どーでもいいからさっさと勘当して

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ニコラス・マグワイア・下

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 汗でしっとりと濡れた赤毛と真反対の、蒼白に色を落とす肌がまず目についた。
 寄せられた強気な眉、ひたりと瞬きもせずまっすぐにニコラスを見つめる青い瞳、一文字に引き結ばれた唇。抑えきれない荒い呼吸で上下する肩を無理やり押し止めようとして。
 そして強張る肩から上とは反対に、手首の辺りは力を意図的に緩めて、足腰にもそれとなく矯めを作っている。

 端的に言ってどストライク。
 いつかの酒飲み話で女性の好みについてフレデリックやエルドたちと語り合った時「そんな女いねーよ」と全員に一斉に真顔で返されたニコラスの、好みのど真ん中、大的中。

(え、ほら見ろって言いたい。いるじゃん!ここに!)

 むやみに敵意を持つほど鈍くはなく、かといって恐怖で平静を失うほど軟ではなく。その怯懦を、逃げそうになる足を意地でもその場に繋ぎ止めつつ、敵愾心を完全には手放さず、格上相手にも隙を探る不屈の度胸。
 いるじゃん!とニコラスはまた叫んだ。内心で。
 警戒の仕草から案の定というか、やっぱりここに突入するまでに最悪の事態を想定していたのか、仕込みナイフを持っていたことに、また背筋が痺れそうなほどの快感が襲った。
 憎しみに呑まれ怒りに揺れ惑おうと、最後の最後、本当の最悪にまで絶対に袖口に収めておくと決めていただろうその自制心は、きっとどんな剣よりも剛強だ。
 それをためらいなくニコラスに振り切ったのが三回目、四回目は頭突きからの流れるような制圧のとき。
 もし腕の関節まで決められていたら、その時点でもう片腕の仕込みのナイフで首を掻き切られていた。あれはそういう動きだった。

(いるじゃんーーー!!)

 殺されかけたにも関わらず(むしろ加点ポイント)、ニコラス大興奮。

 鳥肌どころじゃなく手を打って大喜び。ここまでニコラスの好みに当てはまってくれてもいいものなのだろうか。幸運すぎて今日死ぬかもしれない。死なないけど。

 ちなみにニコラスが性癖暴露したとき、フレデリックは「育て方を間違えたか……!」と頭を抱えたし、側近仲間は「生まれたときから手遅れだったのでは」とそれを慰めていた。麗しき主従愛。ニコラス除外。


「でもなあ。さすがに毛並みが違いすぎる。本家の直系なのは間違いなかったはずだけど」

 頭突きを食らってじんじん痛む鼻をこすりこすり王城に入り込み、さくさくと後片付けをしていく。
 エルドが日にちを整え、その日に決行するとのはニコラスだったので、口封じだって最初からする相手を決めていればなんら手を煩わされることもない。
 ついでで拘留中の絶氷のところにも顔を出したら、どう抜け出したのか、従者しかいなかった。そしていきなり首めがけての刺突。素性を即答できなかったからとはいえ、初対面の王城関係者に殺意高すぎてめちゃくちゃ笑った。

「『妹さんおれにください!』ってやつ、人生で一度はやってみたいよね」
「お前はそのためだけにわざわざ余計な轍を踏みに行ったのか」

 こいつ救いようがないな、とエルドが首を振るので、ニコラスとしては断固として抗議する所存である。

「あのね、本当にいたんだよ。おれの理想!」
「白昼夢でも見たんだろう」
「ひっどい!」
「それで、本当のところは」
「長女の腕が立つのはわかったけど、どうやって身につけたのかと思って」
「……そもそも、上と下は知っているのか?」

 エルドとしてはニコラスの超絶好みが出現したことが信じられないのに加え、そもそも一人の娘が短剣のような棒一本で男たちを倒しきったことから現実味を感じられない様子だった。けれど、ニコラスがどれだけ軽口を叩こうとも嘘の報告はしないとわかっているから、そのまま事実として飲み込もうとしている。やっぱりエルドは真面目だなと思いながら頷いた。

「二人とも知ってると思うよ」

 小屋から出てきたとき、大輪は周囲に人々が倒れ伏す光景を目にしてもなんら動揺はしていなかったし、長女に怯えるでなく身を擦り寄せていた。絶氷とて知らないわけがない。長女のあの技倆はまずもって間違いなく、絶氷が侯爵家当主となった時に遺憾なく発揮されるべきものだったのだから。

「あれは領地の騎士団じゃないね。型として完全に当てはまらない。絶氷の従者の方は派生形ぽいけど、それともそぐわない。殺意満々だったのは同じだけど、剣がメインな使い方だったし」
「私にはわからない分野だ」
「だろうね。あと思い当たるのは一つしかないんだけど、さすがにもう確認のしようはないなあ」
「……あとの一つとは?」
「うーん」

 珍しくもニコラスは思い悩むように言い淀んだ。なにせ勘だ。途中経過ならともかく、最終報告の段階で根拠も示せない推測を並べるのは好きじゃない。だがさらに試そうにも時間切れの期限切れ。エルドがそんなニコラスを訝しげに見つめている。

「言えないのか?」
「っていうか言いたくないね。あるとしたら、『落星』がスートライト領にいた時かなあ。動向洗い直すべきだけどもう手を引くし、確認作業は実質無理」

 惚れた女を庇うつもりかと言いかけていたエルドの口角が、ひくっと引きつった。ニコラスのそれはもうほとんど答えだ。

「……『落星』の師事を受けただと!?」
「ね?ありえないでしょ?明確な証拠ほしいでしょ?でないと殿下に報告奏上できないよ。せめて絶氷といた時にもっとしつこく絡めばよかったけど、無理すればこっちが斬られたし」

『落星』の剣は故国のそのままではなく、傭兵として各地を渡り歩いている間に様々な型の要素が一つに練り上げられて完成されたものだ。どれかに当てはめようとしても適合するものはないほどに変質していて、もはや我流も同然だ。
 ヒルダの動きも、あれだけじっくり観察したのに源流を辿れなかったのは同じ。

「ねー報告どうしよう?」
「あくまでも推測だと申し上げるしかなかろう。だが、本当に領地のものとは違うのか?」
「それはほんと。だってさあ、この時代にまっとうに教育された騎士がさ、相手の剣踏んづける?できっこないよそんなこと。技術的にもそうだし、そもそもやろうとさえ思わない」
「騎士がやることではないな。だがお前はできるし、やるのでは?」
「おれだったら踏んで埋めるより踏んで折るなあ」
「……折れるのか?」
「折れる折れる。意外にポッキンってできるよ。やってみせようか」
「やめろ。鉄を折るなど……マグワイアの名を持つ者ゆえか」
「さあ?ご先祖さまには百尋の崖から落ちて五体満足だとか言ってたのいたから、まあ何かしらあるんじゃない。アルデルド・マルケスの竜討伐にもちゃっかり参戦したらしいし」

 自分の先祖のことなのに全く信じてない口ぶりになるのはいつものことだった。自分もマグワイアの名を持つなりに心当たりはあるのだが、先祖アレらより遥かにマシだと思ってる。
 不死兵マグワイアは、家名ではなく族名でもなく、始祖から脈々と受け継がれてゆく血縁から発現する先祖返りの者に与えられる称号だ。貴族に交わり市井に埋没して無数に広がる血筋から、ある日突如くっきりと浮き上がる。
 田舎の小僧がたった数年の修行で宰相の後見を得て城に出入りできるようになるほどの潜在能力だ。お陰で貴族間でも庶民の間でも、始祖のニコラスという名は名付けに安定的な人気がある。貴族では特に中位から下位の間だが。

「ニコラス・マグワイアってさ。忠義心爆発させて人外になったようなもんだから」

 貴族が名付けを憚る理由はズバリこれだ。忠義心は時として野心と対立するし、大家を背負うとすれば、誰かの下についてこそ発揮される力にあやかろうなど、体面が悪いにも程がある。

「そんな簡単になれるようなものじゃないでしょう」
「なっちゃったんだから仕方ないよね」

 ギルシュバルの駒遊び中、対面に座るヒルダは真剣に戦略を練って駒を進めるが、ニコラスは行き当たりばったりで応じている。ヒルダはまさか、自分が熟考している目の前で暇つぶしに駒を縦に積んで遊んでいるニコラスが、ルーデルの伝説的英雄「ニコラス・マグワイア」だとは思いもしていないようだ。それなりに勘の鋭い娘だが、我がことを完全な他人のように突き放して語るニコラスの機微を悟ることは不可能だ。ニコラスは、先祖を嫌悪まではしていないが、心底から自分は先祖とは全く別物だと思っているので器用に乖離させているし、ヒルダを騙しているという認識もない。
 そもそも惚れた女を騙すのは趣味じゃない。あまりにもヒルダがニコラスの好みどハマリな対応ばかりしてくるので遊んではしまうけれども。

 つい先日ニコラスを殺そうとナイフを握った細く長い指が動いて、ことりと駒を進め、離れてゆく。その様子を視界の隅でずっと追ってしまう。にやけは全力で抑えていく所存。

(あーもー、可愛いなあ)

 相変わらず警戒しているようでいて隙だらけだ。とはさすがに今は言わない。遊びに付き合ってくれる範囲で遊ばないと。
 自分が好きな人の泣き顔に弱いのは今夜初めて知った。自分が思いっきり泣かせたいと思ってたはずだし、今も思ってる。でもそれに勝るほど強く衝動的に、泣かせたくないとも思った。
 泣き縋る体を抱きしめた夕闇の時間、ヒルダの苦痛も悲哀もニコラスの手にはなく、ヒルダは身を縮めて全部を抱え込んでいた。それがものすごく気に入らなかった。

(意地でも一人で泣くんだもん)

 ニコラスは頬杖をついて適当に自陣の駒を運んでヒルダの駒を一つ倒した。むっと寄った眉間の皺さえ可愛い。けど今つついてはいけない。というかもう今夜はヒルダに一瞬も触ったらいけない。「遊び」が終わってしまう。そうでなくても、夜が明けたら強制的に終わるけど。

「家門を興したわけではないの?それだけのことをしているなら埋没してはいないでしょう。マグワイアなんて聞き覚えがないわ」
「だって継承させるものないし。言ったでしょ、忠義心爆発させたって」
「……まさか財産まで全部尽くしたってこと?」
「血筋でも家名でもなく、たった一人にのみに尽くす忠誠だよ。後も先も考えない。功名心さえないし。相当使い勝手よかったと思うよ」
「あなたの国の英雄でしょう」
「どこの国もそんなもんでしょ?尊崇なんて聞こえはいいけど、つまり同等の人間扱いはしないってことだ。人間って人間以外を下に見るよね。神さまにだって、なぜ助けてくれないんだとか平然と嘆くし」
「……そうね」

 どこぞの兄妹のようにとは言わずとも伝わったようだ。ヒルダは苦い顔で引き下がったが、駒遊びを続行する気分ではなくなったらしい。無言でニコラスを見つめてくる。
 ニコラスはヒルダが共感できるくらいのことを言った自覚はあったので、同じように無言で微笑んだ。
 ヒルダにとっての兄妹が、ニコラスにとってのフレデリックというわけではないけれど。

「どうする?飽きたなら他のゲームにする?あ、うちの国のカードゲーム知ってる?やったことある?」
「カードを見たこともないわ」
「じゃあ教えてあげる」

 話の傍で安定していた駒のタワーを無造作に崩した。ちらりとヒルダが物惜しげに視線を動かしたのに気づいたので、邪魔にならない位置にまた積み上げておいて、テーブルの中心にはカードを一枚一枚広げてみせた。

「じゃ、絵柄の説明からね。ゲームは簡単なやつにするから最初はざっくり把握するんでいいよ。やってると覚えてくる」

 フレデリックとその側近仲間たちとのゲームだと必ず賭けをするニコラスは、ヒルダと純粋にゲームをして遊びながら夜明けを待った。
 日が昇って街が白々と明けてゆき、人々が動き出す時間、ヒルダは身なりを変えて出ていった。
 その変装の堂に入った様子と来たら。
 本当に、会うたびに色々驚かせてくれる娘だ。

「またね、ディア」

 ニコラスが半日かけて手に入れた娘の一欠片。その形を丁寧になぞって、ゲームの駒と一緒に片付けた。


 















 簡素な机と椅子、鎧窓はぴったり閉じていて、灯りも最低限の室内は仄暗い。椅子の一つに座っているニコラスは、呑気に鼻歌を歌っていた。
 男爵家に侵入した上に、以前の王城侵入も指摘されたわりに、拘束されることもなければ監視に同室する者もいなかった。ただし部屋の外には警備する兵士の気配があるが。
 簡素ながら小ぎれいな衣服は城についてから用意された。元の服にはヒルダのドレスに染みていた返り血がついていて、着替えをと渡されたのだ。その場で着替えさせたのは武装の有無を確認する意図があったんだろうけど、ニコラスは素直に全ての武器を手放して、丸腰で待機中だ。
 いつもの暇潰しはしようもないので、微睡むように目を伏せて今日という日の再会を思い返す。あれだけの殺気をぶつけられ激しく動き回ったのに、妙に興奮は冷めていた。膝の上に投げ出した手のひらに、まだ彼女の温もりが残ってる。潤みながら冷徹に閃く眼差しも、血に紛れた彼女の持つ淡い匂いも、瞼の裏側に鮮やかに思い描ける。
 回避一方とはいえ「落星」との接近戦を経験できたのもよかった。おかげで色々ためになったし、ヒルダの武術の師は間違いなく彼らだと確信は得た。それは型の確認だけでなく。

(全部壊して更地にする、ね)

 ふっふと鼻歌の調子が外れてしまった。一国を滅ぼした「落星」に、単身領主を討ちに行くと宣言したヒルダ。まさにあの師にしてこの弟子あり、だ。高位貴族家のご令嬢に生まれたことから間違いなあの気性。だが、あの家に――あの兄妹の間に生まれからこそ身につけた技倆、花開いた才覚だった。世の中ままならない。

(今ごろどーしてるかなぁ。さすがに夜明けを待っての出立かな?今さら行かないはないでしょ)

 ニコラスならこの場から脱走して彼女を見送るなり、こっそりついていくなり、そのまま連れ去らうなりは簡単だ。わざと警備も緩くしてあるっぽいし。
 そこにある思惑に興味はない。
 ニコラスを駒として動かそうというのは王家か公爵家か、彼らと敵対する何者か。これを調べるのはニコラスの仕事じゃないのだ。

「ん、来た」

 ぱちりと目を開けて、背もたれに預けていた体を前に倒す。
 聞こえてくる靴音は何人分も重なっている。それらがニコラスの部屋の前で止まり、ニコラスへ訪いを告げるもなくすぐに扉が開かれた。

「やっほーエルド、お疲れさま」

 ひらひら手を振ったら相手は安定のしかめっ面になった。背後に案内役の兵士を置いているエルドは、今夜のパーティーに外交官の補佐役として参列した上に、その支度やら後片付けやらで裏方にも仕事があったはずだ。さらにニコラスの回収という仕事を乗っけたことについて、ニコラスはちっとも悪びれはしない。だって迎えに来てくれるとは思ってなかった。来たのはエルドの勝手だ。
 そんなに嫌そうな顔をするくらいならほっとけばよかったのに。

「まあいいや。帰ろー」

 跳ねるように椅子から立ち上がり、ぐいっと伸びをする。そのまま扉の前に立っていたエルドに歩み寄っていくが、エルドの様子がおかしかった。「どしたの?」と眼前にひらひら手を振ると邪険にはたき落とされた。

「……出るならさっさと出ろ」
「うん、エルドがそこに突っ立ってるから出られなかったんだけど」
「うるさい」

 外交官の居室は外宮に隣接する宮の一つに用意されている。外宮の端の建物から出ると兵士たちはついて来なくなったが、代わりに宮付きの侍従が一人待っていて、彼の持つ小さな灯りが先導して、二人で宮へと向かった。

「よく晴れてるね。明日もすっきり晴れそう」
「……お前は」
「うん?」

 のんびり夜空を見上げて歩くニコラスの斜め前を歩きながら、エルドがちらりと侍従の背中を見て、ため息をついた。

「なぜ素直に出てきた?わざわざ捕まりにいったくせに」
「ひど。迎えに来たくせにそんな言うのなんで?」
「『あの方』にはお前が見つけたことは先にお知らせしていたが、『あの方』は……出逢ってしまった以上、お前が帰ってこないことも視野に入れていらっしゃるようだった」

 ニコラスは笑みを引っ込めた。口元を覆った手の奥から「あー」と自分でも納得か慨嘆か微妙な声が漏れる。
 今夜のニコラスの行動は完全な独断専行だ。収穫があったのはよしとするも、密偵がギルシュバルに顔を知られたこと、こうしてどこの国との繋がりがあるかをはっきりと知らしめたことは、間違いなく特大な失点だ。でも後半はエルドがわざわざ迎えに来たせいだ。フレデリックに飛び火する可能性を考えれば知らんぷりするのが正しいところを、あえてニコラスの身柄を正面からもらいにきた。

「じゃあ、なに?」

 口から手を離した。きゅうと弧を描くように細まった眼が、エルドの横顔を見つめている。エルドも文官とはいえ王子の側近になれるくらいに場数は踏んでいる。首筋を這う不穏な気配に冷や汗を浮かべながらも、足取りを乱さず横目で見返した。

「エルドは、『あいつ』におれを連れて帰ってこいって言われてるんだ?」

 ーーディアが言うなら殺してもいいよ。ディアの邪魔するやつも、ディアの殺したいやつも、みんな。

 ニコラスがヒルダに言ったのは、試す気持ちはほんのちょっとなだけの掛け値なしの本気だった。殺戮の結果、王子の密偵でいられなくなるのも承知の上で。
 さすが幼なじみ、伝聞だけでニコラスの機微を理解している。それはいい。
 しかしだ。駄目だ、帰れなくなると断ったヒルダが勘違いしているのは無理もないが、フレデリックが思い上がっているのはいただけない。

 ニコラスが歴代のマグワイアと己を同一視しないのは、忠義心などというものを爪の先ほども持ち合わせていないからだ。それでもニコラス・マグワイアとなったーー「なれた」のは、過酷な環境に放り込まれた幼なじみへの愛ゆえでもない。
 遊ぶ約束をしていた遊び相手が突然いなくなって、暇で暇でしょうがなかったからだ。
 マグワイアの名があれば王子となった遊び相手に会いに行くのに便利でいい。
 そんな理由で襲名し、そんな理由で会いに行って、そんな理由で側近として城に腰を落ち着けた。仕事も遊び。全部暇潰しだ。フレデリックもそれをわかっているからこそ受け入れたのかと思っていた。さすが王子なだけあって色んな「遊び」を提案してくれるので、退屈にはならないのでいい。

 だから、ニコラスが好き勝手にしたところで、ヒルダが言ったように帰れなくなることにはならないのだ。
 忠誠も愛もなく、義務も責任も見かけだけ。たとえニコラスがヒルダを連れて失踪しようが、ひょっこりとフレデリックの前に姿を現すのになんら障害はない。
 ……と、思っていたのだが。

「いつからおれは『あいつ』の臣下にのかなあ?」

 ニコラスの灯りから最も遠く半分以上暗がりに溶け込んだ表情は、笑っているのかどうかも不鮮明だ。ただ静かに増してゆく不気味な威圧感に、先導の侍従の持つ灯りが大きく揺れた。それでもニコラスとエルドのやり取りを妨げないよう、歩みは止めず、一声も出さなかった。
 エルドも今度こそ足を引きそうになるのを、意志の力で無理やりに抑え込んだ。
 フレデリックの側近となる者たちはまず第一に、ニコラスとフレデリックの関係を許容することが求められる。マグワイアが「主」を見出したのは建前だけの話であることを暗黙の了解とすること。さらにはマグワイアという特殊さゆえに王子と対等であることまで飲み込めなければ、共に仕事に当たるなどできるわけもない。

「これは私の独断だ」

 呼吸を整えてからエルドは言った。

「『あの方』はお前には何もするなと仰せだった。だが、知らぬところで投げ出されては報告する私が困る」
「ふーん?」
「私はお前の最後の伝言でも聞いてやろうと出向いただけで、迎えにいったつもりはないぞ」
「最後って。まさかおれが『主』を見つけたとでも思ってたの?見当違いで残念だったね。あーでも、まあまあ暇潰しに困ってたから正解かも?」
「……そう思うことにしよう。でなければやってられるか。くそ。余計な世話を焼いた」
「口わっるー」
「うるさい」

 けらけら笑うニコラスの底冷えするような気配はどこかへ霧散していた。ほっとするのと緊張した反動でエルドの機嫌がどん底まで落ちたが、それすらも笑いの種にするニコラスである。エルドの自業自得だ。

「でももう先に伝えちゃったらあんまり驚いてくれなくなるな。せっかく土産話にしようと思ってたのに」
「お知らせしたのは間違いなく英断だった」
「なんで?」
「分散できる衝撃は分散しておいた方がいい」
「それじゃつまんないじゃん」
「安心しろ。『あの方』はお前の独断専行の話を大層興味深く聞いてくださる」
「ディアのこと、なんて書いて送ったの?」
「お前に見初められてしまった哀れなご婦人」
「うんわーひどい。泣きそう」
「フラレたことまではお伝えしていないから安心しろ」
「それディア連れて帰らなかった時点で丸わかりなやつじゃん。それに完全にフラレたわけじゃないし!今日はかなりいいとこまでいったんだよ!」
「白昼夢だろう」
「本気で泣いちゃうよ???」

 二人でわいわいやり合っているうちに、元のペースを取り戻した侍従の翳す灯りが、エルドたちの滞在する宮の壁をぼんやりと照らすようになっていた。
 ふっつりと会話が途切れ、しばらく。

「……実はユーレルムさまはまだ起きていらっしゃる」

 誰にともない呟きに、初めてニコラスは飛び上がるほど動揺した。

「え?寝てないの?え?おれちょっと脱走してきていい?」
「駄目に決まっているだろう馬鹿が。道連れだ」
「いやあエルドのせいじゃん!?なんで迎えに来てんの!?一人で怒られとけばよかったのに、やだよ今から説教とかあの人話長すぎるのに!」
「元は勝手をしたお前のせいだろうが!むしろ私が巻き添えだ!」
「えええええええやっぱ残っとけばよかったぁ……!」

 ギルシュバル担当の外交官、レスコー卿ユーレルム。陽気で朗らか、機知に富む。まさしく外交官向けの気質で、当然ギルシュバルの友人は多数いる。ただし身内には非常にくどくどしい。国王も話が長過ぎることを嫌って基本報告は文書に任せ、詳細の説明はエルドら補佐官を呼び出すに留めている。それならいっそ役職を替えてしまえとも思うが、そうなると優秀は優秀な男でろくな失点もないので、中央の椅子に座らせることになる。つまり外交官として転々とする今より鬱陶しくなることは確実。
 それくらいうるさがられている男が、夜会で働き終えた後だというのに、ニコラスとエルドの戻りを待っているという。疲れでますます機嫌は悪くなっていると予想される。

 快晴を拝むにはまだまだ長い夜を待たなくてはならないという非情な現実に、ニコラスは小声ながらも盛大に嘆くのだった。













☆☆☆












「ただいまー殿下。聞いてー。好きな人できたんだけどさあ、その人『落星』の弟子でさあ、領地一個落としてきたの。一人で。すごくない?めっちゃ惚れた」
「……お前、幻覚剤かなにか盛られたんじゃないか?」
「そろそろおれ怒るよ?」

 言う人言う人誰も信じないものだから、ニコラスは泣くを通り越して真顔になった。
 フレデリックは悪い、と素直に謝ってから、至って気軽に、真正面から外交官らと共に帰ってきたニコラスをまじまじと見た。今の己こそが幻覚を見ているのかと疑うような慎重さで。

「それで……お前の眼鏡に適った稀有な女人はどうした?」
「なかなか手強くて、口説いてるとこ。今度いつ遊びに行こうかな?あまり空きすぎると忘れられそうなんだよ。ただでさえピンポイントで鈍いのにさあ」
「ーーそうか」

 ふいにフレデリックが破顔した。

「お前好みで手強いというのがなかなか想像しにくいが……ずいぶんな執心だな?」
「あの冷たさがいいんだよ。躊躇なくおれのこと殺しにかかってくるしさ。もうゾクゾクしちゃう」
「そのズレた恋愛観は結局変わってないのか……まさかそれを真正直に言ったわけじゃないだろうな?」
「言ったよ」
「……すまない。おれでは力になれそうにない」
「おれが惚れたんだからおれが口説くよ。なんで首振ってんの、ちょっとムカつくんだけど」
「いや、そもそもお前が惚れ込むような相手だ。到底おれには無理だったか」
「っつーか殿下おれのこと言ってられないでしょ。お節介焼こうとする前に自分のお相手見つけなよ。妹姫さまのことだって、まず殿下が身を固めないとどっちにしろ進まないんだから」
「いやあ天気がいい!今日は城下の視察日和だと思わないか、ニック!」

 フレデリックは思いっきり顔を逸らして立ち上がった。控えていた侍従たちが動きはじめたので視察は確定か、元から予定していたのか。ニコラスが同行するならお忍びになる。
 帰ってきたばかりなんだけど、と思いながら、ニコラスは不満は言わず一旦下がることにした。なにしろまだ旅装のままだった。



 部屋を出る間際に呼び止められ、ニコラスはフレデリックを振り返った。
 フレデリックは目元を緩めて、限りなく柔らかに微笑んだ。

「言いそびれていた。おかえり」
「うん。ただいま、フリッツ。また後でね」

 笑い返したニコラスは、ひらりと手を振ってその場を後にした。







ーーー
どへんたいニコラスくんは王子たちの間で末っ子ポジ。みんなドン引いてるけどちょっとずつ矯正したいとは思ってる。だけど進展はない。ただただ引くしかない日々。

レスコー卿はお喋り好き。有り余る語彙力を使ってどうでもいいところまで詳細に語るので敬遠されがち。仕事になると相手に合わせるので、仕事上限定で友だちが多い。
奥さんは会話の途中で平然とぶった切る勇者。レスコー卿が惚れた側なので奥さん最強。



ーーー
次はリーシャン視点でリーシャンたち世代の過去編を書こうと思ってます。結婚までなんで長くなりそうな予感。
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