孤独な王女

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お披露目④

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 後宮に出回っている噂によると、明日「先生」が訪れるらしい。

 エルサ・ユーリ――ユーリ辺境女伯。嫁して五年と経たずに夫を亡くし、爵位を継いだ姫君。
 今の王さまとは従姉弟にあたり、才は極めて優れ、容貌もまさに絶佳の人。
 王自らが国防の要所たるユーリ辺境伯領に据えおいたことから、「ジヴェルナの守り刀」として、国内外から畏敬を集めている……。




<なんか、すごい絶賛されてる>
<確かに、ヴィオレット王子以外でここまで褒めちぎられてるのはその人くらいだねぇ……>

 夜、小部屋で姉さまに甘えながらそんな話をする。いつからか姉さまは小部屋じゃないと話ができないくらい声が小さくなっていて、意識だって、今では私が承認しても姉さまは表に出られない。
 どんどん、どんどん姉さまは薄れていく。
 それが怖くてたまらないけれど、歯車を押したのは私自身。立ち止まることは許されない。

<リエンちゃんは、この一年間、よくやったよ>
 不意にそう言われてぎゅっと抱きしめられた。
<毎日勉強と宿題でへろへろだものね>
<……うん、すごく疲れた>
 毎日毎日時間に追いたてられて頭を回転させ体に動作を叩き込み、泥のように疲れて眠る。一日一日を振り返ると密度が濃い時間を過ごした気がするのに、まとめて振り返るとろくに変わったことをしていない、勉強漬けの日々。
 前に進めてるのかわからない。けど、姉さまが褒めてくれるのなら、それでいいのだ。

<……それに、ヴィーの相手もあるからさ>
<ふふ。懐かれたね、リエンちゃん>
 「懐かれている」言葉にげんなりした。なぜというと、大変面倒くさい。
<ヴィーって、よくわからない。厳しく当たったのに……ちょっと理不尽かな、と思うようなことも言っちゃって、その日は泣いたくせにまた会った時はけろりとしてさ。避けようとか思わないのかな>

  ヴィオレット・ジヴェルナという存在は、まさに珍種と言っても過言ではない。押しても引いても追いかけてくる。勉強漬けの半年間の間も、外にいれば何かと用事を見つけてやって来て、一緒に遊んだり昼寝したりはたまた幼いなりの問答をしたり……。
 これが普通の五歳児……もうすぐ六歳か……と感心したものだ。図太い。
<私何にもしてないのにね>
<そういうこともあるよ>
 姉さまはとても嬉しそうだった。

<損得だけじゃないものも世の中にはある。しかも、それで人の心を動かすこともある……ってこと、覚えておいてね?>

 それではまるで、私が絆されているようじゃないか、と反論しようとしたけど、姉さまがいつも以上ににこにこと楽しげに微笑んでいるので口をつぐんだ。
 ……最後まで、姉さまがよければ結局他はどうでもいいのだ。

<じゃあ、今日のおさらい始めよっか>
<はぁい>



 どんなに時よ止まれと祈っても、夜は更け朝が訪れる。

 ――最後まで。終わりの時まで、私は姉さまのそばにいる。その願いは絶対に変わらない。








☆☆☆






「お初にお目にかかります、リエン王女殿下。わたくしは、エルサ・ユーリと申します。わずかな間ですが、教育係として務めさせていただきますわ」

 たおやかに、優雅に。流れるような洗練された動作を見て、ああ、これがベリオルたちの目指す完成形か、と納得した。

 挨拶を返すと、金茶色の髪と空色の瞳のその人は、とても美しく微笑み返した。






 これまでとは比べ物にならないくらい密度の濃い勉強が始まった。
 何せ先生は、後宮の、それも私の部屋と隣接している部屋を住まいにしたからだ。
 朝食も昼食も夕食も一緒に摂り、空き時間もみっちり予定がつまっている。なんとも恐ろしいのは、始終笑顔でいることだ。侍女の私に対する態度が悪かろうと私が粗相をしでかそうとも勉強会に休む間がほぼないという状況でも、呆れも嘲りも疲れたため息の一つもせず、静かににこにこ。
 甘やかすことなくかといって怒ることもなく、淡々と、しかし根気強く教えてくる。ベリオルはどんな風にこの人を遥か遠くから呼んできたのか。完全無欠の笑顔が鉄壁の防御となり、思惑がちっとも探れない。
 最近サームと打ち解けてきたところだったのに、さらに掴み所のない人が来てしまった。

 ……でも、そのためか、エルサのそばはひどく居心地がよかった。


「ふむ。話術はてんで駄目ですわね。竹を割ったように明確な受け答えは好まれますが、幼いという評価を受けることもあります。殿下であれば裏に意味を含ませることは容易でしょう。身内だからと気を抜かず、日常でわたくしを相手にして、体に記憶させましょうね」
 ベリオルたちに教え込まれた話口調は根本的に改善され、敬語が常態となった。

「立ち居振舞いは及第点です。が、どうしても動きが素早いですね。もったいぶるとまでは言いませんが、優雅に、ゆっくり……所作に周囲の視線を誘導させるように。鋭い牙は隠すものですわよ」
 いちいち髪を触る動作や、何気ない歩き方までもが洗練された。

「地理、政治は充分に身についているようですわね。ではより実践的に……」
 思考に詰めが甘かったところを徹底的に埋められた。

「男性でも女性でも、身を飾るものですわ。まして王女殿下ともなれば、流行の先端となるほど身形には注目されます。そこで、この絵は今現在流行りのドレスの型です」
 縁がなかった美的感覚について徹底的に仕込まれた。
 ついでにお披露目に向けてドレスや宝飾、髪型も専門の職業の人が呼ばれて、採寸、仕立てまで行われることになった。





 そこまでやってはじめて、エルサは一歩こちらに踏み込んできた。


「殿下は、お披露目にはどのような心積もりでいられます?」
「はい?」

 突拍子のない質問にも即座に受け答えできるように叩き込まれた成果か、持っていたティーカップの中身を波立たせることなく、音をできるだけたてずにソーサーに戻す。
 にこにこといつも通りに微笑んでいるエルサを失礼と見られない程度に見つめた。

「殿下はこれまで、弱音を言うこともなくわたくしの優しいともいえなかった指導にもついてきていらっしゃいましたね。お披露目にはそれなりのお気持ちがあるのではないかと思いましたの」
「……そうですね」

 考え込むように視線を外し、周囲の風景を漫然と眺めた。
 時には体の芯を冷やすような凍てつく風が吹く外界とは隔離された温室は、まるで春のように暖かく、咲く花々も優しい彩りだ。こんな居心地がいい場所が城内にあったとは、今日この温室に来るまではついぞ知らなかった。
『あとは実践だけですわ』
 そう言われて開かれた最小人数のお茶会である。場所の指定以外は主催者ホストは私で、必要な道具を一式丸々手配し、自分の身形もきちんと整え、髪型すらも教えられた通りにまとめた。
 ただなぜか四人分を想定して用意しろと言われたのは謎だったが……。

 自分でも、お披露目まであとひと月を切ったとはいえ、ここまで進化?できるとは思っていなかった。


「……質問を返すようで心苦しいですが、エルサさまはなぜ私の教育係となることをお受けしたのですか?」
「まあ。陛下の勅書が届いたのですから、拒否など許されませんよ」
 ころころと笑い声をあげている姿を見て半目になってしまった。これまでさりげなく私をいびってくる女王陛下をさりげなく撃退してきたくせに、白々しい。

「ただ、わたくしは『ジヴェルナの守り刀』と呼ばれておりまして。閉じられている後宮に赴けるこの機会に、次代の様子を知りたくなった、というのはありますわね」
「……それだけなのですか?」
「もちろんあなたさま本人にも興味はあります。ですが、あくまでもわたくしは内政については傍観者ですの」

 傍観者、と内心で反芻した。手を出せないのではなく出さない。
 それでも私と直接やり取りしているからには何かしら欲はあるだろう。……次代への繋ぎとか?

「ベリオルさまからお聞きしましたが、お父上が理由ではないそうですわね?」
「……多少は、どんな顔をしているのかは気になっております」

 ベリオルの名前を出したということは、そこに至るまでの経緯をはじめからこの人は知っているということだ。私の境遇やこれまでやってきたこと……姉さまのことも知られている可能性は高い。
 ……それをこれまでおくびにも出さず変わらぬ笑顔を浮かべているとは。なんとも恐ろしい人である。

「一番の理由は?」
「私の力を知りたいからです。そして望めれば、持てなかった力を得たいと考えています」
「……お披露目だけでなく、日々の勉強すら糧になるということですか」
「はい」

 この一年半必死に覚えたことは、お披露目のことなどなくとも身につけておきたかったことだ。表向きお披露目が目標にすり替わっているが、真には後宮を叩き潰し自由を手にいれるため。そのためには中途半端な力では足りない。

「……なるほど。ベリオルさまがおっしゃっていたように、『不信』の固まりですわね」
「え?」

 その時だった。妙に聞き覚えのある声が聞こえたのは。

「――リィ!」

 ぎょっとして振り返った。
 まっすぐ軽やかな足取りで駆け寄ってくるその姿を見て錯覚しそうになったが首を振った。ここは後宮ではない。温室は後宮にはない設備だ。
 そしてそうならば、この声の主はさすがに一人ではないはず。……同伴者は、当然。

「……『ジヴェルナの守り刀』さま。突然先触れもなくこのような場所に妾と王子を呼び出して、どうしたと……」

 目が合ってお互いに絶句した。この中でも相変わらずエルサは穏やかに微笑んでいる。最強過ぎてついていけない。
 どういう状況だ、これは。

「……じょ、女王陛下…………」
 切られた髪は少し伸びた。いや、そういうことではない。なぜここにヴィーと一緒に現れて……――『呼び出した』?

 錆びついたオルゴールのように首を回すと、エルサは柔らかく口元を綻ばせながらも、青い瞳を意志に煌めかせた。

「申し上げましたでしょう、殿下。『わたくしはの様子が知りたい』と」

 嘘でしょうと言いたくなった。


 お茶会の実技の機会に、ついでとばかりに呼んできたのだこの人は。主催者わたしにも、招待客にも内緒で。

 ――よりにもよって、天敵をまみえさせるとか! 
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