どーでもいいからさっさと勘当して

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過去編:星の落ちた場所・下

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「おう、絵になる驚き方だな」

 今まさに飛び上がった少女と同じくらい、声をかけたヒューも驚いた。
 あれだけ小さいなりに頑張って警戒してここまでたどり着いたのだ。余人がいるなど考えもしていなかったのだろう。
 ヒューはちょっぴり笑ってしまった。とたん、枝に髪を引っかけてぼさぼさ頭になってしまった少女が、尻餅をついたまま睨んでくる。気は強い方らしい。

「……どなたですか?」
「そういうときは自分から名乗るもんだぜ」
「……」
「恋人は見てなくていいのかい?」
「……」

 少女がじりっと後ずさったが、そっちは演習場とを隔てる茂みだ。下手に転げ落ちたらあられもない姿を演習場の連中に晒してしまうだろう。ヒューはまた笑って、その場にどっかり腰を下ろした。片手をひらひら振ると、後ろの木立から微妙な顔のジョンも出て来て、ヒューの斜め後ろに腰かける。
 戸惑っている少女の顔を覗き込むように膝に頬杖をついた。

「ちょっとお喋りしようや。あそこのお嬢ちゃんの恋人のこととかな」
「そんな人いません」

 少女がとっさに言い返して、はっと口をつぐんだ。

「じゃあ片想いか?」
「……」
「毎日健気だなあ。そんなにいいやつかい?」
「違います!」

 結局答えている。聞き役だったジョンは思わず噴き出し、ヒューも笑いで肩を揺らした。
 遊ばれていると気づいた少女の顔が真っ赤になった。憤然と食ってかかろうとすると、そのタイミングを見計らったようにヒューが笑いを収めて鋭く少女を見返した。顔が顔なので睨んでいるわけでもないのに迫力満点だ。

「冗談は抜きでだ。お嬢ちゃん、覗き見は感心しねえよ。お付きもいねえとなれば見過ごすわけにもいかん。ところで、おれはヒューズってんだ。こっちはジャック。あんたの名前は?」

 あえて偽名にしたのは、この少女が覗き見をしていてもヒューたちの顔まで判別をつけられてはいないと察したからだった。このお姫さまにどんな事情があるかわからないとなると、「落星」として関わることが正解かもわからない。となれば時間稼ぎをしておくに限る。

「……ヒルダ」

 ヒューたちと同じくらい可愛らしい偽名が出てきた。本名とかけ離れた名前が出てこなかったのは、単に焦って余裕がなかったからか、それとも、ヒューたちがヒルダの後をつけていた可能性に気づいて、下手な嘘は不利だと考えているのか。
 相手はほんの子どもだ。当然なら前者の考えで落ち着くはずだが、ヒューも、ジョンも、それだけではないものを確かに感じ取っていた。
 ヒルダは強面二人の眼光に晒され、怯みながらも逃げようとはしない。口を一文字に結んでこれ以上余計なことを言うまいとしている。
 ぷるぷる震える子ウサギのようないじらしさがあるので、ヒューもジョンも厳しい表情を保つのに苦労した。ここは威厳を出す場面なので頑張らないといけない。

「ヒルダ嬢ちゃん、それで、本命は誰なんだい?」
「いません」
「じゃあなんだ?」
「……あなたたちは、なんですか」
「ん?」
「あなたたちはどうして私にそんなことを尋ねるんですか?答えたら教えてくれますか」

 ジョンが面白そうに目を見張った。ヒルダと正対するヒューは言わずもがなだ。

「覗き見は感心しねえって言ったばっかりだぞ?」
「だったらわざわざ尋ねるまでもなく追い出せばいいでしょう。なぜこうしてお座りになってるんです」

 ヒルダの声には追い出せるものならやってみろ、という無謀な挑発めいた色はなく、むしろ思慮深いものがあって、ヒューはますます面白くなった。
 女と男、子どもと大人、覗き見した側とそれを注意した側だ。こちらの優位は決まっているのに、この少女は冷静に対等に立とうとしている。

(こりゃこの人好みだわ)

 ジョンが内心で呟いた通り、ヒューはヒルダの提案に乗った。「いいぜ。じゃあ言ってみな」と言われたヒルダは己の怯えと迷いを押さえつけるように肩を上下させて、改めてまっすぐにヒューを見つめた。

「武術を修めるときに、見取り稽古というものがあると聞きました。堂々と見られる機会がないので、こうして覗くしかありませんでした」
「――つ、つまり、あんたは、自己鍛練してたのか?」
「はい。……お笑いになりたいならどうぞ」
「笑わねえよ。おれも答えるが、あんたは女だ。しかもいいとこの出なのは見ればわかる。それが、こんなとこで不審者やってんだから気になるのが普通だろ」
「……そんなに怪しいですか?」
「少なくとも変に周到だろ。おれら以外に演習場のやつらは気づいちゃいねえ。覗き見にそんなに気合い入れてちゃな。だからまあ、好奇心ってやつだ。そこまでやってて……」

 まさかの「見取り稽古」という思わぬ答えにつんのめりかけていた二人は、ほとんど同時に額を押さえていた。言うこともぼやきに近い。

「なんだってそんなに必死になってまで励みたいんだ?その言い分じゃ、親から反対されてるんだろ」
「答えたら、あなたたちが何者か教えてくれますか」
「おお、いいぜ」
「本当の無能になりたくないからです」

 少女の口から出たとは思えない厳しい言葉に、男二人はまたも目を剥いた。
 今のヒルダの表情からは、全ての弱さが消えていた。そこにあるのは研ぎ上げた固い意志のみ。

「……なんだって?」
「父上も、母上も、邪魔になるからなにもするなって言うんです。でも兄上は一人じゃつまらなそうだし、妹は寂しそうなんです。だから、なにもしないのは嫌です。私は兄の妹で、妹の姉です。弟妹は兄姉を支えるもので、兄姉は弟妹を守るものでしょう。――なにか問題ありますか」

 初めて挑戦を叩きつけられた。このタイミングで。
 自分の行動が笑われるのは許せても、その意志までは否定させないと。ずいぶん風変わりな信条だ。

「そりゃ、あんたが本当に血が繋がってたらの話じゃねえのか?」

 あえて踏み込んで逆撫でしてみれば、これまた初めて、ヒルダは笑みを浮かべてみせた。
 他にふさわしい表情がないので仕方なく笑うといった風な、曖昧で空虚な微笑み。

「私が本当に妾の子だったら、とっくにあの家を出されて、存在まで丸ごとなかったことにされていましたよ」

 初対面のヒューに言われるまでもなく、これまでに何度も自分で考えてきたのだろうとわかる、感情の擦りきれた声だった。なんなら噂も流れただろうからこその察しのよさ。
 なにも傷ついていないような表情がいっそ痛々しかった。庶子でないからといって、それがこの少女の救いにはなっていないのだ。

「我が子にここまで言わせる親の顔を拝んでみてえ……」
「一言一句同意する」
「はい?」

 どうやらスートライトの「兄妹」には、噂以上の重みがあるらしい。本来欠くべからざる長女を除いた上でだ。
 深く調べてみようかと興味が湧いてきたが、それは今は後回しだ。

「無能は嫌だっつっても、荒事は男の仕事だろ。わざわざ首突っ込まなくてもいいだろう」
「あの二人と肩を並べるのに、中途半端でいいと思います?」
「中途半端ときたか。じゃああんたは本気で武術を修めるつもりなのか?」
「はじめからそう言っています」
「どうやってだ?見てるだけでできるようになるとでも?」
「少なくとも、今は本当に初心者なので。どんなものにも基本の動きがあると兄上に教わりました。まずそれを目で覚えて、復習して、体に叩き込んだ後は、またどうにか鍛え方を考えます」
「……」

 とうとう軽口すら出てこなくなって、ヒューは片手で顔を覆って天を仰いだ。
 そろそろヒルダが答えを欲しがっているのはわかっていたが、もう少し待ってもらうことにする。上体を捻ってジョンに「あれってこういうことらしいぜ」と真顔で言うと、地面に頭からのめり込んで丸まった背中から、「段取りが初心者じゃない」と呻き声がした。

「だよなあ。むしろ別の意味で野放しにしたくなくなった」
「言うと思ったよ。でも、おれも、他の連中も同じ意見だろうな。――まあ、なんとかなるだろ」

 よし、と気合いを入れ直したジョンが勢いよく起き上がって膝を打った。そのまま無駄のない動作で立ち上がり、足音ひとつ立てずに森の奥へ消えていく。

「え、あの、ジャックさまはどうしたんですか?」
「約束がまだだったな。おれらは『落星』だ」

 その名の持つ意味がわかるかどうか、試す意味もあったが、見事にヒルダは最後の関門を通過した。それも飛び越える形で。
 ヒルダが、ジョンの突然の行動に見張っていた目をさらに丸くして、叫ぼうとした己の口を両手で押さえて、石のように固まることしばし。

「……『明る星と夜る星の、あわいの空を駆り、落ちゆく地を永遠に探しさ迷う客人まろうど』……?」

 囁くように、そして詠うように言ったそれはまさしく詩だ。こんな小さな少女が遠い異国の古びた言語を発音まで完璧にこなしていることに、ヒューは(おれはもうなにも驚かんぞ)と自分に言い聞かせた。
 同時に、今すぐヒルダの親の首根っこつかんでそのおつむをかち割って、どんな中身が詰まっているか確かめたくなったが、これも我慢した。

「勉強家だな、嬢ちゃん。改めて名乗るが、おれはヒュー。亡国の名をくっつけて呼びたがる連中に合わせるならヒュー・クアランドルになる。でもあんたはヒューズでいいぜ。あいつもジャックのまんまでいい。さま付けはやめてくれよ、背中が痒くなるから。今のおれらは根無し草の傭兵なんだからな」
「……まさか、本物だなんて」
「なんだい、偽物だと思ったか?」

 ヒルダが慌てて首を左右に振ったが、ぼさぼさ頭がますます目も当てられなくなってしまった。ヒューが笑って指摘してやると、怒りでなく羞恥で真っ赤に頬を染めた。自ら髪を直す習慣がないのか、尻に敷いた布を引っ張って頭に被ろうとする無茶をするものだから、またヒューの腹筋耐久レースが静かに開幕した。

「え、演習場にいらっしゃるのは知っていましたけど、まさかこうして直にお話しできるとは思っていなくて」
「敬語もなしだぞ」
「無理です!」
「慣れろ。やらなきゃ馴染まんぞ。これから嫌ってほど経験は積むもんだが、何事もはじめが肝心だろ?」
「これから……嫌でも?」
「おうよ、おれが自分で言うのもなんだが、『落星』が直々に弟子を取ろうってな、そうそうあるもんじゃないぜ。おれらの気が変わらねえうちに弟子を名乗らなきゃ損だぞ」

 ヒルダの顎がかっくんと落ちた。自分の惨状も忘れ果てたようにひたすら絶句している。
 ヒューが目の前で掌を振ると、やっと目の焦点が合った。

「……でし?師匠と弟子の、弟子ですか?」
「おう」
「それって……そんなの……うそ、だって……」

 ぱくぱくと喘ぎながら言葉にならない言葉を延々と呟いているのを、ヒューは面白く見守った。ここまでくると試験より見世物見学だ。貴族令嬢の突然変異体。長年各国をさすらってきた彼らにも初に目にかかる一級の珍品である。
 にやにやとヒルダがどんな反応をするのか待っていると、そのときが訪れた。
 ヒルダが我に返ってから――三度顔を真っ赤にしての第一声はこれだった。

「師弟関係ならなおさら敬語が必要ですよね!?」
「なんで弟子は飲み込めてそっちを飲み込めねえんだよ!!」

 とうとう耐えきれなくなって、ヒューは大爆笑した。








☆☆☆








「いやあ、弟子って一度取ってみると面白かったんだけどなあ」

 ヒューズは顎を撫でて往時を偲び、しみじみと首を振った。

 人に取れと言われたり頼まれたりするとやる気を失くす天の邪鬼の彼らは、自ら望んで取る分には乗り気だった。それでも、相手がヒルダだったからこそというのがあるだろう。成長期に入る年頃で、武術の基本の基本を既にわきまえていて、全く根を上げない。融通の利かない性格は早いうちに解れた。何度か街に遊びに連れ出したことさえある。武術だけではなくそれなりの処世術も教わったヒルダは、ヒューたちの前では「あたし」を一人称にして、腹芸もそれなりに習得した。
 そんなこんなで「落星」全員から可愛がられた弟子だったし、ヒルダを取り巻く環境にも早めに見切りをつけた彼らは、旅立ちついでに拐っていこうかとも思っていた。しかし、ヒルダにとって、それは無理な注文だった。
 ヒルダは幼い身でありながら、既にいっぱしの臣下としての意地を持っていた。多大なる愛も。

「旅に出たってよ、免許皆伝してから帰るでもいいんだぜ?」
「それでは駄目なんです」

 大人にとってはたった半年でも、子どもにとっては大いなる半年だ。ヒルダは以前にはなかった、自身の根を深く地に張ったような泰然たる眼差しでヒューを見上げ、しかし焦慮を浮かべながら首を振った。 

「駄目なんです。あたしが二人よりもっと早くに生まれていればまだ時間はありましたけど、兄上は、もう領近辺だけじゃなく王都にもはっきり目をつけられました。アデルもすぐに舞台に引きずりあげられます。あたしがそこにいないんじゃ、意味がないんです」
「お前がいなくても乗り越えられるんじゃないか?お前の話と噂を合わせれば、そう過保護になる必要はないと思うんだがね」

 その言葉はヒルダの存在意義を傷つけるものだったのだろう。うつむいたヒルダを見た仲間たちが一斉にヒューに非難の眼差しを向けたが、ヒューとしては卑怯だと言い返したいところだ。こいつら、いつも嫌われ役をおれに押し付けやがる。
 といっても、ヒルダは厳しい言葉を容赦なくぶつけるヒューを嫌うことなく、むしろ尊敬の眼差しを向けるので、結局ヒューが仲間たちに羨ましがられることとなるのだが。そこまでいくと本当に理不尽だ。

「……過保護、と言われたらそうかもしれません。ですが、あたしは、二人の妹で、姉なんです。一番辛いときに側にいる権利はあたしにあって、あたしはそうしたいと思っているんです」
「……兄妹の絆ってのは難儀なもんだなあ」

 ヒューがぼやくと、ヒルダがデュオをちらっと見た。そのまま二人で深く頷き合っているのが笑える。弟妹同士で通じ合えたらしい。
 ヒルダとデュオの共通点に親に恵まれなかったというのがある。親というより、庇護すべき大人に、と言うべきか。
 大人が嬉々として子どもを殺そうとする、最悪な状況も。

「だが、お前がそこまで気にかけてちゃ二人もうっとうしがるんじゃないか?それにお前自身の足場はどうなる」
「王太子殿下は、アデルより幼いのにご聡明な方だそうなので、もしかすると兄上とお友だちになってくださるかもしれません。アデルは敏い子なので、きっとすぐにあたしの守りなんて必要なくなります。その時まででいいんです。あたしは、素晴らしい師匠が何人もいてくださったお陰で、どこでもやっていけます。そう言ってくれたのはヒューズさんですよ?」
「揚げ足とられたな。……ま、仕方ねえか。弟子の独り立ちにゃあちと早すぎるが、見送ってやるのが師の務めってな」
「はい。――お世話になりました」

 そうして師弟は別れたのだが、その数年後に、初弟子の兄が接触してきたことで、再会することとなる。彼らはそれでなくても可愛い初弟子の危機に駆けつけられるよう、王国近辺をふらふらしていたのだが。

「あなた方を、私の立ち上げる商会に雇いたい」

 どの国も我が物にしたがり、しかし手に落ちず仕方なく野放しにするしかなかった「落星」を、いくら「絶氷」と名を上げている貴公子でも――しかも個人の護衛ではなく商会の荷運びの傭兵として、射落とせるとは大層な自信だと思ったものだが、実際、かの兄上殿はなかなかに面白い人物だった。
 長妹の逃げ場所にするためだけに商会を立ち上げようという型破りな発想、それを本当に実現してしまうなりふり構わない実行力が最たるものだ。

「じゃあ、そろそろ『落星』も廃業するか」

 ヒュー改めヒューズの意見に全員が賛同した。ヒルダのためだけではなく、セシルの将来性も見込めたからだ。
 故国のない彼らには、人生は波瀾万丈であればそれでいい。世の中泰平は結構だが、それだけでは物足りない。
 しかし、未知の刺激を求めるにはそろそろ「落星」の名前が邪魔だったのだ。元々人が呼び名を勝手に定めたものだし惜しむものはない。待遇に楽なところはあったが、その名があるからこそ彼らはひとところに落ち着けずに放浪するしかなかった面もある。
 体力的にも潮時だ。旅を続けてもまだやっていけるだろうが、いつかは体が追いつかなくなる。
 未来は戦場での野垂れ死にだと決められていた。

 ――落ちる地を永遠に探しさ迷う客人……。

 星が流れ燃え尽き落ちていくことを望む人間は、それこそ星の数もいる。
 だが彼らは元来天の邪鬼である。
 そんな見世物になどなってやらない。
 誰かを主として使われてやる、一時的な興味のために、自由に空を駆けた星は、自ら地に落ちることを選んだ。

「ごたいそうな理由じゃねえだけ、ざまあみろだな」

 はじめに自分たちをそんな生命のないものに例えた誰かを、デュオ改めデューダが嘲笑った。

 本当は、昔からずっとそうしたかったのだ。











 星は落ちたとて異物過ぎて根を張れない。しかし、栄養源となることならできる。
 どうせだからヒルダの次に弟子を取ろうと思ったらこれまたとんでもないものを堀り当てた。
 掘り当てても仕方がない才能だ。

「ここまで才能ないやつ、初めて見たぜ……」
「どうやったら逆にこうなるんだ?」
「殺気がないとかそういう問題じゃねえよこれ……」
「おい!ひそひそ言ってるようで全部聞こえてるからな、あんたら!」

 地べたにしりもちをついて叫ぶ青年を、ヒューズたちは哀れみを込めて見つめた。
 グレッグ改めレンゲルが代表して進み出て、青年の両肩を慰めるように叩いてやる。

「もう、諦めろ。あんたはよくやったよ」
「いきなり鍛えてやるってここに引っ張り込んどきながらものすごい理不尽言ってるんじゃない!おれははじめから無理だって言ってただろ!」
「――無理は無理でも、もう少しなんとかできないかな」
「セシル!お前の差し金か!?」

 商会(中古物件)裏手の空き地にひょっこり顔を出した雇い主は、商会運営で片腕となった男の訴えにきょとんとした。

「差し金って、君に自衛手段を持ってもらいたいからお願いしたんだよ」
「御曹司、自衛も諦めた方がいい。足だけはまだ使えるから、逃げるのに専念させるべきだぜ」
「その逃げ方もあれだ。この坊っちゃん、足止めすら無理だ」
「坊っちゃんじゃない!」
「足止めすら無理って……」

 セシルは足元に石ころやら槍やら剣やら色々転がっているのを見て、察したらしい。目だけで確認してくるのに、傭兵たちは一斉に頷いた。
 そうしてセシルも哀れみ仲間に加わった。半分くらいはドン引きの表情だが。

「アレン、君ね……」
「いーんだよおれは!拉致されたって胃袋つかみ返してやるんだから!」
「どんだけ呑気な犯罪者だよ!」
「捕まった時点で駄目なんだよ、アレン。四六時中護衛を張り付かせるのを嫌だって言うから、自分でどうにかなるように鍛えてもらおうと思ったんだけど」
「うっ……お、おれはお前んちみたいなとこと違って、そういうのに慣れてないんだよ!」
「いやほんとよくあんたこんな歳まで生きてけたな?」

 さすがにここまで言われたアレンは真っ赤になっていたが、男の恥じらい顔にときめく要素は欠片もない。むしろ真剣に不安である。
 セシルも少し悩んでいたが、こっちはすぐに立ち直った。

「それじゃあ、順番を変えよう。情報関係をはじめから精密に組み立てておく。有事の判断がされたら、一時だけ護衛をつかせる。アレン、これから更に譲歩しろとは言わないね?」

 アレンははっと顔を上げて、決まり悪げに頷いた。

「……悪い。迷惑をかける」
「そのかわり、情報の管理は君の仕事だよ?」
「うげっ。……いや、まあ、やるさ。仕事だってんならな」

 セシルが手を差し伸べて、アレンはためらわずそれを掴んで立ち上がった。
 ヒルダの王太子と友だちにという希望は少し外れてしまったが、ヒューズたちはこちらの関係の方がいいように思える。少ない天才同士で殻を作らせるより、数多い凡人たちの切れっ端と手を繋いだ方が、見える世界は広くなる。
 ただし、むやみに天才を祭り上げるばかりの凡人は除いておく。だからこそ、セシルは従者をほとんど商会に関わらせていなかった。

(ったく、兄妹揃ってな……)

 下の妹二人もお互いを想いすぎて拗らせているというし、本当に三人揃って難儀だ。だがなんだかんだ丸く収まるだろうと、収めてやろうかと、そう思っていたら、我らが初弟子が一番はじめに爆発した。
 ついでに誘爆した。

「――私を姉さまのところに連れていって!!」

 スートライト本邸前、初めて対面した噂の「大輪」に、おいその返り血誰のだ、とデューダとルッツ(元名ルドルフ)は内心で突っ込んだらしいが、黙ったまま鞍に乗せてやったそうだ。
 そのあと、スートライト夫妻に降りかかった惨劇を知り、一番大笑いしたのは間違いなく彼らだった。

「いやあ、いいねえ。全っ然飽きやしねえ」

 地にありながらどこまでも突き抜けて吹っ飛んでいく兄妹の行く末、この際、最後まで見届けていくのも一興である。
 彼らはまた満場一致で、一番の特等席を占有し続けることを決めたのである。

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