ。
「じゃ、そろそろうるさくなりそうだし、戻るね」
「頑張ってね、挨拶。……って、あ。待って」

 既に半歩下がっていたヴィーを引き止めて、慌てて寝台の横のテーブルに置いていた包みをとる。それをぽんっと渡すと、ヴィーは目を丸くした。
「何これ」
「開けてから聞きなさい。今日のお祝いよ」

 薄青の包みからこぼれたのは、簡素な木箱。片手に乗るサイズで、見るからになんの変哲もない。
「……これ何?」
「耳元で転がしてごらん、音がするでしょ?からくりの箱よ。待ち時間の暇潰しに解いてみなさい」
 ヴィーがすごくめんどくさそうな顔をしたけど、気づかないふりをして笑っておいた。この子だって馬鹿ではないのだ、頭を働かせる機会にその才覚を伸ばさせておかないと。
「解けたら、私に見せに来なさい。中身もお楽しみにね」
「……リィって、ほんとにこういうのが好きだよね」
「人の趣味をとやかく言わない」
「はーい。わかったよ。じゃあ、図書館でね」

 ヴィーが今度こそ踵を返して去っていく。気づけば靄も薄くなっていて、そばの蜜柑の樹の元で、ヴィーを待っている人影を見つけた。
 目が合うと、彼はゆっくりと黙礼した。私も応えて応鷹に頷く。
 最近付けられたヴィーの護衛は、女王陛下が選んだわけじゃないのか知らないけど、珍しくも私を蔑ろにしない人だ。

 ヴィーが前を歩いて、その斜め後ろを護衛の青年がついてゆく。その後ろ姿が茂みに見えなくなると、窓を閉めて、カーテンまで閉めて、太陽にこれから来る睡眠を妨げられないようにした。

 ベッドに飛び込んで毛布を被ると、一瞬後には眠りの世界に誘われた。

 ……四年も前に消えてしまった小部屋に落ちることもなく、意識は闇に包まれた。




















 ――姉さま、私、歩くって決めたよ。

 道が見えなくても、歩きたくなくても。見つけた小さな幸せを大切にしたいから。

 だから、私の中で見ていて。前の世界の姉さまのようにはいかないけど、私も立ち止まっていたくないから。姉さまの生き様に恥じないように。

 姉さまがくれたもの、重くても、辛くても。

 全部、持っていく。










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