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クルガ編
じういち
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ウミの足がまっさらに戻った翌朝の集会で、氏族の面々には体調不良としていたウミの容態がよくなったと伝えた。
体調不良ではなく呪いの発現だった真実は、おれとアルザとミルカのみが飲み込んでいる。ミルカはそれが神罰だとまでは知らないが、それでも無駄に広める必要は感じていないようだった。
氏族は過去に心にアルザという名の大小の穴を空けられ、いまだ埋まらず、それすらも忘れかけているが、「呪い」によってもたらされた喪失感は本能に刻み込まれているらしい。氏族の全員が、呪いと聞けば各々の反応を示すくらいには。
ミルカはそんなざわめきをもたらすことを嫌ったし、ウミを襲った呪いにすら怒ったのだったから、ウミのことも思いやったのだろう。
「回復したと言っても、まだしんどそうだから外には出さない。接近禁止は続行だ。いいな」
そう言い放てば、初日から三割増しくらいのにやにや笑いを浴びた。肩をすくめたり、目配せしてるやつらもいる。だからなんなんだこいつら。いい加減飽きろ。
「族長の嫁さんぞっこん宣言に続いて、占い師からの託宣に移りまーす」
「なんだって?」
なんつったこいつ今。前半。
しかし族長の問いかけを無視して、ポンコツ占い師はおどけたように進み出て、芝居がかった動きで両手を上げた。
「この数日後に、丸一日雨が降る日が来る。この雨は冬の名残を全部洗い流してゆくだろう。その後は晴れる。夏の陽射しだ。例年より暑いし、急だから、みんな、気をつけて」
「おいアルー、今度はほんとか?」
「春は来ないのか。来年も?」
「それはわかんないけど」
占い師はポンコツな返答の後にこう続けた。
「雨の後からしばらく、お日様はカンカンだから。春がおっつけやって来たとしても、すぐに夏に急かされて通り過ぎるよ」
いつもの四季を占う託宣のような投げやりさはなく、確信と自信があった。こういう時にこそなんとなく浮世離れして見えるので始末に負えない。氏族の連中の間に奇妙で緩やかな緊張が走った。
アルザは呪術師に全部奪われたくせに、己を呪術師と呼ぶことにためらいがない。本能的に忌避を抱いてしまう氏族の目の前で、たやすく片鱗をちらつかせる。
今回は、多分、ウミの呪い返しのことだ。太陽に住む神は返された呪いをどう扱うのやら、皆目見当もつかないが、空の遥か高くから降り注ぐ光と熱は大地を育む。地上へ影響が出るのは当然かもしれない。
アルザの責任はおれの義務。腕を組んで尋ねた。
「薬は?」
「念のためたくさん作りたいな。特に熱冷まし」
「農地の確認がいるな。種子は残ってたな」
「うん。種まきだけは雨の前がいい。あっち側には雨は降らない」
「なら、今日にでも……」
「クー坊、おれらで行くぜ」
呼び止めてきたのは氏族でも年配の男たち。冬のはじめ頃に若手を組ませて農地に走らせたら、文句を垂れてきた連中だ。しかもその後遭難してきた上に族長の使いも果たせないとは何事だと、拳骨かまして雪かきの刑に処していた。族長のおれにも勝手で。雪の下から襲いかかってきた獣たちを血祭りにするくらいの情けはあったようだが、単に暴れたかったから暴れたような気がする。
「お前はしばらくゆっくり休んでろ。せっかく嫁も来たんだし。お前がいたから、おれらは冬を乗り越えられた。今さら丸一日引きこもったって誰も文句は言わねえよ」
文句は言わなくてもにやにや笑いはしてくるだろう、と思ったが、寝不足続きで休みが欲しかったのもあり、結局は頷いていた。
*
部屋に戻ると、ウミは薄暗い中、布団にこもっていた。昨日まではおれやアルザやミルカが、ウミの側に必ずいた。今はおれと二人きり。しかしウミは寝ている。おれが枕元に座ったのにも気づかないほど。
(一人で眠れるようになったか?)
顔を確認すると、なんとなく寂しげに見えた。一人きりにされて箸の練習のやる気も他のやる気も起きず、ふて寝しているように見えてくる。
緩やかな呼吸音だけが密やかに鳴っているのに、不思議と耳を澄ませてしまう。あぐらをかいて、膝に頬杖をついて、無言で見つめた。
もう眠れないウミの足元で鳴る音はないとなると、いちいち眠れているか確認に行かねばならない。布団から布団へ。ウミが寝ていたらすごすご帰って自分の布団を被ることを考えると、急に面倒くさくなった。
「いくらだって付き合ってやるから、言ってくれよ」
片手がウミの散らばった髪を一房掬い上げていた。柔らかく指に絡みつくようだ。今度は、髪に鈴でも結びつけるか。
別に、ウミがなにも言わなくても、夜間の散歩だって勝手にこっちがやってることだ。今さら言わなくたって構わない。おれのやることは変わらない。
だけど、言ってほしいと思うことがある。ごろごろ寝返りを打ってるときには思わないのに、小さくて軽い体を片腕に座らせて、ウミの頬が肩に乗ってる時とか。夜闇を風が吹いて、ウミの髪をふわりと揺らす時とか。耳を澄ませないと聞き取れないような小さな声が、聞こえてくるといいと。
ウミはぴくりともしない。寝入っているときのウミはいつも、全部の力を使い果たしたように、身動ぎをまともにしない。寝相の良し悪しもないくらい微動だにしないのだ。身と心が全力で休息に甘んじて浸っている、こんな寝方ができるのは正直羨ましい。
「……お前、また寝過ぎて夜を眠れなくなっても知らんぞ」
――そうしたら、また、夜の散歩に行けるだろうか。
「……おれ、けっこう疲れてるんだな」
なんか今、変なことを考えてしまった。ウミが寝ていることを確認して、頬杖をついた手で眉間を揉んだ。
体調不良ではなく呪いの発現だった真実は、おれとアルザとミルカのみが飲み込んでいる。ミルカはそれが神罰だとまでは知らないが、それでも無駄に広める必要は感じていないようだった。
氏族は過去に心にアルザという名の大小の穴を空けられ、いまだ埋まらず、それすらも忘れかけているが、「呪い」によってもたらされた喪失感は本能に刻み込まれているらしい。氏族の全員が、呪いと聞けば各々の反応を示すくらいには。
ミルカはそんなざわめきをもたらすことを嫌ったし、ウミを襲った呪いにすら怒ったのだったから、ウミのことも思いやったのだろう。
「回復したと言っても、まだしんどそうだから外には出さない。接近禁止は続行だ。いいな」
そう言い放てば、初日から三割増しくらいのにやにや笑いを浴びた。肩をすくめたり、目配せしてるやつらもいる。だからなんなんだこいつら。いい加減飽きろ。
「族長の嫁さんぞっこん宣言に続いて、占い師からの託宣に移りまーす」
「なんだって?」
なんつったこいつ今。前半。
しかし族長の問いかけを無視して、ポンコツ占い師はおどけたように進み出て、芝居がかった動きで両手を上げた。
「この数日後に、丸一日雨が降る日が来る。この雨は冬の名残を全部洗い流してゆくだろう。その後は晴れる。夏の陽射しだ。例年より暑いし、急だから、みんな、気をつけて」
「おいアルー、今度はほんとか?」
「春は来ないのか。来年も?」
「それはわかんないけど」
占い師はポンコツな返答の後にこう続けた。
「雨の後からしばらく、お日様はカンカンだから。春がおっつけやって来たとしても、すぐに夏に急かされて通り過ぎるよ」
いつもの四季を占う託宣のような投げやりさはなく、確信と自信があった。こういう時にこそなんとなく浮世離れして見えるので始末に負えない。氏族の連中の間に奇妙で緩やかな緊張が走った。
アルザは呪術師に全部奪われたくせに、己を呪術師と呼ぶことにためらいがない。本能的に忌避を抱いてしまう氏族の目の前で、たやすく片鱗をちらつかせる。
今回は、多分、ウミの呪い返しのことだ。太陽に住む神は返された呪いをどう扱うのやら、皆目見当もつかないが、空の遥か高くから降り注ぐ光と熱は大地を育む。地上へ影響が出るのは当然かもしれない。
アルザの責任はおれの義務。腕を組んで尋ねた。
「薬は?」
「念のためたくさん作りたいな。特に熱冷まし」
「農地の確認がいるな。種子は残ってたな」
「うん。種まきだけは雨の前がいい。あっち側には雨は降らない」
「なら、今日にでも……」
「クー坊、おれらで行くぜ」
呼び止めてきたのは氏族でも年配の男たち。冬のはじめ頃に若手を組ませて農地に走らせたら、文句を垂れてきた連中だ。しかもその後遭難してきた上に族長の使いも果たせないとは何事だと、拳骨かまして雪かきの刑に処していた。族長のおれにも勝手で。雪の下から襲いかかってきた獣たちを血祭りにするくらいの情けはあったようだが、単に暴れたかったから暴れたような気がする。
「お前はしばらくゆっくり休んでろ。せっかく嫁も来たんだし。お前がいたから、おれらは冬を乗り越えられた。今さら丸一日引きこもったって誰も文句は言わねえよ」
文句は言わなくてもにやにや笑いはしてくるだろう、と思ったが、寝不足続きで休みが欲しかったのもあり、結局は頷いていた。
*
部屋に戻ると、ウミは薄暗い中、布団にこもっていた。昨日まではおれやアルザやミルカが、ウミの側に必ずいた。今はおれと二人きり。しかしウミは寝ている。おれが枕元に座ったのにも気づかないほど。
(一人で眠れるようになったか?)
顔を確認すると、なんとなく寂しげに見えた。一人きりにされて箸の練習のやる気も他のやる気も起きず、ふて寝しているように見えてくる。
緩やかな呼吸音だけが密やかに鳴っているのに、不思議と耳を澄ませてしまう。あぐらをかいて、膝に頬杖をついて、無言で見つめた。
もう眠れないウミの足元で鳴る音はないとなると、いちいち眠れているか確認に行かねばならない。布団から布団へ。ウミが寝ていたらすごすご帰って自分の布団を被ることを考えると、急に面倒くさくなった。
「いくらだって付き合ってやるから、言ってくれよ」
片手がウミの散らばった髪を一房掬い上げていた。柔らかく指に絡みつくようだ。今度は、髪に鈴でも結びつけるか。
別に、ウミがなにも言わなくても、夜間の散歩だって勝手にこっちがやってることだ。今さら言わなくたって構わない。おれのやることは変わらない。
だけど、言ってほしいと思うことがある。ごろごろ寝返りを打ってるときには思わないのに、小さくて軽い体を片腕に座らせて、ウミの頬が肩に乗ってる時とか。夜闇を風が吹いて、ウミの髪をふわりと揺らす時とか。耳を澄ませないと聞き取れないような小さな声が、聞こえてくるといいと。
ウミはぴくりともしない。寝入っているときのウミはいつも、全部の力を使い果たしたように、身動ぎをまともにしない。寝相の良し悪しもないくらい微動だにしないのだ。身と心が全力で休息に甘んじて浸っている、こんな寝方ができるのは正直羨ましい。
「……お前、また寝過ぎて夜を眠れなくなっても知らんぞ」
――そうしたら、また、夜の散歩に行けるだろうか。
「……おれ、けっこう疲れてるんだな」
なんか今、変なことを考えてしまった。ウミが寝ていることを確認して、頬杖をついた手で眉間を揉んだ。
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