孤独な王女

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<リエンちゃん!!>


 小部屋に転がり落ちてきた私を、姉さまが受け止めてくれた。
<ねぇ、さま……>
 ほっとしてしまう。どんなに泣きそうな顔でも、怒りに燃えている顔でもここで待っていてくれた。
 もしあの騒ぎのうちに消えていたら、私は手っ取り早く楽になる道として、今すぐみんな殺して後宮をぶち壊して死ぬことを選んでいた。

<よかった……>
<よかったって言いたいのはこっちだよ!>
 そう言って姉さまはぎゅっと抱き締めてくれた。
<よかった……ほんとに……壊れるんじゃないかって……>
 震える声を聞いて、ああ、と思う。一人じゃない、心配してくれる人がいる。それだけで涙がこぼれそうになる。

<……大丈夫、だよ。案外、傷ついてないから……>

 下手な笑顔を浮かべると、当然眦を吊り上げられた。
 姉さまはとっくに泣いていた。

<アホなこと言うんじゃない!私の呼びかけにも答えなかったくせに!自信満々に挑発しといて返り討ちじゃないのよ……>
<うん……それね……>

 あはは、と乾いた笑いが漏れる。いつもなら周囲に向けるけど、今回ばかりは自分に向けて。自嘲も入ってる。

 油断していたというか、忘れていたというのがふさわしい。
 今回は私の自滅だ。

 姉さまは私がそこまで怯えてないことに気づいたのか、そっと抱擁をといた。
<……平気なの?錯乱してたでしょ?>
<……うん。本当に狂ってしまいたかった>

 何の力もない、自分が生きてることすら知らない三歳までのあの頃に、殴られる直前に見たあの顔で引きずり戻された。あっさりと。
 ――けど。
 あの人にさんざんやられたことを許すつもりなんてないけど、むしろ憎悪が増したけど。
 だからって、自分の間違いに気づけないほど愚かでいたくない。見返してやるために。完璧にぶち壊してやるために。

<……姉さま。私、今の環境を自分の手で掴みとったのだと思ってたの。今日、それに気づいた>
 涙がこぼれる姉さまの頬を触って、悲しませたことを申し訳なく思う。

<本当は違うのにね。あの人が言ってたみたいに、たまたま私は見逃されてただけだった。私はもう虐められなくてすむって喜んでたけど、姉さまが守ってくれたからだし、あの汚い部屋からはネフィルが出してくれた。周りを見ることをベリオルが教えてくれた。……私自身が何かをしたことはないんだ>
<リエンちゃん、それは>
<違わないでしょう?だって、私がたった一人でできたことなんて何もない>

 運が良かった。たったそれだけ。それに気づかず私はあの人の問題を無視してきた。もう来なくなったから、二度と目の前に姿を現さないと、勝手にそう思ってた。
 万が一痛い目に遭うことがあっても、今なら抵抗できると思った。成長したと思ってた。
 なのにあの人は私の存在を認めない。いたぶって壊して遊ぼうとする。五年前のように。
 実際にその手にのって、壊れかけてしまうほどに今でも私は弱かった。

 いくら嘆こうと逃げようとしても追いかけてくる、それが、まざまざと突きつけられた現実だった。

<姉さま、私、戻るね>
 姉さまの懐から出て、立ち上がる。
<……リエンちゃん……>
<本当に頑張るって決めた。もう同じ轍は踏まない。全部壊して自由になって、姉さまと一緒にここを出ていく夢は変わらないんだから>

 笑え。どんなに辛い現実が待っていようと。
 歩け。どれだけ挫けてしまいそうでも。

 戦うと決めたのは三歳の頃の私だ。翻すつもりは、毛頭ない。












 目を覚ますと、部屋は真っ暗だった。姉さまに少しは休んでいけって半泣きで言われて、ある程度心の傷を治してから戻ったから、まぁ予想はしていた。
 気絶しておいてすぐには動けないのは当たり前のことで、寝っ転がったまま暗闇に目を慣らす。
 こんな風に打ち捨てられて床に転がったのなんて、何年ぶりだろうかと思って、まだ引きずられていることに気づく。

 ……ちゃんとわかってる。ここはあの物置小屋じゃない。おかあさまの部屋。

 それにしても痛い。頭から足まで全身痛いし体が重い。ついでに酩酊感もあるし、お腹の中が荒れている。つまり体調は最低の更に下。

 すぐ近くですえた臭いがして、ああ、そうだったとげんなりする。片付けしないと……でも、絨毯はもう使えないだろうなぁ。ネフィルに適当に理由をごまかして相談しよう。ちょうど明日は月に一度の勉強会の予定だったし。

 だんだん頭が冴えてきて、起き上がろうと思ったらぱたりとまた倒れた。
(……ちょっと、いや、これは、かなりまずいかも)
 少し動いただけで冷や汗と動悸がすごい。死にそうなんじゃないかと思うくらいには体が動かず、逆に思考だけが回る。でもそれも空回り。だからちょっと頭を捻った。
(……あの、人たち……)
 あの常識が焼き切れてるか欠落している屑たちを思い出す。生まれる怒りも憎悪も行動の起因になる。だからって復讐に走って心中紛いのことをしてあげるつもりはないけど。私の命は私のためだけのもの。
 私のものの何一つ、あげるものなどないのだから。
(……あ、ましになったかも)
 沸々と胸の内で燃やす黒い炎を想像すると、気分がましになった。計算通り、だけど。
(複雑だなぁ)
 自分の中は本当に空っぽなんだと思い知らされる。でも今はそれでいい。

「先に、お風呂……」
 ぐっと腕に力を込めて、体を起こした。







☆☆☆











 結論からいうと、翌日には風邪を引いていた。熱もある。食欲もなく胃も空っぽなはずなのに吐き気だけは立派だからやるせない。
 時間が経つ度に最低値がずんどこ更新されていってる。

             
 理由の一端は風呂で体を洗おうとして失敗したことだ。

 ……うん、予想以上に怪我がひどかった。

 殴られた左頬はぱんぱんに腫れ上がってるし唇の端も切れてた。頭にはたんこぶ。お腹にはたくさんの青痣。他にも打ち身が至るところに。
 受け身を取り損ねたり避けようとして自分からみぞおちに当てられにいったり無気力になってたりした、その全部が全身に跳ね返ってきてる。
 ちょっと触るだけでも痛い。体を捻るだけでも痛い。歩くだけで傷が頭蓋骨に響く。
 髪を整えるのは、さすがに今は無理だと思って諦めた。

(……これは、会うのは諦めるか……)
 髪が切られたことは気分転換でごまかせる。でも左頬はごまかせない。熱でぼんやりするし、今日は出歩いたらいつ倒れるかわからない。
 最近身の回りのことでネフィルがいちいちうるさいから、ここは怪我が治るまでは距離をおくべきだ。ああ、甘いお菓子が食べたい。でも後宮破壊にまた走られても困る。弱ってる今は止められる自信がない。我慢だ。

「……我慢…………」

 なんとか寝台に転がったが、手当てする道具もないし。夜はそのまま寝てしまうと、目覚めたときにぴくりとも体が動かないものだから怖かった。全身熱くて苦しいし、頭も痛い。
 たまに吐き気がすさまじくてシーツに吐きかけては飲み込んで、また気分が悪くなって。悪循環。
 ちなみに誰も部屋を訪れたりはしていない。理由は知らない。知りたくもない。

 こうして一人で辛さを耐えることに専念していると、世界でたった一人きり息をしているように錯覚する。生きてるのは私だけ。そう考えるとこの最低な気分も悪くないような気がしてくるから、私も頭がだいぶやられてる。
 ……でも、今だけはそれでもいいからゆっくり休みたかった。

 罵声と蔑みと嗤い声。
 それに正面から立ち向かうために。







『妾の王子に近づくな』

 ねぇ、女王陛下。私がそれを聞く必要はどこにもないよね? 
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