少年の行く先は

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第一部

4-7

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 珍しいことに、今夜のパーティーは仮面舞踏会を模していた。
 身分制がほぼ形骸化して十数年、身分に隔てなく交流するのがパーティーの常識となって久しく、仮面を必要とすることもなくなっていた。そうしてとうに廃れていたと思いきや、会場である公営の舞踏館には顔を隠した紳士淑女がひしめき合っていた。
 今日のパーティーの主催者は貴族出の大商人で、 裕福な上に遊び心もそれなりに蓄えているような人らしい。公営の施設を借り、楽団も用意し、飾り付けにも余念がない。ローナはまさか今年最後のパーティー(になるといいな)で、改めて雰囲気に圧倒されることになるとは思ってもみなかった。
 なんといっても仮面。
 仮面である。
 顔全体を覆う仮面は会場に入る前の控え室の様なところで渡されたが、会場に入るとみんな、素顔が一切見えないようになっていた。お遊びにしても本格的だ。目元だけを隠すのではない、口より上は見事に隠れきっている。
(これは……)
 誰が誰だかわからないので、みんな一定の距離感を空けて人との会話をこなしている。ローナもローナと認識されないままにあれこれ声をかけられた。いつものようにランファロードやカイトのことを話題に出されない代わりに、どこそこの領地が栄えた話とか今年の王都の社交界の印象とか、小手調べなのだろうが、庶民一歩手前のローナには高度すぎる話題が振られて緊張しまくった。表情すら見えないのが何よりも辛い。

 これはシュカみたいな社交性が優れた人間しか来ちゃいけないやつだ!とローナは適当に会話を終わらせて逃げに走った。誰だこんなパーティーに呼んだの。主催者か。おのれ。
 そして誰かとすれ違った瞬間にがばっと振り返った。

「えっ!?」
 なんでトーサがここにいる!?
 過ぎ去ってゆくその男は仮面をつけた招待客にしか見えないが、仕事から私用まで街を追いかけ回したローナはきちんと匂いを覚えていた。
 なんでどうやって忍び込んだのかと思ったが、きっとあの夜会服は、ローナと同じようにセレノクール家が用意したものだろう。実はこの服もローナの緊張を足すような高級感だったが、今はそれどころじゃない。
 思わず追いかけようとして、ためらった。カイトの顔が脳裏にちらついたからだ。名前だって呼んでいいものかどうか……誰からも何の指示も受けていない、そしてこのパーティーにはヘーゼルの残党が何らかの関わりを示しているはずで……。

 うん。
(……離れたところから観察だけしとこう!)
 凡人なことは誰よりも自覚しているし、ここで首を突っ込む度胸があるなら今も社交から逃げたりなんてしていない。仮面怖い。
(それに、さすがに昨日、好き勝手に言い過ぎたし……)
 そのお陰かトーサに感じていた不気味な威圧感は霧散したし、言葉だってお互いに砕けまくるほどの距離にまで踏み込んだが、かわりに昨日のやり取りを思い出すだけで胸がムカつくようになってしまった。今になっても平静に話せる気が全くしない。
 あの男、消えるだの会う必要性を感じないだの、意味不明なことを言うだけで。
 ナジカの気持ちを考えろなんてローナが言うには僭越だが、あの光の灯らない緑の瞳を思えば、もっとまともな回答をしてほしかった。

 あの子が拐われたときに、家族なんていないと言ったことは知ってるか。
 おれを殺しかけたことは。
 過呼吸で倒れたこともあった。

(あそこであんなに動揺するんなら、どうでもいいわけじゃないんだろ)
 カイトはナジカに知らせるかどうか、ローナの判断に全て委ねるようだったが、あのトーサの態度では知らせたところでナジカが傷つくだけだと思って黙っていることにした。今は。
 ナジカに知らせたならトーサと会わせたい。そしてローナはナジカに知らせてあげたかった。前を向いて歩きだしても、ナジカが背負うには過去は残酷で、どれほどの気力が必要なことだろう。それこそローナを殺しかけるほどに、過呼吸に蝕まれるほどに、これからも何度も何度も追い込まれていくだろう。

 今日で消えるというトーサだが、絶対に逃がさない。地の果てまでも追いかけてやる所存だが、そんな手間をかけるより、目の前にいるうちに捕まえる方が手っ取り早い。
 首を洗って待ってろ、とローナは一瞬だけ遠くの仮面を睨み付けた。
「……おっと」
「あ」
 つい気を取られていて、人とぶつかってよろめいたローナは、とっさに謝ろうとした。すみませんのすの形になった口が、そのまま凍りつく。
 相変わらず仮面のせいで相手が誰かはわからないが、ひどく覚えのある匂いだった。
「すまないね、よそ見をしていたようだ。ところで……」
 ローナの肩に手を置いて無事を確かめるように叩き、その男が口元を綻ばせた。
 親しい者ならともかく、日々すれ違うばかりの他人の匂いなど普段から覚え嗅ぎ分けるほどローナの記憶力はよくない。それでも、つい最近、記憶に刻みつけようと意識的に覚えていたのが二つ。
 一つはトーサ。もう一つは、ケイトの様子のおかしさからもしものためにと。
「君一人で来たのかな?」
 ルアを金の君と呼んでいた不審な紳士は、ローナの周囲を見て残念そうに問いかけてきた。














 トーサはローナとは違い、姿勢や歩き方、目方から、ローナの存在に気づいた。仮面の下で舌打ちをこぼしたのは、昨夜に好き放題言われたことを思い出したからだ。
(あいつもこっちに気づいてるな……犬野郎め)
 剣の腕は十把一絡げの実力のくせに、比喩でなく無駄に鼻が効く奴だ。お陰で昨夜は執拗に追いかけ回され、聞きたくもないことを聞かされた。
 言った通りのなんだかんだがあっても、ナジカとは結局うまくいっているのだろう。だったらトーサの存在など気にしなくてもいいというのに。
 どうせ、今日で消えてしまうのだ。
(まあ、セレノクールでナジカと家族を見られたのは冥土の土産ってことにしておくか)
 ナジカが幽霊探しを始めたときは頭を抱えたが、笑いの種の一つにはなる。唇をほんのり吊り上げながら周囲の仮面の人々に視線をやる。仮面のお陰で目の動きがわかりにくくなっており、探っていると気づかれにくいのでありがたい。
 その狭い視界にふと二人組の後ろ姿が飛び込んできて、ローナの参加に動じなかったトーサですらぎょっとした。
 背が高い男二人が連れ立っていた。一人は淡い金の髪が毛先に行くに従って赤味を増している。その隣の男の髪は光を奪い去ったような漆黒。脳裏に白亜の宮殿、木漏れ日の差す緑の庭を歩く少年二人の後ろ姿がよぎった。

「……うっそだろおい?」
 記憶と現実の重なりに、知らず声が漏れた。
 記憶違いであればいい。なんだったら勘違いでも。
 まさかこんなところに最近即位したばかりの国王とそのかつての従者が現れるなんて、そんな事態を受け入れるよりは何倍かましだ。
 無礼講の場に権威の頂点が来てるってだけでもアレなのに、今回はしかもヘーゼルの残党が絡んでいるのだ。平穏無事に終わらないことは確約だ。
 国王も、さすがに今夜なにが起こるか全く知らないわけではないだろう。だから今は妹の従者となってるかつての従者を連れているんだろうが。心底仲のいい友人同士のじゃれ合いをしながら歩いている。
(……餌が大物すぎだろ!)
 絶対に釣り上げてやるという玄の強い気概が見えたトーサは、実は国王の方から「おれ絶対いい餌だと思う」とノリノリで出席を表明してその勢いでランファロードを連れて乱入してきたことを知らない。ちなみに国王を止めればその嫁が出現した可能性もあった。そして嫁が出るなら国王も当然ついてくる。なんといっても新婚ホヤホヤなので。
(……まあカイトさんの決めたことだし従者の方も相当強いし。大丈夫か)
 トーサは見なかったふりをすることにした。そもそも誰かを心配するほどの余裕はない。

 人波を泳ぐように全員が動き続けている。お互い仮面を付けているので、運良く知り合いに遭遇しても気づかなかったり、あえて会話を切って長く立ち話はしないようにしているようだ。パーティー自体が完全な娯楽となっているのは、今の時代だからこそと言えるだろう。
 トーサも周囲の社交に巻き込まれかけるが、気づかなかったふりで卒なく躱した。それでも話しかけられればカイトに教えてもらった当たり障りのない断り文句でさらっと流した。
 立派な餌であるあの二人組を常に視界の隅に捉えて、誰にも気づかれないようにするのは、案外骨が折れる技だった。

 従者の方がふと誰かを見つけたような素振りをして、連れを伴って行った。行き先を辿れば見覚えのある仮面。ローナだ。参加者の一人と話していた様子だったが、参加者が先にローナの背後に近づく二人に気づき、ローナが振り返った。
 とたん、わかりやすくぎょっとしていたので、トーサは思わず笑いそうになった。従者の方が気安く片手を挙げ、もう一人は腕を組んで見ているだけなので、従者とローナが知り合いなのだろう。
 ナジカの保護者というだけだったら知り合ってもカイトまでだろうに、なんで王族関係者にまで顔を繋げているのだろうか。木っ端貴族と聞いていたが。
 オロオロしているローナよりその話し相手だった男の方が積極的に話しに行っていた。二人組が誰かわかっていればえらい強気だとしか思えない。ローナの以前からの知り合いだろうか。
(……いや、違うな)
 傍目からは共通の知人を通じて知り合い、歓談をはじめたように見えるが、ローナがこれまたわかりやすく警戒して割って入ろうとしている。
 それを見て、トーサはローナがこの会場にいる意味を悟った。
 要するに、ローナもまた餌なのだった。
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