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幕間:その日のブランシェ家

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「お父さまはまだお帰りにならないのか?」

 昼食後の講義をサボって自邸に帰宅したシェルファは、口調を取り繕えないほど苛々していた。
 アリシアがお茶を用意していたが、手をつける様子もなく、湯気が立たなくなっていく。もったいないわね、と思いつつアリシアが片付けようとしたら、はじめてその存在に気づいたように、茶器を奪い取った。冷めたお茶を豪快に飲み干し、ソーサーに戻すときだけ慎重になる。器用な方である。

「お城でもなにかあったのかもしれませんね」
「私の知ったことじゃない」
「ご自分のこととなると視野が狭くおなりでいらっしゃいますが、旦那さまに直すようにとご指摘を受けていらしたでしょう。つい最近も人前でしでかしていらっしゃいましたが?」
「……わかった」

 アリシアは、暗に「先日の失態を旦那さまに言いつけますよ」と脅していた。とても苛々していたシェルファだったが、それ以上文句を言うのは止めた。余計な告げ口のせいで、せっかく多忙な父に空けてもらった時間を説教に費やされるわけにはいかない。元々猪突猛進のきらいがある主人を長年補佐してきた侍女アリシアはシェルファの弱点を容赦なく突いてくるので、シェルファにとって逆らえない人物だった。
 と、いっても、今回ばかりはシェルファの気持ちを慮ってくれているようで、口調や態度については指摘しない。
 迂闊なことを言わないようだんまりを決め込むことにしたシェルファの元に父ロベルトの帰宅の報せが届いたのは、一時間は後のことだった。書斎に呼ばれるかと思いきや、先触れの使用人の背後に既に立っていて、シェルファの部屋の前で応対したアリシアは少し目を丸くした。

「アリシア。シェルファは無事かな」
「……? はい、お転婆は一度もお見せになりませんでしたが」
「ははは、そうか」

 部屋の奥にいたシェルファは、アリシアの肩越しに父と顔を合わせ、首をかしげた。こころなしか厳しい表情が、安堵したように緩んでいた。

「お父さま、お帰りなさい」
「ただいま。アリシア、ぼくの分の茶を用意してくれ。シェルファ、ぼくに聞きたいことがあるんだろう。ここで話そう」
「今から?」
「そうだ」

 それは人払いの合図だった。アリシアが道具を取りに外に出て、ぱたりと閉じられた部屋の中には父娘の二人のみ。シェルファはさあ何を告げられるかと身構えた。

「学園でのことはおおよそ知っているが、今度は、あちらの勢力が大規模にてこ入れされることになるだろう」
「……はい?」
「ナタリー・レーウェンディア嬢ら一部王子派が、アデライト・スートライト嬢とファリーナ・グレイ嬢に危害を加えんとした。失敗した末、ライン・キルデア以下実行犯は学園内で拘束、ナタリー・レーウェンディア嬢は寮の一室で軟禁状態だ」

 シェルファは立ち上がった。美しく湾曲する椅子の脚が二本地を離れ、がたりと音を立てて倒れた。
 ロベルトはまだ立ったまま、宥めるように目を細めた。

ぼくのお姫さまイ・ラミナ、お前が狙われずにすんでよかったよ」
「なにを、言って……!」
「城では、セシル・スートライトが王太子殿下と王子殿下に庭園にて講義中、襲撃を受けている。数人捕らえたが、みな口を揃えて『セシル・スートライトの手引きで忍び込んだ』と言う。そのためセシル・スートライトは城内で拘束されている。どうもあの家は、派閥を荒らすのがお好きらしいね」
「お父さま!」
「別にふざけている訳じゃない。お前にこうして教えてやっているのはなぜだと思う?下手に首を突っ込まれたくないからだ。――座りなさい」

 そっと肩に置かれた手の温もりは心地よく、だからこそシェルファは払い除けたくなった。

「私は本当に無関係だと、そう言えるのか?三人とも、私が学園で特に親しくしていたというのに。アデライトさまとファリーナさまの危機は昼頃のことだろう?ナタリーさまを引き離して二人きりにさせたのは私だ。よかれと思ってやったのに、そんなことになるとわかっていたら、私は絶対にそうはしなかった!」
「……お前がその場にいたら、どうなっていたかわかってるのか。ナタリー嬢はお前の名前を使ってファリーナ・グレイ嬢をアデライト・スートライト嬢から引き離したんだ」

 ナタリーは伯爵息女、シェルファは侯爵息女だ。そんな前提がありながら、その名を勝手に使うなど、絶対にやってはいけない。そんな弁えのない真似をしたのかとさすがに息を呑んだシェルファだが、すぐにまた首を振った。

「ナタリーさまはそんなことしない!きっと脅されるかなにかしたんだろう。それこそキルデアの奴とか、他にも……」
「どんな事情があろうがあるまいが、お前の名前を使ったと、彼女は認めたそうだ。王太子派の力を削ぐために、とね」

 シェルファもまた被害者なのだと、ロベルトは言った。
 シェルファは力が抜けて異国情緒ある絨毯の上にぺたりと座り込んだ。ロベルトは呆然とする娘に合わせて膝をつき、慰めるように髪を撫でた。

「残り二年しかないお前にとって酷な事実だとは思うが、受け入れなさい。ぼくの目からもお前の友人たちはそれぞれ希有なものを持っていたが、お前の安全には変えられない。しばらく学園も閉まるだろうし、いっそディオールに旅行に行くのもありだよ。この国にはもう煩わしさしかないだろう」

 シェルファの顔がくしゃりと歪んだ。菫のように美しい紫の瞳が潤む。震える喉から、必死に声を絞り出した。

「……それは、旅行に行って、そのまま帰ってくるなってこと?」
「そうだ。別に挙式までは早めなくてもいいけどね。二年、現地で花嫁修業を詰むのもいいだろう?お前の従兄殿には婚約者に手を出さないよう釘を刺しておくし、観光案内もできるだろうし。のびのびと残りの時間を謳歌するといい」
「嫌だ。まだやり残したことがあるのに、そんなに急に――……」

 シェルファははっと目を見開いた。涙になりきれなかった雫が、一滴こぼれ落ちる。ある日の学園のサロンでのことを思い出したのだ。ナタリーの温かな手、ファリーナの柔らかな慰めの声。

 そうだ。わざわざ父を城から呼び戻してまでシェルファがしたかったことは、こんなことじゃない。

(だって、私、まだ思い出を作れてない)

 食堂でアデルとファリーナを待っている間、ナタリーの侍女がどこからかひょっこり戻ってきて、その後すぐ、学園長の従者の数名がナタリーたちをどこかへ連れていこうした。戸惑うシェルファとアリシアを置いて、文句を言おうとした侍女を抑えて伏し目がちに微笑み、黙ってそれに従ったナタリー。
 両手をぐっと握りしめた。
 あれが最後の別れになるなんて、絶対に認めない。

「……お父さま、質問があります」
「ん?」
「なぜ私は、今ここにいることができているのでしょう?」

 感情に流されるな。ファリーナのように賢くはないのだから、せめて思考を回し続けろ。引っ掛かる部分ならいくらでもあっただろう。

「ナタリーさまに『勝手に』私の名前を使われた、周囲がそう認識しているのはなぜですか?私が本当にそうしなかったとはっきり断言できるのですか?私はこれまでなんの聴取も拘束も受けておりません。何一つ己の身の潔白を証していないのに、幇助犯としても関係者としても扱われていないのは、なぜですか」
「……」
「お城でのことは知りませんが、少なくとも学園内で今日のことが起こるのは予想の範囲内だったのでしょうか?王子派、と言ってましたね。派閥の中で暴走が起きた、アデライトさまとファリーナさまを害するのは王子殿下――もとより王兄殿下の望むところではなかったのでしょうか。それでもキルデア家やレーウェンディア家を追い詰めるためにはことを起こさせるしかなかった。お二人とも無事ですわよね?」
「最後の問いには是と答えよう。バルメルク公爵家に保護されているよ」
「なぜそれをご存知なのです」

 シェルファが睨み付けるようにロベルトを見つめるのと反対に、ロベルトは穏やかだった。ただ、娘と同色の瞳がきらりと光っている。

「そもそもお父さまは、城にいながら、学園で起こったたった少し前の出来事を――その顛末をどうやって耳にしたんです?捕縛側で関係していたのですか。というか、お城でも……お父さまの仕事場は庭園とは真反対の位置にありましたよね?それをまるで見聞きしたようにすらすらと説明していましたが、どうしてご存知なのでしょう」
「お前に火の粉がふりかかると知っていたなら、ぼくは今日、お前を登校させることはしなかった。ぼくごときの役職で全てを知り尽くすのは至難の技だ」
「ではお城でのことだけは、あらかじめご存知だったと」
「そうだね」

 シェルファはそっと息を吸った。質問の順番は、間違えてはいけない。
 それは絡まりまくった糸をほどく作業にも似ていた。

「……それでは。セシル・スートライトさまが標的とされたのは殿下でしょうか」

 何がそんなに愉快だったのか、にんまりとロベルトが笑った。

 質疑応答はその後、長く続いた。アリシアが大分時間を開けてお茶を持ってきたときにも、まだ、父娘は向かい合っていたのである。一応二人ともテーブルに着いているが、変化はそれだけだ。
 アリシアがいる最中は会話は中断され、痛いほどの沈黙の中、淹れるお茶の匂いだけが柔らかくくゆる。また退出しようとしたアリシアを、シェルファが呼び止めた。

「あなたから見たナタリーさまの侍女の印象を教えてちょうだい」
「……」
「もちろんここだけの話よ」
「では申し上げます。レーウェンディア伯爵令嬢のお側に仕えるには未熟であると感じました」

 シェルファは眉間にしわを寄せたまま瞑目した。苦痛を耐えるような痛ましい表情で、友の覚悟を思った。
 家のためにと常に己を律し、物事に励んでいた彼女が、こんな風に家名を汚す真似をするとは思えなかった。でも、違ったのだ。彼女は既にできた汚れを一身で拭おうとしている。

「……許さない」

 何を、とは決まりきっている。

 次に瞼を押し上げた時、その紫の瞳にはごうごうと炎が燃えていた。









 アリシアを再び下がらせたシェルファは、ずいと身を乗り出してロベルトに迫った。

「お父さま。可愛い娘のおねだり、聞いてくれるだろう?」
「なんだ?」
「私の行動を一切黙認するという一筆がほしい」

 ロベルトの視線が、はじめて鋭く娘を貫いた。

「ぼくは、ナタリー・レーウェンディア嬢への面会も釈放も、許可しない」
「そんなことしない」
「じゃあ、何を目論んでる?」
「簡単なことだ。ナタリーさまのお覚悟には最大限譲歩するが、私は私の意地を通す」

 父娘の間で火花が散った。なにも疚しいところのないシェルファの方が、若さも手伝って眼力が強かった。対するロベルトもまた、侯爵家を背負う身分において、この複雑な状況下において娘の綱渡りのような真似など認められるわけがない。

「具体的に言いなさい」
「ナタリーさまの無罪放免は不可能だ。ナタリーさまの侍女が勝手に仕出かしたこととはいえ、監督不行き届きであることは明らかだ。お父さまのお立場ではそれを許しては示しがつかないってこともわかっている。同じ理由で、面会してナタリーさまご自身で発言を撤回なさるようお願いするのも無意味だ。それに、ナタリーさまご自身も、断じてそんな説得には耳を貸さないだろう。――でも、罰を軽くすることなら」
「ぼくがそれを許すと?」
「無条件とは言わない」
「取引材料は?」

 シェルファはぐっと顎を引いた。ここが一番肝心である。
 ちろっと視線を明後日の方向にやって、またロベルトに戻した。背に腹は変えられないとはこの事か。いや自分で取引材料にしたのだが。
 一回息を吸って。吐いて。もう一度吸う。
 やけくそのように宣誓した。

「――お、お父さまのことを、『ディルダナ』と呼ぶ!!」

 一瞬、時が止まった。恥ずかしさのあまり赤面するシェルファに対し、無の表情になったロベルトは淡々と「期間は?」と問いかけた。

「に、二ヶ月」
「短い」
「三ヶ月!」
「三ヶ月も半年も対して変わらないな。ちゃんとこの屋敷内だけじゃなく外でもそう呼ぶんだよ」
「えっ」
「ちょうどひと月後に王家主催のパーティーもあったね。楽しみだ」
「ちょっと、……えっ!?」
「ぼくは一人娘には甘いから。後のことはお前が捌くんだよ?」
「うぐぅ……!」

 確かにナタリーの減刑嘆願そのものも、侯爵家の体裁的にはあまりよろしくないのだ。一人許せばその他まで嘆願を迫る事態になりかねない。中には勝手にシェルファの友人を自称して父に情けをたかる輩も現れるだろう。だからシェルファは恥を忍んでそれを最低限回避でき、かつ父が喜ぶ策を提案したのだ。
 父が駄目ならと自分に取り入ろうと流れてくる者に対処することくらいなら、シェルファでもできる。
 そこに、まさか父が助走をつけて全力で飛び乗ってくるとは。
 屋敷の者に生温い目で見られることくらいは承知の上だったのに、なんだか社交界でシェルファがとんでもないファザコンのような扱いを受ける予感がひしひしと感じられる。しかも半年だ。恥死へのカウントダウン開始の鐘の音がどこかで鳴っている。

「あと、実際に減刑が成らなくとも、無効にはならないよ?」
「……わかっている」
「子爵令嬢はともかく、あの妹大事の若君が情けをかけるとは思えないがね。ましてや花が強引に摘み取られるところだったのに。勝算はあるのかい」

 シェルファは痛いところを突かれた、という顔をした。実際に危険な目に遭った彼女たちに目こぼしを、と言ったところで、何様だという話だ。でも――まだたった数ヵ月、親密にしたくらいの仲だけれど。
 信じたいと、思うから。

「私のあと残された二年間には、三人とも必要なんだ」

 どちらか選べと言われたら全部取る。
 さすがにロベルトは呆れたように肩を竦めた。

「自分勝手なお姫さまだ」
「誰かのためと言うよりよっぽどマシだろう?」
「それはそうだ。それで、勝算そのものは?」
「……最終手段が、あるにはある。悪どいからあんまり使いたくないけど。バルメルク公爵の後見がついたソラリア商会の重役が、ナタリーさまに一度、助けられたことがある。そこを突けばいい」

 ぴくりとロベルトの眉が波打ったことにシェルファは気づかなかった。

「……その重役のことをお前がなぜ知っている?」
「学園に研修生として在籍しているんだ。ヒルダという、女性の方だ。お父さまもご存知だろう、学園での窃盗騒ぎのこと。派手に打ち上げられていたからな」
「あー……」

 ロベルトは盛大に頭を抱えた。

「お前……よりにもよって、そこをすっぽ抜かしてるのか……。やっぱりまだまだだな……」
「お父さま?」
「いいかい、シェルファ」

 今度はロベルトが身を乗り出した。緊迫した表情でシェルファの肩に手を載せ、ぐっと力を込める。

「悪いことは言わないから、それだけはやめておきなさい。最終手段はお蔵入りだ」
「どうして?」
「それこそあの若君の地雷だ。つつけばドカンだ。中央と地方の侯爵家同士の戦争など、国中を巻き込んだ内乱にしかならない。お前もそんなことは嫌だろう?」

 なぜか急転直下でとてつもなく物騒な話になった。シェルファはぽかんとして大きな目をしぱしぱと瞬かせた。内乱ってなんで?
 聞こえた言葉が脳まで届かず宙にたゆたっている。ひたすら唖然とする娘の様子をどう勘違いしたのか、ロベルトは表情を緩めると座り直して胸の前で腕を組んだ。

「そもそも、その事実があるならセシル・スートライトが自ずと動くだろう。うん。安心して、普通に――普通に嘆願しておきなさい。普通にね。余計なことは一切書きも言いもしないように。というか今ここで書こうか。ぼくも委任状を作らないとね。ジョルジュを呼ぼう」

 呼び鈴を鳴らして、やって来たアリシアに、自分の従者の名前を告げてここに呼ぶように命じて、同時にシェルファの分の筆記用具も用意させた。紙は侯爵家当主の執務室に置いてある装飾つきの上質紙をジョルジュに持ってこさせた。
 この日、ブランシェ侯爵家唯一の姫の部屋で、侯爵と姫が同じテーブルで書き物をするという恐ろしく謎な光景が見られたのだが、実際にそれを目にしたのはそれぞれの腹心の配下のみである。

「お父さま、それで、一体どういうことなんだ?」
「もう取引は成立したんだから『ディルダナ』だよ、イ・ラミナ。あと、そろそろ言葉遣いも直そうか」
「ぐううっ。……ディルダナ、ぜひ教えてくれませんか」
「宿題ということにしておこう。期間はそうだな、ひと月。それまでに理由が見つけられないならディルダナ呼びは半年延長だ」
「どっどうして!?」
「答え合わせはいつでも受けよう。楽しみだなあ」

 お嬢さまはまた一体何をしでかしたのやら。アリシアとジョルジュは、それぞれの主人の書き物の横におかれた冷めた茶を下げて、そう独りごちた。







☆☆☆






「と、いうことなんだ。次期侯爵のお前にも他人事ではないからね、了解しておいてくれ」
「……伯父上……だからそんなに上機嫌なんですね……」

 ほくほく顔を直す気もないロベルトに、突如執務室に呼ばれた少年は額を押さえてそう呻いた。
 ブランシェ侯爵家を継ぐのは一人娘のシェルファでもその婿でもなく、早世した侯爵の弟の忘れ形見だ。ブランシェ侯爵邸に実際に住まわせてもらっている彼は、訳あって早くに妻と離縁した伯父の従姉への溺愛っぷりを間近で見て育ったので、従姉には(アレが父親とか大変だな)と密かに同情の念を寄せている。父がいない身としては、普通は従姉を羨ましく思うところだろうが、彼はそんな感情とは無縁だった。それほどドン引いている。
 シェルファも、そんなロベルトをもちろん父として慕っているが、時々鬱陶しそうにしている。さもありなん。

「ディルダナ」とはシェルファの母の祖国ディオールの言葉で、幼い子どもが親に甘え、愛情を乞う時に呼ぶものである。シェルファも昔はしょっちゅうそう呼んで甘えていたが、物心ついてからはそんなこと、恥ずかしげもなくできるわけがない。ちなみにディオール語は王立学園でも学修課程が用意されている。つまりこの国の社交界でもその意味を知る者は少なくない。
 それを年頃の娘に最長一年、呼ばせようというのだ。一体どんな辱しめだ。

従姉あね上、そんなに捨て身になるほどその伯爵令嬢に思い入れがあるんですね」

 思わず本音がこぼれ出た。慌てて伯父に突っ込まれる前に話を逸らす。

「というか、ディオールへやらなくていいんですか?そのつもりだったんでしょう?」
「あれくらいでへこたれるなら、この国に残っていても堪えきれるわけがない。それならさっさとディオールに渡って安穏とした生活を、と思ったまでだ」
「うっわあ……」

 またしても取り繕えない声が出てしまった。ロベルト・ブランシェとはこういう男である。侯爵家という大家を背負うだけの器がある。
 甘いだけではない。優しいだけではない。溺愛する娘だろうと容赦なく篩にかけ、その一線に届かなければ、ためらいなくその意志を無視して強行手段に出る。恨まれたところでびくともしない。
 ことシェルファや跡継ぎの少年に対するそういった行動は、全ては愛ゆえ、ではあるのだが。少年があからさまな奇声を発したのには別の理由がある。

「いやあ、涙目ながら凛々しい表情、さすがぼくとあの人の娘。健気でとても可愛かった……」
「それまさか本人に言ってないですよね?」
「言う暇もなかった。特に――ファリーナ・グレイ子爵令嬢の影響かな?うまいところばかり突いてくるから、それも楽しかった」

 必死にあがいている姿を高みから恍惚と見下ろす変な趣味さえなければ、本当に心から尊敬できるのになぁ……。甥っ子は遠い目をして適当に頷いた。
 唯一の欠点がとことん残念すぎる侯爵閣下である。











ーーー
シェルファは素が男口調。
イ・ラミナもディオール語。
シェルファの母がディオール出身で、ロベルトの留学時代に知り合って結婚した。その後実家からよんどころない事情で呼び戻されて、結果的に離縁した。といっても夫婦仲は至って良好かつ母子の関係も悪くない。母の祖国という事で、シェルファはディオールの言語、文化に堪能。
シェルファの婚約者は母方の叔父の子ども。
ロベルトがことさらシェルファを可愛がっているのは、妻と離縁したあとに周りが再婚をせっついてくる流れで、シェルファが前妻の子として厄介扱いされていたから。これまでもこれからも再婚の予定はなし。

ロベルトの甥の次期ブランシェ侯爵イーサンは幼いながら伯父の補佐をしているだけあって、伯父の変な趣味を知っているが、シェルファは運良く(?)まだ気づいていない。怖いもの見たさで気づいてほしいと思うが、その時はその時で面倒くさくなりそうなので(仲裁役として)、自分からシェルファに教えてはいない。
ちなみにイーサンにはまだ婚約者はいない。


ーーー
ヒルダの素性について、ドルフが伏せてはいるものの調べればわかるように加減をしているので、ロベルトやデュークなど慎重に物事に当たる者は気づいている。シェルファが気づいていないのは無警戒だったから。ナタリーの場合はちょっとおかしいなと思っていたが、調べる人手が皆無だった。
ロベルトはこの際シェルファの危機管理能力を叩き直そうかなと笑顔で画策中。



セシル・シスコン・スートライト、様々な権力者から狂犬並みの扱いを受けている件。 
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