少年の行く先は

文字の大きさ
上 下
50 / 56
第一部

5−2

しおりを挟む
 朝を感じさせるのは瞼を差すような日の光であり、鶏の威勢のいい鳴き声であり、煮炊きの匂いである。
 その全てが一緒くたになって、強烈な刺激としてローナを叩き起こした。
(朝!)
 カッと目を開いて勢いよく身を起こすと、枕元のクラウスが苦笑した。
「おはようローナ」
「おはよう!」
「トーサ君が隣で寝ているから、静かにね。先にこっち飲みなさい。着替えはそこ。少しでも朝食を食べてから探しに行きなさい。ルアが用意しているから」
「いや、帰ってきてから」
「ルアもナジカも、昨日君が倒れてからずっと、待ちぼうけをしていたんだよ」
 ローナは薬湯を一気飲みしようとして固まり、そのまま意欲をしおしおと萎ませた。頭痛も目眩も夜明け前よりましになったが、気合いと勢いに任せればいけるんじゃないかという程度には酷い。けれど説教はともかく、いきなり倒れて一晩中心配をかけただろう二人を蔑ろにはしたくない。
 朝を待ったのだから今さら朝食の時間くらい延ばしたって変わらないだろうと、無理やり意識を切り替えた。
「……わかった。伯父さんは?」
「私の分は、後でここに持ってきてもらうように頼んでおいて」
「トーサの分は?」
「起きるまではどうかな。内臓は逸れていたとはいえ、腹部に傷があるからね」
「今起きてるみたいだけど」
 ローナの眠っていた寝台の隣、もう一つの寝台に横たわるトーサは、見た目だけはすやすや眠っているようだが、指摘されたとたんにぱちりと片目を開けた。
「なにか飲むか?」
 唇が薄く開いたのを見て問いかけると、目だけが頷く。クラウスが薬湯を吸い飲みに移している間に、トーサはゆっくりと体を起こそうとしていた。
「トーサ君はそのまま寝ていなさい。抜糸まで大人しくしているように。傷が開くよ。食欲は?」
「……あります」
「普通の飯でもいいの?」
「食って治すからいいんだよ……」
 脇腹とはいえ胴体に穴を空けたくせにそんな無茶なと、ローナは呆れ半分困惑半分で伯父を見たが、クラウスは本人が言うならと頷いた。
「ただし量は少なめに。満腹で突っ張ったらいけないから」
「伝えとく。じゃあ行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気を付けて。現場にはまだ公爵殿がいるだろうから、先に話を通すといいよ」
「わかった。ありがとう」
 ローナは自分の分の薬湯を一気飲みして着替えると、そのコップを持って部屋を出ていった。

 公爵邸はだだっ広い。ローナとトーサの一時的な医務室になった場所は食堂からどの辺りだろうかと思ったが、長く続く廊下を見て進む先を悩んだのは、ほんの僅かな間だけだった。
 自分のいる場所が風上から風下に変わったように、突然ルアやナジカの気配がわかった。廊下と階段をどう進めばいいのかも。
 トーサを探したときに似ているが、ただでさえ頭が痛いのに気合いを入れたつもりはないし、なにより、わかるというよりは誰かに情報を鼻っ面にぶち当てられたような勢いだった。
(首飾りがないとこうなるのか……)
 力の制御が全然できない。セナトの気配を感じる必要はなかったし、この場所から朝食の献立を当てたって意味がない。
 話好きの人に興味のない話題で捕まって、会話を切りたいのに切れないのに似ている。そういうときは、せめてこちらの興味がある話題にずらせば辛さはましになる。だが今のローナにこれは失敗だった。興味というか目下の一大事は、首飾りの行方に他ならない。
「力」が屋敷の外へと手を伸ばしていくので、慌てて打ち切るようにナジカとトーサのことを思い浮かべた。トーサから異様に張り詰めた雰囲気は感じられず、どうやらもう死ぬ気はないようだとか、これからどこでどう暮らすんだろうとか、ナジカはそれについて行くのかとか。
 ナジカ・ハヴィンからナジカ・ハーバルトに変わるなら、トーサとは義理の父娘になるな、と考えたらちょっと笑えた。基本的に人のことを名前で呼ぶナジカにトーサに向かって「お父さま」と言わせてみたい。多分もっと笑う。
「あいつ、老け顔だから、案外似合う、かも……っ」
 ごまかしにも早々に限界が来た。いきなり体が真っ二つに割れた。いや、体じゃなく、意識が。片方がナジカの元へ、もう片方がトーサの方へ。特別頭痛が増したりはしなかったが、感覚的に物凄く気持ち悪い。現実のローナに残る意識は乏しく、さらには一度外へ向かった力さえ、帰ってこずにそのままどこかへ向かっている。

 コップを落として割ったのは、音がした後に気づいた。それで自分のいる場所を思い出す。意識はどんどん千切れていくけれど、ここに繋ぎ止めされすれば、取り戻せるはず。
「よけいな、ことは、かんがえるな」
 早く、早く元通りになって、料理の仕上げをしているルアや、カトラリーを広いテーブルに丁寧に並べていくナジカに会いに行って、笑っておはようと……。

 ……あれ、家族それは「余計なこと」なんだっけ?

「ローナ君、どうしたの……うわっ!?」
 急激に靄がかる視界に飛び離れるセナトの影を見る。トーサが跳ね起きクラウスが振り向いた、衣擦れのかすかな音。屋敷のすぐ近くはまだ人通りは閑散としていて、広い通りに向かうにつれ往来が賑やかになる。がらりがらりと時々音を立てる焦げ臭い屋敷の近く、カイトがケイトの呼びかけに淡々と応えていると、途中で言葉を不自然に切った。
「ローナ君!どうなってんの急に!?めっちゃゾワゾワするんだけど!首飾り失くしたって聞いたけどそれだけでこうなるの!?」
 誰もいないがらんとしたクラウスの家が物寂しい。なのに変な音がして、辿ればクラウスの部屋のようだ。
 ばたばたと滅多になくクラウスが慌ててローナに駆け寄ってくる。肩で結って垂らした髪が跳ね踊る。セナトがローナの側でそわそわしている。袖口から武器を出したりしまったり。
「うわ無理、これ以上近寄ったら反射で殺しそう……あ、クラウスさま、ローナ君これどうなってます?」
「ローナ、ローナ?こっち向いて。そのまま座れるかい。寝てもいいから、前には倒れないで、破片が」
「あ、ちょっと女の子二人呼んでこよ。私よりましなはず」
 くるりと踵を返したセナトへとっさに手を伸ばした、ような気がする。いつから自分は綱渡りをしていたのだろう、ちかちかする黒白の靄の中をぐらりと落ちそうになって、トーサの手が襟首を掴んで引き戻してくれた。頭の上に舌打ち。
「おいローナ、そんなに具合悪いなら当分大人しくしとけよ。傷口が開くだろうが、おれの」
「トーサ君、そのまま押さえて」
 セナトがルアとナジカに声をかけると、それぞれ手に持った物を放り出して駆けつけてくる。ああ、安心させようと思ってたのに。
 クラウスの指に額を押された。なぞるようになにかを描いている。
 徐々に靄が薄れていく。ローナ自身の潤んだ目が、視界の端に金と銀の光を見た。
「ローナ!」
 耳が声を聞く。額が熱い。体中が軋みを上げる。汗の伝う感触、涙と一緒にこぼれていく……水。そうだ、水の音だ。クラウスの部屋、書斎机の脇の水盆がひとりでに波立っていて。ぽたりと雫が落ちて。


 りぃん、と鈴の音がした。



 その人が振り返った。
 豊かな黒髪が波打つ隙間から、青光りする瞳がローナを見た。ローナもその人を見た。

 それが最後だった。





















「……確か、首飾りが異能の制御になるんじゃなかったか」
「この後探しに来るとクラウスさまはおっしゃっていたが」
 反射的に暗器を抜き払ったケイトは、しっかりとセレノクール公爵邸の方を振り向いていた。カイトもいつでも抜ける姿勢で同じ方向を見ている。その方向から、確かに妙な気配を感じたからだ。
 周囲は、崩壊しても時々音を立てて細かく崩れてゆく、煙の立つ屋敷の方に意識が向いていて、カイトたちの張り詰めた雰囲気には気づいていなかった。

 術師はその異能があるゆえ手に負えない。だからこそ、彼ら玄は会敵即殺を本能に叩き込んでいる。気配を感じれば殺す。それが普通の人間にとっては最も安全だった。
 殺さない例外は今のところ一人だけ。術師とも呼べぬ――己が血の意味すらろくに知らぬ未熟者。

 一瞬よりも長く触れた気配は、カイトやケイトが手を下すまでもなく、ふっつりと絶えている。セナトの仕業ではないだろう。ランファロードは城にいる。なによりも、ただ気配に触れただけなのが、以前の剣術大会での邂逅を思い出させた。
 二人は警戒しつつも武器から手を離した。
「ケイ、様子を見てきてくれ。私はまだここから動けない」
「城の方はどうする。終戦からぱったり絶えていたくせに、今さら思い出したように表敬訪問するなんてよ。即位の祭りはとっくに終わってるっつーの」
「いずれにせよ、クラウスさまがいなければサレンディアとはまともに挨拶すらできない。伝言も一緒に頼む」
「あ、そうだった。さすがに殺しちゃまずいのか。わかった、行ってくる」
 ケイトが身軽に駆け去っていくのを見送ることもなく、カイトは他の配下に新たな指示を出しはじめた。昨夜から消火もせず自然な鎮火を待っていたのは、その作業で緩んだ包囲網から敵が逃げ出すのを嫌ったためだ。とはいえもう日が昇ったし、後片付けはカイトがいなくても済む。

 指示だけ出した後は急いで城へ向かった。火事から避難する紳士淑女に紛れて逃げようとした術師をクラウスが生け捕りにした昨夜から明けて、サレンディアが数十年ぶりに伺候した今朝だ。
 どう見繕っても、まともな用事ではありえなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...