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第一部
1-7
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執務室に入ってきたランファロードは、一言「協力する」と言い、その場に残った。
「詳細を急いで詰めましょうか」
焦りと困惑をなだめたルアの報告を治安維持機関という本職たち(ランファロードとアイザス。ローナはまだ新人で疎い)がまとめると、こうなった。
誘拐犯は王都に流れてきたばかりで少人数の規模。ナジカともう一人の少女(ランファロードがそう力説した)は目立つ容姿だからこそ誘拐されたと見るべきで、背後に有力者はいないだろうこと。新王の即位に合わせて王都に流れ込む人々に紛れていたのだろう、そういう例はかなり多い。
治安が嫌が応に悪くなるのをどう阻止するかで、副長官たるランファロードや、アイザスなど実働部隊の長たちがちょうど頭を悩ませていたことであった。
「一応対策はしますが」
「っし。んじゃ出動するやつを……」
「口が固いものでお願いします」
「了解。見回り組も呼ぶか」
二人は着々と話をまとめていったが、ローナもルアも置いてけぼりになっているわけではない。二人とも激しく怒っていたのだ。
「ルア……。ナジカ、自分のことを孤児って言ったのか?」
日頃昼行灯のように腑抜けたローナはおどろおどろしい声を発した。自分でもここまで怒るのは久々だが、どうにも許しがたい。家族関係を否定するなら、この一月は一体なんだったのだ?さっさとカイトのところにでも書類を提出しにいけばいいのに、留まったのは。
ローナはもう、見捨てないと決めた。一番は家族の安全。その中に、あの娘は入ってないと思っているのか!
ローナが変わる努力をしているのを察していたルアは、それはもうしっかりと頷いて見せた。
「孤児だから心配する人なんていない。そう言ってたわ」
「そうか」
冷たく声を返し、アイザスを振り返った。
「じゃあおれは場所の特定をしてきます」
「は?……って待てハヴィン!お前は居残りだ!」
既に執務室から出ようと扉に手をかけているローナは、ぴたりと動きを止め、慌てた様子の上司を振り返った。
「……なぜです?」
「お前はまだ新人だろうが!レイソル殿の件もあるのにむやみに動くな!」
おそらくローナ自身へ監視の目が行き届かなくなることを言っているのだろう。ローナの監視を任されたアイザスは、レイソルと親しかったと聞く。ローナよりも事件については恨みを持っているのだろう。
……しかし、ローナにはもはやそんなこと関係がない。
「ナジカはおれの義妹です。おれが行かない理由にはなりません」
「ナジカちゃんは責任もって無事に取り戻す!」
「お言葉ですが」
横から割り込んだルアは、ローナの胸をぽんと叩いて、アイザスに向かい合った。
「犯人たちがどこへ向かったのか、調査から始めるんですよね?」
「あ、ああ」
ルアは激情を押さえ込んでにっこり微笑んだ。
「――ローナなら、そんなことをせずとも一度で場所の特定ができます」
「…………は?」
アイザスはぽかんと口を開けて硬直する。自信満々のルアの顔を見て、なぜか驚いているローナを見る。
「ル、ルア」
「何でここまで来て尻込みするのよ。これまで百発百中だったじゃない。自信持ちなさいよ」
「いや、だって使ったのは一年以上前だぞ?しかもこんな広範囲……」
「あなた今使う気満々だったじゃないの」
うぐ、と言葉につまったヘタレローナは置いておいて、ルアはアイザスに言った。
「その調査にはどれくらい時間がかかります?私が見た路地は人通りが全くありませんでした。放棄された建物がたくさん密集していましたし。目立つ容姿も隠そうとしてるでしょうね。……そうしてまっすぐナジカたちのもとへたどり着く前に、ローナなら見つけることができます」
「なっ……」
アイザスがまたもや唖然とローナを見ると、ローナは眉を下げて困ったような顔をしながらルアの腕を引き、頷いていた。
「どうやって!?」
初めてローナとルアは顔を見合わせた。聞かれるとは思ってなかったらしい。ローナが不安げに呟いた。
「…………勘?」
「確かに不思議よね」
「お前らふざけてんのか!?」
「大真面目です」
「この上もなく」
アイザスが気勢を削がれてがっくり項垂れると、二人は強引に了承の意ととった。
「先に行ってますね」
「あっおい!待て!ルアちゃんも連れてくのかよ!?」
「私が追います。中央門で落ち合いましょう」
アイザスは知らないようだが、ランファロードにはローナの持つ可能性には心当たりがあった。黙って、走る二人の背中を追いかけた。
「ルア、持ってて」
「うん」
中央門の上に無理を言って登らせてもらった三人は、城下町を見下ろしていた。中央街区の片隅、南の方でナジカは誘拐されたのだから、そちらに向いているこの門が一番都合がいいのだった。
門の管理が軍の管轄のところを、ランファロードの一声で許してもらえた。ルアはますます不審そうにランファロードを見ているが、ランファロードは直接聞かれるまでは答えるつもりはなかった。
興味津々にランファロードが見ている目の前で、ローナはアメジストの首飾りを外してルアに手渡した。右に並び立っていたルアは左手で受け取ると、右手でローナの手を繋いだ。
ローナは空いた手でナジカの帽子を口許を隠すようにして持ち、目を閉じた。
――ぞわり。
ランファロードは何かが背筋を這うように感じ、剣の柄に手を伸ばした。
殺気とは似つかぬ、しかし気味が悪い気配に神経を尖らせる。気づけば柔らかい湿った風が吹き抜けていて、さわりさわりと髪や服を揺らしていった。ルアの長い髪がたゆたっているのを見ているうちに、落ち着いてくる。
変な気配はローナから発されていた。
(……これが『あの一族』の力か)
警戒を解いて眺めるが、一応剣から手を離すことはしなかった。ぬるま湯のように浸っているようでいながら、ぴりぴりとしたものも感じるのだ。
(半分の血でも発揮できるものなのだな)
これはあの残虐な王でも生かすだろうなと納得したのだった。
「――いた」
それは五分もかからなかっただろう。ローナが目を開けると、目の前にはこちらをじっと見つめるルアの青い瞳があった。ルアと繋いだ手から徐々に自分の感覚が戻ってくる。
「お疲れさま」
首飾りを返却されたのでまた付け直していると、ふらりとよろけてしまった。ルアに寄りかかるわけにもいかず、その場にしゃがみこんだ。
「うえ……気持ち悪……」
「ローナ!?」
「……力使いすぎた……」
視界が明滅する。頭が揺れているようで、痛みもある。典型的な貧血の症状だった。やはり南に絞ったとはいえ、街という広範囲に、それも長時間使うのは無理があったらしい。長い付き合いのルアも体に負荷がかかる様子を初めて見たものだから、真っ青な顔で慌ててしまう。
今までローナが集中していたのは嗅覚と聴覚。これまでの人生でほとんど使わなかったように、扱いが難しい力だった。下手をすると戻ってこられないのを危険視した母が制限をかけたほどだ。それからは、力を使うときは一人の時には絶対にしないこと、必ず誰かと手を繋いでやることを肝に銘じさせられていた。
こんなに開けっ広げに使ったのは初めてだったから、ローナも考えが浅かったと言わざるをえないだろう。戻ってくるのにものすごく精神力を有した。全然後悔はしてないが。
冷や汗を風が冷ましていくのを感じていると、どくどくとした動悸も治まってきた。
「……よし、行こう」
立ち上がろうとすると、目の前にルアのものではない手が伸ばされていてぎょっとした。
「どこにいた?」
ローナはすっかりランファロードのことを忘れていたのだった。
「み……南の廃墟街です」
「ふむ。とりあえず立ちなさい。下には既に準備を済ませた君の同僚たちが待っているよ」
「へ」
ぐいっと腕を掴まれて、一気に引っ張りあげられた。つんのめったのを、ルアにも助けられた。ローナは母に言われていたことに、もうひとつあったのを思い出した。
『滅多なことじゃ、このエルフィズ以外では使わないこと。他人にあまり晒してはいけないわ』
ローナも学園に通うためにエルフィズを離れてから、その意味を知った。異端なのだ、この力は。幸い、普段の生活には全く必要がないからローナはこれまで忌避の視線にあわずに済んだ。
「あ、の」
「君が『あの一族』の血縁だということはセレノクール殿から報告されている。信憑性については疑わない」
「え?」
ルアも驚いていたが、それよりも。……『あの一族』、とは。
ランファロードはすぐにそれを察した。
(特異能力の認識が薄い……なるほど、これまで埋もれていたのもその自覚のなさと無駄な謙虚さか)
ランファロードは、ローナが日和見主義であることも報告で知っていた。同じ組織の中枢にいるのだから、カイトも情報提供に惜しみなかった。
優しい言い方だが、つまりは拒絶を恐れているということだ。そしてその態度を隠そうとする、いわゆるかっこつけ。
(これほどの能力ならば、悪用しようと思えばいくらでもできるはずだ。思いついた様子ではないのは、やはり負荷がかかることと『異端』という自己認識か)
カイトたちが確認直後に囲い込みを急いだ理由がよくわかった。
「……まあいい。動けないのなら場所だけ詳しく教えてもらおう。どれ程のことがわかった?」
「い、行きます、おれも」
ようやくまともに立てたローナはぶるっと頭を振って、最後の目眩を振り払った。今、一番忘れてはいけないこと。
ローナの怒りはまだ冷めやらない。
「案内します。移動している可能性もありますし、その都度伝えます」
もはや直に会ってお説教コースである。
ナジカとミアーシャは、廃墟ビルの上階の一室に、窓に背を向けて座らされていた。手首足首は縄で縛られ、道中にされていた目隠しはほどかれ、猿轡は噛まされなかった。つまり、ここまで来れば大声をあげても誰も助けには来られないだろうこと――味方は誰もいないということだ。
二人の周囲には男たちが十数人わらわらしている。意外に思うのは、それ以上にそのならず者たちは規模が大きいように見えることだ。部屋からの出入りが激しく、その度に見る顔はばらばらだ。ナジカは目標達成に早速挫けそうになったが、観察は怠らなかった。
すぐに人買いに売られるものなのかと思っていたが、違うらしい。小娘二人にここまで人数が必要なはずがない。ナジカは何度も狙われたことがあったが、実際に誘拐されたのはこれが初めてなので、知らないことが多く、それを知らないままにしてしまうのだった。要因は経験と知識の足りなさである。
しかし、思考がうやむやになってしまうのは、それ以上にナジカが心に傷を負っていることだった。絶体絶命という心境が思い出させるのだろうか……ナジカが全てを失った、あの日のことを。
血溜まりの中に立ち尽くし、呆然と人形のように転がるそれらを見下ろしていた幼いナジカ。目の前に凶刃が迫っていたのに、それにすら反応できず。
……ローナの父、レイソルに出会う前のこと。あれからナジカの時は止まったままだった。
「にしてもこいつら、全然怖がりやしねぇな」
こちらを観察していたのだろう男の一人がそう呟くのが聞こえた。周りも同調している。ふらりと一人二人近寄ってきたので、ミアが隣で身を固くしていた。
「お嬢ちゃんたち、この状況わかってるか?」
目の前にしゃがまれて目を合わせようとしてくるのでうつむいて逸らした。ミアは真っ向から睨んでいるようだ。実にミアらしい。まず縛られて座っているだけなのに気品っぽいものが漂っているから相当なのに、相変わらず大人しくするつもりはないらしい。ミアの持っているはずの武器はまだ気づかれていないようで、取り上げられていない。いつ抜くのかとナジカははらはらしている。
「おら、なんか言えよ」
がしっと、穏やかではない音が聞こえて、はっと横を見た。ミアの頬が男に掴まれていた。しかしミアは悲鳴を上げない。むしろ相手を問答無用で 斬頭台に送り込むような、それはもう凄まじい顔で睨み付けている。
まるで赤い髪も紫の瞳も燃えているような激しい怒りの表情は、男たちをいくらか怯ませたらしい。こわばった顔をしていた。
「ふ、ふんっ。せいぜい強がってろよ」
ミアの顔を掴んだ手を振るようにして離す。それで後ろに倒れ込んだので、お尻で這って近寄った。
「ミア」
「大丈夫だ」
ミアは本当に怖がっていないようだった。男たちの様子を窺いながら、なんとか起き上がろうと苦心している。手足を縛られると体はとたんに扱いづらくなるものだ。ナジカも手助けできず、少しおろおろした。
「ミア、ごめん。あの時逃げてればよかった」
呟くと、ミアも囁き返してきた。
「いい。どのみちお前を置いてけぼりにするつもりなんてなかったんだから」
「……」
ミアを逃がすにはナジカ一人が餌になった方がいいと思っていた。いつの間にそれが見破られていたのだろう。ミアは、濃い紫の瞳を窓の外に見える狭い赤い空に向けた。
「どのみちこんなに時間が経っていれば、私の身内も不在に気づいてるだろう。今にも助けはくる」
「だから、ミアは怖くないんだね」
そこまで信頼しているのは正直羨ましい。
「それもあるけどな。……お前こそ、怖がっていないな。何でだ?」
ミアーシャはしみじみと呟いていた少女をじっと見つめた。ミアーシャが見る限り、表情筋はこの事態にもぴくりとも動いていないし、どこにも怯えの色は見られない。しかし、ふっとその緑の瞳の色が翳った。
「…………別に。私には、あの時以上に怖いことがないから」
「『あの時』?」
「――ボス!客が一人増えたぜぃ!」
急に張り上げられた声に、二人はひそひそ話を中断した。三十人は余裕で入りそうな広い部屋の出入り口に数人が固まっているのが見える。ボスと呼ばれた部屋の中央にいた男は立ち上がって様子を見に行く。
「ちょっと!べたべた触んないでくれる!?」
「何だこいつ」
「この周辺うろうろしてたんで捕まえたんですわ。別嬪だし、売れそうじゃないすか?」
「確かによく見れば……」
「離してって言ってんでしょ!!」
何だか騒がしいな。ミアがそう呟いているのに、ナジカは声を失って返事ができなかった。
「縄持ってこい」
「あんたたちこんなこと絶対に許されないんだから!離しなさいよ!」
「あーはいはい、売られても同じ口が利けるんか?」
……なぜ、ここに。
(逃げたんじゃないの?)
男たちの隙間からよく見慣れた金髪が見えて、ナジカは夢であればいいと願った。心底願った。信じてない神さまにも祈った。
さすがに恐怖が込み上げているのかぴたりと黙った娘が、ナジカとミアーシャの前に姿を現す。金の髪に白いリボン、見慣れたスカートを履いたルアが後ろ手に縛られた状態で周囲を睨み付けていたが、こちらを認めると、ふわりと表情を崩した。
仰天するナジカの顔を見て、してやったりと得意気に笑っている。……そんな顔をしている場合ではないだろうに。
その口が、ぱくぱくと動いた。
――助けに来たわよ。
今しがた囚われた娘はそう言って、一瞬だけにっこりと微笑んだのだった。
「詳細を急いで詰めましょうか」
焦りと困惑をなだめたルアの報告を治安維持機関という本職たち(ランファロードとアイザス。ローナはまだ新人で疎い)がまとめると、こうなった。
誘拐犯は王都に流れてきたばかりで少人数の規模。ナジカともう一人の少女(ランファロードがそう力説した)は目立つ容姿だからこそ誘拐されたと見るべきで、背後に有力者はいないだろうこと。新王の即位に合わせて王都に流れ込む人々に紛れていたのだろう、そういう例はかなり多い。
治安が嫌が応に悪くなるのをどう阻止するかで、副長官たるランファロードや、アイザスなど実働部隊の長たちがちょうど頭を悩ませていたことであった。
「一応対策はしますが」
「っし。んじゃ出動するやつを……」
「口が固いものでお願いします」
「了解。見回り組も呼ぶか」
二人は着々と話をまとめていったが、ローナもルアも置いてけぼりになっているわけではない。二人とも激しく怒っていたのだ。
「ルア……。ナジカ、自分のことを孤児って言ったのか?」
日頃昼行灯のように腑抜けたローナはおどろおどろしい声を発した。自分でもここまで怒るのは久々だが、どうにも許しがたい。家族関係を否定するなら、この一月は一体なんだったのだ?さっさとカイトのところにでも書類を提出しにいけばいいのに、留まったのは。
ローナはもう、見捨てないと決めた。一番は家族の安全。その中に、あの娘は入ってないと思っているのか!
ローナが変わる努力をしているのを察していたルアは、それはもうしっかりと頷いて見せた。
「孤児だから心配する人なんていない。そう言ってたわ」
「そうか」
冷たく声を返し、アイザスを振り返った。
「じゃあおれは場所の特定をしてきます」
「は?……って待てハヴィン!お前は居残りだ!」
既に執務室から出ようと扉に手をかけているローナは、ぴたりと動きを止め、慌てた様子の上司を振り返った。
「……なぜです?」
「お前はまだ新人だろうが!レイソル殿の件もあるのにむやみに動くな!」
おそらくローナ自身へ監視の目が行き届かなくなることを言っているのだろう。ローナの監視を任されたアイザスは、レイソルと親しかったと聞く。ローナよりも事件については恨みを持っているのだろう。
……しかし、ローナにはもはやそんなこと関係がない。
「ナジカはおれの義妹です。おれが行かない理由にはなりません」
「ナジカちゃんは責任もって無事に取り戻す!」
「お言葉ですが」
横から割り込んだルアは、ローナの胸をぽんと叩いて、アイザスに向かい合った。
「犯人たちがどこへ向かったのか、調査から始めるんですよね?」
「あ、ああ」
ルアは激情を押さえ込んでにっこり微笑んだ。
「――ローナなら、そんなことをせずとも一度で場所の特定ができます」
「…………は?」
アイザスはぽかんと口を開けて硬直する。自信満々のルアの顔を見て、なぜか驚いているローナを見る。
「ル、ルア」
「何でここまで来て尻込みするのよ。これまで百発百中だったじゃない。自信持ちなさいよ」
「いや、だって使ったのは一年以上前だぞ?しかもこんな広範囲……」
「あなた今使う気満々だったじゃないの」
うぐ、と言葉につまったヘタレローナは置いておいて、ルアはアイザスに言った。
「その調査にはどれくらい時間がかかります?私が見た路地は人通りが全くありませんでした。放棄された建物がたくさん密集していましたし。目立つ容姿も隠そうとしてるでしょうね。……そうしてまっすぐナジカたちのもとへたどり着く前に、ローナなら見つけることができます」
「なっ……」
アイザスがまたもや唖然とローナを見ると、ローナは眉を下げて困ったような顔をしながらルアの腕を引き、頷いていた。
「どうやって!?」
初めてローナとルアは顔を見合わせた。聞かれるとは思ってなかったらしい。ローナが不安げに呟いた。
「…………勘?」
「確かに不思議よね」
「お前らふざけてんのか!?」
「大真面目です」
「この上もなく」
アイザスが気勢を削がれてがっくり項垂れると、二人は強引に了承の意ととった。
「先に行ってますね」
「あっおい!待て!ルアちゃんも連れてくのかよ!?」
「私が追います。中央門で落ち合いましょう」
アイザスは知らないようだが、ランファロードにはローナの持つ可能性には心当たりがあった。黙って、走る二人の背中を追いかけた。
「ルア、持ってて」
「うん」
中央門の上に無理を言って登らせてもらった三人は、城下町を見下ろしていた。中央街区の片隅、南の方でナジカは誘拐されたのだから、そちらに向いているこの門が一番都合がいいのだった。
門の管理が軍の管轄のところを、ランファロードの一声で許してもらえた。ルアはますます不審そうにランファロードを見ているが、ランファロードは直接聞かれるまでは答えるつもりはなかった。
興味津々にランファロードが見ている目の前で、ローナはアメジストの首飾りを外してルアに手渡した。右に並び立っていたルアは左手で受け取ると、右手でローナの手を繋いだ。
ローナは空いた手でナジカの帽子を口許を隠すようにして持ち、目を閉じた。
――ぞわり。
ランファロードは何かが背筋を這うように感じ、剣の柄に手を伸ばした。
殺気とは似つかぬ、しかし気味が悪い気配に神経を尖らせる。気づけば柔らかい湿った風が吹き抜けていて、さわりさわりと髪や服を揺らしていった。ルアの長い髪がたゆたっているのを見ているうちに、落ち着いてくる。
変な気配はローナから発されていた。
(……これが『あの一族』の力か)
警戒を解いて眺めるが、一応剣から手を離すことはしなかった。ぬるま湯のように浸っているようでいながら、ぴりぴりとしたものも感じるのだ。
(半分の血でも発揮できるものなのだな)
これはあの残虐な王でも生かすだろうなと納得したのだった。
「――いた」
それは五分もかからなかっただろう。ローナが目を開けると、目の前にはこちらをじっと見つめるルアの青い瞳があった。ルアと繋いだ手から徐々に自分の感覚が戻ってくる。
「お疲れさま」
首飾りを返却されたのでまた付け直していると、ふらりとよろけてしまった。ルアに寄りかかるわけにもいかず、その場にしゃがみこんだ。
「うえ……気持ち悪……」
「ローナ!?」
「……力使いすぎた……」
視界が明滅する。頭が揺れているようで、痛みもある。典型的な貧血の症状だった。やはり南に絞ったとはいえ、街という広範囲に、それも長時間使うのは無理があったらしい。長い付き合いのルアも体に負荷がかかる様子を初めて見たものだから、真っ青な顔で慌ててしまう。
今までローナが集中していたのは嗅覚と聴覚。これまでの人生でほとんど使わなかったように、扱いが難しい力だった。下手をすると戻ってこられないのを危険視した母が制限をかけたほどだ。それからは、力を使うときは一人の時には絶対にしないこと、必ず誰かと手を繋いでやることを肝に銘じさせられていた。
こんなに開けっ広げに使ったのは初めてだったから、ローナも考えが浅かったと言わざるをえないだろう。戻ってくるのにものすごく精神力を有した。全然後悔はしてないが。
冷や汗を風が冷ましていくのを感じていると、どくどくとした動悸も治まってきた。
「……よし、行こう」
立ち上がろうとすると、目の前にルアのものではない手が伸ばされていてぎょっとした。
「どこにいた?」
ローナはすっかりランファロードのことを忘れていたのだった。
「み……南の廃墟街です」
「ふむ。とりあえず立ちなさい。下には既に準備を済ませた君の同僚たちが待っているよ」
「へ」
ぐいっと腕を掴まれて、一気に引っ張りあげられた。つんのめったのを、ルアにも助けられた。ローナは母に言われていたことに、もうひとつあったのを思い出した。
『滅多なことじゃ、このエルフィズ以外では使わないこと。他人にあまり晒してはいけないわ』
ローナも学園に通うためにエルフィズを離れてから、その意味を知った。異端なのだ、この力は。幸い、普段の生活には全く必要がないからローナはこれまで忌避の視線にあわずに済んだ。
「あ、の」
「君が『あの一族』の血縁だということはセレノクール殿から報告されている。信憑性については疑わない」
「え?」
ルアも驚いていたが、それよりも。……『あの一族』、とは。
ランファロードはすぐにそれを察した。
(特異能力の認識が薄い……なるほど、これまで埋もれていたのもその自覚のなさと無駄な謙虚さか)
ランファロードは、ローナが日和見主義であることも報告で知っていた。同じ組織の中枢にいるのだから、カイトも情報提供に惜しみなかった。
優しい言い方だが、つまりは拒絶を恐れているということだ。そしてその態度を隠そうとする、いわゆるかっこつけ。
(これほどの能力ならば、悪用しようと思えばいくらでもできるはずだ。思いついた様子ではないのは、やはり負荷がかかることと『異端』という自己認識か)
カイトたちが確認直後に囲い込みを急いだ理由がよくわかった。
「……まあいい。動けないのなら場所だけ詳しく教えてもらおう。どれ程のことがわかった?」
「い、行きます、おれも」
ようやくまともに立てたローナはぶるっと頭を振って、最後の目眩を振り払った。今、一番忘れてはいけないこと。
ローナの怒りはまだ冷めやらない。
「案内します。移動している可能性もありますし、その都度伝えます」
もはや直に会ってお説教コースである。
ナジカとミアーシャは、廃墟ビルの上階の一室に、窓に背を向けて座らされていた。手首足首は縄で縛られ、道中にされていた目隠しはほどかれ、猿轡は噛まされなかった。つまり、ここまで来れば大声をあげても誰も助けには来られないだろうこと――味方は誰もいないということだ。
二人の周囲には男たちが十数人わらわらしている。意外に思うのは、それ以上にそのならず者たちは規模が大きいように見えることだ。部屋からの出入りが激しく、その度に見る顔はばらばらだ。ナジカは目標達成に早速挫けそうになったが、観察は怠らなかった。
すぐに人買いに売られるものなのかと思っていたが、違うらしい。小娘二人にここまで人数が必要なはずがない。ナジカは何度も狙われたことがあったが、実際に誘拐されたのはこれが初めてなので、知らないことが多く、それを知らないままにしてしまうのだった。要因は経験と知識の足りなさである。
しかし、思考がうやむやになってしまうのは、それ以上にナジカが心に傷を負っていることだった。絶体絶命という心境が思い出させるのだろうか……ナジカが全てを失った、あの日のことを。
血溜まりの中に立ち尽くし、呆然と人形のように転がるそれらを見下ろしていた幼いナジカ。目の前に凶刃が迫っていたのに、それにすら反応できず。
……ローナの父、レイソルに出会う前のこと。あれからナジカの時は止まったままだった。
「にしてもこいつら、全然怖がりやしねぇな」
こちらを観察していたのだろう男の一人がそう呟くのが聞こえた。周りも同調している。ふらりと一人二人近寄ってきたので、ミアが隣で身を固くしていた。
「お嬢ちゃんたち、この状況わかってるか?」
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「おら、なんか言えよ」
がしっと、穏やかではない音が聞こえて、はっと横を見た。ミアの頬が男に掴まれていた。しかしミアは悲鳴を上げない。むしろ相手を問答無用で 斬頭台に送り込むような、それはもう凄まじい顔で睨み付けている。
まるで赤い髪も紫の瞳も燃えているような激しい怒りの表情は、男たちをいくらか怯ませたらしい。こわばった顔をしていた。
「ふ、ふんっ。せいぜい強がってろよ」
ミアの顔を掴んだ手を振るようにして離す。それで後ろに倒れ込んだので、お尻で這って近寄った。
「ミア」
「大丈夫だ」
ミアは本当に怖がっていないようだった。男たちの様子を窺いながら、なんとか起き上がろうと苦心している。手足を縛られると体はとたんに扱いづらくなるものだ。ナジカも手助けできず、少しおろおろした。
「ミア、ごめん。あの時逃げてればよかった」
呟くと、ミアも囁き返してきた。
「いい。どのみちお前を置いてけぼりにするつもりなんてなかったんだから」
「……」
ミアを逃がすにはナジカ一人が餌になった方がいいと思っていた。いつの間にそれが見破られていたのだろう。ミアは、濃い紫の瞳を窓の外に見える狭い赤い空に向けた。
「どのみちこんなに時間が経っていれば、私の身内も不在に気づいてるだろう。今にも助けはくる」
「だから、ミアは怖くないんだね」
そこまで信頼しているのは正直羨ましい。
「それもあるけどな。……お前こそ、怖がっていないな。何でだ?」
ミアーシャはしみじみと呟いていた少女をじっと見つめた。ミアーシャが見る限り、表情筋はこの事態にもぴくりとも動いていないし、どこにも怯えの色は見られない。しかし、ふっとその緑の瞳の色が翳った。
「…………別に。私には、あの時以上に怖いことがないから」
「『あの時』?」
「――ボス!客が一人増えたぜぃ!」
急に張り上げられた声に、二人はひそひそ話を中断した。三十人は余裕で入りそうな広い部屋の出入り口に数人が固まっているのが見える。ボスと呼ばれた部屋の中央にいた男は立ち上がって様子を見に行く。
「ちょっと!べたべた触んないでくれる!?」
「何だこいつ」
「この周辺うろうろしてたんで捕まえたんですわ。別嬪だし、売れそうじゃないすか?」
「確かによく見れば……」
「離してって言ってんでしょ!!」
何だか騒がしいな。ミアがそう呟いているのに、ナジカは声を失って返事ができなかった。
「縄持ってこい」
「あんたたちこんなこと絶対に許されないんだから!離しなさいよ!」
「あーはいはい、売られても同じ口が利けるんか?」
……なぜ、ここに。
(逃げたんじゃないの?)
男たちの隙間からよく見慣れた金髪が見えて、ナジカは夢であればいいと願った。心底願った。信じてない神さまにも祈った。
さすがに恐怖が込み上げているのかぴたりと黙った娘が、ナジカとミアーシャの前に姿を現す。金の髪に白いリボン、見慣れたスカートを履いたルアが後ろ手に縛られた状態で周囲を睨み付けていたが、こちらを認めると、ふわりと表情を崩した。
仰天するナジカの顔を見て、してやったりと得意気に笑っている。……そんな顔をしている場合ではないだろうに。
その口が、ぱくぱくと動いた。
――助けに来たわよ。
今しがた囚われた娘はそう言って、一瞬だけにっこりと微笑んだのだった。
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