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譴責
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そもそもの話。
恋敵がいるのは、カルロスとてそれなりに覚悟していたところだ。
レオン・アルハイドは、どこからどう見ても一般に好まれる女の特徴から大きくかけ離れているが、それでも美貌であり、心根も歪んだところが見受けられない。それになにより、地位が地位だ。単なる子爵家と切って捨てる無知者は捨て置いても、野心ある男たちが、レオンが女性としては変わり者であることには目を瞑ってでもこぞって婿に志願するのは、むしろ当然のことだった。
実際、アルハイド家の親族が王都子爵邸に駆けつけたとき、レオンの婿にこれと見込んだ者を伴って来ていることが数度あった。
同じ子爵邸にいるのだから対面の機会はあるし、彼らはレオンに面会するのと同じくらい積極的にカルロスに会いたがった。
「君と話がしたいとかなんとか言っているが、どうする?」
「時間が合えば、そりゃ当然応じるさ。どうせすることがなくて暇だし。そもそもあんたの親戚ってことは、これからおれの親戚にもなるからな。仲良くするに越したことはない」
「あちらには仲良くする気がないだろう。どう取り繕っても野次馬根性だ」
レオンはばっさり切り捨てていたが、カルロスもそこは同意する。だがしかし、カルロスにも「恋敵」に興味が湧いたので、お互い様だ。
(こいつと結婚したいと思えるって、どんなやつなんだ?)
カルロスはレオンの強引さには多少辟易しているが、それ以外は付き合いやすいと思っている。……婚約した上にねんごろの仲とも言えるわけだが、こんな友人止まりの感想しか抱けない。だからこそ、他の男たちはレオンのどんな部分にどんな魅力を感じるのかと、純粋に興味があった。妬心は皆無である。
そんなわけで何度か会ってみたものだが、婿候補は総じて齢三十以上で、カルロスほどレオンと近しい年齢の者はいなかった。しかしそれは既に、アルハイド家当主の夫となるにふさわしい功績を残しているのと同義だ。放蕩者のカルロスと違い、才知武勇にひとかどの評価を受けており、さすがアルハイド一族の推薦を受けるだけはあると納得をしたカルロスである。
他人事に感心している一方の「恋敵」諸兄はというと、遠回しに散々こき下ろしてきた。一応レオンを憚っての遠回しなので、カルロスへの遠慮そのものは存在しなかった。
無能なのも顔だけが取り柄なのも本当のことだ。カルロスを通じてドゥオール家の非難をしなかったこともあって、カルロスは怒りを覚えるどころか逐一その通りだと頷いてみせた。
だが残念なことに、そんな男を、レオンは夫に望んだのである。非難しながら虚しさが湧いてくるか、それともまだ婚約関係だと、これから挽回してみせると意欲を新たにする者か、きれいに分かれたのが、カルロスには面白かった。
(だけどまあ、よくも悪くも普通だな。考え方が。……あれを見て飼い慣らせるって思う辺り、むしろ怖いんだが。どんな目をつけてるんだ?)
肝心の、レオンとの結婚についての意見には、目新しいものはなかった。アルハイド家の当主としてレオンを立てるが、実務は己らでこなすと当然のように思い込んでいる婿志願者だ。当然受け渡すつもりのないレオン本人が彼らをすげなく追い払って、カルロスに対応を押し付けるのも無理はない。
既にアルハイド子爵として名を馳せているレオンを所詮は女だと思いきっているのが丸わかりな発言ばかりだったのだ。「無能」のカルロスと違って、彼らはアルハイド家を切り盛りする才覚に恵まれていたから、アピールポイントはそこに集中していた。結婚すれば実務的な権限は婿に移譲すると勝手に決めつけられて、あのレオンが、まともに彼らとやり取りできるわけがなかった。
「つっても、ずいぶん実力はありそうな連中だったけどな。あんた、なんであいつら軒並みフッたんだ?折り合いつかせて働かせてやれば、役に立つだろ」
あとになって、レオンにそう尋ねてみると、レオンはあっけらかんと答えた。
「誰しも君のように物わかりがいいわけではないんだよ。私が夫に求めるものは彼らの野心と一致しない。役立てるなら家臣の扱いで充分だ」
「そうか?あくまでもあんたの夫になりたいって気持ちは嘘じゃなかったと思うぞ」
「……私は今、夫に試されているのかな?」
怖いくらいきれいな笑顔になったレオンが詰め寄ってきたので、カルロスは飛び離れるようにして距離を空けた。両手はとうに降参の形になっている。
「待て。言葉がすぎた。今は昼だ」
「わかっているとも。しかし休憩中なんだ。息抜きに夫といちゃつくくらいいいだろう」
「いちゃつ……いやだから待て、おれもこんな快適な夫の座を譲りたいわけじゃない。探りを入れたわけじゃなくて、単純な疑問だ。冗談だ。悪かった。だからこっち来んな」
「君は妻への態度がなっていないのでは?」
「まだ婚約者だろ!」
「そう、まだ、だ。だが、数カ月後に私の夫として名を記すのは君だ。次に同じようなことを言ってみろ。二度は許さない。わかったな」
「わかった」
こんな女とも言えない女が相手でも、二度も押し倒されたくないので、カルロスは真剣な表情で誓いを立てた。
破るつもりのない約束だった。だが、わずか数日の後にそんなことを言っていられないような事態が起き、そしてレオンの言った「許さない」の意味を、カルロスはその身で思い知ることになった。
セレスの顔合わせは終わったので先に帰して、執務室に残ったカルロスは、ヨハネス・ユーラ第三王子のレオン宛の封書に目を通した。文官を通した正式な公文書ではなく、私信の域を出ないものだったが、相手は王族である。しかもレオン宛のものを盗み見しているも同然だが、レオンが構わないと言うなら仕方がない。それに、カルロスは、読んでおくべきだった。
挨拶を抜きにして、まずはレオンの足の負傷の具合を尋ねる文言から始まる。現在王子は北部に巡検に出ているらしく、王からの報せでレオンの結婚を知って、驚いたということ。カルロスの名前を聞いても特に心当たりはないが、本当に結婚するつもりなのか。数日以内にそちらを訪ねるのでよろしく頼む。そういったことが書いてあった。
ちなみに、段々荒ぶる筆跡と薄い高級紙を押しつぶすように強まる筆圧が、文にはない書き手の感情を如実に伝えていた。……これは十中八九、王子直筆である。個人的な手紙のやり取りを「いつものことだ」と言ってしまえる上に、祐筆任せにしないほど親密と来た。
深く深いため息が出た。ついでに、いつかしたような疑問がぽろりとこぼれ出た。
「あんた、なんだっておれを選んだ?」
余計なことを言わない約束は、先日したばかりだ。記憶に新しいレオンの目が剣呑に細められたが、カルロスだって負けていなかった。
「妥協の産物なのは、おれとしちゃありがたい限りだけどな。円満な夫婦生活をどうのこうのと……言うべきことを黙ったままやり過ごそうとして、これのどこが円満だ?」
これまで種馬だのお飾りだの無能だのと言われても、その全てを、カルロスは笑い飛ばしてきた。時には愉快げに、時には感心して。時には自嘲気味に。
温厚とは違う。痛みを堪えるのとも違う。ただ、ここ数年で矜持が擦り切れて、鈍くなっているのだ。
念願の騎士になる夢を放り出し、趣味も人の顔色を伺いながら、なんなら住む場所すら己一人ではどうにもならず、美貌に寄ってくる女たちを誑かし媚を売ってやり過ごす。そんな日々を過ごしてきたのだ。今さら誇りが云々いちいち言っても始まらない。
削られ擦り切れ、ずたずたになっても形を留めた残骸だけを大事にしてさえいれば、それだけでよかったのだ。
「言うべきと思ったから、今、君に話したのだが?」
「黙っておけなくなったから白状したの間違いだろ」
カルロスは怒っていた。久しぶりに、本気で激怒していた。
「あんたの色恋沙汰に巻き込まれるのは多少は承知の上だったが、王子まで出張ってくるとはな。しかもずいぶん親しい様子じゃないか。これじゃおれの方が立派な間男だ。――あんたが本気で王子をフッたんだとしてもだ。無能のおれと星落としの王子じゃ、どっちが婿に認められるか、議論するまでもない。あんたがどれだけ家門を守ろうとしているか知らない連中は、なんでかって全員が首を傾げるだろうよ。そこでおれになんと答えさせるつもりだった?」
ヨハネス・ユーラ王子には星落としの異名がつけられている。血筋からして尊いのに、天性の弓騎士でもあった。……月の騎士と星落とし。なんとも似合いだとカルロスは皮肉げに笑った。
執務机越しに、表情の薄いレオンを見下ろす。なぜこの美麗で聡明な子爵がこんな無能を望んだのか、王子という大物が出てきた以上、疑問に思うだけでは済まない。大多数が王子の求婚を袖にする理由を探るだろう。カルロスのどこが王子に勝るのかとあら探しをするだろう。顔だけでなく、功績や思想信条や生活態度や家族関係、全てを詳らかにしようとするだろう。
「あんたが家門を守ろうとしているように、おれにも、守りたいものがある。いつか守りきれず漏れるとしても、予想できる漏れ方なら対処できる。だけどあんたは、そこに横穴を空けたんだ。いきなり、予備動作もなしにな」
レオンの不動の瞳の奥にいるカルロスは失望した顔をしていた。失望できるくらいには信頼していたらしいと自分でも驚く。
はじめからまともな婚約ではなかった。お互いにまともに肚の内も晒さず、それでも構わないから契約を交わしたのだ。カルロスの放蕩は実家から見放されていたが親子の仲はまともだとか、そういうちぐはぐな過去を詮索しないように、カルロスも、レオンの政務への意固地なほどの意欲について下手に突っ込むことはしなかった。
恋人のような付き合いがなくても、同居するくらい気が合っていたのは確かなのだ。まさかこんなやり方で嵌められるとは、と嘲笑がこぼれる。自分とレオンの両方へ。
(あの夜まで含めて計算のうちかよ)
失望ついでに身を引くには遅すぎた。レオンはもう生娘ではない。王族直系との、しかも初婚で、そんな妻を立てるなどありえない。
それほど都合のいい男以外を夫にするのが嫌なのかどうか知らないが、順番が最悪だった。
物わかりのよさにも限度というものがある。
「なんでもあんたの思い通り、好きにできると思ったら大違いだ。――見くびるなよ」
カルロスは踵を返した。
言いたいことは全て言った。もうこの部屋に用はなかった。
「君はよく私になぜと問うが、君こそなぜだ?」
踏み出しかけた足が止まった。振り返らない背中に、レオンが次の言葉を投げつけた。
「君はなぜ、私を選んだ?これまで散々遊んでおきながら、この家に来てから君は一度も遊びに出ていないな。私は正直意外に思っている。はじめに条件をつけた通り、いくらでも遊んでくれて構わないのだが。せっかく文書に残したのだし、もったいないぞ」
「……」
「円満な夫婦生活。君の口から聞くとずいぶんな違和感だ。腰かけどころか出入り口の隅で常に様子を伺っているくせに、私には一方的に配慮を説くとはな。――肝心なことを黙っているのは、君も同じだろう?」
カルロスの背後に静かな靴音が迫った。カルロスは足をずらして斜めにレオンと向き合った。
レオンは執務机に後手をついていた。俯きがちで陰が目元を隠して、表情は読めない。ただ唇がうっそりと笑みの形を作っていた。
「そうだな、はじめからこうしていればよかったかな?」
蒼い瞳がひたとカルロスを見た。これまでと同じように。カルロスを見るレオンの目は、いつだってまっすぐだった。
だがまっすぐであるからといって、それは誠実とは違うし、正義を向いているわけですらない。レオンはレオンの心のあり方にただ忠実なだけだと、カルロスはあの夜に思い知ったはずだった。
「種馬は、種馬らしく、黙って私に飼われていろ。君の甥御に弟か妹を作ってやろうと言っているんだ。嬉しいだろう?」
カルロスはレオンの胸倉を掴み上げ、もう片方の手を大きく振りかぶった。しかし、それが振り下ろされることはなかった。
レオンが剣を鞘ごとカルロスの腹に突き込んでいた。レオンは緩んだ手を払いのけて素早く身を屈め、カルロスの胴体に深く潜り込んだ。カルロスがまずいと思ったときには遅い。
女の体だろうが騎士は騎士だ。生半な腕ではないと、この同居生活で思い知っている。加えてレオンは鍛え上げた体の使い方を熟知していた。
カルロスは部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
恋敵がいるのは、カルロスとてそれなりに覚悟していたところだ。
レオン・アルハイドは、どこからどう見ても一般に好まれる女の特徴から大きくかけ離れているが、それでも美貌であり、心根も歪んだところが見受けられない。それになにより、地位が地位だ。単なる子爵家と切って捨てる無知者は捨て置いても、野心ある男たちが、レオンが女性としては変わり者であることには目を瞑ってでもこぞって婿に志願するのは、むしろ当然のことだった。
実際、アルハイド家の親族が王都子爵邸に駆けつけたとき、レオンの婿にこれと見込んだ者を伴って来ていることが数度あった。
同じ子爵邸にいるのだから対面の機会はあるし、彼らはレオンに面会するのと同じくらい積極的にカルロスに会いたがった。
「君と話がしたいとかなんとか言っているが、どうする?」
「時間が合えば、そりゃ当然応じるさ。どうせすることがなくて暇だし。そもそもあんたの親戚ってことは、これからおれの親戚にもなるからな。仲良くするに越したことはない」
「あちらには仲良くする気がないだろう。どう取り繕っても野次馬根性だ」
レオンはばっさり切り捨てていたが、カルロスもそこは同意する。だがしかし、カルロスにも「恋敵」に興味が湧いたので、お互い様だ。
(こいつと結婚したいと思えるって、どんなやつなんだ?)
カルロスはレオンの強引さには多少辟易しているが、それ以外は付き合いやすいと思っている。……婚約した上にねんごろの仲とも言えるわけだが、こんな友人止まりの感想しか抱けない。だからこそ、他の男たちはレオンのどんな部分にどんな魅力を感じるのかと、純粋に興味があった。妬心は皆無である。
そんなわけで何度か会ってみたものだが、婿候補は総じて齢三十以上で、カルロスほどレオンと近しい年齢の者はいなかった。しかしそれは既に、アルハイド家当主の夫となるにふさわしい功績を残しているのと同義だ。放蕩者のカルロスと違い、才知武勇にひとかどの評価を受けており、さすがアルハイド一族の推薦を受けるだけはあると納得をしたカルロスである。
他人事に感心している一方の「恋敵」諸兄はというと、遠回しに散々こき下ろしてきた。一応レオンを憚っての遠回しなので、カルロスへの遠慮そのものは存在しなかった。
無能なのも顔だけが取り柄なのも本当のことだ。カルロスを通じてドゥオール家の非難をしなかったこともあって、カルロスは怒りを覚えるどころか逐一その通りだと頷いてみせた。
だが残念なことに、そんな男を、レオンは夫に望んだのである。非難しながら虚しさが湧いてくるか、それともまだ婚約関係だと、これから挽回してみせると意欲を新たにする者か、きれいに分かれたのが、カルロスには面白かった。
(だけどまあ、よくも悪くも普通だな。考え方が。……あれを見て飼い慣らせるって思う辺り、むしろ怖いんだが。どんな目をつけてるんだ?)
肝心の、レオンとの結婚についての意見には、目新しいものはなかった。アルハイド家の当主としてレオンを立てるが、実務は己らでこなすと当然のように思い込んでいる婿志願者だ。当然受け渡すつもりのないレオン本人が彼らをすげなく追い払って、カルロスに対応を押し付けるのも無理はない。
既にアルハイド子爵として名を馳せているレオンを所詮は女だと思いきっているのが丸わかりな発言ばかりだったのだ。「無能」のカルロスと違って、彼らはアルハイド家を切り盛りする才覚に恵まれていたから、アピールポイントはそこに集中していた。結婚すれば実務的な権限は婿に移譲すると勝手に決めつけられて、あのレオンが、まともに彼らとやり取りできるわけがなかった。
「つっても、ずいぶん実力はありそうな連中だったけどな。あんた、なんであいつら軒並みフッたんだ?折り合いつかせて働かせてやれば、役に立つだろ」
あとになって、レオンにそう尋ねてみると、レオンはあっけらかんと答えた。
「誰しも君のように物わかりがいいわけではないんだよ。私が夫に求めるものは彼らの野心と一致しない。役立てるなら家臣の扱いで充分だ」
「そうか?あくまでもあんたの夫になりたいって気持ちは嘘じゃなかったと思うぞ」
「……私は今、夫に試されているのかな?」
怖いくらいきれいな笑顔になったレオンが詰め寄ってきたので、カルロスは飛び離れるようにして距離を空けた。両手はとうに降参の形になっている。
「待て。言葉がすぎた。今は昼だ」
「わかっているとも。しかし休憩中なんだ。息抜きに夫といちゃつくくらいいいだろう」
「いちゃつ……いやだから待て、おれもこんな快適な夫の座を譲りたいわけじゃない。探りを入れたわけじゃなくて、単純な疑問だ。冗談だ。悪かった。だからこっち来んな」
「君は妻への態度がなっていないのでは?」
「まだ婚約者だろ!」
「そう、まだ、だ。だが、数カ月後に私の夫として名を記すのは君だ。次に同じようなことを言ってみろ。二度は許さない。わかったな」
「わかった」
こんな女とも言えない女が相手でも、二度も押し倒されたくないので、カルロスは真剣な表情で誓いを立てた。
破るつもりのない約束だった。だが、わずか数日の後にそんなことを言っていられないような事態が起き、そしてレオンの言った「許さない」の意味を、カルロスはその身で思い知ることになった。
セレスの顔合わせは終わったので先に帰して、執務室に残ったカルロスは、ヨハネス・ユーラ第三王子のレオン宛の封書に目を通した。文官を通した正式な公文書ではなく、私信の域を出ないものだったが、相手は王族である。しかもレオン宛のものを盗み見しているも同然だが、レオンが構わないと言うなら仕方がない。それに、カルロスは、読んでおくべきだった。
挨拶を抜きにして、まずはレオンの足の負傷の具合を尋ねる文言から始まる。現在王子は北部に巡検に出ているらしく、王からの報せでレオンの結婚を知って、驚いたということ。カルロスの名前を聞いても特に心当たりはないが、本当に結婚するつもりなのか。数日以内にそちらを訪ねるのでよろしく頼む。そういったことが書いてあった。
ちなみに、段々荒ぶる筆跡と薄い高級紙を押しつぶすように強まる筆圧が、文にはない書き手の感情を如実に伝えていた。……これは十中八九、王子直筆である。個人的な手紙のやり取りを「いつものことだ」と言ってしまえる上に、祐筆任せにしないほど親密と来た。
深く深いため息が出た。ついでに、いつかしたような疑問がぽろりとこぼれ出た。
「あんた、なんだっておれを選んだ?」
余計なことを言わない約束は、先日したばかりだ。記憶に新しいレオンの目が剣呑に細められたが、カルロスだって負けていなかった。
「妥協の産物なのは、おれとしちゃありがたい限りだけどな。円満な夫婦生活をどうのこうのと……言うべきことを黙ったままやり過ごそうとして、これのどこが円満だ?」
これまで種馬だのお飾りだの無能だのと言われても、その全てを、カルロスは笑い飛ばしてきた。時には愉快げに、時には感心して。時には自嘲気味に。
温厚とは違う。痛みを堪えるのとも違う。ただ、ここ数年で矜持が擦り切れて、鈍くなっているのだ。
念願の騎士になる夢を放り出し、趣味も人の顔色を伺いながら、なんなら住む場所すら己一人ではどうにもならず、美貌に寄ってくる女たちを誑かし媚を売ってやり過ごす。そんな日々を過ごしてきたのだ。今さら誇りが云々いちいち言っても始まらない。
削られ擦り切れ、ずたずたになっても形を留めた残骸だけを大事にしてさえいれば、それだけでよかったのだ。
「言うべきと思ったから、今、君に話したのだが?」
「黙っておけなくなったから白状したの間違いだろ」
カルロスは怒っていた。久しぶりに、本気で激怒していた。
「あんたの色恋沙汰に巻き込まれるのは多少は承知の上だったが、王子まで出張ってくるとはな。しかもずいぶん親しい様子じゃないか。これじゃおれの方が立派な間男だ。――あんたが本気で王子をフッたんだとしてもだ。無能のおれと星落としの王子じゃ、どっちが婿に認められるか、議論するまでもない。あんたがどれだけ家門を守ろうとしているか知らない連中は、なんでかって全員が首を傾げるだろうよ。そこでおれになんと答えさせるつもりだった?」
ヨハネス・ユーラ王子には星落としの異名がつけられている。血筋からして尊いのに、天性の弓騎士でもあった。……月の騎士と星落とし。なんとも似合いだとカルロスは皮肉げに笑った。
執務机越しに、表情の薄いレオンを見下ろす。なぜこの美麗で聡明な子爵がこんな無能を望んだのか、王子という大物が出てきた以上、疑問に思うだけでは済まない。大多数が王子の求婚を袖にする理由を探るだろう。カルロスのどこが王子に勝るのかとあら探しをするだろう。顔だけでなく、功績や思想信条や生活態度や家族関係、全てを詳らかにしようとするだろう。
「あんたが家門を守ろうとしているように、おれにも、守りたいものがある。いつか守りきれず漏れるとしても、予想できる漏れ方なら対処できる。だけどあんたは、そこに横穴を空けたんだ。いきなり、予備動作もなしにな」
レオンの不動の瞳の奥にいるカルロスは失望した顔をしていた。失望できるくらいには信頼していたらしいと自分でも驚く。
はじめからまともな婚約ではなかった。お互いにまともに肚の内も晒さず、それでも構わないから契約を交わしたのだ。カルロスの放蕩は実家から見放されていたが親子の仲はまともだとか、そういうちぐはぐな過去を詮索しないように、カルロスも、レオンの政務への意固地なほどの意欲について下手に突っ込むことはしなかった。
恋人のような付き合いがなくても、同居するくらい気が合っていたのは確かなのだ。まさかこんなやり方で嵌められるとは、と嘲笑がこぼれる。自分とレオンの両方へ。
(あの夜まで含めて計算のうちかよ)
失望ついでに身を引くには遅すぎた。レオンはもう生娘ではない。王族直系との、しかも初婚で、そんな妻を立てるなどありえない。
それほど都合のいい男以外を夫にするのが嫌なのかどうか知らないが、順番が最悪だった。
物わかりのよさにも限度というものがある。
「なんでもあんたの思い通り、好きにできると思ったら大違いだ。――見くびるなよ」
カルロスは踵を返した。
言いたいことは全て言った。もうこの部屋に用はなかった。
「君はよく私になぜと問うが、君こそなぜだ?」
踏み出しかけた足が止まった。振り返らない背中に、レオンが次の言葉を投げつけた。
「君はなぜ、私を選んだ?これまで散々遊んでおきながら、この家に来てから君は一度も遊びに出ていないな。私は正直意外に思っている。はじめに条件をつけた通り、いくらでも遊んでくれて構わないのだが。せっかく文書に残したのだし、もったいないぞ」
「……」
「円満な夫婦生活。君の口から聞くとずいぶんな違和感だ。腰かけどころか出入り口の隅で常に様子を伺っているくせに、私には一方的に配慮を説くとはな。――肝心なことを黙っているのは、君も同じだろう?」
カルロスの背後に静かな靴音が迫った。カルロスは足をずらして斜めにレオンと向き合った。
レオンは執務机に後手をついていた。俯きがちで陰が目元を隠して、表情は読めない。ただ唇がうっそりと笑みの形を作っていた。
「そうだな、はじめからこうしていればよかったかな?」
蒼い瞳がひたとカルロスを見た。これまでと同じように。カルロスを見るレオンの目は、いつだってまっすぐだった。
だがまっすぐであるからといって、それは誠実とは違うし、正義を向いているわけですらない。レオンはレオンの心のあり方にただ忠実なだけだと、カルロスはあの夜に思い知ったはずだった。
「種馬は、種馬らしく、黙って私に飼われていろ。君の甥御に弟か妹を作ってやろうと言っているんだ。嬉しいだろう?」
カルロスはレオンの胸倉を掴み上げ、もう片方の手を大きく振りかぶった。しかし、それが振り下ろされることはなかった。
レオンが剣を鞘ごとカルロスの腹に突き込んでいた。レオンは緩んだ手を払いのけて素早く身を屈め、カルロスの胴体に深く潜り込んだ。カルロスがまずいと思ったときには遅い。
女の体だろうが騎士は騎士だ。生半な腕ではないと、この同居生活で思い知っている。加えてレオンは鍛え上げた体の使い方を熟知していた。
カルロスは部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
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