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序
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多くの大国が構える大陸の中央に位置する聖域・リンドール。その歴史は古く、成立した事情を知るための史料もないほど遥か悠久の昔から、そこに在った。
聖域の主は聖女である。
聖女を慕う者がいつからか寄り集まり、聖女の教えを世に広めるため、また大国との交渉のために教会が形づくられた。
聖女、ひいては聖域は、神聖にして不可侵。その力の有用性に目をつけた権力者は掃いて捨てるほど現れたが、その力は全ての干渉を弾き飛ばすほどのものでもあった。武力に負けず、兵糧攻めなど意味をなさない。時としては弱者を守る盾にもなった。
政治にこそ無干渉だが、莫大な民衆の支持を得る聖域や教会を国家が無視できるはずもなく、お互いの領分を弁える旨、条約として取りまとめたのが、やっと歴史に残るくらいに古くて新しい時代である。
ジーナは四代目の聖女として聖域を守っていた。
今その年月を指折り数えたところ、指だけでは足りなかったので紙に線をつけていき、結局指差しで数を数えるというとてつもない手間をかけて……「うん」と頷いた。
「ざっと百五十年」
丁寧に数えた意味とは。そんなツッコミを待ったジーナだったが、周囲は誰もジーナに気をとめていなかった。いつも絶妙のタイミングで言ってくれる若い侍従は「王子が求婚するなら私がやった方がまし!」とかトチ狂ったことをほざいて、ただでさえてんやわんやの聖域を阿鼻叫喚の地獄に叩き落としている。
ジーナに求婚する直前に羽交い締めされてどこかへ連行されたので、ジーナの傍にはいないのだった。こんなピッチピチの美少女にノリでプロポーズとか、色々問題がある。いや、それを言うなら、ノリに乗らせた王子が一番問題が多い。東の大国アザレイの王子は王族唯一の直系であり、王国の後継者である。それが、幼い頃に父王に連れられ訪れた聖域で十歳の見た目な聖女に一目惚れしてかれこれ十余年、そろそろ結婚相手をと周りにせっつかれて追い詰められた王子は、ありったけの思いをジーナへのラブレターにしたためたのだった。
ラブレターという名の爆弾は、アザレイとリンドール、二ヶ所に甚大なる被害を与えている。
聖女は前述した条約の履行のため、王位を継ぐ者との婚姻は不可能である。
同時に深刻なのが、王子に疑いようもなくロリコンのレッテルが貼られることだ。どうやらラブレターの内容を読む限り、外見だけに惚れ込んでいるわけではないようだが、万が一結婚式を挙げたとしても、救いようのないほど犯罪的な絵面にしかならない。ましてや王子は聖女を見れば多幸感で顔面崩壊するのが常。囚人への転落待ったなしである。
しかし、情熱に一直線なあまり客観性を燃やし尽くした王子は、生まれ持った優秀さを遺憾なく無駄に発揮し、正々堂々と国内の聖女排斥派を血祭りに上げまくり、明後日の方向に爆走を続けている。
その執念だけは、ある意味誉めるに値する。誉めないが。
「色々と面倒になってきたけど、タイミングってものなんだろうな。ちょうどいい」
ジーナはすっと立ち上がった。聖女として人前に出されるので、立ち居振舞いは何気ないようでいて大変美しい。幼い容姿に似つかぬ洗練された所作は、普段なら見慣れている側仕えたちも常に目を奪われるほどだったが、このときばかりはそんな余裕もないらしい。ジーナは白い裳裾をしゃらしゃらと引いて、執務用の大広間から出ていった。
「あっ、聖女さま、どちらへ行かれるのですか!?」
「さすがにこの状況を放り出して逃げるなんてことはしないから、慌てるな。ちょっと昼寝してくるだけだよ」
「お昼寝!?ロリっ子なのは見た目だけなくせに!?」
「お前たち歯に衣着せなくなったよなぁ……。そう、昼寝だ、昼寝。今日は朝っぱらから色々考えすぎて疲れたから休憩だよ。暗くなる前には起きる」
「えー……」
「考えすぎって……」
「こら、お前たち。ジーナさまに失礼だぞ」
渋る従者たちをぴしゃりと叱りつけたのは老年の侍従長だった。慌てて畏まる侍従たちに紛れてジーナも姿勢を糺したのは条件反射である。年齢だけだと年下の侍従長だが、ジーナが上から目線で指図できない傑物でもあるゆえだ。
「ジーナさま、あくまでお昼寝なのですね?暗くなる前に、きちんと起きられますね?」
「あ、ああ、うん。起きる起きる。ロリっ子なのは見た目だけだからな。寝過ごすことはしないさ」
「ではよろしい」
何様かという態度だが誰も突っ込めない。侍従長はそのまま従者たちを連れて行き去ったので、ジーナはほっとした。唯一にして一番の難関は乗り越えた。これで向かう先に邪魔者はいない、とジーナはるんるんと歩き始めた。
昼寝の場所に向かうためではない。
百五十年ぶりに聖域を出るためだ。
この日、求婚騒動のどさくさ紛れに聖女が出奔した。
聖域の主は聖女である。
聖女を慕う者がいつからか寄り集まり、聖女の教えを世に広めるため、また大国との交渉のために教会が形づくられた。
聖女、ひいては聖域は、神聖にして不可侵。その力の有用性に目をつけた権力者は掃いて捨てるほど現れたが、その力は全ての干渉を弾き飛ばすほどのものでもあった。武力に負けず、兵糧攻めなど意味をなさない。時としては弱者を守る盾にもなった。
政治にこそ無干渉だが、莫大な民衆の支持を得る聖域や教会を国家が無視できるはずもなく、お互いの領分を弁える旨、条約として取りまとめたのが、やっと歴史に残るくらいに古くて新しい時代である。
ジーナは四代目の聖女として聖域を守っていた。
今その年月を指折り数えたところ、指だけでは足りなかったので紙に線をつけていき、結局指差しで数を数えるというとてつもない手間をかけて……「うん」と頷いた。
「ざっと百五十年」
丁寧に数えた意味とは。そんなツッコミを待ったジーナだったが、周囲は誰もジーナに気をとめていなかった。いつも絶妙のタイミングで言ってくれる若い侍従は「王子が求婚するなら私がやった方がまし!」とかトチ狂ったことをほざいて、ただでさえてんやわんやの聖域を阿鼻叫喚の地獄に叩き落としている。
ジーナに求婚する直前に羽交い締めされてどこかへ連行されたので、ジーナの傍にはいないのだった。こんなピッチピチの美少女にノリでプロポーズとか、色々問題がある。いや、それを言うなら、ノリに乗らせた王子が一番問題が多い。東の大国アザレイの王子は王族唯一の直系であり、王国の後継者である。それが、幼い頃に父王に連れられ訪れた聖域で十歳の見た目な聖女に一目惚れしてかれこれ十余年、そろそろ結婚相手をと周りにせっつかれて追い詰められた王子は、ありったけの思いをジーナへのラブレターにしたためたのだった。
ラブレターという名の爆弾は、アザレイとリンドール、二ヶ所に甚大なる被害を与えている。
聖女は前述した条約の履行のため、王位を継ぐ者との婚姻は不可能である。
同時に深刻なのが、王子に疑いようもなくロリコンのレッテルが貼られることだ。どうやらラブレターの内容を読む限り、外見だけに惚れ込んでいるわけではないようだが、万が一結婚式を挙げたとしても、救いようのないほど犯罪的な絵面にしかならない。ましてや王子は聖女を見れば多幸感で顔面崩壊するのが常。囚人への転落待ったなしである。
しかし、情熱に一直線なあまり客観性を燃やし尽くした王子は、生まれ持った優秀さを遺憾なく無駄に発揮し、正々堂々と国内の聖女排斥派を血祭りに上げまくり、明後日の方向に爆走を続けている。
その執念だけは、ある意味誉めるに値する。誉めないが。
「色々と面倒になってきたけど、タイミングってものなんだろうな。ちょうどいい」
ジーナはすっと立ち上がった。聖女として人前に出されるので、立ち居振舞いは何気ないようでいて大変美しい。幼い容姿に似つかぬ洗練された所作は、普段なら見慣れている側仕えたちも常に目を奪われるほどだったが、このときばかりはそんな余裕もないらしい。ジーナは白い裳裾をしゃらしゃらと引いて、執務用の大広間から出ていった。
「あっ、聖女さま、どちらへ行かれるのですか!?」
「さすがにこの状況を放り出して逃げるなんてことはしないから、慌てるな。ちょっと昼寝してくるだけだよ」
「お昼寝!?ロリっ子なのは見た目だけなくせに!?」
「お前たち歯に衣着せなくなったよなぁ……。そう、昼寝だ、昼寝。今日は朝っぱらから色々考えすぎて疲れたから休憩だよ。暗くなる前には起きる」
「えー……」
「考えすぎって……」
「こら、お前たち。ジーナさまに失礼だぞ」
渋る従者たちをぴしゃりと叱りつけたのは老年の侍従長だった。慌てて畏まる侍従たちに紛れてジーナも姿勢を糺したのは条件反射である。年齢だけだと年下の侍従長だが、ジーナが上から目線で指図できない傑物でもあるゆえだ。
「ジーナさま、あくまでお昼寝なのですね?暗くなる前に、きちんと起きられますね?」
「あ、ああ、うん。起きる起きる。ロリっ子なのは見た目だけだからな。寝過ごすことはしないさ」
「ではよろしい」
何様かという態度だが誰も突っ込めない。侍従長はそのまま従者たちを連れて行き去ったので、ジーナはほっとした。唯一にして一番の難関は乗り越えた。これで向かう先に邪魔者はいない、とジーナはるんるんと歩き始めた。
昼寝の場所に向かうためではない。
百五十年ぶりに聖域を出るためだ。
この日、求婚騒動のどさくさ紛れに聖女が出奔した。
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