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Ⅳ
過去編:星の落ちた場所・上
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ネタはそれなりにあるのに本編が全然書けず過去編に走りました。申し訳ありません。全二話です。
ヒルダの反抗期度:中
・お父さま、お母さま呼びはやめて父上、母上呼び
・まだ一人称は公私ともに「私」
ーーー
構成員はたった十名程度ながら、世界各地に存在を知られる傭兵隊がある。
かの集団を冠する「落星」という名前は、彼らのまとめ役――あくまでもまとめるだけで、首領や上司とは違う――の出自にちなんで、部外者が勝手に呼び始めたものだった。
名付けられたとたん、ものすごい勢いで国を跨いであちこちに広まっていったのだから、どれほどの注目の的なのかは推して知るべし。今では彼らの向かう先にもあからじめ浸透しているような有り様だった。
「まあ、楽でいいな」
と立ち寄った先の王城に招かれ国賓の扱いを受けても呑気にこう嘯く彼らは、少なくとも知名度に見合って豪胆な性質であるのは確かである。
このスートライト領でも、彼らへの対応は同じだった。立ち寄れば呼び止めて「ぜひともお越しいただきたい」と、特権階級の人間が低姿勢で迫ってくるなど、世間からあぶれた暮らしぶりの普通の傭兵隊にはあり得ないことだが、彼らにとってはいつものことだ。
先に王都を巡ってぶらついており、スートライト領の「名物」も噂を得ていたので、今回の彼らは、上にも下にもつかないもてなしよりもそちらに対する好奇心で滞在を了承した。
それから、今では数日が経過している。出自が出自でも基本は傭兵の彼らは、体が資本だ。実際、その実力も名高いものがあり、兵士たちにとってもいい刺激になると、演習場に出入りする許可を得て、日中はほとんどそこで過ごしている。これも普通の傭兵にはない厚待遇だ。
兵士たちに混じっていても、街の様子を見ていても、居心地が悪いということは特にない。領政は平らかなようで、人々の暮らしぶりも酷すぎることはないし、招待主やその周辺にも暗い雰囲気がない。むしろ未来を思って眩しく目を細めているほどだ。まだこの地の宗主の跡継ぎが領地を支配するまで十年は先なのに、これほどの期待感。よほど名物の御曹司は彼らの誇りなのだろうと、暇があればすかさず話す自慢話を、「落星」の面々はなけなしの愛想のよさで、うんざり顔を出さずに付き合ってやっていた。
演習場にいれば体を鍛えることが第一なのでしつこい自慢話に付き合うことも減り、とても気が楽なので、避難所代わりにもなっている。そこで、つかの間の休憩時間を過ごしていたときのことだ。
「兄貴」
ヒュー・クアランドルは、弟のさりげない呼びかけに視線をそちらへ向けた。
「今日もいるぜ」
「一人か?」
「ああ」
声が聞こえない周囲からは、肩を寄せてなにか相談しているように見えているだろう。ヒューもデュオも、話題の主には視線どころか体の向きすら合わせていない。それでも視界の端にその異物が収まるように、それとなくさりげなく、自然体を装って位置取りをしている。
普通の人間には至難の技で、戦いを生業にする者にとっても高度な技術だが、彼らには可能だった。話題の主も、周囲も、兄弟の行動に違和感すら覚えていない。
「やっぱり毎日来てる」
「しかも、一人でな」
恐らく明るい光の下では目立つだろう赤い髪は、鬱蒼たる木々の陰で暗い色を落としている。服装はお姫さまのそれだ。ヒューもデュオも、彼らの仲間も以前は他国と言えど貴族階級にいたので、ほんの端っこを見ただけでも、自然と素材のよさに気づいていた。そこらの「いいところのお嬢さま」どころじゃない、かなり高貴な娘が、お供もなく、この演習場を盗み見しているのだった。
しかも隠れ方も堂に入っていて、下草の色に似た敷き布を地べたに敷いて、ドレスのまま腹這いになって茂みの下から演習場を覗くようにしている。これでは意識して探さないと見つからない。
ヒューたちが気づいたのは長年鍛えた勘ゆえだ。ヒューたちがこの領地を訪れてから毎日、この時間帯に現れている。それももう四日目だ。様子見にも限界があった。
「……仕方がねえな」
面倒くせえ、とヒューは舌打ちした。はじめは変なのがいると面白がっていたが、四日も連続して、しかも十歳ほどの貴族令嬢がたった一人で、平民が屯する街中の演習場に顔を出すのだ。離れたところに護衛がいる様子でもない。
最初は単独の行き来がうまくいっていても、危険は日を増すごとに大きくなる。それを放置して何かあったとなれば、後味が悪かった。何が面白くて熱心に覗いているのか知らないが、おかしな趣味をしたおかしなお姫さまだと、笑うより呆れ返ってしまう。
「おれらの中じゃ、ジョンが一番顔がいいからな。あいつに任せろ」
「だと思って、もう行ってるよ。裏から回ってる」
ジョンは仲間内では一番顔の造りが柔和だ。雰囲気も穏やかだが、国を跨いだ傭兵稼業(しかも各国の重鎮の伝がある)をしていて、それだけで済むはずがない。しかし一番ましな選択肢なので、最終的に温室育ちのお姫さまが泣かないようにするにはジョンの努力が必要なところだった。下手に泣かせて、その親が出張ってくるのも厄介なので、ジョンの役目は重大だ。
その日、ジョンは接触自体はせず、陰ながら護衛して娘の身元を辿ることにしたらしい。それなりに遅くなってから宿にしている大部屋に帰ってきたジョンは、盛大に困り果てた顔をして報告した。
「あの子は……さすがにお姫さまだったぞ」
「なんだと?」
「この領地のお姫さまだ。正真正銘の。色と年齢からしてヒルディア・スートライトと見て間違いない」
全員がそれぞれの反応を示しす中、デュオが嫌に顔をしかめて問い質した。
「スートライト本邸に入ってったのを見たのか?」
「見た。それも正面からじゃなく、裏からだ。あの演習場の外縁、一部が森だろう。本邸の裏と繋がっていた」
「はあ?おかしくないか。方角が違うはずだ」
「ぐねぐね曲がったけど、繋がっていたよ。なんなら後で案内してやる。大人でもそれなりに歩く距離だけどな。途中、倒木の虚にあの敷き布を突っ込んで隠して、そのあともすたすた歩いて……一度、谷に降りる。そこであの子、何してたと思う?」
ジョンが恐ろしいほど真剣な顔をしていたので、ヒューたちは嫌な予感がしはじめていた。それでも無言で続きを促すと、ジョンは一音一音を噛みしめるように言った。
「……おさらいをしていた」
「なに?」
「おさらい?」
「演習場でやってた組手の型だ。ドレスのまま、ゆっくりと。足場も悪いから相当ぎこちなくって、はじめはなんか下手くそなダンスだなと思ったもんだが、あれは間違いない」
大の大人が揃って度肝を抜かれてなにも言えない中、ジョンが一度大きく息を吐くと、続きを言った。
「五回くらい繰り返したあと森にまた入り込んでな、あの谷で方角を曲がったんだ。そうしたら本邸の裏だったわけ。そんでだ。その子は『ヒルダ』って、庭の奥から出てきた少年に言われて返事をしていたよ」
「……そいつは」
「まあ、十中八九あの天才児だろうな。『兄上』って言ってたし、その兄上さんの後ろからえらく可愛い子も『姉さま』ってころころ駆けてきてた。そのあと二人で帰ってきた子のドレスの埃をはたいて、みんなで仲良く手を繋いで、本邸に戻っていったってわけだ」
デュオが呻きながら顔を片手で覆った。ルドルフは口笛を吹いて天井を仰いでいる。他のみんなもお手上げのジェスチャーをした。
ヒューは弟の救いを求めるような視線を受けながらもなにも言えず、腕を組んで黙り込んだ。
微妙な沈黙の中、ジョンがしみじみと首を振っている。
「かわいそうな長女って噂だったはずだけどな……実はとんでもないじゃじゃ馬なんじゃないか?いくら森と繋がってるからって、警備の兵士が巡回もしてるんだ。そこは確認した。だけど、あの子は物慣れた風に出入りしていた。ついでに兄妹も慣れてた風だった」
「ついでって……いや待てよ、他は?お付きは誰もいなかったのかよ?」
グレッグが身を乗り出すように尋ねたものの、やはりジョンの返答は決まっていた。
「影も形もなかった」
「……嘘だろ!?宗主の直系に単独行動させんのかよ!?しかもあんな子どもを!ありえねえ!」
元貴族の彼らだからこそ、貴族が本当の意味でたった一人になれる場所など限られていると知っている。必ず側に従者が控え、護衛が周囲に目を光らせる。自宅だろうとだ。
貴族は歩く財産だ。ましてや子どもともなれば危険はなお増す。
大人は何をしているんだという非難は当然だった。
「……これ、踏み込むの、厄介なんじゃねえ?」
セルシェンがぼそっと呟くと、アルベルトが「だよな」と頷いた。元貴族として、そして傭兵として長く社会を見てきた彼らの勘が警鐘を鳴らしている。
物事には表と裏がある。長男の慧敏なこと、次女の麗らかな美貌。――対照的に平凡でかわいそうな長女。
一瞬で、問題の長女は庶子かとまで考えた。でなければ大人があえて張り付かない道理がわからない。よそに生ませた娘を引き取ったが、長じるに従い、才覚を見出だせずに放置することにでもなったのか……。
「でもそんな話は聞かなかったよな?出自を公表してんならともかく、隠すんなら放置は悪手でしかねえ。そんなんがわからねえほど馬鹿なのか?」
「……どうだかな。もう、直接本人に尋ねた方がいい気がするぜ」
長い沈黙をやめて呟いたヒューに注目が集まった。
「兄貴?」
「なんでお姫さまが組手なんざ練習してんだろうな」
「それは確かに……でも、そんなに気にするほどか?」
論点としては宗主の娘の一人歩きの方が問題だとみんなの顔が訴えていたが、当の目撃者のジョンは反芻したようにしみじみと頷いていた。
「まあ、やたら熱心だったな。覚えてないところもあってつっかえつっかえだったが、全部一通りできたときは物凄い喜んでた」
「一人歩きするにしたって、なんで演習場だ?敷き布まで用意して。貴族の女ってのは、老いも若きも綺麗で可愛いもんしか眼中にないと思ってたんだがな」
「案外、あそこに好きなやつでもいるんじゃねえの?でも身分違いとかで見てるしかないとかな。そんな恋物語が好きだろ、女って」
デュオが適当に答えると、ヒューはきらっと目を光らせて「それ採用」とずばり言ったので、椅子の背もたれに預けていたデュオの上体が横にずり落ちかけた。採用ってなんだ。
他の面々もあっけに取られている中、ヒューは堂々と宣言した。
「明日はおれが行く」
彼らのまとめ役は、見るからに年甲斐もなく好奇心いっぱいで、万が一お姫さまに泣かれたときのことは考えていないに違いなかった。
☆☆☆
ヒルダはこの日も、ドレスの格好でこそこそと本邸の裏から森に入り込んでいた。本当なら動きやすい乗馬服でも身につけておきたいところだったが、裏庭は厩舎から遠いのだ。あくまで、たまたまどこかに用事があって本邸内を歩いているという形でないといけなかったので、不自然な格好もできず、動きにくいし目立ってしまうドレス姿になってしまうが、さすがに仕方がない。どうしても汚れたり枝に引っかけてしまったりするものの、そこは庭の散策中のことと言い訳するようにしている。スートライト本邸はだだっ広い敷地にあって、庭も広い。不在のときに万が一探されたとしても、兄上がごまかしてくれる手筈だった。
巡回の目を警戒しながら、用心して森に踏み込んでいったヒルダに目をつけて、そっと後を追った者がいたことに、ヒルダは気づかなかった。ただでさえ急いでいたのだ。谷に出るところまでは振り返ったり立ち止まって耳を澄ませながら、人の気配を気にしていたが、谷を降りて方角を曲がってからは一目散だった。
演習場を「落星」が訪れるのはいつまでか、ヒルダは知らないし、兄上でもさすがに探りきれなかった。せめてそれまでの間、時間を無駄にしたくはない。
それでなくても、ヒルダは屋敷を抜け出すのは、もうあと一、二回と決めていた。それ以上はさすがに怪しまれる。毎日屋敷に戻って雰囲気を探りながら明日も決行するか考えているので、もしかすると今日で終わりになるかもしれない。兄上のごまかせる範囲内で終わりにしないと、また最悪の事態になってしまうかもしれないから、見極めに一番神経を使っている。
父にこの外出を気づかれたときを思えば、怖くてたまらなくなる。
(それでも、「落星」なら、父上の力なんてものともしないかもしれないけど……)
なにせ各国の王すら一目おいているという話だ。父がヒルダの外出の原因だとして追い出そうとしても、追い払えるものではないかもしれない。
だからこそ、今この時を選んでヒルダは演習場まで走っている。
敷き布を隠した木のところまで辿り着いて、なんとか呼吸を整えた。
敷き布は本邸の物置小屋から失敬したものだ。恐らくカーテンに使われていた素材で、巨大で分厚い一枚布な上に、日光に当てられて色褪せてしまっていた。とはいえ、カーテンの役目を終えても他に使いようがあるはずだが、量が量で余っていたようだった。きらびやかな装飾もはじめから外されていたので、適当な大きさに裁断すれば、ヒルダでも楽々と運べる重さになる。木の虚から引っ張り出して、いつもの場所ぎりぎりまで引きずるように広げておく。
目の前の茂みの向こうに演習場が広がっている。ヒルダは慎重に態勢を崩して、枝の隙間から見える位置に腹這いになった。今日は組手の型の復習をして、剣の扱い方から振る動作まで、なるべく多くを目に焼き付けておくつもりだった。
(兄上の剣技の授業を間近で見られていたら、これを見てももっとわかるようになってたはずなのにな)
演習場の風景を見ていても、すごいとか速いとか、そんな感想しか抱けない自分が悔しくて唇を噛んだ。最近通いつめたお陰で目は慣れていたけれど、それさえ時間の浪費にしか思えない。だってヒルダは、いつか、この兵士たちのように戦えるようになりたかったのだ。アデルを守るために。兄上を支えるために。
いつか二人の名を持って誇りとなすこの領地のために。
「お嬢ちゃん、そんなにひたむきにむさ苦しい野郎どもを見たって楽しいかい?それとも、意中のやつでもあそこにいるのか?」
いきなり背中に降りかかった声に、ヒルダは文字通り飛び上がって頭から茂みに突っ込んだ。
ヒルダの反抗期度:中
・お父さま、お母さま呼びはやめて父上、母上呼び
・まだ一人称は公私ともに「私」
ーーー
構成員はたった十名程度ながら、世界各地に存在を知られる傭兵隊がある。
かの集団を冠する「落星」という名前は、彼らのまとめ役――あくまでもまとめるだけで、首領や上司とは違う――の出自にちなんで、部外者が勝手に呼び始めたものだった。
名付けられたとたん、ものすごい勢いで国を跨いであちこちに広まっていったのだから、どれほどの注目の的なのかは推して知るべし。今では彼らの向かう先にもあからじめ浸透しているような有り様だった。
「まあ、楽でいいな」
と立ち寄った先の王城に招かれ国賓の扱いを受けても呑気にこう嘯く彼らは、少なくとも知名度に見合って豪胆な性質であるのは確かである。
このスートライト領でも、彼らへの対応は同じだった。立ち寄れば呼び止めて「ぜひともお越しいただきたい」と、特権階級の人間が低姿勢で迫ってくるなど、世間からあぶれた暮らしぶりの普通の傭兵隊にはあり得ないことだが、彼らにとってはいつものことだ。
先に王都を巡ってぶらついており、スートライト領の「名物」も噂を得ていたので、今回の彼らは、上にも下にもつかないもてなしよりもそちらに対する好奇心で滞在を了承した。
それから、今では数日が経過している。出自が出自でも基本は傭兵の彼らは、体が資本だ。実際、その実力も名高いものがあり、兵士たちにとってもいい刺激になると、演習場に出入りする許可を得て、日中はほとんどそこで過ごしている。これも普通の傭兵にはない厚待遇だ。
兵士たちに混じっていても、街の様子を見ていても、居心地が悪いということは特にない。領政は平らかなようで、人々の暮らしぶりも酷すぎることはないし、招待主やその周辺にも暗い雰囲気がない。むしろ未来を思って眩しく目を細めているほどだ。まだこの地の宗主の跡継ぎが領地を支配するまで十年は先なのに、これほどの期待感。よほど名物の御曹司は彼らの誇りなのだろうと、暇があればすかさず話す自慢話を、「落星」の面々はなけなしの愛想のよさで、うんざり顔を出さずに付き合ってやっていた。
演習場にいれば体を鍛えることが第一なのでしつこい自慢話に付き合うことも減り、とても気が楽なので、避難所代わりにもなっている。そこで、つかの間の休憩時間を過ごしていたときのことだ。
「兄貴」
ヒュー・クアランドルは、弟のさりげない呼びかけに視線をそちらへ向けた。
「今日もいるぜ」
「一人か?」
「ああ」
声が聞こえない周囲からは、肩を寄せてなにか相談しているように見えているだろう。ヒューもデュオも、話題の主には視線どころか体の向きすら合わせていない。それでも視界の端にその異物が収まるように、それとなくさりげなく、自然体を装って位置取りをしている。
普通の人間には至難の技で、戦いを生業にする者にとっても高度な技術だが、彼らには可能だった。話題の主も、周囲も、兄弟の行動に違和感すら覚えていない。
「やっぱり毎日来てる」
「しかも、一人でな」
恐らく明るい光の下では目立つだろう赤い髪は、鬱蒼たる木々の陰で暗い色を落としている。服装はお姫さまのそれだ。ヒューもデュオも、彼らの仲間も以前は他国と言えど貴族階級にいたので、ほんの端っこを見ただけでも、自然と素材のよさに気づいていた。そこらの「いいところのお嬢さま」どころじゃない、かなり高貴な娘が、お供もなく、この演習場を盗み見しているのだった。
しかも隠れ方も堂に入っていて、下草の色に似た敷き布を地べたに敷いて、ドレスのまま腹這いになって茂みの下から演習場を覗くようにしている。これでは意識して探さないと見つからない。
ヒューたちが気づいたのは長年鍛えた勘ゆえだ。ヒューたちがこの領地を訪れてから毎日、この時間帯に現れている。それももう四日目だ。様子見にも限界があった。
「……仕方がねえな」
面倒くせえ、とヒューは舌打ちした。はじめは変なのがいると面白がっていたが、四日も連続して、しかも十歳ほどの貴族令嬢がたった一人で、平民が屯する街中の演習場に顔を出すのだ。離れたところに護衛がいる様子でもない。
最初は単独の行き来がうまくいっていても、危険は日を増すごとに大きくなる。それを放置して何かあったとなれば、後味が悪かった。何が面白くて熱心に覗いているのか知らないが、おかしな趣味をしたおかしなお姫さまだと、笑うより呆れ返ってしまう。
「おれらの中じゃ、ジョンが一番顔がいいからな。あいつに任せろ」
「だと思って、もう行ってるよ。裏から回ってる」
ジョンは仲間内では一番顔の造りが柔和だ。雰囲気も穏やかだが、国を跨いだ傭兵稼業(しかも各国の重鎮の伝がある)をしていて、それだけで済むはずがない。しかし一番ましな選択肢なので、最終的に温室育ちのお姫さまが泣かないようにするにはジョンの努力が必要なところだった。下手に泣かせて、その親が出張ってくるのも厄介なので、ジョンの役目は重大だ。
その日、ジョンは接触自体はせず、陰ながら護衛して娘の身元を辿ることにしたらしい。それなりに遅くなってから宿にしている大部屋に帰ってきたジョンは、盛大に困り果てた顔をして報告した。
「あの子は……さすがにお姫さまだったぞ」
「なんだと?」
「この領地のお姫さまだ。正真正銘の。色と年齢からしてヒルディア・スートライトと見て間違いない」
全員がそれぞれの反応を示しす中、デュオが嫌に顔をしかめて問い質した。
「スートライト本邸に入ってったのを見たのか?」
「見た。それも正面からじゃなく、裏からだ。あの演習場の外縁、一部が森だろう。本邸の裏と繋がっていた」
「はあ?おかしくないか。方角が違うはずだ」
「ぐねぐね曲がったけど、繋がっていたよ。なんなら後で案内してやる。大人でもそれなりに歩く距離だけどな。途中、倒木の虚にあの敷き布を突っ込んで隠して、そのあともすたすた歩いて……一度、谷に降りる。そこであの子、何してたと思う?」
ジョンが恐ろしいほど真剣な顔をしていたので、ヒューたちは嫌な予感がしはじめていた。それでも無言で続きを促すと、ジョンは一音一音を噛みしめるように言った。
「……おさらいをしていた」
「なに?」
「おさらい?」
「演習場でやってた組手の型だ。ドレスのまま、ゆっくりと。足場も悪いから相当ぎこちなくって、はじめはなんか下手くそなダンスだなと思ったもんだが、あれは間違いない」
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「かわいそうな長女って噂だったはずだけどな……実はとんでもないじゃじゃ馬なんじゃないか?いくら森と繋がってるからって、警備の兵士が巡回もしてるんだ。そこは確認した。だけど、あの子は物慣れた風に出入りしていた。ついでに兄妹も慣れてた風だった」
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グレッグが身を乗り出すように尋ねたものの、やはりジョンの返答は決まっていた。
「影も形もなかった」
「……嘘だろ!?宗主の直系に単独行動させんのかよ!?しかもあんな子どもを!ありえねえ!」
元貴族の彼らだからこそ、貴族が本当の意味でたった一人になれる場所など限られていると知っている。必ず側に従者が控え、護衛が周囲に目を光らせる。自宅だろうとだ。
貴族は歩く財産だ。ましてや子どもともなれば危険はなお増す。
大人は何をしているんだという非難は当然だった。
「……これ、踏み込むの、厄介なんじゃねえ?」
セルシェンがぼそっと呟くと、アルベルトが「だよな」と頷いた。元貴族として、そして傭兵として長く社会を見てきた彼らの勘が警鐘を鳴らしている。
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「兄貴?」
「なんでお姫さまが組手なんざ練習してんだろうな」
「それは確かに……でも、そんなに気にするほどか?」
論点としては宗主の娘の一人歩きの方が問題だとみんなの顔が訴えていたが、当の目撃者のジョンは反芻したようにしみじみと頷いていた。
「まあ、やたら熱心だったな。覚えてないところもあってつっかえつっかえだったが、全部一通りできたときは物凄い喜んでた」
「一人歩きするにしたって、なんで演習場だ?敷き布まで用意して。貴族の女ってのは、老いも若きも綺麗で可愛いもんしか眼中にないと思ってたんだがな」
「案外、あそこに好きなやつでもいるんじゃねえの?でも身分違いとかで見てるしかないとかな。そんな恋物語が好きだろ、女って」
デュオが適当に答えると、ヒューはきらっと目を光らせて「それ採用」とずばり言ったので、椅子の背もたれに預けていたデュオの上体が横にずり落ちかけた。採用ってなんだ。
他の面々もあっけに取られている中、ヒューは堂々と宣言した。
「明日はおれが行く」
彼らのまとめ役は、見るからに年甲斐もなく好奇心いっぱいで、万が一お姫さまに泣かれたときのことは考えていないに違いなかった。
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巡回の目を警戒しながら、用心して森に踏み込んでいったヒルダに目をつけて、そっと後を追った者がいたことに、ヒルダは気づかなかった。ただでさえ急いでいたのだ。谷に出るところまでは振り返ったり立ち止まって耳を澄ませながら、人の気配を気にしていたが、谷を降りて方角を曲がってからは一目散だった。
演習場を「落星」が訪れるのはいつまでか、ヒルダは知らないし、兄上でもさすがに探りきれなかった。せめてそれまでの間、時間を無駄にしたくはない。
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父にこの外出を気づかれたときを思えば、怖くてたまらなくなる。
(それでも、「落星」なら、父上の力なんてものともしないかもしれないけど……)
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だからこそ、今この時を選んでヒルダは演習場まで走っている。
敷き布を隠した木のところまで辿り着いて、なんとか呼吸を整えた。
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いつか二人の名を持って誇りとなすこの領地のために。
「お嬢ちゃん、そんなにひたむきにむさ苦しい野郎どもを見たって楽しいかい?それとも、意中のやつでもあそこにいるのか?」
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※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

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Na20
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