黒曜石の花束を、あなたへ

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伝説

第四話 破壊の花嫁……赤

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 目の前で、守ろうと決めていた人の父親が、首を刎ねられた。

 ……また、私は。

「あなたの負けだよ、愛しい人」

 胴なしの生首を鷲掴んで、男は娘の肌に手を添えた。血で汚れていたので、ぬる、と娘の肌にも痕がつく。

「あなただけだったのに。どうしてためらったの?」

 そんなの、と叫ぼうとして、声が出なかった。まるで夢うつつの心地で、儚く微笑む男を見上げる。血の匂いで頭が馬鹿になっていた。……どうして、こんな顔をしているの。

 娘の部族では婚前交渉は大罪だった。でも王国じゃ違ったから、不思議に思うことはなかった。
 男は娘が大切に守ろうとしている姿をみて、全部を壊していた。
 踏みにじって、笑う。嗤う。赤い瞳は血のように濡れ、死神のように、おとぎ話の破壊神のように荒野に佇む。
 待っていたのだ、と悟った。奇襲をかけ、一気に陣地の中央まで走りきって男のいる天幕を捲ると、こちらに向いて座り、黙って目を閉じていたあなた。手に刃の一つも持たず。

「やあ、早かったね」

 ……それでも、娘は刺客足り得なかった。

















 奇襲は成功したと言える。誤算だったのは、味方の裏切りだった。それはそもそも役立つことから期待していなかったから当然だが、今さら、味方が男の命より娘の振る舞いを危険視しているのに気づいた。死の目前までいって。

 気づいたときには、娘は男のかいなに抱かれていた。

「――全く。王国は何年たっても学ばないな。おれからあなたを取り上げたから、おれはここまで攻め上がってきたのに。予言に恐怖して聖女を見つけても、聖女が鎮めるべき者を見落としていたら滑稽だ。既に隣にいたのに」

 また、断末魔。天幕のなか、娘と男の周りで時が永遠に止まる。男はもはや止まらなかった。娘を片腕に座らせたまま、部族を動かし一気に王都を攻めあげ、白亜の城を血で染めた。まるで娘の銀の髪のように。

 父上と呼ぶ王子の姿を見つけて、ようやく金縛りが解ける。男の持つ生首を凝視していた王子に駆け寄ると、振り払われた。倒れ込むと、王子は我に返ったようだが、くしゃりと顔を歪ませただけだった。

「お前が最後の生き残りだよ」

 娘の後ろから、男が破滅の靴音を鳴らす。喜んでいるのか悲しんでいるのか哀れんでいるのか。なんとも思ってないのかもしれない。けれど、男はまだ剣を振らなかった。

「聖女を使っておれを殺すのは賢明。でも聖女を殺すのは馬鹿だったな。止めたのはお前だけで、生き残ったのも、お前だけ。ありがとう、止めてくれて」

 そうだったのか、と思う。完全に裏切られたわけではなかったらしい。それならば、と男を振り向こうとした時、びゅっと刃が煌めいた。
 王子の胸から鮮血の花が咲く。王子の唖然とした顔が、またくしゃりと歪んだ。その口がごめんな、と動くのを呆然と見上げ、娘はなにもできなくなった。かつて娘が故郷を偲んで泣いたとき、娘の背中を撫でて慰めてくれた人だったのに。
 娘は救済の聖女と称されていた。しかし、これまで誰を救えただろう。誰を救えるのだろう。破壊の者は、娘よりもずっと強いのだ。
 なにもできなかった。なにもしたことがなかった。 

「あなたは、どうすればおれを殺してくれる?」

 ――あなたを本当に取り戻すために、おれは行く。

 取り戻す。解き放つ。柵から。……何の鎖から?
 娘は、今ようやく、男が本気で死にたがっていることに気づいたのだった。破壊の者が死ねば、対となる救済の聖女の仕事は終わり。一番正しくて、一番手っ取り早い方法。
 体を重ねたときには、既に考えていたのだろうか。覆られぬさだめへの憤怒を抱えながら、娘を想っていたというのか。

「もう、他にあなたの周りで殺せる人はいないんだ。あなたのものは全部奪った。これ以上、おれはどうすれば、あなたに殺されるんだろう」

 尽きることなき憎悪。
 覚めやらぬ悪夢。
 赤い赤い世界。
 壊しても壊しても、どこまでも終わりの来ない生き地獄。

 終わりにしたい、と男が呟く。憎むことに疲れた。殺すことに飽きた。今度は破壊の者として、何をすればいいのだろう。さだめに抗えば抗うほど縛める鎖の重さよ。光に焦がれる。あなたのその髪の色。瞳の色。愛しているのに。届かない。どんなに手を伸ばしても。魂が恋い焦がれて、気が狂いそうになる。

「おれは、あなたを不幸にする。それでもあなたを手元に置いてしまう。だから早く殺してくれ。あなたの死に顔だけは見たくないんだ」

 怒り――己のさだめへ。半身たる娘を引き離した父や王国へ。見捨てた娘へ。
 噴き出す。娘を見下ろす男の手が、剣をぎりぎりと捻り潰そうとする。男は娘を殺すだろう。今なんとか堪えているけれど。殺して一つになれば、少しでも慰められるのだろう。
 でも、殺さない。それよりも、娘に殺された方が、一番いいから。

 娘は確かにためらった。天幕の中で、よもや死を待ち望んでいたとは考えもしなかったので。娘を解き放つと言いながら、男の方がよほど苦しいさだめにいたのに。

 娘は立ち上がった。男を見る金の目に憎悪は消えていて、男は少し眉を下げた。けど、娘もようやく、腹を決めたのだ。今度こそ。
 ちゃんと、己のすべきことをわかっている。

 背伸びをした。同時に男の襟を掴んで引き寄せる。初めて驚いている顔を見る。それにふっと笑って、初めて、自分から男に口づけた。



















 かつて部族の姫と謳われた娘は死んでいる。聖女も死んだ。刺客はそもそも生まれ損なった。予言に言われた破滅の男の前に立つ娘は、だから、何度死んでも捨てきれなかった色んなものを抱える、ただの搾り滓のようなものだ。

 娘は聖女ではないのに祈って、聖水を手に滴らせた。男との口づけは深くなる。ごとり、と生首が転がり落ちた音がしたが、娘は必死に男の怒りの奔流に逆らっていた。呑まれれば先に死んでしまう。失った故郷の思い出を脳裏に描き、なんとか我を保つ。男の顔を聖水で拭うと、くすぐったげに眉をしかめられた。しかし、同時に期待しているのがわかった。
 娘はその期待に応えるよう、男の手を拾う。剣を握る手だった。そっと柄を撫でると、男の手が緩んだので、自分で持つことにした。体に腕を回す。口づけの最後、そっと唇を離し、娘は囁いた。

「全部、私が解き放つ」

 ぶすり、と肉を貫く音。やがて娘の懐にも刃が到達する。男は背中を貫かれ、口から血を滴らせながらも、幸福そうに笑っていた。その表情が、五年前、なにも知らず笑い合っていた少年の顔と重なった。

「大好き。愛してる」

 拙い子どもの求愛が聞こえてくる。ええ、私もよ。娘は笑って、さらに腕に力を込めた。腹を裂く音。
 同時に、男と娘の血が混じる。

 剣から光が炸裂した。

 白い白い光が、王国を、空を、大地を覆った。 
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