少年の行く先は

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第一部

2-1

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「二月ぶりか?城も変わったなぁ」
「みな即位式と結婚式が同時にあるから大わらわなんですよ」

 かつん、かつんとだだっ広い廊下を多くの人が行きすぎていくのを見送りながら、旅装の二人はそう暢気にやり取りした。片や大公爵の跡継ぎ、片や国の跡継ぎという豪華な肩書きだが、地位のある人間たちはともかく使用人たちと気安い仲の彼らは、忙しく働く人たちの邪魔をするつもりはない。お帰りなさいと挨拶されるのに返すばかりで、通りすぎるまで頭を下げさせたりするのも面倒だ。
 数日後に国王になる青年は、数日後に義理の弟になる青年を見下ろして、少し笑った。
「不満か?」
「当たり前です。姉上をさんざん待たせたくせに、なおさら即位式までとか」
「そうは言っても、エルが言ってきたんだよ。『みんなの苦労を考えてください』とか言われたら逆らえないだろ」
「……姉上……」
「忙しいが、分けてやるよりは予算も無駄が少なくなるし、運営も楽だろ。ランファのやつ、生きてるか?」
「……かろうじて」
 最近妹君が城を抜け出し、死に体の彼に追い討ちをかけたというのは言わない方がいいだろうか。
 この時期、どうやっても一番忙しいのは治安維持機関ティリベルだ。ダールも半数を駆り出して治安維持に当たらせているが、即位式に合わせて多くの人間が王都に流れ込み、取り締まりを厳しくしようにも手が追いつかない状況だ。不穏分子も多い。それも、王都の内外にだ。
「……南の状況があまり流れてきません。これが終わったらケイかセナを送ります」
「おれが帰るついでに見てもよかったんだがな」
「駄目に決まってるでしょう。なんのために囮を出してあなたを先に王都に連れ帰ったと思ってるんですか。今日明日は絶対に部屋で大人しくしておいてくださいよ」
「はいはい」
 かつてはやんちゃだった王子も、素直に返事をした。カイトはそれにほっとしながら、でも怖いから、やはり監視しようかと考えるのであった。
















 一斉に花吹雪が舞う。ちょうど薔薇が咲く季節だったので、それはもう大盤振る舞いで、町中の至るところに赤やオレンジの花びらが舞い散っていた。
 王都でも中央に位置する城下町は、普段の活気をますます滾らせて、大盛況だった。
 笑顔でおろしたての服を身にまとい、時に踊り、食べ飲み、歩き、走り去っていく彼らはみな、新たな国の門出を……このお祭り騒ぎの中で祝っている。平和な国に感謝して。それを維持してもらいたい願いも込めて、彼らは笑うのだ。

「新王陛下と新王妃殿下に――乾杯!!」



  正式に帰還報告をしたその日から始まったお祭り騒ぎを城のバルコニーからこっそり見下ろしつつ、王子は振り返った。窮屈な数日は終わり。明日から即位式で正式に王となる。
 これまで東の領地で長い時を過ごした彼は、感慨深く、その客室に集まった人たちを見るのだった。

 ――シュランツガルド・ロス・リズランス。今は亡き二人の義兄の代わりに王位を継ぐことになった……この物言いからわかるように、本来彼は、王になど興味はなかった。とんだ棚ぼたの置物だ。
 仕方なく継ぐなら、シュランツガルドはその分わがままはするつもりだった。
 手始めは、と一歩を踏み出す。
「お帰りなさい、シュライン殿下」
 そう微笑む、金髪に美しい空色の瞳の娘に向かう。横に立つカイトや、わきでにこにこしている妹たちには悪いけれど、我慢が限界だったのだ。
 初恋抱えて十数年……。カイトは姉が待ったというが、こっちだって長い間ずっと待っていたのだ。そう、何度もフラれながら!

「――ただいま」
 ぎゅうっと抱き締めると、許嫁からはいい匂いがした。ああ、エルの匂いだ、と安心する。ようやく帰ってきたと思えた。
 正直今でも自分は王に向いてないと思っているが、逃げることはしない。

 エルを解放して、周りを見渡す。やっぱりなという顔のカイトと、ケイトとセナト。少し表情が固いのは、東の領地から引き抜いてきたグレンとアジェーラ、呆れた顔のミアと隈のひどいランファ、頬を染めて目を輝かせるリル……。
 最後に、目の前に立つ真っ赤な顔の愛しい女性を見下ろし、にっこりと笑った。
  愛しい、愛しいおれの宝物たち。

「――ただいま、みんな」  

 そうして、翌日から国史に新たな暦が刻まれる。




















「お……わったぁ…………」
 仕事で徹夜を決めて帰ってきたローナは、玄関の扉を開けて力尽きた。もう動けない。
「床、気持ちいい……」
「……何をあほなこと言ってるのよ」
 うずくまるローナに呆れた声をかけるのは、奥から出てきたルアだ。その背後からひょこりとナジカも顔を出す。
「お帰り、ローナ。生きてる?」
「た、ただいま……かろうじて生きてる……」
 実際、体力がないローナはもうバテバテだった。即位式に合わせて城に泊まったりするどころか、警備部本来の仕事として王都のあちこちに駆り出されたのである。北で、上京してきた下級貴族同士の喧嘩が起きた仲裁をしに行ったら、南でやくざものたちの抗争が起きたから鎮圧し、東で火事と騒がれれば酔っぱらいの犯行であった。一日三食食べるのはなんとかできたが、ここ数日まともな睡眠をとっていない。学生時代から自分を甘やかしていたローナには死線すら見えた過酷さである。
「今日は終わり?明日は?」
「……昼から……」
「そ、なら今から寝る?お昼ごはん作ろうか?」
 ローナが退勤して帰ってきたのはまだ昼前、ルアも準備していない時間だ。つんつんとつついてくるナジカにへろへろな笑顔を見せたローナは、「無理」と言った。
「待てない。先に寝る……」
「ちょっと!ここで寝ないで、部屋まで行って!クラウスさまもいないから、私たちじゃ運べないのよ」
「……うう……起き上がれない……一時間くらい寝させて……」
「馬鹿ねぇ」
 ルアは諦めることにして、いまだにつつこうとするナジカを連れて奥へ戻っていった。ローナが本気で意識を手放そうとした瞬間、軽やかな足音が戻ってくる。
「ローナ、飲んで」
 相変わらずナジカは裸足で歩き回っているらしい。ぺたぺたと歩みより、寝転がるローナにコップを差し出した。
「……なにこれ……?」
「美味しいお水」
 普通であればその物言いに引っかかるローナだが、心身共に疲労の境地にあった。なんとか少しだけ体を起こして一口飲んで――盛大にむせた。
「なっ、んだ、これ!」
「……ルア。引っかかったよ」
「でかしたわねナジカ」
 ルアが奥から戻ってきて、げほげほと咳き込むローナを満足げに見下ろす。
「どう?ナジカ特製の柑橘ジュースの味は」
 ローナが震えおののきながらナジカを見上げると、ナジカは少しだけ口角をつり上げていた。最近ナジカは料理も手伝うようになり、表情も少しずつ明るくなっていた。ローナが見とれたあの美しい瞳の輝きを、頻度は少ないが、ルアもクラウスも日常でお目にかかれるくらいには仲良くなってきたと思う。
「……な、なにこれ」
「この時期に採れる柑橘をふんだんに使ったのよ。眠気は覚めた?」
「ほんとの水をください」
 刺激的すぎる酸っぱさとえぐみがそのまま残されていたのに、見た目はほぼ透明。どんな特殊な製法だ。
「部屋に戻ったら、出してあげる」
 ルアもいたずらが成功したと言いたげにふふんと笑っている。意外に味覚音痴なナジカは余ったジュースをちびちびと飲んでは美味しいとか呟いている。怖い。
 まんまと二人の策略にはまったローナは、諦めて筋肉痛で痛む体に鞭を打つことにした。








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