少年の行く先は

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第一部

0ー5

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 当たり前だが、カイトたちの言ったことは決定事項だった。当主だったというのに葬式は上げられない。ハヴィン家は家も財産も全てを失い、使用人たちは離散する他なく、跡取り息子は国の監視がつく。知らない間に定まった未来は、誰にも覆しようがなかった。

 ローナのことだから、今にもこのエルフィズに帰還を果たそうとしているだろう。それでも、ルアもベスタもユエも、その間遺体を埋葬せず、失意に落ちたハヴィン家で暮らすことなどできなかった。

「そうだ……クラウスさまに知らせないと……」

 カイトたちが呼んだ墓掘りとベスタがせっせと墓を掘っているのをハヴィン家の一室からユエと共に見守っていたルアが、ぽつりと呟いた。同室していたカイトたちはその言葉に反応する。
「手紙ならこちらで預かろう。――セナ」
「そうだね、わかったよ。帰るついでだし」
 クラウスこそ、王都でこれからローナがお世話になるはずだったローナの伯父だ。ハヴィンではなく母方の人間で、王城で法務機関ルーリィに勤めている。
 国の使いを飛脚扱いしていいものなのかとユエが恐れおののく一方で、ルアは席を外し、紙と万年筆、封筒と糊を持ってきた。
「この場で書けば、後で開封する手間が省けますよね」
 内心で舌を巻いたカイトたちである。
 手紙を当事者以外が勝手に読むことは重大なマナー違反である。それは誰もが知っている常識だからユエはきょとんとした顔でルアが紙に筆を走らせているのを見ていたが、淡々と事情を書き連ねるルアは、例外を知っているようだった。己の立場を弁えていると言ってもいい。
 手紙が検閲されるのを知って、疚しいことはないと見せつけるように目の前で書いているのだった。
「……ずいぶんと肝が据わってるね?」
「昔、旦那さまに教えられたので」
『ローナはどうせクラウスさまに知らせることも忘れてるだろうから、できるだけお急ぎでエルフィズまでお越し下さい』
 少し噛み合ってない返答のあとルアはそう手紙を締めくくっててきぱきと後処理をし、そのままセナトに渡した。少し呆気にとられていたセナトが受け取ると、
「これってセナトさまが帰るついでに渡すだけであって、料金って発生しませんよね?」
 これまた真剣な顔でルアが言うものだから、さしものカイトたちも絶句したのだった。













 セナトは王都に帰還し、カイトは王都とエルフィズの間にある街で一泊し(何しろエルフィズは村ばかりで、カイトのような上流貴族の住める宿などなかった)、ナジカを連れたケイトと合流してから、ローナがしっかり帰還を果たしたのを確認して、また訪ねてきたらしい。
 ハヴィン本宅をかつてない衝撃が襲った話を家に戻りながらルアから聞いたローナは、落ち込んだりする暇もなく、応接室で再びカイトとケイトと向かい合うことになった。ちなみにローナはまだ旅装だったが、咎めるものは誰もいなかった。
 ローナ以外のハヴィンの三人は、ナジカと一緒にいてもらっている。

「それで、あの少女の件だが」
 長居するつもりはないとお茶も断ったので、三人には間を保たせる小道具などない。ローナはつい三日前に怒られたのがあって尻の座りが悪かったが、せいぜい情けない顔はしないように努めることにした。
「彼女を保護する権利は、第一に君の有するものになっている、ということはわかっているね?」
 父レイソルが養女にしたということは、ハヴィン家が保護するも同然のことなのだ。その当主が死亡した以上、跡取りであるローナに、むしろ権利よりも保護の義務が発生する。――たとえ、これまで、その存在に気づかなかったとしても。
 頷いたローナにカイトはぴたりと目を合わせた。
「彼女はレイソル殿の殺害に全く関与していない。そこは確認がとれているから心配はいらない。……だが、今の君に彼女を引き取る余裕はある?」
 ここであるとはっきり言えるわけがない。カイトが本当に言いたいことを察して、首を横に振った。
「ありません。一人で生きていくにも厳しいでしょうね」
 功績を残せば家を再興することも可能だが、ローナはその話を聞いてから遮二無二エルフィズに帰省してきたので、打開策など一つも考えついていない。
 自分で言っていて、ローナは本当に貴族の身分を捨てることまで検討しはじめたが、この数日で怒りを通り越して呆れる境地まで辿り着いていたカイトは苦笑した。
「……ローナ殿。この間の話を覚えてないのか?軍ではなく我々が赴いたのは、君を犯罪者に荷担したとして投獄するためではない。君は使えるんだよ」
「……はっきり言いますね」
 今度はローナが苦笑する番だった。頭を冷やす暇があったから、その言葉に怒らずにも傲らずにもいる。使える、というのはローナの才能を認めた言葉ではなく、あくまで利用価値しかないといっているようなものだ。牢に繋ぐよりも、泳がせていた方がいいと、そういうこと。
「まあ、そこでだ」
 多少口を滑らせた自覚があるためさっと目をそらしたカイトが、一枚の紙を取り出してきた。またもや既視感を感じそわっとしたローナではあるが、なんとかこらえた。
「これは?」
「養子縁組を解消するための証文だな。君の署名が欲しい」
 ある程度読めていた提案だが、書類まで用意されているとは考えておらず、しばらくカイトとケイトの顔を比べたローナだった。
「……それは」
「今回の訪問は、ハルジアとしてより、個人的なものととらえて欲しい。カイト・セレノクールとして、君に提案する。あの娘を――ナジカを、我が家にて養育させたい。君にも不都合はないと思うが、どうかな?」
 ローナは、家名を出してまでに提案されているが、これって逆らう余地があるのかと内心で首をかしげ、ひとまず気になることを聞いてみた。
「セレノクール家の養女にという話ですか?」
「それも視野に入れているが、君も見たように、あの娘の容姿は非常によく目立つ」
 曇りない白銀の髪に、葉桜のごとき緑瞳。反論の余地なく頷くローナに、ここが重要だとばかりにカイトが力強く言った。
「彼女はレイソル殿に引き取られるまで、都の郊外の孤児院で暮らしていたが、その時から人買いの危険に晒されていた。彼女には明確かつ強固な後ろ盾が必要になる」
 ごもっともなのでローナは再び頷く。ナジカの将来を考えるならば、野放しにすることもローナのもとに預けておくこともいいこととは思えない。これまでハヴィン家で匿えたのは、弱小であろうとも貴族という国に保証されていた身分であり、なおかつ彼女が都の別邸から外に出たことがなかったかららしい。はっきり言われてローナは乾いた笑いしか浮かべられない。
(……つっても、どうして親父はそんなことを?)
 小児性愛者じゃない……とは思いたい。れっきとした犯罪だし。
「あの、一体どうしてナジカは父の養子になったんでしょうか」
「……本来ならお前も知っているべきことだろう」
 初めて口を挟んだケイトの言葉に首をすくめた。
 確かにそうなのだ。知らない間に勝手に家族が増えていたのに、父は誰にも知らせなかった。別邸はその以前から所有していたらしいが、ローナは全く知らなかった。……知ろうとしなかった。今になってようやく、自分が重大な失態を冒していることに気づいたのだった。大切なものが全て失われようとしている、今になって。
(――遅すぎる)
 自嘲の笑みがこぼれてしまった。
 反論をしようとしないローナを見て、ケイトは多少はましになったな、とほんのちょっとだけ評価を上方修正した。ミリ単位の上昇幅であるが。
「……彼女は以前、『エーラの家』にいた。これだけ言えば通じることとは思う」
「エーラ……?……って、あの!?」
 記憶からどうにか掘り起こしたが、そこまで埋もれていたわけではない。それこそ、一年前に都で大々的に名が広まっている。
 ――孤児院『エーラの家』。そこは別に有名でもなければ大きな施設でもなかった。私設のためそれなりに貧しく、保護している子どもも十人ほどだった。それが都中を席巻するほど名を広めたのはなぜか。
「……たしか、生き残りはいないって」
「公的にはそうだ。けれど、彼女は生き残った。……たった一人」
 孤児院の皆殺し。実行したのはヘーゼルという、国内でも名を知らしめている盗賊集団。十何年も前から名を残し、闇に根深く、首魁を仕留めるには至っていないため援助者がいるとも言われているが、国が潰せられてないことがその盗賊団の規模を物語っている。侯爵位の大貴族を一族滅亡させたのを最後に五年ほど鳴りを潜めていたが、去年、再び表に現れた。……とても残虐な方法で。
 新聞では、五体満足な遺体はなかったという。手足を切り落とされ、胴体を殴られ、骨が折られ、拷問の痕も残されていたそうだ。女児に関してはよりひどい。明らかに道具として扱われた痕跡があり、都中を心胆を寒からしめた。魔の再来だとも言われ、一時厳戒体制が敷かれたほどだ。
「……よく、生きてましたね」
 その仕事が無差別であるため――ましてや大貴族を滅ぼすほどだ、誰もが恐怖するその死神の魔の手。
 あの少女はどうして生き延びたのだろうか。
「軍が勘づいて向かったときには既に惨状だったと聞く。虫の息だった彼女を、当時一緒に駆けつけたティリベルの警察部署にいたレイソル殿が保護したんだ」
 そうして養子としてハヴィン家の戸籍に名を連ね、万が一の危険のために誰にも知らせず、本人を外にも出さず匿っていたらしい。
 予想以上に重たい話にごくりとローナの喉が鳴った。あの少女は失い続けたのだ。何度も何度も。
 あの心を置き去りにした無表情も納得がいく。……よくぞ、正気を保っていられる。
「その点でも彼女の周囲は危険だ。幸い私の家ならば姉の庇護もあるし、次期王妃の侍女として登城させる手段もある。城ならおいそれと手を出せるものではないからね」
 呆然とするローナを畳み掛けるように、カイトはさらりと言う。
「君の父上も自殺と言うよりは他殺に近い。毒杯を仰いだのはレイソル殿だが、追い詰めた人間がいる。ここ一年、君たちよりも彼女の方がレイソル殿のそばにいた以上、彼女は辛うじて安全だったと捉えるべきだろう。――どうだろうか」
 カイトは、テーブルに置いた紙をとん、と叩いた。示されたのは、署名のため空白になっていた欄――。


「彼女のためにも、君のためにも。この提案の意味をしっかり考えてみて欲しいんだ」

 ローナはじっと書面を見つめ、しばらくして懐の携帯用の文箱から、万年筆を取り出した。  
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