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第一部
3-7
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「確かにやったのはおれです」
トーサはあっさりと肯定した。ただ、と続けたが。
「かなりの数、主要な連中を逃しました。その七割は王都に来るまでに全員殺しましたが、一番厄介なやつが捕まってません」
言い終えた時には、ほろ苦い笑顔がひきつっていた。抑えきれぬ憎悪と殺意が黒い瞳をどろりと濁らせている。「ちょっとすんません」と顔を手で覆ったトーサを、セレノクールの誰も咎めなかった。セナトが薬草茶を注いでやり、カイトがお手製のクッキーを無言でそっと勧めた。ケイトは懲りない上司に呆れ返ったが、トーサはようやく自然の笑みを取り戻していた。いただきます、とひとつまみ口に含むと、ますます目元がなごんだ。
「うまいです」
「そうか」
裏社会で人の形をした鬼だと恐れられている三人が、たった一人の青年を気遣っている。そんな姿は知るものが知ればあり得ないと一笑に付すだろうが、三人だって人間だった。思いやるべき人間は思いやる。
「……君は今、何歳だ?」
「ああ、確か……十九です」
……『玄』は揃って天井を仰いだ。
「比べちゃいけねえ顔が浮かんだぞ今……」
「私も……いやでもまともにはなってきたじゃない。ちょっとずつ」
「……ひとつ違いか……」
「え、ええと?」
「気にしないでくれ。……それにしても、若いな」
まだ二十歳にもならない若者が、国を震撼させた百人を越える巨大な殺戮集団を壊滅させたのだ。それに……。
「ハーバルト侯爵家が滅んだのは、確か、八年前か……」
「ああ、それなら覚えてます。何しろおれの誕生日だったんですよ、そん時」
何気なく言っていたカイトが絶句し、両脇の二人も愕然とした。
トーサはまた暗い顔になっていたが、口許には歪な笑みを刻んでいた。
「おれ、結構前の記憶ってあやふやで。でも、パーティーだったのは覚えてます。おれが生き残ったのもそのせいでしたし」
「……それは、話した方がいいのか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、おれがハーバルトでもエーラでも、生き残りだと証明する必要は、あるんじゃないですか?」
カイトは少し躊躇ったあと、あることを言ってみるべきか迷い……口をつぐんだ。トーサが構わずに打ち明け始めたからだ。
「まあ、証明って言っても、簡単なことですけど。おれとすぐ下の弟が宴席で馬鹿やらかして、衣装汚しちまって。二人で衣装部屋に行ってたら、ヘーゼルが来たみたいです。後から追いかけてきた一番上の兄が、おれたちをクロゼットのひとつに投げ込んだわけです」
ヘーゼルの動きは迅速に過ぎた。まるで屋敷内部を全て把握しているように即座に隅々を制圧していき、火をつけ、金銀宝石類を略奪していった。
「衣装部屋にも当然来ました。はじめはやり過ごせたんですけどね……最後に残ってた一人になんでかばれて、クロゼットの扉ごと突き刺されて。弟はそれで死んだ……と思います。おれは無我夢中で、その時どうしたのかわかりません。けど、気づいたら、そいつは死んでました」
「…………」
「でもおれも結構ひどい怪我でした。屋敷を這い出て水路に落ちかけたらしいんですけど、そこで、エーラの家の院長に拾われました」
カイトたちの誰も、その時にはダールやティリベルが動いていたはずだ、とは言わなかった。どうやってその目を掻い潜ったのか……「覚えていない」のだろうと。それに、エーラの家とハーバルト侯爵家は比較的近い。王都内部と郊外だが、ほとんど隣接している。
そこの院長は優秀ではあったが同時に変人だった。怪我と熱にうなされ殺してやると散々に言い散らかしたトーサはどこかが壊れていた。それを、至極真顔で『殺す前に君はやるべきことがあるだろう』と引き留めてきた。
トーサの笑みの種類が変わることはない。苦痛と怨嗟が滲む声も。しかし、トーサの脳裏には、優しい微笑みを浮かべる院長ユーフェの容貌が浮かんでいた。
多分、あの人はあのときから気づいていたのだ。トーサの心の欠陥に。復讐だけに人生を捧げようとする少年のあまりの無謀さに。人生はそれだけではないはずなのに。大切なものを増やせと。帰ってこられる場所をと。
「……そこで、七年、ずっと平和に暮らしてましたね、何だかんだで。おれ、結構庶民暮らしが性に合ってたみたいで。子どもたちも拾われてきて、院長の元教え子も遊びに来たり……だんだん賑やかになっていって」
トーサは殺してやると口に出せなくなった。無垢な子どもたち、孤児でありながら人生を掴んだ大人たちに憚るくらいの心の余裕は持てるようになった。しかし、時々こっそりと剣の練習はした。そうしないと、溜め込まれた憎悪に爆発してしまいそうだった。
「待て、剣?槍ではなく?」
「え?……ああ、おれが一番人を殺せるのは、剣ですよ。槍は……まだまともに使える武器なので持ってるだけで」
トーサが言外に滲ませたその意味は明白だった。
まともに使える――手加減も理性も、手放さずにいられる、武器。それが槍。
カイトたちも武器に乗っ取られたように狂乱し、それでいて馬鹿みたいに強い戦士と戦ったことがある。剣に精神を支配されているのだ。そういった武器を魔剣や妖剣と呼ぶ。この場合、トーサの憎悪は一番剣に浸透しているのだ。剣に振り回されるのではなく、憎悪に振り回されて、人を殺す。理性の箍が外れた化け物として。憎悪で剣を練習していたら、そうなってもおかしくなかった。
「そんで、『エーラの悲劇』とか言われてるやつですけど」
この悲劇とは、一体誰にとっての「悲劇」なのだろうと、たまにトーサは考えていた。トーサはあのお陰で帰る場所を失い、大切なものを全てなくし、血の色の世界にためらいなく足を踏み込んだ。
少なくとも、トーサにとっては悲劇ではない。院長と約束していた休息の時間が終わり、歩かないといけなくなっただけなのだ。
「おれと、もう一人ちびの子と、近くの草原で遊んでたんです。んで、家に戻ってみたらもう内部の殺戮は終わってました。夕方なのにやけに静かでしたね。おかしいと思って、ちびを押さえておれが玄関を開けたら……血の海でした。んで、奥に生きた男が立ってました。子分を連れて」
カイトたちがはっと息を呑んだ。
「それが、ヘーゼルの首領です。そのあとは問答無用でぶすりと刺されて、おれを貫いて後ろのちびまで刺して、あとはこの片目、その時にやられました」
トーサはとん、と眼帯を触った。顔半分を覆い隠すそれをとれば、一文字に斬られた痕が露になる。眼球も傷ついているのか、目を開いても視力はないように見えた。焦点が合っていない。
「ちびはそれで死んだと思います。おれはそのあと肩をズドンとまた刺されて、気絶して……死んだと勘違いしてくれたらしいですね」
トーサは重いため息をついて、薬草茶を飲んだ。冷えても甘みと渋みが絶妙な加減で、おいしかった。もうひとつクッキーをかじった。
「目覚めたあとはもう、追っかけて追っかけて……ケルシュになんとか入り込んだら力尽きて、その山の爺さんに怪我を介抱してもらって、でもおれはもう止まれませんでした。ヘーゼルの末端に仲間として入って、ずっと機会を狙ってました。で、ついこないだ、ようやく殺せたわけです。あ、ケルシュの軍人に手伝ってもらって、内部の手引きだけはしときました」
「……その名前は?」
「ディーン・レイジア。ケルシュ領主直属軍の副指揮官だったかな」
カイトたちは――元々疑うつもりではなかったが――しっかり頷いたのだった。調書の通りである。
「……しかし、彼は君のことを伏せたがっていたようだ。調書に君のことは単なる協力者としか書かれていなかった」
一瞬驚いたトーサは、じんわりと笑みを浮かべ、ありがたい、と呟いていた。
「何て言っても、おれ、生かしておくべき首領殺しちまったもんで。ヘーゼルはあの頭がいたからあんなにうまくまとまってましたけど、資金源は略奪品だけではなく、情報もどっかから流れてたはずだ。その手がかりみんな血祭りに上げたから、政府が許してくれない気がしたんでしょうね。実際にそこんところどうですか?」
「……確かに、手詰まりにはなったな」
カイトは公爵の顔で慎重に呟いた。何しろヘーゼルの再興から崩壊までが全て瞬く間の出来事で、腰を上げたときにはその用件が消えていたようなものなのだ。
「……君は、潜入したときにそれを探ったりは?」
「しましたよ、一応。でも末端には難しかったし、ようやく上に接触できたと思ったら、まさか王都にまた突撃していくって作戦が聞こえたもんで。……もうなりふり構ってられませんでした」
「君のその判断に感謝する」
トーサは彼自身に襲いかかった二度の悲惨な出来事を思い出して止めにかかったのだろうが、結果的に王都にも、それどころかその作戦でケルシュにも爪痕は全く残らなかったのだ。強いていうならば、根城にしていた山がひとつ血塗れになっただけで。
ケイトもセナトももはや、軽い称賛を滲ませて、まだ若い青年を見つめた。
「おれたちの正体とか、カイトの家までは何で知ってたんだ?」
「ああ、おれ、結構昔に、カイトさんを見たことがあって」
「どこで?」
「王宮で。飛燕宮の辺りで、父上や兄上の職場が近衛だったから、たまに見学に出かけてました。カイトさんも、今の王妃さまと一緒によく出入りしてた頃だったし、たまたま見かけたんで、カイトさんは覚えてないでしょう」
「…………」
「んで、半年前くらいに、ケルシュの裏の酒場にいた『玄』に見覚えのある人いるなぁと」
カイトは茫然自失となった。
そういった場所では髪を染め身長も靴でごまかし、肌の色も化粧で濃くし、だめ押しで口許を布で覆っていたカイトを、トーサは一瞬で何年も前に会った少年と結びつけたのだ。
ぐうの音も出ないとかいう話ではない。ケイトたちも上司の変装技術や裏の仕事の出来栄えは知っているので、呆気にとられてトーサを見つめたのである。
「……まじで?一発で?」
「あ、でもさすがにおれが前に見たことがあったので――偶然ですよ。びっくりしましたし」
そういう問題じゃないと三人は心の中で突っ込んだ。トーサの方は逆に居心地が悪くなったようだった。彼も、裏社会というものをよく知っていた。眼帯をつけ直した方の頬をぽりぽりかきながら、少し目を逸らした。
「その、途中で世話になった爺さんのところに三つ子がいまして、うち二人がこれでもかってくらいそっくりだったんすよ。初見でそいつら見分けた時もびっくりされてたんで……その……そんなに気にすることでもないかと……」
「うーん……フォローありがとうって言うべき?」
「だな。カイ、あんま落ち込むなって。他にもあっさりばれてたら今頃お前公爵家追放どころの話じゃねぇからさ、な?」
これまた珍しく、一番年下の上司を年上二人が慰めている。
「さっさと仕事の話に戻ろうぜ。本題はその後なんだろ?」
と、思いきや、ケイトはまだ立ち直らない上司を実にあっさりと放置することにして、トーサに向き直った。
「聞く限り、逃した連中を捕まえんのを手伝えってところか?」
「はい。というのも、それがヘーゼルの副頭目なもんで。実を言うと、おれが殺した首領なんかもただの戦闘狂で、実質ヘーゼルを回してたのは他の幹部たちです。その中でも副頭目がピカ一の悪党でした」
「……王都に逃げ込んだと見ているのか?」
復活したカイトの質問に、トーサは引き締めた顔で「十中八九」と答えた。
「他の幹部たちも行方がつかめないんですが、あいつだけは野放しにしておけませんで。最悪、ヘーゼル壊滅を国が発表でもした直後に王都を地獄に叩き落としそうな気がするんすよね。あいつはそんくらいクソみたいな奴です」
「聞くからに裏で繋がっていた上部組織と関係が深いのはその副頭目とやらだな……」
「おれは、ハーバルトを滅ぼしたのもそこら辺の繋がりのせいだと思ってます。なんと言っても屋敷の制圧が早すぎた。情報源は、王都にいるはずです」
「……なるほど」
トーサの言うことはいちいち尤もだった。対面の三人は同意を示しながら、高揚のようなものを感じ始めていた。
これまで、セレノクール姉弟が表と裏で王都の貴族をどれだけ浚っても、長年手がかりを見つけられなかったのだ。カイトの隣の人間を除けば、だが。
そして。
「そいつが逃れて来たんだったら、その辺りの変動はあるはずだ。表向きは隠しててもな。カイ、おれの専門だ。お前らはその間、他の残党始末しとけ」
ケイトもそれを自覚していた。
立ち上がって、風のように客間を飛び出していったケイトに、トーサはひとつしかない目をきょとんと丸くしていた。黒い眸が茶色く光る。彫りが深いのでわかりづらいが、トーサの瞳は、よく見れば焦げ茶色だった。
「……あれが中座してすまないな」
ケイトの無礼も今さらだ、とカイトはため息をつき、セナトは笑って肩を竦めた。
「生き生きしてたね。最近苛ついてばっかだったし」
「それにしても気が逸りすぎだ」
「え、あの、さっきの『専門』ってどういう意味です?」
トーサの質問は尤もだった。カイトは流麗な仕草で紅茶を口に含み、視線をカップに注いだ。長いまつげが青い瞳の上にかかり、幼い容姿に物憂げな雰囲気を醸している。
「……何も、ヘーゼル――引いては、その上部組織エルダードと因縁があるのは、君だけではないということだ」
トーサはあっさりと肯定した。ただ、と続けたが。
「かなりの数、主要な連中を逃しました。その七割は王都に来るまでに全員殺しましたが、一番厄介なやつが捕まってません」
言い終えた時には、ほろ苦い笑顔がひきつっていた。抑えきれぬ憎悪と殺意が黒い瞳をどろりと濁らせている。「ちょっとすんません」と顔を手で覆ったトーサを、セレノクールの誰も咎めなかった。セナトが薬草茶を注いでやり、カイトがお手製のクッキーを無言でそっと勧めた。ケイトは懲りない上司に呆れ返ったが、トーサはようやく自然の笑みを取り戻していた。いただきます、とひとつまみ口に含むと、ますます目元がなごんだ。
「うまいです」
「そうか」
裏社会で人の形をした鬼だと恐れられている三人が、たった一人の青年を気遣っている。そんな姿は知るものが知ればあり得ないと一笑に付すだろうが、三人だって人間だった。思いやるべき人間は思いやる。
「……君は今、何歳だ?」
「ああ、確か……十九です」
……『玄』は揃って天井を仰いだ。
「比べちゃいけねえ顔が浮かんだぞ今……」
「私も……いやでもまともにはなってきたじゃない。ちょっとずつ」
「……ひとつ違いか……」
「え、ええと?」
「気にしないでくれ。……それにしても、若いな」
まだ二十歳にもならない若者が、国を震撼させた百人を越える巨大な殺戮集団を壊滅させたのだ。それに……。
「ハーバルト侯爵家が滅んだのは、確か、八年前か……」
「ああ、それなら覚えてます。何しろおれの誕生日だったんですよ、そん時」
何気なく言っていたカイトが絶句し、両脇の二人も愕然とした。
トーサはまた暗い顔になっていたが、口許には歪な笑みを刻んでいた。
「おれ、結構前の記憶ってあやふやで。でも、パーティーだったのは覚えてます。おれが生き残ったのもそのせいでしたし」
「……それは、話した方がいいのか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、おれがハーバルトでもエーラでも、生き残りだと証明する必要は、あるんじゃないですか?」
カイトは少し躊躇ったあと、あることを言ってみるべきか迷い……口をつぐんだ。トーサが構わずに打ち明け始めたからだ。
「まあ、証明って言っても、簡単なことですけど。おれとすぐ下の弟が宴席で馬鹿やらかして、衣装汚しちまって。二人で衣装部屋に行ってたら、ヘーゼルが来たみたいです。後から追いかけてきた一番上の兄が、おれたちをクロゼットのひとつに投げ込んだわけです」
ヘーゼルの動きは迅速に過ぎた。まるで屋敷内部を全て把握しているように即座に隅々を制圧していき、火をつけ、金銀宝石類を略奪していった。
「衣装部屋にも当然来ました。はじめはやり過ごせたんですけどね……最後に残ってた一人になんでかばれて、クロゼットの扉ごと突き刺されて。弟はそれで死んだ……と思います。おれは無我夢中で、その時どうしたのかわかりません。けど、気づいたら、そいつは死んでました」
「…………」
「でもおれも結構ひどい怪我でした。屋敷を這い出て水路に落ちかけたらしいんですけど、そこで、エーラの家の院長に拾われました」
カイトたちの誰も、その時にはダールやティリベルが動いていたはずだ、とは言わなかった。どうやってその目を掻い潜ったのか……「覚えていない」のだろうと。それに、エーラの家とハーバルト侯爵家は比較的近い。王都内部と郊外だが、ほとんど隣接している。
そこの院長は優秀ではあったが同時に変人だった。怪我と熱にうなされ殺してやると散々に言い散らかしたトーサはどこかが壊れていた。それを、至極真顔で『殺す前に君はやるべきことがあるだろう』と引き留めてきた。
トーサの笑みの種類が変わることはない。苦痛と怨嗟が滲む声も。しかし、トーサの脳裏には、優しい微笑みを浮かべる院長ユーフェの容貌が浮かんでいた。
多分、あの人はあのときから気づいていたのだ。トーサの心の欠陥に。復讐だけに人生を捧げようとする少年のあまりの無謀さに。人生はそれだけではないはずなのに。大切なものを増やせと。帰ってこられる場所をと。
「……そこで、七年、ずっと平和に暮らしてましたね、何だかんだで。おれ、結構庶民暮らしが性に合ってたみたいで。子どもたちも拾われてきて、院長の元教え子も遊びに来たり……だんだん賑やかになっていって」
トーサは殺してやると口に出せなくなった。無垢な子どもたち、孤児でありながら人生を掴んだ大人たちに憚るくらいの心の余裕は持てるようになった。しかし、時々こっそりと剣の練習はした。そうしないと、溜め込まれた憎悪に爆発してしまいそうだった。
「待て、剣?槍ではなく?」
「え?……ああ、おれが一番人を殺せるのは、剣ですよ。槍は……まだまともに使える武器なので持ってるだけで」
トーサが言外に滲ませたその意味は明白だった。
まともに使える――手加減も理性も、手放さずにいられる、武器。それが槍。
カイトたちも武器に乗っ取られたように狂乱し、それでいて馬鹿みたいに強い戦士と戦ったことがある。剣に精神を支配されているのだ。そういった武器を魔剣や妖剣と呼ぶ。この場合、トーサの憎悪は一番剣に浸透しているのだ。剣に振り回されるのではなく、憎悪に振り回されて、人を殺す。理性の箍が外れた化け物として。憎悪で剣を練習していたら、そうなってもおかしくなかった。
「そんで、『エーラの悲劇』とか言われてるやつですけど」
この悲劇とは、一体誰にとっての「悲劇」なのだろうと、たまにトーサは考えていた。トーサはあのお陰で帰る場所を失い、大切なものを全てなくし、血の色の世界にためらいなく足を踏み込んだ。
少なくとも、トーサにとっては悲劇ではない。院長と約束していた休息の時間が終わり、歩かないといけなくなっただけなのだ。
「おれと、もう一人ちびの子と、近くの草原で遊んでたんです。んで、家に戻ってみたらもう内部の殺戮は終わってました。夕方なのにやけに静かでしたね。おかしいと思って、ちびを押さえておれが玄関を開けたら……血の海でした。んで、奥に生きた男が立ってました。子分を連れて」
カイトたちがはっと息を呑んだ。
「それが、ヘーゼルの首領です。そのあとは問答無用でぶすりと刺されて、おれを貫いて後ろのちびまで刺して、あとはこの片目、その時にやられました」
トーサはとん、と眼帯を触った。顔半分を覆い隠すそれをとれば、一文字に斬られた痕が露になる。眼球も傷ついているのか、目を開いても視力はないように見えた。焦点が合っていない。
「ちびはそれで死んだと思います。おれはそのあと肩をズドンとまた刺されて、気絶して……死んだと勘違いしてくれたらしいですね」
トーサは重いため息をついて、薬草茶を飲んだ。冷えても甘みと渋みが絶妙な加減で、おいしかった。もうひとつクッキーをかじった。
「目覚めたあとはもう、追っかけて追っかけて……ケルシュになんとか入り込んだら力尽きて、その山の爺さんに怪我を介抱してもらって、でもおれはもう止まれませんでした。ヘーゼルの末端に仲間として入って、ずっと機会を狙ってました。で、ついこないだ、ようやく殺せたわけです。あ、ケルシュの軍人に手伝ってもらって、内部の手引きだけはしときました」
「……その名前は?」
「ディーン・レイジア。ケルシュ領主直属軍の副指揮官だったかな」
カイトたちは――元々疑うつもりではなかったが――しっかり頷いたのだった。調書の通りである。
「……しかし、彼は君のことを伏せたがっていたようだ。調書に君のことは単なる協力者としか書かれていなかった」
一瞬驚いたトーサは、じんわりと笑みを浮かべ、ありがたい、と呟いていた。
「何て言っても、おれ、生かしておくべき首領殺しちまったもんで。ヘーゼルはあの頭がいたからあんなにうまくまとまってましたけど、資金源は略奪品だけではなく、情報もどっかから流れてたはずだ。その手がかりみんな血祭りに上げたから、政府が許してくれない気がしたんでしょうね。実際にそこんところどうですか?」
「……確かに、手詰まりにはなったな」
カイトは公爵の顔で慎重に呟いた。何しろヘーゼルの再興から崩壊までが全て瞬く間の出来事で、腰を上げたときにはその用件が消えていたようなものなのだ。
「……君は、潜入したときにそれを探ったりは?」
「しましたよ、一応。でも末端には難しかったし、ようやく上に接触できたと思ったら、まさか王都にまた突撃していくって作戦が聞こえたもんで。……もうなりふり構ってられませんでした」
「君のその判断に感謝する」
トーサは彼自身に襲いかかった二度の悲惨な出来事を思い出して止めにかかったのだろうが、結果的に王都にも、それどころかその作戦でケルシュにも爪痕は全く残らなかったのだ。強いていうならば、根城にしていた山がひとつ血塗れになっただけで。
ケイトもセナトももはや、軽い称賛を滲ませて、まだ若い青年を見つめた。
「おれたちの正体とか、カイトの家までは何で知ってたんだ?」
「ああ、おれ、結構昔に、カイトさんを見たことがあって」
「どこで?」
「王宮で。飛燕宮の辺りで、父上や兄上の職場が近衛だったから、たまに見学に出かけてました。カイトさんも、今の王妃さまと一緒によく出入りしてた頃だったし、たまたま見かけたんで、カイトさんは覚えてないでしょう」
「…………」
「んで、半年前くらいに、ケルシュの裏の酒場にいた『玄』に見覚えのある人いるなぁと」
カイトは茫然自失となった。
そういった場所では髪を染め身長も靴でごまかし、肌の色も化粧で濃くし、だめ押しで口許を布で覆っていたカイトを、トーサは一瞬で何年も前に会った少年と結びつけたのだ。
ぐうの音も出ないとかいう話ではない。ケイトたちも上司の変装技術や裏の仕事の出来栄えは知っているので、呆気にとられてトーサを見つめたのである。
「……まじで?一発で?」
「あ、でもさすがにおれが前に見たことがあったので――偶然ですよ。びっくりしましたし」
そういう問題じゃないと三人は心の中で突っ込んだ。トーサの方は逆に居心地が悪くなったようだった。彼も、裏社会というものをよく知っていた。眼帯をつけ直した方の頬をぽりぽりかきながら、少し目を逸らした。
「その、途中で世話になった爺さんのところに三つ子がいまして、うち二人がこれでもかってくらいそっくりだったんすよ。初見でそいつら見分けた時もびっくりされてたんで……その……そんなに気にすることでもないかと……」
「うーん……フォローありがとうって言うべき?」
「だな。カイ、あんま落ち込むなって。他にもあっさりばれてたら今頃お前公爵家追放どころの話じゃねぇからさ、な?」
これまた珍しく、一番年下の上司を年上二人が慰めている。
「さっさと仕事の話に戻ろうぜ。本題はその後なんだろ?」
と、思いきや、ケイトはまだ立ち直らない上司を実にあっさりと放置することにして、トーサに向き直った。
「聞く限り、逃した連中を捕まえんのを手伝えってところか?」
「はい。というのも、それがヘーゼルの副頭目なもんで。実を言うと、おれが殺した首領なんかもただの戦闘狂で、実質ヘーゼルを回してたのは他の幹部たちです。その中でも副頭目がピカ一の悪党でした」
「……王都に逃げ込んだと見ているのか?」
復活したカイトの質問に、トーサは引き締めた顔で「十中八九」と答えた。
「他の幹部たちも行方がつかめないんですが、あいつだけは野放しにしておけませんで。最悪、ヘーゼル壊滅を国が発表でもした直後に王都を地獄に叩き落としそうな気がするんすよね。あいつはそんくらいクソみたいな奴です」
「聞くからに裏で繋がっていた上部組織と関係が深いのはその副頭目とやらだな……」
「おれは、ハーバルトを滅ぼしたのもそこら辺の繋がりのせいだと思ってます。なんと言っても屋敷の制圧が早すぎた。情報源は、王都にいるはずです」
「……なるほど」
トーサの言うことはいちいち尤もだった。対面の三人は同意を示しながら、高揚のようなものを感じ始めていた。
これまで、セレノクール姉弟が表と裏で王都の貴族をどれだけ浚っても、長年手がかりを見つけられなかったのだ。カイトの隣の人間を除けば、だが。
そして。
「そいつが逃れて来たんだったら、その辺りの変動はあるはずだ。表向きは隠しててもな。カイ、おれの専門だ。お前らはその間、他の残党始末しとけ」
ケイトもそれを自覚していた。
立ち上がって、風のように客間を飛び出していったケイトに、トーサはひとつしかない目をきょとんと丸くしていた。黒い眸が茶色く光る。彫りが深いのでわかりづらいが、トーサの瞳は、よく見れば焦げ茶色だった。
「……あれが中座してすまないな」
ケイトの無礼も今さらだ、とカイトはため息をつき、セナトは笑って肩を竦めた。
「生き生きしてたね。最近苛ついてばっかだったし」
「それにしても気が逸りすぎだ」
「え、あの、さっきの『専門』ってどういう意味です?」
トーサの質問は尤もだった。カイトは流麗な仕草で紅茶を口に含み、視線をカップに注いだ。長いまつげが青い瞳の上にかかり、幼い容姿に物憂げな雰囲気を醸している。
「……何も、ヘーゼル――引いては、その上部組織エルダードと因縁があるのは、君だけではないということだ」
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鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
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武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
セクスカリバーをヌキました!
桂
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とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
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