雨降る緑の庭

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番人と罪人

20話

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 水を汲んだバケツを真横に思いっきり振り回したような、ひどい風雨だった。

 元々細かな雨は降っていたけれど、薄い雲を透かす光が影を生んでいたくらいには明るかった。それが、ぼんやり寝ぼけているとだんだん空が真っ暗になって、風がびゅんびゅん吹いて、何度も何度も窓の外が光って恐ろしい音を辺りに響かせて。
 おっつけやって来た雨は風の強さに流されないような大粒の軍団で、はじめからぬかるんでいた地面は瞬く間に数多の波紋を描くキャンバスになった。

 寝ぼけながらも、メグはこの光景がなんとなく夢だとわかった。
 夢の中でも寝起きなのか、いきなり始まった大嵐を、ただじっと見上げていた。
 建物の影にいるのでも、窓からこの景色を眺めているでもない。広々とした視界から、自分が屋根の外にいることがわかる。視界いっぱいが煙に霞むように雨に降られて、その煙幕を食い破るようにあちこちに光の蛇が真っ逆さまに落ちていく。
 蛇が落ちるたび、空を割るような、世界を砕いていくような、凄まじい音がした。
 こんな嵐なのに、夢の中のメグはちっとも濡れていないし、雷を怖がったりもしなかった。風で淡い色の長い髪を巻き上げられながら、ただじっと空を――灰色の世界を見ていた。

「今日は一段と激しいな……」

 メグに肩を並べる人がいた。長身の男の人だ。メグが首を向けると、その人は哀しそうに笑った。

「すまない」

 メグは首を横に振った。謝られることじゃない。この己の、成すべきことをしたまでだ。生まれついてから与えられた役目に従っただけ。

(生まれついて……?)

 ふとメグはおかしいと思った。成すべきことって、なんだろう。与えられた役目って?
 それにしては時間がかかってしまったけれど、やっと果たせた。
 心が軽くなったような気分で――いや、軽くなりすぎていて、体の重みがついていかない。笑い返そうとしたのに、口角はぴくりともしなかった。

「……大丈夫です」

 仕方がないので口を開けば、舌ももつれそうだった。隣の人はますます苦しそうな顔になって、メグを抱き寄せた。

「今晩は、私もここで休もう。明日の朝には出るが、すぐにまた来よう」

 その声を半分目を閉じながら聞いている内側で、誰だろう、とメグは自分に問いかけていた。この自分は一体誰だろう。
 ありがとうございます、と返した声が、自分のもののはずなのに、なぜか耳に馴染まなかった。
 隣の人の大きな手が促すので、向きを変えた。灰色にかすむ世界にぼんやりと光る灯火。それを見て、雨に打たれたわけでもない体が、ひどく冷えきっていることに気づいた。
 寒い、と自分の体を抱きしめるように肩をすくませて、夢が終わった。












 今度こそきちんと目覚めたメグは、すぐに自分の状態に気がついた。
 全身が重くて、暑くて寒い。頭がガンガンする。潤んだ吐息が自然とこぼれた。

(まだ、熱が引いてない……)

 むしろ、昨日より悪化したかもしれない。ベッドに寝っ転がったままぎゅっと眉を寄せて強く目を瞑ったメグは、ほんの少し前に見ていた夢のことは、一つも覚えていなかった。もし覚えていてもすぐに忘れてしまっただろう。

「起きたかい、マーガレット?」

 メグはぎょっとした。頭痛まで吹っ飛んでいった気がして、目をめいいっぱい見開く。すぐそばに、青や黄色系統で落ち着いたメグの部屋にないはずの色――ショッキングピンクがあった。どうしてさっき気づかなかったのだろうとむしろ不思議なくらい、派手な色だ。
 この色を好んで纏う身近な人を、メグは一人知っていた。

「エミリー?」

 掠れた声で呼びかけると、「そうだよ」と声が返ってきた。
 寝転がったままのメグの上に覆い被さるように身を乗り出すと、ピンク色のパーマした髪がはらりと胸の前にこぼれ落ちた。マニキュアで綺麗に彩られた指先が、メグの額に汗で張り付いた髪をそっと取り払って、たっぷりのまつげに囲まれたぱっちりした目は真剣にメグの様子を確かめている。メグは微妙に視線をずらしてされるがままにされた。

(相変わらず、きれいな人だ)

 しわもたるみもなく、化粧のりもばっちりな肌。さらに服装も派手で若々しい。
 これでいてメグの父方の祖母の妹、つまり大叔母なのだから、詐欺のような話だ。
 しかも放浪癖があって、年中、国内外あちこちを渡り歩いている。いつもどこにいるかわからないような人がここにいるとあって、メグは思わず尋ねていた。

「……近くに用事があったの?」
「薄情だね。あんたの見舞いに遥々やって来たとは思わなかったかい」

 相手が病人だろうとぴしゃんと言ってのける。メグはもっと視線を泳がせたくなったけれど、我慢して目を合わせた。

「……ありがとう。でも、ただの風邪だよ」
「そうだね、あたしにもそう見える。しばらく休めば治るさ」

 大叔母はぐっと背筋を伸ばして、メグの部屋を見渡した。

「だけど、あんたの両親には違うみたいだ」
「お父さんとお母さんが?」
「あたしにならなにか話してくれるんじゃないかって期待していたようだ。風邪で弱っているならなおさらね。そこでだ、マーガレット。あんた、親には言えないことであたしに言えるような話はあるかい?」

 大叔母は、尋ねながらも、壁にかけられた刺繍の美しいハンカチを熱心に見つめていたので、メグの「またか」という顔には気づかなかったようだった。

「……ないよ」

 メグはため息を噛み殺して答えた。大叔母が振り返った様子だったけれど、メグは今風邪を引いていて、それを治すことが最優先だ。二度寝に専念するため、重々しく瞼を閉じた。












 家で育てる約束だったハーブを、雪の降る日に前倒しで買ってもらえることになったのがはじまりと言えばはじまりだった気がする。
 メグが選んだのはミントだった。これまで長く、色々な手段で調べていたけれど、本当はすぐに決めてしまっていた。繁殖力が強いというので、これならお世話を忘れない。これなら、メグがハーブのことを、半妖精の家のことを、メグの傷のありかを忘れないでいられる。相変わらずそんな打算のような考えだったので、両親からしてみれば詐欺のようだろう。けれど、お世話をちゃんとするので許してほしい。
 鉢植えに苗を植えて玄関に置いて、明るい時間帯はポーチに出す。そんなことをしなくてもそうそう枯れないとは苗を買ったお店で言われたけれど、一気に冷え込んで雪が降ったりもするから念のため。
 そうして時々様子を見て、葉っぱを摘んでフレッシュティーにする。それだけのことが、嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
 行ったり来たりの冬はもう終わり。
 うきうきしていたところで、図書館前の公園の花壇にスノードロップとクロッカスが雪の下から花びらを開かせていたから、メグはピクニックをしようと思い立った。せっかくなのでジェニファーを誘ったら喜んでくれた。

 と、こんな風に浮かれきったばっかりに、火の加護も温まるハーブティーの効能も、風邪に押し負けてしまった。

「早めに栽培をはじめてよかったわ。ね、メグ、ちょうどよかったわね。エミリー、このお茶の葉、メグが摘んだんですよ」
「ああ、玄関にあったミントのかい。さっそくお役立ちなんだね」

 母親と大叔母がのんびり話しているのを片耳で聞きながら、メグは母親が出してくれたマグカップに口をつけた。
 湯気を立てるマグカップの中身は、飴より濃い色をしたミントティー。底には蜂蜜漬けのレモンの輪切りが沈められている。お湯なので体が温まるし、ミントの爽やかな香りが鼻と喉をすうっと洗っていくし、レモンのちょっと酸っぱくて蜂蜜の甘い味が癖になる。レシピはメグが考えた、というかただちょっと好奇心で「混ぜてみようかな」と思ってやってみただけだ。これまで一年以上、なんとか体調を崩さずにいたからか、久しぶりの風邪が重くて食欲が出なかったけれど、このお茶なら飲めたし、残ったレモンも食べてみたらなんだか他のものも食べられる気がした。
 それが意外に家族にも受けて、メグだけのためじゃなく淹れて飲んで、こうして大叔母にも振る舞われたわけだけど、どうやら大叔母も気に入ったようだった。
 いっそレモンを蜂蜜に漬けるときに、一緒にミントも入れてみたらどうかなんて話し合っている。それも面白そうだ。冬はお湯割り、夏場はサイダーで割って……。

(フルーツが入っているけれど、これも宿題のレシピに加えてもいいかな)

 宿題のお茶について、実践のためにツェリアエリスが材料を用意すると言っていたけれど、さすがに蜂蜜漬けはないだろうから手土産にもならないけど持っていった方がいいだろう。
 これで、宿題もあとちょっとで終わる。はずだ。辞典の中身を暗記するよりレシピを考え出す方が難しい。それでも頑張って、あとひとつ。
 ちなみに辛いお茶はまだまだだ。ジェニファーのあれは無茶振りだと思う。ハーブティーのお店の売り子さんも「それならティーよりスープがいいのではないかしら」と苦笑していたし、そういう料理なら昔からある。

(もうマスタードとチリペッパーじゃ駄目かな……駄目だな、怒られる)

 時々悩んでも結局行き詰まるので投げやりになるけれど、デリアメルフィも飲みたいと言ったから、真剣に考えないとと思い直すまでがワンセットになっている。
 いや、しかし、辛いお茶……。メグ自身があんまり辛いものが得意じゃないので、どうしても関心を持ちにくいというか、辛いお茶のおいしさはどこにあるんだろう。辛いものは辛いだけでは。……まずはアクセントで収まる範囲で試してみるべきかな。チャイティーとか。

「どうしたの、メグ。気分が悪い?」
「あ、ううん」
「ごめんね、うるさかったわね。一度熱が下がったからって、ぶり返すかもしれないものね」
「気分はもういつも通りだよ。大丈夫」

 メグの手からマグカップを引き抜いていきそうだったので慌ててぎゅっと両手で包んだ。心配そうに顔を覗き込んでくる母親のそう?という問いかけに何度も頷く。大叔母が何を考えていたのか尋ねてきたので、素直にハーブティーだと答えると、二人とも呆れた顔になった。

「熱でふらふらなのにミントのお世話をやろうとするんだものね」
「熱心だねえ。まさかずっとこんな調子なのかい?」
「そうなんですよ」

 好きになろうとしているところだから、仕方がない。メグは内心でそう言い訳しながら、冷めてきたお茶をちびりと飲んだ。
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