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第一部
5−3
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昨夜、仮面舞踏会の会場から脱して即座にランファロードに隠されていた馬車に押し込められ(蹴り込まれたとも言う)、ほとんど強制的に城に送還された国王シュランツガルドは、対処に当たる部下たちのために寝ずに起きていた。
妹姫たちにヘーゼル壊滅の報が漏れたように、城内に不穏な要素があると見て、関係各所の動きは大っぴらなものにできず、人員が限られるのだ。
現場に残っていたカイトからは逐次状況報告が上げられたし、治安維持機関もヘーゼルが本当の意味で滅亡したこのあとの動きに備えて対策に余念がない。
そうして朝がやってきた頃に「開かずの宮」の扉が開いたとかいうヘンテコな報告が飛び込んできて、シュランツガルドはきょとんとした。
「『開かずの宮』って」
「栢梶宮です」
息せき切ってやって来た神祇官の下っ端少年にますますシュランツガルドは首をひねった。
「いや、開くだろ、あそこ。開いたぞ?」
昔懐かし、シュランツガルドがミアーシャ共々今は亡き異母兄らに暗殺されかかったときの話だ。「開かずの宮」として、城内にありながらなぜか長きに渡って使用されず、何人たりとも出入りのできないと噂されていた宮殿が、幼児だった妹を抱えてあちこち逃げ回ってどん詰まりになったところでヤケクソに扉を叩いたらすんなり開いたのだ。
その後数度訪れたが確かに噂通り開かなかった。種も仕掛けもよくわからないままだが、シュランツガルドにとってはたった一度でも命拾いしたので、万一扉が開いても幸運くらいな感想しかないが、神祇官は真逆に災厄かなにかと言いたげな様子だ。
「……扉が開いた、それだけか?」
問い直すと、若い神祇官の後ろからひょこりと古木のような杖をついた白眉白髯の老人が姿を見せた。元はそれなりの背丈だったのだろうが、背骨が浮くほど折れ曲がってこぢんまりとなっている。
祭祀庁の長、クヴァルだ。よっこいしょと杖の中程を持ったかと思うと、少年の後頭部にパカンといい音が鳴った。
「陛下、申し訳ありませぬ。この未熟者がまともな報告もできませんで」
「あ、ああ。それで」
「ほれ、しゃっきり申し上げんか」
「は、栢梶宮が内側から開きました。百幾年ぶりかに」
内側。やっとシュランツガルドは神祇官の焦りの意味が見えてきた。
「開かずの宮」は王家の所有ではない。内側から開けられるのはたった一つの血族のみ。
「サレンディアか」
夕立の一族。唯一血筋により異能を継ぐ者たち。臣従するのではなく王家と対等にあって許される、政治的にも極めて特殊な集団だ。
表舞台から退いてからは自分たちの本拠地に閉じ籠もり続ける傍ら、市井に術師が紛れていたり地方をぶらついていたりと目撃情報はあるが、どこぞからふらりと現れたのと、栢梶宮からわざわざ扉を開けて姿を晒したのとでは、その意味が全く異なる。
「門」を介しての訪問。サレンディアが王家へ立てた、正式な使者。
「陛下に即位のご挨拶をと」
「今さらか?」
思わず呆れ声を上げたシュランツガルドの、たしか曾祖父の代から宮の使用はなかったはずだ。使用がなくとも本拠地からこちらへの出入りに困らないので、むしろそれを利用して、王家との政治的対立が激化した頃はあっちこっち暗躍していたようだが。終戦の辺りからぱたりとそれすら途絶えた。
というわけで、シュランツガルドの父から二代上まで即位の寿ぎもなし。むしろなんで今の代で来たのか。予兆はない……いや、あったか。
昨夜、現場で捕らえられた術師が城に送られてきた。野良の仕業かと思っていたが、予想以上の大物だったのか。
(いや、違うな。そうだったら捕らえたクラウス殿が一言もなかったのがおかしい。ヘーゼルやエルダードとの繋がり……も、微妙だな)
いまだしつこくスカポカ杖で殴っている上司とそれを全く構いもしていない部下をぼんやり眺め、一つ頷いた。いい音がしているわりに痛くはないらしい。
「いい加減やめてやれ、クヴァル。君はグレンとアジェーラを客人の応対に回すよう伝えてくれ。クヴァルは詳細の報告、こっち座れ」
椅子から立ってクヴァルに勧めている間に、若い神祇官はこれ幸いと礼を取ってさっさと部屋を出ていった。
ちょんと座ったクヴァルの隣で、執務机に腰かけつつ髪を搔き上げた。煤の匂いがまだついている気がする。時間稼ぎしている間に顔を拭っておくべきだろうか。徹夜明けだし。
クヴァルが垂れそうに長い白眉の下からちらっと見上げてきたので、少しだけ笑う。
「さっきまでケイトがここにいたんだ。あいつがカイトを呼んでくるまでは待つから安心しろ、じいや」
ここでうだうだ考えるより直接会って確かめる方が手っ取り早いが、準備の必要性だって、この歳にもなれば心得ているのである。
……そんなこんなで。
「こちらの落とし物を、とある方から届けられまして。持ち主にお返しするついでにご挨拶に参りました」
そこはかとない緊張感を持って対面した相手、ナラン・サレンディアと名乗った二十代半ばに見える青年は、涼やかな笑みのまま、冗談みたいなことを真面目くさって言った。
ナランは一人長椅子に腰かけ、その背後に、屋内であるにもかかわらずフードを被った従者二人が静かに佇んでいる。背丈から見て、一人はリエラやミアーシャと同じくらいの年頃だろう。顔が見えないほど目深にフードを被っており、衣服も外套に包まれていて、性別すらよくわかっていないが。
ただひたすらに怪しい三人組だが、のっけの発言が色々と台無しにした感があった。
寒々しい沈黙が降りた。
シュランツガルドは内心えー……と呟きながら、鼻の脇をかりかりと搔いた。背後のカイトから気を抜くなという咳払いを受けて、腕を組み直して同じくらい真剣な顔を作る。
「ついででも思い出してくれて幸い、か?」
「陛下」
「悪かった。まあどんな理由があれ、こうして直に会うことができたことは嬉しい。クラウス殿以外のサレンディアの者と会うのは初めてだからな」
くすり、とナランが笑いをこぼした。
「いかがですか?」
「というと?」
「数代ぶりにサレンディアの訪問という歴史的な出来事を前にして、陛下はいかが思われますか?」
ナランが小さく首を傾げれば、後頭部に括った長い黒髪がさらりと揺れた。あらわな額に巻いた細い帯には精緻な文様が刻まれており、服装も時代を数代は遡るような古めかしい衣装だが、よく似合っていた。一見華奢な体躯だが、半分はそのゆとりのある上衣のせいだろう。少なくとも真っ向から挑発してくるくらいにはなよやかではない。
シュランツガルドも当然挑発と受け取ったが、うーん、と素で首を捻った。
「いかがと言われてもなあ。さっき言ったように、嬉しいとしか今は言えないな。滅多に会えないわけだし、幸運だと思うよ」
ナランは瞬いて、すぐに笑みを深めた。ふっふと片手で覆った口から息が漏れる。
「失礼しました。お父上とは違い、陛下は大変穏やかな方だ。非礼も重ねてお詫びいたします」
「おれはともかく……父は確かに穏やかな感じじゃないが、それほどか?」
「あの方が王であった頃なら、どんな理由があれ、間違いなく一族はあの宮を使いませんでしたよ。扉を開けて出た瞬間に首が飛びますから」
笑いながら己の首にとんと手を当てているのが息子としてはなんとも言えないが、過去何度も父の冷酷さを目の当たりにしてきては擁護できるものではなかった。それより気になることがある。
「実際に見てきたように言うな?」
「まあ、見てきましたからね」
「……失礼だが、おれより若いのに、大変だったのではないか?」
「私は陛下より歳上ですよ?」
「は?」
これまでで一番間抜けな声が出た。まじまじと目の前に座るツルツルピカピカ肌の若者を凝視しながら、自分の徹夜明けの頬を思わず撫でてしまった。
「一族の中でも異能を持っている者には、稀に肉体年齢の経過が緩やかになったり、止まったりすることがあるのです。私や今の当主がそれです」
「……不老というわけか?」
「不死ではありませんよ。寿命は人の枠を越えません。ですがそんなに驚かれるとは、正直思ってはいませんでした。年齢に見合わない若作りと言えば、そちらに一番の大物がいらっしゃるでしょう?」
シュランツガルドの脳内には淡い金髪の美女が思い浮かんだし、カイトも同じだろう。今は給仕役の国王側近の二人はまだ城に来てから日が浅いので実感はないだろうが、かつて先王の相談役であり、なんならカイトの亡き祖父である先々代セレノクール公爵とも親しく、彼の若い頃から容姿は全然変わっていないそうだ。もちろんシュランツガルドが初めて出会った頃からも一切加齢は見られない。正直、シェリアのことはもうそういう生き物だと思っていた。
「あいつも不死ではない?」
「さて、そこはなんとも」
「……」
飄々とはぐらかして悪びれない。そろそろ霧散しかけた怪しさが戻ってきた気がする。
話が逸れていたこともあって、気を取り直す意味でテーブルの上の「落とし物」に視線を落とした。
手巾にシンプルな首飾りが載せられている。立場上豪奢な宝飾品を見慣れているので、とても素っ気ないものに見える。大粒の紫水晶ではあるが、それを際立たせる細工はなにもない。紐はただの紐だし。どこそこの家宝とかであれば持ち主は特定できるが、これはそうはいかない。
(落とし物ってのも、何かの口実か?)
ちらりとそう考えたが、シュランツガルドは首を振って思考を払った。先入観の思い込みはいけない。
「カイト、この落とし物に心当たりは?」
「……あります」
「そうか、誰だ?」
「昨夜、王都内の屋敷が突然の火事で焼失しました。その屋敷で行われていた夜会の出席者です。……屋内で紛失したと聞いていましたが」
「ん?燃えた屋敷に?よく無事に残っていたな」
シュランツガルドもいた現場だ。どれほど派手に燃え上がっていたことか、しかも全員が逃げ惑い、紛失しても拾うどころか気づくことも困難だったはずだ。炎の中、引き返して最後の一人を助け出してきた少年の報告は受けたが……あの少年も半分サレンディアだったか。どこぞが王族暗殺未遂に父親を嵌めて身柄を手に入れるところだったのを、特務機関が滑り込みで確保し、城の監視下に置いている。
「鎮火した頃に探しに来るという話でしたが、どうやってこれを安全に拾得できたのでしょうか」
「あなた方ご存じの方のお仲間が、私たちの領地まで届けに来たので、具体的には存じません」
サレンディア以外に燃える火の中を闊歩できるのはシェリアの同類しかいないと示唆しているが、また目が点になりそうだった。シェリアの同類。いたのか、と思わず口の中でこぼしたが、誰にも聞かれなかったようだ。
気づけばナランがまたシュランツガルドを見つめていた。この透徹とした瞳に、シュランツガルドのことはどう映っているのだろうか。会話や仕草の端々から試されている感覚があって、カイトが徐々に不機嫌を隠す気がなくなっていくのが背中越しに伝わってくる。若くして筆頭公爵という重圧を物ともしない優秀な義理の弟が、案外に短気だと知っている者は少ない。それより短気なケイトや破天荒な姉が傍にいるのでなおさらだ。
緩衝の役目をクラウスに頼むつもりだった点で自己理解のあったカイトだが、なにかすぐには手を離せない用があるとかで到着が遅れている。だがそろそろ来るだろうと、シュランツガルドはことさらゆっくりと腕を組み直した。
「……ひとまず、持ち主がわかっていれば問題はないか。こちらで返しておこう」
「よろしくお願いします」
ナランの返答で、壁際に控えていたアジェーラがテーブルの上から手巾ごと首飾りを下げた。
まっさらになったテーブルの向こう側に、改めて問いかける。
「じゃあ、そちらも久しぶりに王家と顔を合わせたんだ。他に用事は?」
カイトほどではないが、まどろっこしいやり取りをするのもそろそろ面倒になってきた。
切り上げ時を堂々と尋ねられたナランは、今さら申し訳なさそうに小さく苦笑した。
「では最後に一つだけ。そちらに我が一族の者が拘束されていますね。その者を当家に引き渡していただきたく思います」
ピリリとこれ以上ないほどの緊張感が走った。
フードの二人が気圧されたように身動いだが、ナランは顔色も変えず、泰然としたものだ。
「旧来、サレンディアの者はサレンディアが裁く慣習です。ここ百年ほどは交流が絶えていたので、その間は大変お手を煩わせてしまったでしょう。此度はこちらで処理いたしますので、ご安心を」
清廉そうな見た目で、面の皮の厚さは相当だ。シュランツガルドは妙に感心しながらもはてと首を傾げた。
「あいにくだが、おれはそのような報告を受けてはいない。折角の申し出なので、応じるにやぶさかではないのだが……恥ずかしい話、最近は特に投獄者が多く、一人ひとり検めるのには大変な時間を要する。本人の言だけでは不安だし、サレンディアだと確認できる物証かなにか、あればいいのだが」
渾身のおとぼけを発揮する国王のすぐ後ろでは、カイトも同じく素知らぬ顔を作っていた。
「そうですか……残念ですね」
困ったように眉を下げたナランもすっとぼけとは察しているはずだが、すんなりと流した。
「直に顔を見に行くのは、さすがに控えるべきでしょうね」
「顔見知りか?」
「ある程度血が濃い一族ですと、初対面でも顔相で見分けをつけられます。髪の色、目の色ももちろん判断材料にはなりますが」
「顔相は、占いじゃなかったか?」
「一族で特長は似通うものです。細かい部分は一人ひとり違っても、根底は同じ。そちらでも気質を指して親兄弟を一括りにしたりするでしょう?」
「なるほどな。面白そうだが、それでも弱いな。それに一人ひとり面通しはやはり大変だし、百年ぶりの客人を牢屋に連れて行くわけにもいかん。どうしたものかな?」
そのとき、小さなノックの音が鳴った。一番早く反応したのはアジェーラで、シュランツガルドに目配せしてきたので頷いた。扉の外に立つグレンには、一人以外は通さないようにさせていたので、問わずとも誰が来たのかはわかっている。
到着が遅れていたクラウスが、やっと来てくれたようだった。
ーーー
話の切り時を見失ったのでちょっと中途半端になりました……。
妹姫たちにヘーゼル壊滅の報が漏れたように、城内に不穏な要素があると見て、関係各所の動きは大っぴらなものにできず、人員が限られるのだ。
現場に残っていたカイトからは逐次状況報告が上げられたし、治安維持機関もヘーゼルが本当の意味で滅亡したこのあとの動きに備えて対策に余念がない。
そうして朝がやってきた頃に「開かずの宮」の扉が開いたとかいうヘンテコな報告が飛び込んできて、シュランツガルドはきょとんとした。
「『開かずの宮』って」
「栢梶宮です」
息せき切ってやって来た神祇官の下っ端少年にますますシュランツガルドは首をひねった。
「いや、開くだろ、あそこ。開いたぞ?」
昔懐かし、シュランツガルドがミアーシャ共々今は亡き異母兄らに暗殺されかかったときの話だ。「開かずの宮」として、城内にありながらなぜか長きに渡って使用されず、何人たりとも出入りのできないと噂されていた宮殿が、幼児だった妹を抱えてあちこち逃げ回ってどん詰まりになったところでヤケクソに扉を叩いたらすんなり開いたのだ。
その後数度訪れたが確かに噂通り開かなかった。種も仕掛けもよくわからないままだが、シュランツガルドにとってはたった一度でも命拾いしたので、万一扉が開いても幸運くらいな感想しかないが、神祇官は真逆に災厄かなにかと言いたげな様子だ。
「……扉が開いた、それだけか?」
問い直すと、若い神祇官の後ろからひょこりと古木のような杖をついた白眉白髯の老人が姿を見せた。元はそれなりの背丈だったのだろうが、背骨が浮くほど折れ曲がってこぢんまりとなっている。
祭祀庁の長、クヴァルだ。よっこいしょと杖の中程を持ったかと思うと、少年の後頭部にパカンといい音が鳴った。
「陛下、申し訳ありませぬ。この未熟者がまともな報告もできませんで」
「あ、ああ。それで」
「ほれ、しゃっきり申し上げんか」
「は、栢梶宮が内側から開きました。百幾年ぶりかに」
内側。やっとシュランツガルドは神祇官の焦りの意味が見えてきた。
「開かずの宮」は王家の所有ではない。内側から開けられるのはたった一つの血族のみ。
「サレンディアか」
夕立の一族。唯一血筋により異能を継ぐ者たち。臣従するのではなく王家と対等にあって許される、政治的にも極めて特殊な集団だ。
表舞台から退いてからは自分たちの本拠地に閉じ籠もり続ける傍ら、市井に術師が紛れていたり地方をぶらついていたりと目撃情報はあるが、どこぞからふらりと現れたのと、栢梶宮からわざわざ扉を開けて姿を晒したのとでは、その意味が全く異なる。
「門」を介しての訪問。サレンディアが王家へ立てた、正式な使者。
「陛下に即位のご挨拶をと」
「今さらか?」
思わず呆れ声を上げたシュランツガルドの、たしか曾祖父の代から宮の使用はなかったはずだ。使用がなくとも本拠地からこちらへの出入りに困らないので、むしろそれを利用して、王家との政治的対立が激化した頃はあっちこっち暗躍していたようだが。終戦の辺りからぱたりとそれすら途絶えた。
というわけで、シュランツガルドの父から二代上まで即位の寿ぎもなし。むしろなんで今の代で来たのか。予兆はない……いや、あったか。
昨夜、現場で捕らえられた術師が城に送られてきた。野良の仕業かと思っていたが、予想以上の大物だったのか。
(いや、違うな。そうだったら捕らえたクラウス殿が一言もなかったのがおかしい。ヘーゼルやエルダードとの繋がり……も、微妙だな)
いまだしつこくスカポカ杖で殴っている上司とそれを全く構いもしていない部下をぼんやり眺め、一つ頷いた。いい音がしているわりに痛くはないらしい。
「いい加減やめてやれ、クヴァル。君はグレンとアジェーラを客人の応対に回すよう伝えてくれ。クヴァルは詳細の報告、こっち座れ」
椅子から立ってクヴァルに勧めている間に、若い神祇官はこれ幸いと礼を取ってさっさと部屋を出ていった。
ちょんと座ったクヴァルの隣で、執務机に腰かけつつ髪を搔き上げた。煤の匂いがまだついている気がする。時間稼ぎしている間に顔を拭っておくべきだろうか。徹夜明けだし。
クヴァルが垂れそうに長い白眉の下からちらっと見上げてきたので、少しだけ笑う。
「さっきまでケイトがここにいたんだ。あいつがカイトを呼んでくるまでは待つから安心しろ、じいや」
ここでうだうだ考えるより直接会って確かめる方が手っ取り早いが、準備の必要性だって、この歳にもなれば心得ているのである。
……そんなこんなで。
「こちらの落とし物を、とある方から届けられまして。持ち主にお返しするついでにご挨拶に参りました」
そこはかとない緊張感を持って対面した相手、ナラン・サレンディアと名乗った二十代半ばに見える青年は、涼やかな笑みのまま、冗談みたいなことを真面目くさって言った。
ナランは一人長椅子に腰かけ、その背後に、屋内であるにもかかわらずフードを被った従者二人が静かに佇んでいる。背丈から見て、一人はリエラやミアーシャと同じくらいの年頃だろう。顔が見えないほど目深にフードを被っており、衣服も外套に包まれていて、性別すらよくわかっていないが。
ただひたすらに怪しい三人組だが、のっけの発言が色々と台無しにした感があった。
寒々しい沈黙が降りた。
シュランツガルドは内心えー……と呟きながら、鼻の脇をかりかりと搔いた。背後のカイトから気を抜くなという咳払いを受けて、腕を組み直して同じくらい真剣な顔を作る。
「ついででも思い出してくれて幸い、か?」
「陛下」
「悪かった。まあどんな理由があれ、こうして直に会うことができたことは嬉しい。クラウス殿以外のサレンディアの者と会うのは初めてだからな」
くすり、とナランが笑いをこぼした。
「いかがですか?」
「というと?」
「数代ぶりにサレンディアの訪問という歴史的な出来事を前にして、陛下はいかが思われますか?」
ナランが小さく首を傾げれば、後頭部に括った長い黒髪がさらりと揺れた。あらわな額に巻いた細い帯には精緻な文様が刻まれており、服装も時代を数代は遡るような古めかしい衣装だが、よく似合っていた。一見華奢な体躯だが、半分はそのゆとりのある上衣のせいだろう。少なくとも真っ向から挑発してくるくらいにはなよやかではない。
シュランツガルドも当然挑発と受け取ったが、うーん、と素で首を捻った。
「いかがと言われてもなあ。さっき言ったように、嬉しいとしか今は言えないな。滅多に会えないわけだし、幸運だと思うよ」
ナランは瞬いて、すぐに笑みを深めた。ふっふと片手で覆った口から息が漏れる。
「失礼しました。お父上とは違い、陛下は大変穏やかな方だ。非礼も重ねてお詫びいたします」
「おれはともかく……父は確かに穏やかな感じじゃないが、それほどか?」
「あの方が王であった頃なら、どんな理由があれ、間違いなく一族はあの宮を使いませんでしたよ。扉を開けて出た瞬間に首が飛びますから」
笑いながら己の首にとんと手を当てているのが息子としてはなんとも言えないが、過去何度も父の冷酷さを目の当たりにしてきては擁護できるものではなかった。それより気になることがある。
「実際に見てきたように言うな?」
「まあ、見てきましたからね」
「……失礼だが、おれより若いのに、大変だったのではないか?」
「私は陛下より歳上ですよ?」
「は?」
これまでで一番間抜けな声が出た。まじまじと目の前に座るツルツルピカピカ肌の若者を凝視しながら、自分の徹夜明けの頬を思わず撫でてしまった。
「一族の中でも異能を持っている者には、稀に肉体年齢の経過が緩やかになったり、止まったりすることがあるのです。私や今の当主がそれです」
「……不老というわけか?」
「不死ではありませんよ。寿命は人の枠を越えません。ですがそんなに驚かれるとは、正直思ってはいませんでした。年齢に見合わない若作りと言えば、そちらに一番の大物がいらっしゃるでしょう?」
シュランツガルドの脳内には淡い金髪の美女が思い浮かんだし、カイトも同じだろう。今は給仕役の国王側近の二人はまだ城に来てから日が浅いので実感はないだろうが、かつて先王の相談役であり、なんならカイトの亡き祖父である先々代セレノクール公爵とも親しく、彼の若い頃から容姿は全然変わっていないそうだ。もちろんシュランツガルドが初めて出会った頃からも一切加齢は見られない。正直、シェリアのことはもうそういう生き物だと思っていた。
「あいつも不死ではない?」
「さて、そこはなんとも」
「……」
飄々とはぐらかして悪びれない。そろそろ霧散しかけた怪しさが戻ってきた気がする。
話が逸れていたこともあって、気を取り直す意味でテーブルの上の「落とし物」に視線を落とした。
手巾にシンプルな首飾りが載せられている。立場上豪奢な宝飾品を見慣れているので、とても素っ気ないものに見える。大粒の紫水晶ではあるが、それを際立たせる細工はなにもない。紐はただの紐だし。どこそこの家宝とかであれば持ち主は特定できるが、これはそうはいかない。
(落とし物ってのも、何かの口実か?)
ちらりとそう考えたが、シュランツガルドは首を振って思考を払った。先入観の思い込みはいけない。
「カイト、この落とし物に心当たりは?」
「……あります」
「そうか、誰だ?」
「昨夜、王都内の屋敷が突然の火事で焼失しました。その屋敷で行われていた夜会の出席者です。……屋内で紛失したと聞いていましたが」
「ん?燃えた屋敷に?よく無事に残っていたな」
シュランツガルドもいた現場だ。どれほど派手に燃え上がっていたことか、しかも全員が逃げ惑い、紛失しても拾うどころか気づくことも困難だったはずだ。炎の中、引き返して最後の一人を助け出してきた少年の報告は受けたが……あの少年も半分サレンディアだったか。どこぞが王族暗殺未遂に父親を嵌めて身柄を手に入れるところだったのを、特務機関が滑り込みで確保し、城の監視下に置いている。
「鎮火した頃に探しに来るという話でしたが、どうやってこれを安全に拾得できたのでしょうか」
「あなた方ご存じの方のお仲間が、私たちの領地まで届けに来たので、具体的には存じません」
サレンディア以外に燃える火の中を闊歩できるのはシェリアの同類しかいないと示唆しているが、また目が点になりそうだった。シェリアの同類。いたのか、と思わず口の中でこぼしたが、誰にも聞かれなかったようだ。
気づけばナランがまたシュランツガルドを見つめていた。この透徹とした瞳に、シュランツガルドのことはどう映っているのだろうか。会話や仕草の端々から試されている感覚があって、カイトが徐々に不機嫌を隠す気がなくなっていくのが背中越しに伝わってくる。若くして筆頭公爵という重圧を物ともしない優秀な義理の弟が、案外に短気だと知っている者は少ない。それより短気なケイトや破天荒な姉が傍にいるのでなおさらだ。
緩衝の役目をクラウスに頼むつもりだった点で自己理解のあったカイトだが、なにかすぐには手を離せない用があるとかで到着が遅れている。だがそろそろ来るだろうと、シュランツガルドはことさらゆっくりと腕を組み直した。
「……ひとまず、持ち主がわかっていれば問題はないか。こちらで返しておこう」
「よろしくお願いします」
ナランの返答で、壁際に控えていたアジェーラがテーブルの上から手巾ごと首飾りを下げた。
まっさらになったテーブルの向こう側に、改めて問いかける。
「じゃあ、そちらも久しぶりに王家と顔を合わせたんだ。他に用事は?」
カイトほどではないが、まどろっこしいやり取りをするのもそろそろ面倒になってきた。
切り上げ時を堂々と尋ねられたナランは、今さら申し訳なさそうに小さく苦笑した。
「では最後に一つだけ。そちらに我が一族の者が拘束されていますね。その者を当家に引き渡していただきたく思います」
ピリリとこれ以上ないほどの緊張感が走った。
フードの二人が気圧されたように身動いだが、ナランは顔色も変えず、泰然としたものだ。
「旧来、サレンディアの者はサレンディアが裁く慣習です。ここ百年ほどは交流が絶えていたので、その間は大変お手を煩わせてしまったでしょう。此度はこちらで処理いたしますので、ご安心を」
清廉そうな見た目で、面の皮の厚さは相当だ。シュランツガルドは妙に感心しながらもはてと首を傾げた。
「あいにくだが、おれはそのような報告を受けてはいない。折角の申し出なので、応じるにやぶさかではないのだが……恥ずかしい話、最近は特に投獄者が多く、一人ひとり検めるのには大変な時間を要する。本人の言だけでは不安だし、サレンディアだと確認できる物証かなにか、あればいいのだが」
渾身のおとぼけを発揮する国王のすぐ後ろでは、カイトも同じく素知らぬ顔を作っていた。
「そうですか……残念ですね」
困ったように眉を下げたナランもすっとぼけとは察しているはずだが、すんなりと流した。
「直に顔を見に行くのは、さすがに控えるべきでしょうね」
「顔見知りか?」
「ある程度血が濃い一族ですと、初対面でも顔相で見分けをつけられます。髪の色、目の色ももちろん判断材料にはなりますが」
「顔相は、占いじゃなかったか?」
「一族で特長は似通うものです。細かい部分は一人ひとり違っても、根底は同じ。そちらでも気質を指して親兄弟を一括りにしたりするでしょう?」
「なるほどな。面白そうだが、それでも弱いな。それに一人ひとり面通しはやはり大変だし、百年ぶりの客人を牢屋に連れて行くわけにもいかん。どうしたものかな?」
そのとき、小さなノックの音が鳴った。一番早く反応したのはアジェーラで、シュランツガルドに目配せしてきたので頷いた。扉の外に立つグレンには、一人以外は通さないようにさせていたので、問わずとも誰が来たのかはわかっている。
到着が遅れていたクラウスが、やっと来てくれたようだった。
ーーー
話の切り時を見失ったのでちょっと中途半端になりました……。
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家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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