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クルガ編
じうに
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ひゅるひゅると風が顔に当たって、瞬いた。そしてやっと気づいた。
「どこだここ」
レィミヤ族の周辺にこんな場所はない。広々とした青空、見渡す限り広がる草葉の波と家屋の影。地平線という言葉を知ったのは、伯父に引っ付いて、他氏族へと旅をしたときだ。
足元を見下して納得した。夢だな。
腰元まで伸びる背の高い茎が、おれの体を透けて風に揺らされている。さわさわ、すかすか。ある意味新鮮な体験である。感触がない。
「ん?」
ふとその茎や葉の色に覚えがある気がして、手をかざして空振りながらも観察した。夏至に最も濃密に染まり、美しく光沢を持つ植物だと、見せびらかしながら言ってきたやつがいた。他氏族の証を馬鹿にするのはいけないとわかっているので、せめて自分たちの証の自慢をと散々ついてまわってきてうるさかった。
金鈴草。夏至を過ぎると、背の高い茎がぽっきんと折れて色がくすむという。この畑も、思い返せば見覚えがある。気がする。まだ収穫には及ばないようだが、強い風が吹けば折れそうだなと思った。
「ラルトィ族の集落か……なんでだ?」
ふと、風にそよぐ柔らかい音に紛れて別の音がした。こそこそと、ただでさえ小さな体を丸めて、這うように金鈴草の畑から出ていこうとしている。「おい」と呼び止めようとしたのはなんとなく。しかし聞こえなかったらしい。妙に足が速いというか、金色の海を滑らかに泳いでいるように見えた。
「お前!!」
少女はびくりと固まった。今さら気配を隠そうとしているが、相手ははっきり見つけているようで、ざくざく草を掻き分けながら近づいてきた。おれの方は見もしない。指先がおれの膝を掠めたが、やはり触れない。
少年は少女の腕を掴んで捻り上げた。
「この畑はおれたちの氏族の誇りだぞ!お前みたいなやつが触っていいもんじゃない。出て行け!」
「……申し訳、ありません」
「父上にもこのことはお伝えしておくからな!罰を覚悟しておけ!この小汚い盗人め!」
少年は畑から少女を引きずり出すと、そのまま突き飛ばした。少女の髪がばさりと広がる。まとった襤褸切れは、少年のきちんとした身なりとは全然違う。それらの隙間から顔が見えた瞬間、畑から出ていた。少年はおれに気づいていない。無様に転んだ少女を鼻で笑って、家屋の立ち並ぶ方へ駆けていく。早速告げ口らしい。小さい頃からクソガキだったのか。
「おい」
今度は意志を持って話しかけた。しかし、やっぱり、聞こえないらしい。少女は一人でのろのろと体を起こした。頭や背中を触ってみたが、やっぱり無理。それでも、怪我を確かめようと正面に回ると、髪の隙間から目が合った。
少女は目を見開き、飛び上がるように立ち上がり、逃げた。おれのいる方に背を向けて、ではなく、おれに突進して。当然のようにすり抜けて、そのまま一直線にどこかへ走り去っていく。……何だ今の。なんで前方に突進したんだ。猪か。
見えたなら、と思って、口を開いて息を吸い込んだ。アルザの声が脳裏を過ぎる。
『ただの人間がなんの危険もなく、簡単に使える呪いを一つ、教えようか』
普通の声が届かないなら、呪いならどうだと。
「――」
名前を呼ぼうとして、声が出なかった。今さらのように気づいた。あいつの名前はなんだ?
知っているはずの名は喉につっかえ、声にならない。呪いと為さない。舌打ちした。色々あって聞きそびれたことがここに響いてくるとは。
ラルトィ族の集落は広大な平地に広がる。合間に農地が点在して、家屋は何ヶ所かに密集している。少女は駆けた一本道の先の、どの家屋に飛び込んでいったのか。もしくは別のところに走ったかもしれない。見晴らしがいいはずなのに見通しが悪いのは何だ。引きこもられたら探しようがないと思ったが、ちょっとして考え直した。金鈴草に手を伸ばす。おれの体は相変わらず透けていた。おれ自身はおれに触れるし、多分寝入るときに身につけていた装備もそのまんま、物の触感だってしっかりあるのに、謎だ。夢だからか。
(夢なら……これ、家の壁もすり抜けられるんじゃないか)
そしてあの少女以外におれの姿が見えないとしたら。
試してみる価値はあった。一つ頷くと、少女が逃げた道を堂々と辿り始めた。
家屋に近づくにつれ人の気配が増えていく。同時に、壁掛けに失敗したように、ころんと日が落ちていった。闇が迫りくる中、煮炊きの煙が見えるようになる。あちこちから女の話し声や男たちの掛け合う声が聞こえてくる。家路を急ぐように道を行き来するやつらもいた。全員、道のど真ん中を歩くおれに気づかなかった。
何人かおれの前後左右から体当たりをしかけて、そのまま通り抜けた。反射的に身構えたり避けようとしたりしてしまったが、その度に思いとどまってすり抜けさせるのは、無駄に神経を削った。
道や家々の戸口を素早く見ながら進んだが、家屋突撃は、第一目標を定めていた。ラルトィ族族長の構える家は屋敷と呼んでいい規模だ。氏族議会は有力氏族の持ち回りで毎年開催場所を決めており、一昨年の議会はちょうど、このラルトィ族で開かれた。このくらいでかい屋根がないと全氏族長を呼び寄せることなどできないんだなと、毎年あちこち出席するたびに思っている。うちで開くつもりはないが、まあやるとしても一生無理だなと思ったり。押し込めてみてやっと十家族入ったくらいの我が家と比べてはいけない。
(どこから当たるか……)
ただ、同時に、こんなにでかいと片っ端から壁をすり抜けるのが面倒であることも確かなことだった。違ったら他の家屋も手当り次第だし。
悩んで、告げ口のことを考えた。考え出したら胸がざわついた。こういう予感は大体外れない。族長の部屋へと走り出した。
『馬鹿だな』
背中を風と共に過去の声が追いかける。三年前に散々言われた言葉だった。
おれが馬鹿なんてのはわかりきってる。――本当に?ケタケタ笑い。
おれのときと違って、ただ見てるだけしかできないのに?
「それでも、何もしないよりましだ」
案外できるかもしれないし。ぼそっと付け加えると、ケタケタ笑いが弾けて、背中を押した。
『お前、ほんっと馬鹿だなあ!』
「どこだここ」
レィミヤ族の周辺にこんな場所はない。広々とした青空、見渡す限り広がる草葉の波と家屋の影。地平線という言葉を知ったのは、伯父に引っ付いて、他氏族へと旅をしたときだ。
足元を見下して納得した。夢だな。
腰元まで伸びる背の高い茎が、おれの体を透けて風に揺らされている。さわさわ、すかすか。ある意味新鮮な体験である。感触がない。
「ん?」
ふとその茎や葉の色に覚えがある気がして、手をかざして空振りながらも観察した。夏至に最も濃密に染まり、美しく光沢を持つ植物だと、見せびらかしながら言ってきたやつがいた。他氏族の証を馬鹿にするのはいけないとわかっているので、せめて自分たちの証の自慢をと散々ついてまわってきてうるさかった。
金鈴草。夏至を過ぎると、背の高い茎がぽっきんと折れて色がくすむという。この畑も、思い返せば見覚えがある。気がする。まだ収穫には及ばないようだが、強い風が吹けば折れそうだなと思った。
「ラルトィ族の集落か……なんでだ?」
ふと、風にそよぐ柔らかい音に紛れて別の音がした。こそこそと、ただでさえ小さな体を丸めて、這うように金鈴草の畑から出ていこうとしている。「おい」と呼び止めようとしたのはなんとなく。しかし聞こえなかったらしい。妙に足が速いというか、金色の海を滑らかに泳いでいるように見えた。
「お前!!」
少女はびくりと固まった。今さら気配を隠そうとしているが、相手ははっきり見つけているようで、ざくざく草を掻き分けながら近づいてきた。おれの方は見もしない。指先がおれの膝を掠めたが、やはり触れない。
少年は少女の腕を掴んで捻り上げた。
「この畑はおれたちの氏族の誇りだぞ!お前みたいなやつが触っていいもんじゃない。出て行け!」
「……申し訳、ありません」
「父上にもこのことはお伝えしておくからな!罰を覚悟しておけ!この小汚い盗人め!」
少年は畑から少女を引きずり出すと、そのまま突き飛ばした。少女の髪がばさりと広がる。まとった襤褸切れは、少年のきちんとした身なりとは全然違う。それらの隙間から顔が見えた瞬間、畑から出ていた。少年はおれに気づいていない。無様に転んだ少女を鼻で笑って、家屋の立ち並ぶ方へ駆けていく。早速告げ口らしい。小さい頃からクソガキだったのか。
「おい」
今度は意志を持って話しかけた。しかし、やっぱり、聞こえないらしい。少女は一人でのろのろと体を起こした。頭や背中を触ってみたが、やっぱり無理。それでも、怪我を確かめようと正面に回ると、髪の隙間から目が合った。
少女は目を見開き、飛び上がるように立ち上がり、逃げた。おれのいる方に背を向けて、ではなく、おれに突進して。当然のようにすり抜けて、そのまま一直線にどこかへ走り去っていく。……何だ今の。なんで前方に突進したんだ。猪か。
見えたなら、と思って、口を開いて息を吸い込んだ。アルザの声が脳裏を過ぎる。
『ただの人間がなんの危険もなく、簡単に使える呪いを一つ、教えようか』
普通の声が届かないなら、呪いならどうだと。
「――」
名前を呼ぼうとして、声が出なかった。今さらのように気づいた。あいつの名前はなんだ?
知っているはずの名は喉につっかえ、声にならない。呪いと為さない。舌打ちした。色々あって聞きそびれたことがここに響いてくるとは。
ラルトィ族の集落は広大な平地に広がる。合間に農地が点在して、家屋は何ヶ所かに密集している。少女は駆けた一本道の先の、どの家屋に飛び込んでいったのか。もしくは別のところに走ったかもしれない。見晴らしがいいはずなのに見通しが悪いのは何だ。引きこもられたら探しようがないと思ったが、ちょっとして考え直した。金鈴草に手を伸ばす。おれの体は相変わらず透けていた。おれ自身はおれに触れるし、多分寝入るときに身につけていた装備もそのまんま、物の触感だってしっかりあるのに、謎だ。夢だからか。
(夢なら……これ、家の壁もすり抜けられるんじゃないか)
そしてあの少女以外におれの姿が見えないとしたら。
試してみる価値はあった。一つ頷くと、少女が逃げた道を堂々と辿り始めた。
家屋に近づくにつれ人の気配が増えていく。同時に、壁掛けに失敗したように、ころんと日が落ちていった。闇が迫りくる中、煮炊きの煙が見えるようになる。あちこちから女の話し声や男たちの掛け合う声が聞こえてくる。家路を急ぐように道を行き来するやつらもいた。全員、道のど真ん中を歩くおれに気づかなかった。
何人かおれの前後左右から体当たりをしかけて、そのまま通り抜けた。反射的に身構えたり避けようとしたりしてしまったが、その度に思いとどまってすり抜けさせるのは、無駄に神経を削った。
道や家々の戸口を素早く見ながら進んだが、家屋突撃は、第一目標を定めていた。ラルトィ族族長の構える家は屋敷と呼んでいい規模だ。氏族議会は有力氏族の持ち回りで毎年開催場所を決めており、一昨年の議会はちょうど、このラルトィ族で開かれた。このくらいでかい屋根がないと全氏族長を呼び寄せることなどできないんだなと、毎年あちこち出席するたびに思っている。うちで開くつもりはないが、まあやるとしても一生無理だなと思ったり。押し込めてみてやっと十家族入ったくらいの我が家と比べてはいけない。
(どこから当たるか……)
ただ、同時に、こんなにでかいと片っ端から壁をすり抜けるのが面倒であることも確かなことだった。違ったら他の家屋も手当り次第だし。
悩んで、告げ口のことを考えた。考え出したら胸がざわついた。こういう予感は大体外れない。族長の部屋へと走り出した。
『馬鹿だな』
背中を風と共に過去の声が追いかける。三年前に散々言われた言葉だった。
おれが馬鹿なんてのはわかりきってる。――本当に?ケタケタ笑い。
おれのときと違って、ただ見てるだけしかできないのに?
「それでも、何もしないよりましだ」
案外できるかもしれないし。ぼそっと付け加えると、ケタケタ笑いが弾けて、背中を押した。
『お前、ほんっと馬鹿だなあ!』
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