付け届けの花嫁※返品不可

文字の大きさ
上 下
18 / 23
クルガ編

じうしち

しおりを挟む
 ぼんやりと目が覚めて、明るい室内に気づいて飛び起きた。
 寝過ごした、というか、寝落ちた。背筋から血の気が引く感覚のまま横を見て、ゆっくりと上下している布団の塊を見つけて、遅れてドコドコ鳴り出した心音を片手で握り潰した。
 ウミが一人で散歩に行ったのか、それともおれと同じように自然に寝られたのか、どっちかは知らないが、今目の前にいる。黙って消えてはいない。
 深く息を吐くと、思ったより吐息が震えていてげんなりした。
 人が目の前からいなくなるのはきつい。それでも、懸念だけでこんなに焦ったって、視野が狭くなるだけでとことん無駄だ。
 常に沈着とあれ。冷酷であってはいいが、激することはよくない。伯父の教え通りにするにはまだまだ厳しそうだ。
 動揺が落ち着いてから、ウミに近寄った。相変わらず死んだように眠っている。散らばっている髪の毛先を梳いていると、はらりと白い物が間からこぼれ出た。花びらだ。家の裏手に植わっている花橘を、その花びらが眠たげに細い月のさやかな明かりにぼんやり浮かび上がる様を思い出した。一昨日の夜、ウミを抱えて眺めたものだ。

(……出てから、帰ってきたのか)

 ほんのり笑って花びらをつまみ上げて、開け放していた窓から漏れ出る朝日に透かした。












 おれとミルカが忙しかったように、夏が来てからのアルザもまた、医師として大変な忙しさに見舞われた。
 雪が残るほどの寒さから急に訪れた夏に、暑気あたりでへばった子どもが多く、半ば子守りと化していたのだ。それもやっと半月を過ぎて、体が季節に慣れてきた。しかし今度は慣れてきた頃に無茶をする連中が運び込まれたり、毎日大小なりとも怪我人が多いので、常に薬研をゴロゴロする羽目になっている。
 元のアルザの暮らしていた家――両親とネラと過ごしていたものではなく、占い師の職と一緒にクルガが与えたもの――を大きく開いて、家丸ごと診療所にしている。位置的におれの家より都合がいいし、雨漏りがあっても雨が降らなければまあ差し支えはない。
 虫除けの独特の香草が焚かれ、りぃんと澄んだ鈴の音が風に乗って鳴り響く。その遠くにざわりざわりと、山の木々の青葉擦れる音がした。「アルーの診療所」は怪我がなくても不思議と居座りたくなる家で、みんななんとなく休憩に立ち寄っていく。

「爺さん婆さんが元気なのはよかったよ。さすが長く自分の体と付き合ってきた奴らは、きちんと限界がわかってる」
「そうか」

 おれも今日は日向ぼっこの一員に片足突っ込んでいるが、もちろん仕事である。最近、日中は出来得る限りの遠出に精を出していて、氏族の中に目を配れなくなっていた。その分、ミルカや他の者にも話を聞いて様子を把握するようにしていて、診療所を訪ねて医師の見地から報告を聞くのもその一環だ。昨夜ウミの下手くそな隠密行動に気づけなかったので、今日は遠出しないと決めた。代わりに集落の見回りに出ている。
 タンカ爺さんは「真面目な族長だ」とこぼしていたが、族長が仕事を真面目にこなすのはそんなに珍しいか。

「まあ時々ぎっくり腰とか来たりするけど。張り切りすぎて」
「駄目だろそれ」
「あはは」

 医師見習いでアルザの使いにあちこち出向いているネラが、おれに茶を出して下がっていった。窓も戸も開け放たれた開放的な部屋にはおれとアルザしかいない。あとは錫の風鈴と数々の薬草と薬研などの道具、古びた書物。呪具云々はおれの家の納屋にまだ置いている。

「それで?」

 アルザの声音が変わった。ネラがなるべく冷ましてくれたのか、ぬるい茶を口にしようとして、止めた。おちゃらけが一切ない目がおれを見ている。

「嫁さんはどうなの?」
「急になんだ?」
「ずーっと籠の鳥のまま、自分の部屋に閉じ込めて満足?嫁さんの境遇は勝手に推測してるだけだけど、まあ、同情はするよね。それだけで丸ごと受け入れるのはお前のいいところで、悪い癖だ。いつまで羽休めさせてるの?いっそ飛び方すら忘れてしまえば、籠が空にならずに済むと思ってる?時が来たら手前勝手にぽんって放り出すくせに、お前、残酷なことするよな。支援物資なんかを持参金代わりにして嫁さんを追い出したラルトィ族とおんなじくらい」

 色々突っ込みどころのある言葉が続いて、眉をしかめた。アルザは全部わかってる風に微笑んだ。切りつけるような笑みだった。

「お前がほっぽってるからさ。ミルカみたいに様子を見に行ったわけ。暑くなったし、閉じこもってる嫁さんの体調も考えて」
「どこか悪かったのか」
「いんや、お前がちゃんと水もひしおも用意してたから異状なし。栄養足りないのは前からだけど、体力はあるようだし、そうそうバテたりしないよ」
「……それで、なにを話した」
「クルガが前族長の甥っ子とは思わなかったみたいで、その辺り」

 氏族は一つで大きな血族だが、族長は自らの直系に継がせるのが基本だ。前族長の伯父が二年前に死んだとき、本当はその一人娘ミルカが族長になるはずだった。性別問わず長子相続なので、幼くてもおれの父が補佐すれば運営はなんとかなる、はずだった。
 だが伯父と一緒におれの父も死んだので、おれが一時的に族長の席に座ることになった。
 そういえばウミにぽろりと漏らした。ミルカが族長になったら、と。……レィミヤ族おとなりの事情を知らなかったことに今さら驚きはないが、なんでおれに訊かずアルザに。

「お前には訊けないからだよ」
「……まだなにも言ってないぞ」
「そりゃあ、嫁さんからしてみりゃ驚きだろうよ。自分の夫が族長というには微妙な立場だって考えたらね」
「夫もなにも、契りは交わしてないし、あいつもそう思ってないだろう」
「お前の、そこだよね。馬鹿とも呼べないところ」
「なんだと?」

 アルザが珍しく怒っているのだけはわかった。しかもウミのためにおれを責めている口ぶり。だけど地味に偏屈な性格である上、以前にウミが半年後に出ていくと教えた時は、ふうんとしか言わなかったはずだ。変わったのか、隠していたのか。

 ――君を連れてくのが最善だった。君のためにね。

 そういえば、あの時は事態に流されていたが、アルザにしてはずいぶん柔らかい当たりだった気がする。
 もう罵倒への抗議も忘れてしまい、ぽかんと呟いた。

「アルザ、お前、あいつに惚れてるみたいだぞ」
「だったらどうする?」

 アルザは挑戦的におれを見返し、冷たく笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

心を失った彼女は、もう婚約者を見ない

基本二度寝
恋愛
女癖の悪い王太子は呪われた。 寝台から起き上がれず、食事も身体が拒否し、原因不明な状態の心労もあり、やせ細っていった。 「こりゃあすごい」 解呪に呼ばれた魔女は、しゃがれ声で場違いにも感嘆した。 「王族に呪いなんて効かないはずなのにと思ったけれど、これほど大きい呪いは見たことがないよ。どれだけの女の恨みを買ったんだい」 王太子には思い当たる節はない。 相手が勝手に勘違いして想いを寄せられているだけなのに。 「こりゃあ対価は大きいよ?」 金ならいくらでも出すと豪語する国王と、「早く息子を助けて」と喚く王妃。 「なら、その娘の心を対価にどうだい」 魔女はぐるりと部屋を見渡し、壁際に使用人らと共に立たされている王太子の婚約者の令嬢を指差した。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】皆様、答え合わせをいたしましょう

楽歩
恋愛
白磁のような肌にきらめく金髪、宝石のようなディープグリーンの瞳のシルヴィ・ウィレムス公爵令嬢。 きらびやかに彩られた学院の大広間で、別の女性をエスコートして現れたセドリック王太子殿下に婚約破棄を宣言された。 傍若無人なふるまい、大聖女だというのに仕事のほとんどを他の聖女に押し付け、王太子が心惹かれる男爵令嬢には嫌がらせをする。令嬢の有責で婚約破棄、国外追放、除籍…まさにその宣告が下されようとした瞬間。 「心当たりはありますが、本当にご理解いただけているか…答え合わせいたしません?」 令嬢との答え合わせに、青ざめ愕然としていく王太子、男爵令嬢、側近達など… 周りに搾取され続け、大事にされなかった令嬢の答え合わせにより、皆の終わりが始まる。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

処理中です...