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第一部
1-8
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第四大隊もローナでさえも、誰もがルアの同行にいい顔はしなかった。非戦闘要員かつ一般人、しかも女性。誰も声にはしなかったが、黙って引っ込んでろというのは何人もが思ったことだ。迅速性が求められる今、足手まといになるものは必要ないのだった。
しかし、結局非難を抑えざるを得なかったのは、この場で最も地位が高いランファロードが彼女の願いを認めたからだ。
今から助けにいくのに、ローナ・ハヴィンの力はまだ必要になるかもしれない。そこで彼女とセットの方がいいだろうと判断したし、予想と外れた場合も考えたうえでのことだった。敵の人数が多かった場合である。女性ならば敵に警戒はされにくい。ルアが一番適任であった。
ルアもそれを想定するような発言をした。
『囮なら私が一番適任だわ』
賢い娘だ、とランファロードは思った。このまっすぐな目にはどこか見覚えがある気がするも、今は関係ないと、思考を振り払った。
……そうして、行ってみたらばルアはやはり必要になったのだった。予想よりも遥かに多いならず者たち。ルアはそんな状況にも怯まず、役に立てると喜び勇んで新たな売り物になりに行ったのである。
(あの人、絶対に見抜いてるわよね)
さて。うまく潜り込めたルアはナジカたちのそばにいつでも守れるようにと腰をおろした。ナジカがずっとぽかんとした顔をしてるので、してやったりという気持ちになるが、同時に初めて苛立った。
……本当に、助けを期待していなかったのだと気づいて。
「ナジカ。全部片付いたら言いたいことがあるの。首洗って待ってなさい」
いやそれはなんか違うだろうと心の中で呟いたのはミアーシャだ。どうやら知り合いらしい。
(なんだ。いるんじゃないか)
ほっとしてしまったミアーシャにもルアは顔を向けた。
「私はルア。あなた、名前は何て言うの?」
「……ミアだ」
「そう。あなたも、ランファロードさま?って人が探してたわよ」
「……」
助けに来てくれた、と心が沸いたのは一瞬。これは怒られる瞬間が間近に迫っているぞと顔をひきつらせた。ルアはあまり喜んでいない様子を横目で見て訝しく思ったが、見てないふりをすることにした。
(何よ、二人とも。怖がってないのね)
ルア自身も特にそんな感情を見せるつもりがないくらいには落ち着いている。とことん人質には向かない三人だな、と内心で苦笑した。
(……さて)
これまでの会話は全て顔は背けたまま、小声だったので周囲の男たちは気づいていないだろう。最初はルアに興味を持っていた男たちも、「王都に来たばかりで、つい迷い込んでしまった」と言うと、あっさり信じてくれた。
座り込んだ状態のまま、ざっと部屋の中を見渡す。窓が背中にあることを確認して、ふうと息をついた。握っていた右手を少し緩めて手首を動く範囲で遊ばせる。
「……」
背後にいたナジカは気づいたのだろうか、息をのむ音が聞こえた。
(まだ、準備できてない。まだ……)
男たちの会話に耳を傾けていると、何だか愚痴らしいものが聞こえてきた。
元々はこんなに大所帯じゃなかったらしい。全員が逃げるように王都にやって来たという。ここぞとばかりにルアは気を引くことにした。
「……あんたたち、南から逃げてきたのね」
「ああ?」
「こんなにひとまとまりでいたら、ティリベルに捕まえてって言ってるようなものね、って言ったの。こんな子どもたちまで誘拐したの?なおさら目立つわよ」
「……おいおい。静かになったと思ったら、まだ自分の立場がわかってねぇのか?」
「いつでも殺せるって?――冗談じゃないわ。私たちを今すぐ解放しなさい」
「……おい、あいつを黙らせろ」
ボスと呼ばれていた男が指差し、近くにいた男が近寄ってきた。ルアは怖じ気づいた演技をしながら後ずさる。
(……まだ?)
背後からの赤い斜光が、一瞬翳った。
ルアは息を吸って、叫んだ。
「あんたたちは捕まるわ!それも、今すぐね!!」
さくん、という音が背中の方で漏れた。
その時である。
「――伏せろ!!」
突如聞こえた誰かの声。
――それから、一気に事態が動いた。
「ナジカ!ミア!」
ナジカは固まっていた。
腕の紐をこっそり断ち切っていたルアが両手を広げて覆い被さってくる。いまだ衝撃から立ち直っていなかったからか、その姿が、昔の兄代わりの人と被って見えた。
『ナジカ!逃げろ――』
狭くなる視界、すぐそばにある温もり。自分の体ではないのに肉を切られた衝撃を感じ、血しぶきが舞う……。
「ル、ア」
違う。違う。ここはあそこじゃないの。今、ナジカを抱き締めているのは。
混乱して、目をぎゅっと瞑った。
同時に、華奢な何かが割れる音が響いた。がしゃんがしゃんがしゃんと繰り返し。
押し倒されたミアーシャは、ルアの肩越しに背中にあった窓たちが一斉に砕け散っていくのを呆然と見つめた。小さな破片が部屋の中に降り注ぐ。ミアーシャたちが伏せた方向のものは割れず、被害はない。斜光にきらきらと輝くそれを見て、場違いにも綺麗だなと思ってしまった。
(な、何だ……!?)
「一体なんだ!!」
度肝を抜かれた男たちの叫び声。
「まさか本当に来やがったってのか!?」
「外からだ!見ろ、石で――」
男たちの意識は扉とは真反対の、今となっては風通しのいい窓に向いていた。あまりに突然のことに呆然としている。
それが、次は扉の方に向くが、少々遅かった。
蝶番ごと扉をぶち破った影が、まるで風のように部屋を横切る。通り過ぎるのを幸い、手近にいる男たちを一瞬で叩きのめしながら。
「ぎゃっ」
「わあっ」
「な、なんだ!誰だ!!」
起き上がったルアの懐から見えたその黒い影に、ミアーシャは歓声を上げた。
「ランファ!!」
部屋に突入したのはランファロードだけではない。第四大隊の少数精鋭も気迫の声と共にならず者たちに斬りかかっていく。
呆然としたままのナジカは、その中に義兄の姿を見たような気がした。
「ルアちゃんとナジカちゃんを助けろ!」
「ちっ……くそ!応戦しろ!逃げ場は!?」
「無理だ!塞がれてる!」
「……ずいぶんと間抜けな犯罪者たちですね」
娘三人のところに一番乗りしたのはランファロードだった。ルアがまだ自分の足を護身用で常備していた剃刀で切っているなか、息ひとつ切らした様子もなく、ミアーシャとナジカの縄を剣で断ち切った。ミアーシャの白い手首に残る赤い縄痕を見て、見慣れているミアーシャでないと気づけないくらい、明らかに機嫌が悪くなっていた。
「ランファ」
「……お説教はしますからね。体調は大丈夫ですか?お怪我は」
「平気だ、大丈夫。あと、ここではミアという名前だ」
「……わかりました」
ランファロードは振り向きもせず、襲いかかってきた背後の男の足を払い、粗末なナイフを弾き飛ばした。剣を抜いてその首でも刈り取ろうとしたのか……ナジカが、赤い夕日に染まる白の刀身にびくりと肩を跳ね上げた。
「ランファ。待て。抜くな」
思わぬ制止に振り返る。ミアーシャは銀髪の少女を見つめていたが、その紫の瞳をまた従者に向けた。
「お前ならできるだろう。頼む」
「仮にもあなたがその物言いはやめてください。……血が駄目なんですね」
「そうだな?ナジカ」
ナジカと呼ばれた銀髪の少女は今にも死にそうなほど青ざめた顔で小さく頷いた。からだ全身が小刻みに震え、ルアに抱き寄せられている。
(この少女がエーラの生き残りか)
「わかりました」
実際にランファロードの実力であれば、相手が武器を持っていたとしても大半の人間は無力化できる。多対一でもだ。しかし、保険はかけておくことにする。
「私はあなたが最優先です」
「……わかっている」
言いつつ自由になった手で護身刀を引き抜いた。
「ルア!ナジカ!」
次にたどり着いたのはローナである。二人の安全を確認するために剣は抜かず、攻撃を避けるだけ避けて走ってきたのだった。そして、ランファロードのように、二人の手首の痣に目を止め、顔中がみるみる怒りに染まる。爆発寸前だ。
「……ぶっ潰す」
「ローナ!血は……」
「聞こえてた。努力する。ルア。動けるなら窓にぎりぎりまで寄ってくれ。ガラスには気を付けろ」
ローナもまた、横合いから襲いかかる男を見もせずに剣で殴り倒した。ルアがはっと息をのむ。そういえばさっきも、この混戦の中、『聞こえてた』と言った。
「ローナ、力が漏れてるんじゃ」
「今はどうでもいい。……ナジカ」
最後の呼びかけの声は柔らかだった。顔をあげたナジカの暗い緑の瞳と目を合わせる。ナジカは逆光で、ローナの茶色の瞳が赤く輝いているように見えた。
「おれは、お前を助けに来た。お前がおれの義妹だからだ。なのに切ろうとするわからず屋には説教だからな。――逃げるなよ」
「……ロー、ナ」
ルアと全く同じことを言っている。ナジカがからからになった喉でなんとか声を出したときには、ローナはランファロードと共に敵の掃討に移っていた。
「ルーク先輩!斬らずに捕縛お願いします!」
「ああ!?無茶を――」
「圧倒的な実力差を披露して、ルアたちにいいところ見せたくないんですか!?」
「よっしゃやってやらあぁぁ!!野郎共!聞いてたな!?」
「おう!」
「了解っす!」
「な、なんだあいつら」
「……単純ねぇ……」
慄くミアの腕を引きながら、呆れたルアが呟く。
この場の第四大隊未婚代表、ルーク・シールズ、三十路。モテないその悲しさを剣に捧げた結果、第四大隊内でも上位五人に入る実力を手に入れた男である。絶賛彼女募集中。
「うちの身内に手を出してくれやがってえええ!」
「二人がもう隊舎に来てくれなかったらどうすんだよ余計なことしやがって!!」
「癒しなんだよ!むさい仕事場の!!」
「ぎゃっ」
「痛ぇ!な、なんだ、こいつら!剣抜いてねぇのにくそつええ……!」
「……いい?ナジカ。よーく見ておくのよ。あの人たち、みんなあなたのこと心配してたんだからね」
ナジカが見上げたら、ルアは微笑んでやかましい戦場を見つめていた。少し苦さも混じってるのは、ここまで熱狂的に好かれていることに引いているからだ。いや、助けてくれるのは嬉しいのだけど。
これまで囚われていた三人は立ち上がって、目立たないようにじりじりと窓際に寄っていた。三人とも視線はばらばらだ。ルアはローナの戦う様子を見るのが初めてだった。意外にもいい動きをしているように思う。それに、力を使っているのが心配だった。少し前に負担がかかったばかりなのだ。
ナジカは漫然と全体を見つめている。確かなものを探すように。
ミアーシャはランファロードの流麗な、それでいて一撃で何人も吹っ飛ばす様子を満足げに眺めながら、手元の短刀をもてあそんだ。あそこまで爽快にやってくれると、溜飲がさがるというものだ。そして、ランファがボスと呼ばれた男に肉薄したように見えた時――。その目がかち合った。
「っ!」
ボスは周囲の味方を盾に攻撃を掻い潜り、こちらに突進してきた。ランファの追撃をかわしたのはほぼ奇跡だろう。火事場の馬鹿力というものかもしれない。一瞬の遅れが二人を一気に引き離した。
ローナもなるべく視界に留めていた三人に迫る影を見つけ走り出したが、間に合わなかった。
「ナジカ!ルア!」
「! さがって二人とも!」
ルアは、飛び出そうとしたミアと、とっさのことに反応できなかったナジカの肩を掴んで後ろに庇った。
先ほどランファロードが弾き飛ばしたナイフを拾い、男が振り上げる。
ナジカもミアーシャも、声にならない悲鳴をあげた。
「――動くなてめぇら!!」
張り上げられただみ声に、全員が時を止めたように動かなくなった。全員が目にしたのは、大きく揺れる金髪――。
「ルア!!」
「動くなっつってんだろうが!!」
ボスは左腕に囚われたルアの喉元にナイフを押し当て、思わず飛び出そうとしたローナはぐっと堪えた。
「お前らもだ!不審な素振りひとつしてみろ!この女、ぶっ殺してやる!!」
血走った目で牽制されたミアーシャも護身刀を握りしめることしかできなかった。その言葉が嘘だとは思えなかったのだ。この男は本当にルアを殺せるのだ。次の人質はミアーシャなナジカか。誰もが迂闊な真似はできない。
ボスはようやく優位に立てたとほっとした。しかし、逃走という一番の難題がまだ残っている。ぐっと娘の首にナイフをまた押し付ける。ルアはのけぞるように顔をしかめてその痛みから避ける。その様子を見るのは、第四大隊の精鋭たちには耐えがたかった。
「よおし!武器を離せ!野郎共起きろ!縄でこいつらを括れぇ!」
逆に制圧することを考えたらしい。第四大隊は全員が顔をしかめた。犯罪者の言いなりになるしかないという事実に、わずかに抵抗を感じてしまうのは仕方がないことだろう。
「おらどうした!?こいつを今殺してもいいんだ――」
がしゃん、という音と「ぞ」という声が被った。
全員がはっと振り向くと、黒い長剣が床に転がっていた。持ち主のランファロードは、それはそれは美麗な容貌に輝かしいほどの笑みを浮かべていた。
「捨てましたよ?」
「お、おう……」
思わずボスもたじろぐが、視線でその周囲の仲間たちに合図した。捕らえろという意味だろう。
「お前らもだ!」
「ランファロードさま……!?」
「いた仕方ないでしょう。早く放棄なさい」
さすがのローナたちも、組織のほぼ頂点に立つ人物の命令には従うしかなかった。がしゃんがしゃんとそれぞれの武器が捨てられる。ミアーシャも投げ捨てた。後ろでナジカが髪よりも紙よりも真っ青な顔をしている。
「よ、よし。捨てたな。いいか、まだ動くなよ。おい、お前ら、早く――」
油断してないようでいながらも、一番近くにいたルアは、首に回っていた左腕が微かに緩むのを感じた。
そして、ルアにとってはそれで充分だったのだ。
「は?」
ボスが感じたのは突然の浮遊感。次に、腹や顎に走る衝撃。気づけば背中に何かがのしかかり、ぎりぎりとナイフを持っていた手を捻り上げられていた。視界のはしに、先ほどまで人質にしていたはずの女の髪の毛が揺れる。
「いっ痛ててててて!?」
「――形勢逆転。第四大隊、武器を拾いなさい」
ぽろりとナイフが落ちると同時に首にひやりとしたものを当てられて、ボスは仰け反った。その瞬間に後頭部に強い打撃を受け、意識を手放すことになったのである。
「なにをしている。早く全員捕縛しなさい」
平然と剣の柄でボスを昏倒させたランファロードと、ボスの背中から立ち上がってナイフを蹴飛ばし、スカートを払って、「……臭かったわ。何日お風呂に入ってないのかしら、この人たち」と軽蔑の目で見下ろすルアと、気絶したボスを、全員が――敵味方関係なく、ナジカもミアーシャも――何度も交互に見比べた。
「……え?」
「えっ?」
「えええええええ!?」
その後、外で応援要員兼、外部制圧要員として待機していた警備部の別の大隊が踏み込み、ようやく制圧は完了するのであった。
突如聞こえた絶叫に、すわ未知の敵に遭遇したのかと、彼らが飛び上がるように駆けつけたのは余談である。
しかし、結局非難を抑えざるを得なかったのは、この場で最も地位が高いランファロードが彼女の願いを認めたからだ。
今から助けにいくのに、ローナ・ハヴィンの力はまだ必要になるかもしれない。そこで彼女とセットの方がいいだろうと判断したし、予想と外れた場合も考えたうえでのことだった。敵の人数が多かった場合である。女性ならば敵に警戒はされにくい。ルアが一番適任であった。
ルアもそれを想定するような発言をした。
『囮なら私が一番適任だわ』
賢い娘だ、とランファロードは思った。このまっすぐな目にはどこか見覚えがある気がするも、今は関係ないと、思考を振り払った。
……そうして、行ってみたらばルアはやはり必要になったのだった。予想よりも遥かに多いならず者たち。ルアはそんな状況にも怯まず、役に立てると喜び勇んで新たな売り物になりに行ったのである。
(あの人、絶対に見抜いてるわよね)
さて。うまく潜り込めたルアはナジカたちのそばにいつでも守れるようにと腰をおろした。ナジカがずっとぽかんとした顔をしてるので、してやったりという気持ちになるが、同時に初めて苛立った。
……本当に、助けを期待していなかったのだと気づいて。
「ナジカ。全部片付いたら言いたいことがあるの。首洗って待ってなさい」
いやそれはなんか違うだろうと心の中で呟いたのはミアーシャだ。どうやら知り合いらしい。
(なんだ。いるんじゃないか)
ほっとしてしまったミアーシャにもルアは顔を向けた。
「私はルア。あなた、名前は何て言うの?」
「……ミアだ」
「そう。あなたも、ランファロードさま?って人が探してたわよ」
「……」
助けに来てくれた、と心が沸いたのは一瞬。これは怒られる瞬間が間近に迫っているぞと顔をひきつらせた。ルアはあまり喜んでいない様子を横目で見て訝しく思ったが、見てないふりをすることにした。
(何よ、二人とも。怖がってないのね)
ルア自身も特にそんな感情を見せるつもりがないくらいには落ち着いている。とことん人質には向かない三人だな、と内心で苦笑した。
(……さて)
これまでの会話は全て顔は背けたまま、小声だったので周囲の男たちは気づいていないだろう。最初はルアに興味を持っていた男たちも、「王都に来たばかりで、つい迷い込んでしまった」と言うと、あっさり信じてくれた。
座り込んだ状態のまま、ざっと部屋の中を見渡す。窓が背中にあることを確認して、ふうと息をついた。握っていた右手を少し緩めて手首を動く範囲で遊ばせる。
「……」
背後にいたナジカは気づいたのだろうか、息をのむ音が聞こえた。
(まだ、準備できてない。まだ……)
男たちの会話に耳を傾けていると、何だか愚痴らしいものが聞こえてきた。
元々はこんなに大所帯じゃなかったらしい。全員が逃げるように王都にやって来たという。ここぞとばかりにルアは気を引くことにした。
「……あんたたち、南から逃げてきたのね」
「ああ?」
「こんなにひとまとまりでいたら、ティリベルに捕まえてって言ってるようなものね、って言ったの。こんな子どもたちまで誘拐したの?なおさら目立つわよ」
「……おいおい。静かになったと思ったら、まだ自分の立場がわかってねぇのか?」
「いつでも殺せるって?――冗談じゃないわ。私たちを今すぐ解放しなさい」
「……おい、あいつを黙らせろ」
ボスと呼ばれていた男が指差し、近くにいた男が近寄ってきた。ルアは怖じ気づいた演技をしながら後ずさる。
(……まだ?)
背後からの赤い斜光が、一瞬翳った。
ルアは息を吸って、叫んだ。
「あんたたちは捕まるわ!それも、今すぐね!!」
さくん、という音が背中の方で漏れた。
その時である。
「――伏せろ!!」
突如聞こえた誰かの声。
――それから、一気に事態が動いた。
「ナジカ!ミア!」
ナジカは固まっていた。
腕の紐をこっそり断ち切っていたルアが両手を広げて覆い被さってくる。いまだ衝撃から立ち直っていなかったからか、その姿が、昔の兄代わりの人と被って見えた。
『ナジカ!逃げろ――』
狭くなる視界、すぐそばにある温もり。自分の体ではないのに肉を切られた衝撃を感じ、血しぶきが舞う……。
「ル、ア」
違う。違う。ここはあそこじゃないの。今、ナジカを抱き締めているのは。
混乱して、目をぎゅっと瞑った。
同時に、華奢な何かが割れる音が響いた。がしゃんがしゃんがしゃんと繰り返し。
押し倒されたミアーシャは、ルアの肩越しに背中にあった窓たちが一斉に砕け散っていくのを呆然と見つめた。小さな破片が部屋の中に降り注ぐ。ミアーシャたちが伏せた方向のものは割れず、被害はない。斜光にきらきらと輝くそれを見て、場違いにも綺麗だなと思ってしまった。
(な、何だ……!?)
「一体なんだ!!」
度肝を抜かれた男たちの叫び声。
「まさか本当に来やがったってのか!?」
「外からだ!見ろ、石で――」
男たちの意識は扉とは真反対の、今となっては風通しのいい窓に向いていた。あまりに突然のことに呆然としている。
それが、次は扉の方に向くが、少々遅かった。
蝶番ごと扉をぶち破った影が、まるで風のように部屋を横切る。通り過ぎるのを幸い、手近にいる男たちを一瞬で叩きのめしながら。
「ぎゃっ」
「わあっ」
「な、なんだ!誰だ!!」
起き上がったルアの懐から見えたその黒い影に、ミアーシャは歓声を上げた。
「ランファ!!」
部屋に突入したのはランファロードだけではない。第四大隊の少数精鋭も気迫の声と共にならず者たちに斬りかかっていく。
呆然としたままのナジカは、その中に義兄の姿を見たような気がした。
「ルアちゃんとナジカちゃんを助けろ!」
「ちっ……くそ!応戦しろ!逃げ場は!?」
「無理だ!塞がれてる!」
「……ずいぶんと間抜けな犯罪者たちですね」
娘三人のところに一番乗りしたのはランファロードだった。ルアがまだ自分の足を護身用で常備していた剃刀で切っているなか、息ひとつ切らした様子もなく、ミアーシャとナジカの縄を剣で断ち切った。ミアーシャの白い手首に残る赤い縄痕を見て、見慣れているミアーシャでないと気づけないくらい、明らかに機嫌が悪くなっていた。
「ランファ」
「……お説教はしますからね。体調は大丈夫ですか?お怪我は」
「平気だ、大丈夫。あと、ここではミアという名前だ」
「……わかりました」
ランファロードは振り向きもせず、襲いかかってきた背後の男の足を払い、粗末なナイフを弾き飛ばした。剣を抜いてその首でも刈り取ろうとしたのか……ナジカが、赤い夕日に染まる白の刀身にびくりと肩を跳ね上げた。
「ランファ。待て。抜くな」
思わぬ制止に振り返る。ミアーシャは銀髪の少女を見つめていたが、その紫の瞳をまた従者に向けた。
「お前ならできるだろう。頼む」
「仮にもあなたがその物言いはやめてください。……血が駄目なんですね」
「そうだな?ナジカ」
ナジカと呼ばれた銀髪の少女は今にも死にそうなほど青ざめた顔で小さく頷いた。からだ全身が小刻みに震え、ルアに抱き寄せられている。
(この少女がエーラの生き残りか)
「わかりました」
実際にランファロードの実力であれば、相手が武器を持っていたとしても大半の人間は無力化できる。多対一でもだ。しかし、保険はかけておくことにする。
「私はあなたが最優先です」
「……わかっている」
言いつつ自由になった手で護身刀を引き抜いた。
「ルア!ナジカ!」
次にたどり着いたのはローナである。二人の安全を確認するために剣は抜かず、攻撃を避けるだけ避けて走ってきたのだった。そして、ランファロードのように、二人の手首の痣に目を止め、顔中がみるみる怒りに染まる。爆発寸前だ。
「……ぶっ潰す」
「ローナ!血は……」
「聞こえてた。努力する。ルア。動けるなら窓にぎりぎりまで寄ってくれ。ガラスには気を付けろ」
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「ローナ、力が漏れてるんじゃ」
「今はどうでもいい。……ナジカ」
最後の呼びかけの声は柔らかだった。顔をあげたナジカの暗い緑の瞳と目を合わせる。ナジカは逆光で、ローナの茶色の瞳が赤く輝いているように見えた。
「おれは、お前を助けに来た。お前がおれの義妹だからだ。なのに切ろうとするわからず屋には説教だからな。――逃げるなよ」
「……ロー、ナ」
ルアと全く同じことを言っている。ナジカがからからになった喉でなんとか声を出したときには、ローナはランファロードと共に敵の掃討に移っていた。
「ルーク先輩!斬らずに捕縛お願いします!」
「ああ!?無茶を――」
「圧倒的な実力差を披露して、ルアたちにいいところ見せたくないんですか!?」
「よっしゃやってやらあぁぁ!!野郎共!聞いてたな!?」
「おう!」
「了解っす!」
「な、なんだあいつら」
「……単純ねぇ……」
慄くミアの腕を引きながら、呆れたルアが呟く。
この場の第四大隊未婚代表、ルーク・シールズ、三十路。モテないその悲しさを剣に捧げた結果、第四大隊内でも上位五人に入る実力を手に入れた男である。絶賛彼女募集中。
「うちの身内に手を出してくれやがってえええ!」
「二人がもう隊舎に来てくれなかったらどうすんだよ余計なことしやがって!!」
「癒しなんだよ!むさい仕事場の!!」
「ぎゃっ」
「痛ぇ!な、なんだ、こいつら!剣抜いてねぇのにくそつええ……!」
「……いい?ナジカ。よーく見ておくのよ。あの人たち、みんなあなたのこと心配してたんだからね」
ナジカが見上げたら、ルアは微笑んでやかましい戦場を見つめていた。少し苦さも混じってるのは、ここまで熱狂的に好かれていることに引いているからだ。いや、助けてくれるのは嬉しいのだけど。
これまで囚われていた三人は立ち上がって、目立たないようにじりじりと窓際に寄っていた。三人とも視線はばらばらだ。ルアはローナの戦う様子を見るのが初めてだった。意外にもいい動きをしているように思う。それに、力を使っているのが心配だった。少し前に負担がかかったばかりなのだ。
ナジカは漫然と全体を見つめている。確かなものを探すように。
ミアーシャはランファロードの流麗な、それでいて一撃で何人も吹っ飛ばす様子を満足げに眺めながら、手元の短刀をもてあそんだ。あそこまで爽快にやってくれると、溜飲がさがるというものだ。そして、ランファがボスと呼ばれた男に肉薄したように見えた時――。その目がかち合った。
「っ!」
ボスは周囲の味方を盾に攻撃を掻い潜り、こちらに突進してきた。ランファの追撃をかわしたのはほぼ奇跡だろう。火事場の馬鹿力というものかもしれない。一瞬の遅れが二人を一気に引き離した。
ローナもなるべく視界に留めていた三人に迫る影を見つけ走り出したが、間に合わなかった。
「ナジカ!ルア!」
「! さがって二人とも!」
ルアは、飛び出そうとしたミアと、とっさのことに反応できなかったナジカの肩を掴んで後ろに庇った。
先ほどランファロードが弾き飛ばしたナイフを拾い、男が振り上げる。
ナジカもミアーシャも、声にならない悲鳴をあげた。
「――動くなてめぇら!!」
張り上げられただみ声に、全員が時を止めたように動かなくなった。全員が目にしたのは、大きく揺れる金髪――。
「ルア!!」
「動くなっつってんだろうが!!」
ボスは左腕に囚われたルアの喉元にナイフを押し当て、思わず飛び出そうとしたローナはぐっと堪えた。
「お前らもだ!不審な素振りひとつしてみろ!この女、ぶっ殺してやる!!」
血走った目で牽制されたミアーシャも護身刀を握りしめることしかできなかった。その言葉が嘘だとは思えなかったのだ。この男は本当にルアを殺せるのだ。次の人質はミアーシャなナジカか。誰もが迂闊な真似はできない。
ボスはようやく優位に立てたとほっとした。しかし、逃走という一番の難題がまだ残っている。ぐっと娘の首にナイフをまた押し付ける。ルアはのけぞるように顔をしかめてその痛みから避ける。その様子を見るのは、第四大隊の精鋭たちには耐えがたかった。
「よおし!武器を離せ!野郎共起きろ!縄でこいつらを括れぇ!」
逆に制圧することを考えたらしい。第四大隊は全員が顔をしかめた。犯罪者の言いなりになるしかないという事実に、わずかに抵抗を感じてしまうのは仕方がないことだろう。
「おらどうした!?こいつを今殺してもいいんだ――」
がしゃん、という音と「ぞ」という声が被った。
全員がはっと振り向くと、黒い長剣が床に転がっていた。持ち主のランファロードは、それはそれは美麗な容貌に輝かしいほどの笑みを浮かべていた。
「捨てましたよ?」
「お、おう……」
思わずボスもたじろぐが、視線でその周囲の仲間たちに合図した。捕らえろという意味だろう。
「お前らもだ!」
「ランファロードさま……!?」
「いた仕方ないでしょう。早く放棄なさい」
さすがのローナたちも、組織のほぼ頂点に立つ人物の命令には従うしかなかった。がしゃんがしゃんとそれぞれの武器が捨てられる。ミアーシャも投げ捨てた。後ろでナジカが髪よりも紙よりも真っ青な顔をしている。
「よ、よし。捨てたな。いいか、まだ動くなよ。おい、お前ら、早く――」
油断してないようでいながらも、一番近くにいたルアは、首に回っていた左腕が微かに緩むのを感じた。
そして、ルアにとってはそれで充分だったのだ。
「は?」
ボスが感じたのは突然の浮遊感。次に、腹や顎に走る衝撃。気づけば背中に何かがのしかかり、ぎりぎりとナイフを持っていた手を捻り上げられていた。視界のはしに、先ほどまで人質にしていたはずの女の髪の毛が揺れる。
「いっ痛ててててて!?」
「――形勢逆転。第四大隊、武器を拾いなさい」
ぽろりとナイフが落ちると同時に首にひやりとしたものを当てられて、ボスは仰け反った。その瞬間に後頭部に強い打撃を受け、意識を手放すことになったのである。
「なにをしている。早く全員捕縛しなさい」
平然と剣の柄でボスを昏倒させたランファロードと、ボスの背中から立ち上がってナイフを蹴飛ばし、スカートを払って、「……臭かったわ。何日お風呂に入ってないのかしら、この人たち」と軽蔑の目で見下ろすルアと、気絶したボスを、全員が――敵味方関係なく、ナジカもミアーシャも――何度も交互に見比べた。
「……え?」
「えっ?」
「えええええええ!?」
その後、外で応援要員兼、外部制圧要員として待機していた警備部の別の大隊が踏み込み、ようやく制圧は完了するのであった。
突如聞こえた絶叫に、すわ未知の敵に遭遇したのかと、彼らが飛び上がるように駆けつけたのは余談である。
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弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
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そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
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