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クルガ編
いち
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「こんにちは。あなたがレィミヤ族の族長クルガさまですね。ラルトィ族族長セキヤの娘、ウミと申します。結婚させて頂きに参りました。よろしくお願いいたします」
急募。非常に切迫している状況で、政治的に逆らえない家から、支援物資のついでで嫁がやって来た場合の対処法。
「は、はじめまして?」
間違った気がする、と思ったのは、裏返った声が自分の口から出た後だった。
*
例年の暦通りなら初夏であり、この起伏の多い大地は、例年ならば青い草花が埋め尽くしているはずだった。
暑さ寒さが顕著な西北地方ではあるが、春と秋が長く、夏と冬は短い。それが今年はどうしたことか、冬が春をぱっくり飲み込んで、固い根雪がどっしりと居座ってしまっている。
氏族の占い師が慌てに慌て、古い資料をひっくり返して原因を探っているが、はかばかしくないまま、もう二ヶ月も過ぎてしまった。
季節の巡りは例年通りと占ったのは彼なので、その危機感は半端じゃない。元々冬は「すごく寒いけどすぐ暖かくなるし」「わあ雪が降った、何年ぶりだろう!」「今年は雪ソリできないのー!」というように、氏族の一同、過酷な面をとことん舐めきっていたので、備えもろくになかった。いつもなら寒いだけで狩りには行けたし、なんなら南の寒さを嫌って北上する渡り鳥を狙って仕留めるので、肉はやたら豊富な毎冬なのである。氏族が居を広げる山間から裏側に回れば、年中苔むすような湿潤な地質に多少の食用植物も植えているので、栄養面の問題も特になかった。これまでは。
今年はその全てが雪の白に染まった。
例年より雪が酷いと思った辺りから、若手を組ませて極小の農地に走らせたが、途中で遭難者が出たので引き返した。遭難者は後で奇跡的に戻ってきたが、結局農地の確認できなかったので、族長のおれと占い師の二人で責任持って探索に行った。我が氏族の占い師は基本ポンコツだが、占い以外の超感覚は並外れている。迷わず危険も少なく農地へと辿り着き、出来る限りを収穫して戻った。帰りに雪の下から見慣れない小動物が群れで襲ってきたのでさらなる土産とした。荷物持ちの占い師が返り血で血まみれになり次々と見知らぬ獣を引き寄せたが、これくらい働いてもらわねば割に合わない。
氏族の者たちは多少の肉と野菜に喜んでいたが、諸手を挙げるほどではなかった。春はいつ来るのか、もう来ないのではないかという恐れが、寒風のようにじわじわと心を冷やしていく。
備蓄保存に使う調味料は微々たる量。水は雪を融かせばなんとかなるが、温めるための燃料すらほとんどない。防寒具などなおさらだ。
それでもなんとか、ない知恵を絞って冬越えの対策をし、ポンコツ占い師を蹴飛ばし、氏族の不満を解消させたり、ポンコツ占い師を雪に埋めたり、雪下から湧いてきた獣を血祭りに上げたりと、なんとか族長として氏族を死人なく守り通してきた。
そろそろ風が温くなってきた気がするが、ポンコツの言はあまり信じたくないので今度は当てにしていない。いつ冬が明けるかわからない中で、わりと極限状態だったので、お隣の裕福なラルトィ族からのたんまりした支援物資はとても嬉しい。正直、雪原に線を描く一隊を遠くから見つけた時点で氏族総出で襲いかけていたので危ないところだったのである。飢えは氏族の誇り以前の問題だ。
ただし嫁はいらない。
しかもこの無表情で、淡々と口上を述べた自称嫁の名前。ラルトィ族の族長の娘と名乗ったが、聞き覚えがない。
セキヤは知っているし、おれと同年代の跡取りセリカも知っている。セキヤには娘が三人いて、その名前も覚えている。しかし、ウミという名前はいなかった。はずだ。自称嫁のすぐ後ろに、セリカがよく引き連れていた男がいるので、ラルトィ族からの届け物なのは間違いはないだろうが。
「では、私たちはこれで」
「待て待て待て」
この男、荷物を下ろし終えたらもう用はないとばかりに、目が合った途端踵を返したどころか、肩を掴んで止めたら非常に面倒くさそうな嫌そうな顔になった。弱小とはいえ、仮にも一氏族の族長相手に、失礼すぎないかこの使いっ走り。
「……礼状をしたためるのでぜひお待ち頂きたい」
「いえ、族長は冬の間、我らが友レィミヤ族のことを深く慮っておりました。急ぎ戻って安心させたく思いますので、過分なお気遣いは結構です」
「いやいや、確かに今の我が氏族では満足な礼もできないが、かと言ってなにもしないでは心残りだ。しばしの休息の間のもてなしくらいはさせてくれ」
男がさりげなく手を振り払おうとしたが、できないと気づいて顔色を変えた。じわじわ青ざめていくと同時に額に脂汗が浮いていたので、力を込めすぎたかもしれない。最近空腹で感覚が鈍っているからなあと思いつつも緩めないでいると、男が掠れた声で「わかりました」と言ってくれた。
「ではそこの占い師に休む場所まで案内させるので、寛いでお待ち頂きたい」
ぱっと手を離して、撫でるようにポンポンと肩を叩く。ポンコツが早速のんびりした声で先導し始めたのを少しだけ見送り、書きもののために家に戻ることにした。墨、凍っていないといいけど。
礼状に抗議文紛いの質問状もくっつけたいから、急いで仕上げないといけなかった。
急募。非常に切迫している状況で、政治的に逆らえない家から、支援物資のついでで嫁がやって来た場合の対処法。
「は、はじめまして?」
間違った気がする、と思ったのは、裏返った声が自分の口から出た後だった。
*
例年の暦通りなら初夏であり、この起伏の多い大地は、例年ならば青い草花が埋め尽くしているはずだった。
暑さ寒さが顕著な西北地方ではあるが、春と秋が長く、夏と冬は短い。それが今年はどうしたことか、冬が春をぱっくり飲み込んで、固い根雪がどっしりと居座ってしまっている。
氏族の占い師が慌てに慌て、古い資料をひっくり返して原因を探っているが、はかばかしくないまま、もう二ヶ月も過ぎてしまった。
季節の巡りは例年通りと占ったのは彼なので、その危機感は半端じゃない。元々冬は「すごく寒いけどすぐ暖かくなるし」「わあ雪が降った、何年ぶりだろう!」「今年は雪ソリできないのー!」というように、氏族の一同、過酷な面をとことん舐めきっていたので、備えもろくになかった。いつもなら寒いだけで狩りには行けたし、なんなら南の寒さを嫌って北上する渡り鳥を狙って仕留めるので、肉はやたら豊富な毎冬なのである。氏族が居を広げる山間から裏側に回れば、年中苔むすような湿潤な地質に多少の食用植物も植えているので、栄養面の問題も特になかった。これまでは。
今年はその全てが雪の白に染まった。
例年より雪が酷いと思った辺りから、若手を組ませて極小の農地に走らせたが、途中で遭難者が出たので引き返した。遭難者は後で奇跡的に戻ってきたが、結局農地の確認できなかったので、族長のおれと占い師の二人で責任持って探索に行った。我が氏族の占い師は基本ポンコツだが、占い以外の超感覚は並外れている。迷わず危険も少なく農地へと辿り着き、出来る限りを収穫して戻った。帰りに雪の下から見慣れない小動物が群れで襲ってきたのでさらなる土産とした。荷物持ちの占い師が返り血で血まみれになり次々と見知らぬ獣を引き寄せたが、これくらい働いてもらわねば割に合わない。
氏族の者たちは多少の肉と野菜に喜んでいたが、諸手を挙げるほどではなかった。春はいつ来るのか、もう来ないのではないかという恐れが、寒風のようにじわじわと心を冷やしていく。
備蓄保存に使う調味料は微々たる量。水は雪を融かせばなんとかなるが、温めるための燃料すらほとんどない。防寒具などなおさらだ。
それでもなんとか、ない知恵を絞って冬越えの対策をし、ポンコツ占い師を蹴飛ばし、氏族の不満を解消させたり、ポンコツ占い師を雪に埋めたり、雪下から湧いてきた獣を血祭りに上げたりと、なんとか族長として氏族を死人なく守り通してきた。
そろそろ風が温くなってきた気がするが、ポンコツの言はあまり信じたくないので今度は当てにしていない。いつ冬が明けるかわからない中で、わりと極限状態だったので、お隣の裕福なラルトィ族からのたんまりした支援物資はとても嬉しい。正直、雪原に線を描く一隊を遠くから見つけた時点で氏族総出で襲いかけていたので危ないところだったのである。飢えは氏族の誇り以前の問題だ。
ただし嫁はいらない。
しかもこの無表情で、淡々と口上を述べた自称嫁の名前。ラルトィ族の族長の娘と名乗ったが、聞き覚えがない。
セキヤは知っているし、おれと同年代の跡取りセリカも知っている。セキヤには娘が三人いて、その名前も覚えている。しかし、ウミという名前はいなかった。はずだ。自称嫁のすぐ後ろに、セリカがよく引き連れていた男がいるので、ラルトィ族からの届け物なのは間違いはないだろうが。
「では、私たちはこれで」
「待て待て待て」
この男、荷物を下ろし終えたらもう用はないとばかりに、目が合った途端踵を返したどころか、肩を掴んで止めたら非常に面倒くさそうな嫌そうな顔になった。弱小とはいえ、仮にも一氏族の族長相手に、失礼すぎないかこの使いっ走り。
「……礼状をしたためるのでぜひお待ち頂きたい」
「いえ、族長は冬の間、我らが友レィミヤ族のことを深く慮っておりました。急ぎ戻って安心させたく思いますので、過分なお気遣いは結構です」
「いやいや、確かに今の我が氏族では満足な礼もできないが、かと言ってなにもしないでは心残りだ。しばしの休息の間のもてなしくらいはさせてくれ」
男がさりげなく手を振り払おうとしたが、できないと気づいて顔色を変えた。じわじわ青ざめていくと同時に額に脂汗が浮いていたので、力を込めすぎたかもしれない。最近空腹で感覚が鈍っているからなあと思いつつも緩めないでいると、男が掠れた声で「わかりました」と言ってくれた。
「ではそこの占い師に休む場所まで案内させるので、寛いでお待ち頂きたい」
ぱっと手を離して、撫でるようにポンポンと肩を叩く。ポンコツが早速のんびりした声で先導し始めたのを少しだけ見送り、書きもののために家に戻ることにした。墨、凍っていないといいけど。
礼状に抗議文紛いの質問状もくっつけたいから、急いで仕上げないといけなかった。
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