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奴はあいつでどーでもいいのです。

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 勘当された身であるヒルダが、アレンやシドやニーナ、ドルフを頼らずに兄妹にだけ会う、というのは、高難度に見えて、意外に容易いことだったりする。
 ラスの勧誘によって「逃げる」という選択肢が生まれたことで兄妹のことを思い出すだけの余裕を取り戻したが、まだ兄妹以外と顔を会わせられるほどには回復していないので、ヒルダは別邸への無断侵入を決意していた。

「それから、お屋敷に黙ったままよそで一晩越したわけだし、ドルフさまが捜索に人手を出してるはずなのよね」
「だからおれの服買ったわけ?」

 ラスがにやにやと笑いながら尋ねてくるので頷いた。

「この一式、売ってくれてありがとう」
「どーいたしまして。ディアってほんとに面白いなー。全然飽きないのはこーいうののせいだよね、もう」

 ラスの庶民服と履き物を買い取って着替え、化粧を施せば、顔色の冴えない少年の出来上がりだ。宿の厨房から小物の洗濯用にもらった灰を失敬して、髪に揉み込んでくしゃくしゃにすれば髪色が褪せて艶も消える。後でキシキシになるだろうがそこは気にしない。
 どうだ、とラスの目の前で両手を広げると、ラスはノリよく拍手してくれた。

「その胸すげえね。布何回も巻いた?体格変わって見える」
「……まあ、そうね。潰すにも限度があるから」
「ところでおれのシャツの余ってる袖捲ってんのめっちゃときめく。捲ってなくてもちらって指が見えてたら更にときめきそう。もう全部がおれのツボ!」
「……」

 他人から胸のことを言及されるのにいやらしさを感じなかったのが人生はじめてでちょっと感動していたのに、余計な発言のせいで台無しである。
 しかし、口振りはアレだが目だけは真剣にヒルダを眺め回していた。身分を隠して他国に潜り込んであれこれ仕事をしている身の上なので、他人事ではないらしい。

「こういうのも手慣れてんの、なんで?スートライトで諜報までやってたわけ?」
「あの人たちに嗜み以上の勉強も鍛練も禁止されてたあたしが、どうやって知識と武術を身につけたと思う?」
「……スートライトって滅びんの?」
「兄上がそんなことさせないわ」
「最後の砦、めっちゃ命狙われてるけど」
「砦の防壁は鋼鉄製よ」

 ラスが「確かに」と頷いたのは、既に何度か襲撃に参加したかなにかしたためだろう。ヒューズたちもシドもそんじょそこらの刺客に負ける腕ではない。ラスも彼らと渡り合えるほどの腕利きだが。

「……あなたはまだあの人たちと繋がってるの」
「いいや?王都を引っ掻き回す材料がほしかっただけだし、それが終わったんだからもうあんなのに用はないよ。この先長くないのにわざわざ自滅してく奴と下手に関わり持ってたらこっちまで危険だもん」
「……そう」
「安心した?おれが敵にならなくて」
「あなたが敵になるってことはルーデルも敵だってことだもの。さすがに一国が乗り出してくるなら面倒だわ」
「そこはね、『アナタを嫌わなくてすんで嬉しい!』とか『アタシはアナタを信じてるわ!』くらいは言うもんだよ!」
「元より嫌いだし、性格最悪な人に良心を求めるなんて、あたしそこまで落ちぶれてないわ」
「徹夜明けなのに切れ味抜群!好き!」
「……あなたは徹夜明けなのに相変わらず変態よね」

 こんなに茶化してくるくせにヒルダの逆鱗をきっちり把握してそこだけはつつこうとしない辺り、なんとも言えない。「ひどいなぁ口説いてるだけなのに!」と抗議してくるが、説得力が皆無なのは、その断固とした線引きの「茶化せる」範囲に口説きが入っているせいでもある。

(まあ…………万に一つ、いえ億に一つ?本音の可能性もある、けど……。それこそどう信じろっていうのよね)

 ためしに結婚してみる気もないので、ヒルダのとる態度は揺るぎようがない。
 ひとしきり騒いで満足したのか、ラスは宿の前まで「見送るよ」とついて来た。

「じゃあね、どこかでまた会えたらいいね」
「故郷のこと聞くのは楽しかったです」
「わあおれに興味持ってくれたの嬉しいって大声で言えないなぁ」

 当然ヒルダは男装しているし、通行人には冴えない少年に見えているわけだし。いらぬ勘違いは受けそうである。それでもラスは「友達同士だとハグはするよね!」と言い張った。油断も隙もない。

「とんでもありません、一晩こんな素晴らしいところに泊めていただけただけでもおそれ多いことですのに……このご恩はけして忘れません」
「あ、そういう設定」

 卑屈なほどぺこぺこ頭を下げるヒルダは、富裕なラスにお恵みを頂いた宿無しに見えているだろう。「ま、歳が近くて見捨てられなかったし、違う世界の話も楽しかったしね」とすぐさま調子を合わせてくれたラスは、仕事柄、こういうものに慣れているらしい。
 ヒルダの見送りに来たはずが、ラスは設定に素直に従って先に宿に引っ込み、ヒルダがそれを頭を下げて見送った。

(これで貸し借りは相殺されるかしら)

 さてとヒルダは道を歩き始めた。








☆☆☆









  厳重に警備されていても遺漏はある。ヒルダは日雇いの身分で別邸に出入りする業者の荷物持ちに紛れ込んだ。普通の規格の剣を振れるくらいには力持ちなので早々怪しまれない。もちろん周りの男たちとは体格が違うので小物の類いを運ばせてもらったが。
 建物の中にさえ入ることができれば、ここはヒルダの元の住みかである。
 いずれどこかの家の女主人になる身、その住まう屋敷のことは夫のことから使用人、部屋の造りや警備のことまで全て把握しなくては、という決意の元、予行演習としてスートライトの本邸と別邸を悉く知り尽くしていたし、こういう外部からの侵入経路も色々考えていた過去がある。セシル兄上には「ヒルダってとことんやりきるよね……」と呆れたように言われたものだ。ヒルダもやりきった後にやり過ぎたかなとちょっと思った。女主人というかもはや警備の総司令官では。
 その抜け穴を使って兄上が一人で木登りをしたこともあるし、ヒルダが人知れず鍛練に励むにも役立った。父や母に穴を報告したところで怒られ否定されるのが関の山なので、兄妹以外には秘密の抜け穴情報となったのだ。使用人がどの時間帯にどの仕事でどの通路を使うかなんて、我ながらよく調べ上げたものだ。

(人生なにが役立つかわからないわね)

 元婚約者がこの屋敷にいないのは屋敷内の雰囲気から察した。となれば宿を取ったのだろう。あとはシドとニーナを警戒すればいいだけだ。二人ともそれぞれの主人に常に付きっきりなほど暇ではないのだし、今の時間のニーナなら――主人が起きる前の支度か。

「アデル、起きて」
「……んむぅ……だぁれ……?」
「ぐっすり眠ってるところに悪いんだけど、お願い、アデル」
「あれぇ……ねぇさまだぁ……」
「ええ、おはよう」
「……姉さまだ!?」

 眠気を蹴飛ばすようなすごい勢いで跳ね起きたアデルにしっと人差し指を立てて静かにさせた。それでも目は笑ってしまう。

「アデルったら。可愛いけど、今抱きつくと汚れちゃうから駄目よ」
「ええ……どうして?」
「今のあたし、不法侵入者なの」
「あっ、みんなに知られちゃいけないのね?」
「兄上以外にはね」
「わかったわ!」

 全て承知、とばかりにきりっと表情を引き締めたアデルは、次の瞬間にこてんと首を傾げた。

「どうやって兄さまに知らせればいいの?」 

 ああ癒される。ヒルダはその頭を撫でくり回したくなるのを必死に我慢した。目立つ汚れはないが汗や埃がついている身では気安く触れない。

「ここに呼んでくれる?きっと兄上寝ていないと思うから、兄上のお部屋の周りには近づけないと思う」
「どうして?」
「あたし、昨日お仕事サボって家出もしちゃったの。兄上にはアレンから情報が回ってるだろうし、ドルフさまがアレンにあたしの行方を問い合わせたりもしてるはず」
「どうして?」
「……元婚約者と遭遇したの」

 アデルの顔が一瞬で真っ赤になった。「おう、とに、来てるって、こと?」とカタコトなのも憤怒を懸命に堪えているためだ。ヒルダはそれをなんとかかんとか宥め、今一度頼んだ。

「アデルが知らないなら、兄上もまだ知らないかもしれないわ」
「そうね!早く教えてあげないと!姉さま、少しだけ待っててね!」
「ありがとう」

 使命感に溢れた顔で呼び鈴を鳴らすアデルにちょっぴり笑いつつ物陰に隠れた。妹の癒し度が物凄い。
 珍しく起こす前から起きている寝起きの悪い主人に驚いたニーナに、アデルは「姉さまがいなくなる怖い夢を見ちゃって……」と今にも泣きそうな憂い顔で訴えた。美少女なだけに破壊力は抜群だ。はっと顔色を変えたニーナにアデルは念押しした。

「兄さまは、いるわよね……?」

 うるうる、ふるふる。
 あ、これまずい今すぐ泣く――顔も見えないのにニーナの心情が手に取るようにわかるヒルダである。そして泣くアデルを慰められる存在はここにはたった一人しかいない。

「安心してください!急いで、ええ、急いでお連れしますので!!お待ちを!!」

 真っ青な顔で飛び出してゆくニーナを見送るアデルの目は若干荒んでいた。衝動的に甘えるのと意識して甘えるのでは、理性に訴えかけてくるものが違う。なにしろ少し前まで衝動的にさえ甘えきれないツンデレだったので。
 それでもちゃんとやりきる辺り、兄のことを捨て身だの野垂れ死に覚悟だのとは言えないのである。










 涙のなの字もないほど元気なアデルを見たセシルは、妹と食べたいからとこの場に朝食を運ぶよう指示を出した。給仕を下げさせると、ふらりと物陰からもう一人の妹が顔を出したので、セシルは安堵の笑みをこぼした。

「……よかった、無事だね」
「兄上、心配をかけてごめんなさい」
「大したものじゃない。朝食は食べた?分けてあげようか」
「あっ私も!私も姉さまと半分こする!」
「ありがとう」

 三人、幸せなひとときにひたりつつ食事を終えたら、現実と向き合った。

「まず私の把握していることから明かそう。ナジェル・サーヴェがスートライト領を密かに抜け出して王都に来た。恐らく直接この屋敷に来るはずだったが、ヒルダ、君と会ってしまったので予定が変わったんだろう。奴がサーヴェ子爵にも無断で内密に動いたからか、アレンもシドも昨日になるまで気づかなかった」
「予定が変わったって、どうして?あいつが兄さまに会うならともかく、姉さまを気にかける理由なんてないじゃない」
「アレンはヒルダ、君を誘拐しようとしていたと言っていたけど、本当かい」
「ええ。偶然、すれ違っただけなんだけど……しかも馬車と徒歩で。あの人、馬車を飛び出して追いかけてきたの。あたしをどこへ連れていこうとしたのかはわからないけど、話がしたいって言い張ってたわ。そこに、隣国からお帰りになっていたらしいお忍び姿のドルフさまのご子息さまが仲裁してくれて、なんとかなったんだけど……」

 その後どうして家出まで至ったのか、ハルトの名前を出そうとしてためらって、今は言わないことにした。

「兄上、アデル。あの人、あたしからしたら全く訳がわからないことを言ってきたの。あの人ってあんな感じだった?」

 覚えている限りのやり取りを説明して二人の反応を見てみたら、やはりと言うか、まあ奴とかあいつとか言っていた時点で心証はわかりきっていたが――「私がその場に居合わせていたら問答無用で斬り捨てていたのに」「気持ち悪……あのときもっと痛めつけてやればよかった」と吐き捨てている辺り、あの婚約解消について、ヒルダが加害者かはまず論外として、ナジェルが被害者という印象はこれまで欠片も抱かなかったらしい。

「奴の自己認識がどうあれ、婚約者としての義務を果たさなかったのは揺るぎない事実だ。そこを棚上げして、よくも……」
「子爵や子爵夫人がこっそり介入していた可能性はない?手紙とか贈り物とか、握りつぶそうと思えばできたはずだもの」
「姉さま。私それでも許せないわ。だってあいつ、社交の場で姉さまを婚約者として立てたこと、一度もなかったじゃない。姉さまのことを大切にしようと思ってるそぶりが全くなかったのよ?それでいざその責任を突きつけられたとたん自分は悪くないって言うなんて、人として最低最悪よ」

 この点に関しては王都にいた兄上より、第三者ながらに最も近くでヒルダたちを見ていたアデルの方が発言に説得力があった。こっそりと安堵の息をついたが、兄上にはバレていたようだ。しょんと眉を落として尋ねられた。

「君のその不安は……一方的に切り捨てた罪悪感?」
「いいえ」

 ヒルダはきっぱりと否定した。強がりではなく、隠しているのではなく。
 兄妹よりは健全な精神を持っていても、ヒルダだって相手に対してそんな感情を抱けるほど心豊かには育ってこなかったので。そもそもそうだったら故郷を捨てていない。

「不安なのは、いかにあの人が納得できていない婚約解消でも、あたしが勘当されたことをわかってるはずなのに関わろうとしてきたことよ。だってそれは宗主の意向に表立って逆らうことだわ」

 勘当によって、事実はどうあれスートライト侯爵家の汚点――ひいては一族全体の汚点となっている今のヒルダに、どういう価値を見出だしたのか。ヒルダに負い目を着せてまで、自分は悪くないと言い張ってまで、ヒルダになにをさせようとしている?

「どうせ目的なんて決まっているが、このまま会わずに領に強制送還しても、悪化するだけか……」

 兄上が渋々と言い、アデルはきょとんと「え、会うの?」という顔なので、その落差にヒルダは小さく笑った。

「では私が領から呼び出したという体にして手土産を持たせよう。もちろんヒルダに執着されては堪ったものではないから、そこは話し合いだ。アデル、君も参加するだろう」
「よくわからないけど、あいつのこと、もう一度殴っていいの?」
「目に見える傷はいけないが、言葉でならいくらでも」
「参加するわ!この間は口より手の方が先に出ちゃって、文句なんて大して言えなかったもの!姉さまは?」
「あたしは同席しないわ」
「しないの?」
「あたしがドルフさまの元に保護されているって強く思わせた方が牽制になるの。兄上のところに匿われてることが前提だと思われると、身内の問題だって意識が強くなっちゃう。ただでさえ宗主に逆らってるんだから、なりふり構わないかもしれないわ。けれど、他家の――しかも格上の相手の懐からあたしを拐おうとしたらその場で戦争よ、それはどうあっても避けるはずだわ」
「……あっ、そうだわ、昨日引き下がっていったみたいにってことよね?」
「そういうこと。勘当された以上、微妙な扱いになるのは避けられないってあらかじめわかっていたけど、いざそうなると面倒ね……」
「姉さまはあたしの大事な姉さまよ!」
「私にとっても大事な妹だ」
「……うん、ありがとう。あたしも二人が大好き」

 嬉しくて嬉しくて、にこにこ笑うヒルダにつられて二人も笑み崩れたが、「じゃあ私、姉さまの分もめっためたにやっつけるわ!」「やはり多少の怪我なら事故にできる気がする」とか物騒なことを言っている。ヒルダはあの厚顔無恥な元婚約者には二度と会いたくないので無言で見守ったが、ひとしきり満足しただろう頃を見計らって話題を変えた。

「それで、その、昨日の家出のことなんだけど……」

 兄上もアデルも、きっとヒルダがその話をあえて避けていたことに気づいていた。二人ともふっつりと言葉を途切らせてヒルダの次の言葉を待った。

「方々に迷惑をかけて、本当に申し訳ないと思ってるの。でも……」
「……奴との再会だけじゃないんだね?公爵のご子息かい」
「結局はあたしの心の問題なの。突発的にあれこれが重なっちゃった結果、あんな醜態を晒しちゃったんだけど……。ライゼン先生が、その方と一緒にいらっしゃったの」
「なんだって?」
「ライゼン先生?」

 アデルは誰だと首を傾げていたが、またすぐにあっと声を上げた。

「姉さまと公爵さまとの接点の方、よね?兄さまの家庭教師だったって……」
「そう、その方。聞いていたよりもご子息さまと親しげな仲だったわ。お忍びに同行されるくらいだもの」
「……奴とのやり取りを見られてしまったのか」
「そう、それで混乱しちゃって。アレンが駆けつけてきてくれたのに無視して逃げ出しちゃって。誰にも会いたくなくて帰らなかったの。……実は今もどんな顔してみんなに会えばいいかわからなくて、こんな風に忍び込んじゃった」

 アデルが兄姉をきょろきょろ見比べていた。どういうことかいまいちわからない、という顔だ。兄上は苦笑して、「アデルはまだ小さかったから覚えてないんだろう」とアデルの頭を撫でた。その目はどうする、とヒルダに問いかけている。
 どうすると聞かれても……とヒルダも苦笑した。ナジェルはどうでもいい相手だが、ハルトはそうではない、それだけのことだ。

「あたしが二人のために学ぶことを肯定して、背中を押してくださった方なの」

 そんな風にヒルダの尊厳を育てようとしてくれた人の目の前で、ナジェルが、長年の習慣のように、当然のようにそれを踏みにじろうとしてきた。
 ヒルダの尊厳のために教師としての未来を閉ざされた、あの人の目の前で。

(あたしは、馬鹿のひとつ覚えみたいに、人違いだって言い張るばかりで)

 またあの人を傷つけてしまったのかもしれないと、そう考えたらいてもたってもいられなくなったのだった。ヒルダの過去を、努力を、成果を認めてくれたアレンやドルフにも顔向けできない気がした。今さらナジェルに言ってやりたいことなど一つもないが、あの時言わなくてはならない言葉がきっと山ほどあって、ヒルダはそれを、一つとして言えなかったのだ。

 ラスが今のヒルダを流されないと言うのは、故郷でヒルダがどう生きてきたかを知らないから。流されないような生き方は王都に来てから身につけただけで、簡単にボロが出る程度の代物だ。

(あの人の道を閉ざした責任を……あたしはあの場で取ることができなかった)

 それほどまでに、自惚れていた。
 ああ、まずい。考えれば考えるだけ、もう一生誰にも会えない気がする。情けなくて恥ずかしくて死にそうだ。

「ヒルダ。私は、ライゼン先生が父に追い出されるのを指を咥えて見ていただけだった。あの方を父の目の前で庇うこともしなかった。私がそうしていたら、父は折れてくれたかもしれないのにね」
「……そんなことは……」
「ない、とも言い切れないだろう?君のこともそうだ。私一人が王都に来るなら、君もアデルもまとめて連れてくればよかったんだ。今はこうしてちゃんとできてるんだから、昔できなかった、なんてただの言い訳だ。あの時こうしていればって、何度私が思ったと思う?」

 灰まみれの髪がそっと撫でられる感触に、ヒルダは恐る恐る顔を上げた。

「でも、ヒルダ。それでも君は勘当のあと、真っ先に私を頼ってきてくれた。それがどれだけ嬉しかったことか。私は完璧な良い兄にはなれなかったし、君も完璧な女性じゃない。アレンも公爵も忽然といなくなった君を夜を徹して心配して探し回ったことを、迷惑だと思うかい?」
「思うわけないわ」
「嬉しい?分不相応だと思う?」
「……両方」
「私も同じだったよ。でも君は私を兄と慕ってくれて、私が兄失格と言ったら否定するんだろう?彼らが求めてる君の姿に、君が自分で見合わないと思うなら、努力を始めるのに今からだって遅くはないんだ。反省と後悔は成長の糧。会うのが怖いなら私とアデルがついていくよ。ね?」

 横からアデルが抱きついてきたが、ヒルダはもう汚れるから、とは言えなかった。うんと頷いたときに顎を伝い落ちた涙は、温かかった。
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