どーでもいいからさっさと勘当して

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変わりもの

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 王立学園は、国内で最も水準の高い学舎まなびやだ。王家と公爵家というほぼ最高位の権力者によって存続が許されていることが理由のひとつ。生徒の身分や資産は成績に一切加味されず、賄賂などでの成績偽造は関係者全員が放校処分になる。進級試験の出来が悪ければ留年、二度繰り返せば退学処分。逆に飛び級もあるにはあるが、そちらは紙の厚さよりも狭い門だ。かの著名なセシル・スートライトでさえ、四年間一つずつ進級を重ねていった、と言えばその高い壁が容易に想像できるというものだろう。
 それほどまでに知識学力に対して厳格な学校だと、貴族の箔付けには敷居が高すぎる。卒業できればもっけの幸い、二年在学でも充分なステータスになるので、第二学年と第三学年では、がらりと生徒の質が変わる。
 ウィンスターはその第三学年に所属している。進級試験でぎりぎりで合格に滑り込んだ彼が、家の後援なく学園に留まる理由は、家との折り合いが悪いからだとヒルダは思っている。
 なにせ、第三学年になってから、学園を無理やり退学させようと親が持ってきた縁談を、既に二回も蹴っ飛ばしているのだ。

「二回が二回とも、お見合いセッティングしといて主賓なおれが無断欠席したから、相手の家はカンカン、こっちの家もカンカン。二回もやらかしちまえば、当分、次の手立てが思いつくまでは沈黙。楽でいいっすわ」

 本人はけろりとそうのたまった。社交界で自分の名前が下がることも気にならないらしい。というか社交界も嫌いらしく、出入りは皆無。親御さんの頭痛や胃痛が思いやられるのだが、ウィンスターは、それも知ったことではないと一蹴した。

「問題は貴族籍抜けた後なんすよね。学園にいられる今のうちに色々経験積んどかないと」

 それが、ヒルダの働く、スートライト運営の商会への見学に繋がったらしい。客として外側から見ることには限界があるので、できるなら裏方を見て、体験もしてみたい。平民として生きるそのときに、元貴族として一瞬で生活に馴染めるとは到底考えつかないので。

(ドルフさまが、第三学年からは癖の強い者ばかり揃っているとはおっしゃっていたけど……)

 ウィンスターはピカイチな気がする。やっていることは大胆だが、考え方は慎重。甘い期待を持たない辺りは、既に過酷な状況を味わったことがあるからか。もしくは、内面が案外繊細なのかもしれない。
 それでも「貴族籍を抜ける」と、はっきり言う。
 言ってみれば、ヒルダはウィンスターの「先輩」に当たるかもしれないわけだ。ここにヒルダがヒルディア・スートライトだったと知る者はいないし、ウィンスターが実家を嫌悪――憎悪している理由もわからないけれども。

 さてどうしようかと、ヒルダはちょっとだけ返答に悩んだ。ウィンスターが生きていく手伝いをしたい気持ちはあるが、今はとても時期が悪い。なぜと言って、研修生と兼業している商会では、起業以来の転機を迎えている今が一番忙しいのだった。新部署の設置、旧部署の統廃合、新規事業計画も進み、上から下まで大忙しな毎日だ。
 微妙な立場であっても、今のヒルダはバルメルク家の名前に後押しされたことがあって、様々な場面で調整に活躍している。それらを反芻していると、さすがにウィンスターの相手をするのは厳しいな、と、思わず遠い目になってしまった。……昨日突然休みを取ったその穴が、今さらひどく気になってきた。アデルを安心させる前に、今日の放課後は商会で謝罪祭りだ。

「ごめんなさい、ちょうど今が繁忙期で余裕がないのよ。本当に見学するなら、一ヶ月以上先になると思うわ」
「あ、そうなんすね。急に無理言ってすんません」

 ウィンスターはあっさり引き下がった。
 そろそろ時間だ、とテーブルの上を片付けて、使った茶器を洗いに行く。思わず無言で見送ったヒルダに、教授はおかしそうに笑った。

「以前から思っていたが、あなたは変わっている。悪い意味ではなく」
「そうですか?あたしとしてはウィンスターさんの方がとても変わってる気がするんですが。今も切り替えが早すぎますし、掴み所がよくわからない方ですよね」
「あなたはそれをあえて掴もうとしない。他人に興味がないわけではないだろうが、実に見極めが繊細だ。彼が本当に避けたいものが別にあることも、今のたった短時間で既に察しているだろうに」
「ウィンスターさんが言わないなら、言わないだけの理由があるのでしょうし……変わっているのは教授もでしょう。前々から言っていますが、ただの一研修生に『あなた』呼ばわりはどうかと思います」
「あなたのことは、『君』とか『お前』とかと呼ぶ気にはなれなくてね。なにせあのドルフさまの肝煎りだ。あの方のお考えゆえに、あなたはここにいる。……そろそろ、異変は見つけられたかね?」
「……教授は、ドルフさまとはどのようなご関係なんです?」
「恩人だ。だから私はあなたへの協力は惜しまない」

 教授は掴み所のない笑みと共に席を立った。

「さて、私たちも仕事に戻ろうか」








☆☆☆








 昼食を終え、最後の講義に向かう道中のアデルは、ご機嫌絶好調だった。隣を歩くファリーナの腕におどけたように腕を絡ませ、るんるんと鳴りそうな歩調で軽やかに跳ねる。姉さま、姉さま、と胸の中で何度も呼んだ。無事そうでよかった。気づいてくれてよかった。胸は喜びと安堵で一杯一杯だ。いつもは淑女然とした気品のある笑みを浮かべるアデルが、あどけなくにこにこと微笑みっぱなしなので、通りすがる学生たちが胸を押さえ、赤くなった顔を背け、一部は逃げ出すように回れ右でどこかへ駆け去った。
 それらを丸ごと視界に収めるファリーナは、苦笑しきりである。アデルのこの笑顔にももう慣れていたし、ファリーナもヒルダのことは心配していたので、今日は元気な顔を見れて安心した。……そういえば、あの人の顔も、久しぶりに見た。会っていない年月分、記憶より大人びていて……。
 一瞬気が逸れたところで、アデルが急に引っ張った腕に重心が傾いて、転びそうになってしまった。

「あ、ご、ごめんなさい、リーナ」
「いえ、私も悪かったです。どうしたんです、アデル?」
「もし、よかったら、明日もどうかしらと思って」

 なにを、とは言わないが、ファリーナにはちゃんと意味がわかった。

「さすがに連日はやめた方がいいと思いますよ。それでしたら、今日の放課後、一緒に商会の方に行きませんか?工房からの伝言をお伝えしたいと思っていましたし」
「リーナ……!」

 ますますぎゅっと腕にアデルが抱きついてきて、ファリーナは本当にヒルダさんのことが大好きなんだなあとほっこりした。歩きにくいけど、この可愛さを特等席で見れる分、役得ではある。
 当然、周囲から嫉妬の視線がぐっさぐさと突き刺さるが、気にしないだけの度胸は、ここ三か月のうちに身につけていた。陰口も、ささやかな嫌がらせも、去年学年首席の地位を獲得した時よりも顕著になっていたけれど、そんなどうでもいいことに気を遣いたいと思わなくなった。……多分、ヒルダに会う前の自分だったら、そう遠くなく耐えきれなくなっていただろう。

「ふふ、アデライトさま、とてもファリーナさまがお好きですのね。お昼もお二人でどこにいらしてたんです?」
「そうですそうです。わたくしたちもご一緒したかったのに」

 やって来た友人たちの小鳥の囀るような声に、アデルは「秘密ですわ」と、人差し指を口に当てた。いたずらっぽい微笑みつき。
 シェルファもナタリーも思わず頬を染めた。アデルの可愛さは同性にもおおむね有効なのだった。二人とも扇や手で顔を隠すようにしつつ、この中で一番家格の低いファリーナの挨拶を受け取った。

 アデルが編入してくるまで一人で行動するのが基本だった(もちろん侍女はついていたが)ファリーナにとっても、人生で初めてできた友だちがファリーナであるアデルにとっても、シェルファとナタリーはとても付き合いやすい人物だった。講義中に、チームを組んで課題をこなした時からの仲だ。全員が世の淑女らしからぬほど勉強熱心なので話の内容には困らないし、性格もそれに沿うように似通っている。必然、馬が合う。度々行動を共にするようになり、何度かシェルファやアデルの家でお茶会や勉強会も開催した。
 ちなみに、アデルがファリーナ以外の友だちを招くと初めて聞いた時、スートライト侯爵別邸は驚天動地に見舞われた。セシルは動揺しすぎて王城の式典で着る正装をキメて挨拶に出向いて、シェルファとナタリーを無駄に魅了しまくり、アデルは照れまくり、ファリーナはもう慣れていたので全てをスルーした。シスコン絶好調で何よりです。

「明日は一緒に食べましょうね」
「ええ、ぜひ!」
「食堂にそろそろ新作のデザートも出る頃合いですしね」
「明日には出てるかしら?」
「さあ、どうでしょうか」

 四人で仲良く歩いていく姿を、それぞれのお付きの者たちはとても微笑ましく見守って、背後からついていった。







☆☆☆






 くしっ、というくしゃみの音に、アーロンは「ほれみろ!」と言いたげな顔をした。

「風邪か!ぼくに移さないうちに早く帰ることだ!ついでに長く閉じ籠って養生するんだな!」
「王太子殿下にご心配頂くなど、身に余る光栄です。ですが、いたって健康ですので、お気になさらず」

 鼻を擦ったセシルは優雅に微笑み、アーロンを見上げて首を傾げた。

「どんどん脱走に磨きがかかっていますが。よくそこまで登りきれましたね?」

 アーロンは城の奥まった庭園の巨木の中頃にいた。地面には靴と靴下が脱ぎ捨てられ、髪の毛は荒れ狂い、シャツやズボンに小さな傷や汚れがついている。
 こんなやんちゃな一面があったとは、不覚にもこれまで知らなかったセシルである。……いや、あの王妃を考えればむしろ当然か。芋づる式にヒルダの怪我のことも思い出して若干不機嫌に笑みを深めたのは仕方ないことだ。
 そのいびつな口角のつり上がり具合に、王太子は一瞬びくっとしたが、すぐに目を逸らした。無言で「ぼくは降りないぞ」と訴えているらしい。
 昨日、突然欠勤したヒルダが今日はちゃんと商会に来るか確認したいので、セシルは早く城での仕事を済ませて帰りたかった。その苛立ちを知っているシドは、少し離れたところでおろおろしている。ついでに王太子の護衛もその付近でおろおろしているのは、「近づくと飛び降りるからな!」と脅されていたからだ。セシルは遠慮なくここまで歩み寄ったが。

「何でしたらこのままお仕事をいたしましょうか?」
「はっ、念仏なら一人で唱えておけ!ぼくには関係ない!」
「そんなご無体なことはおっしゃらずに」

 シドたちは、セシルすらもがよっこらしょとその場に腰を下ろしたのでぎょっと目を剥いていた。アーロンもさすがに驚いたが、セシルはひらりと空手を振って呼びつけたシドから書類を受け取った。

「お、おい」
「いい天気ですし、たまにはこういうのも悪くありませんね」

 以後、セシルは黙々と紙の上の文字を目で追い、ぱらりぱらりと捲っていった。時折赤ペンでなにかを付け足し、風に靡く横髪をたまに耳にかけ直す。視線は、一切上に向かなかった。
 アーロンは無意識のうちに息を潜めて、そんな様子を見下ろしていた。今のうちにまた逃亡すればいいのに、そもそもなんで、何から逃げてきたのだっけか、自分でもわからなくなってきた。
 この男と、嫌味の応酬でも仕事の話でもない、単純な沈黙の時間を共有するのは初めてだった。

(なんかアホらしくなってきたな)

 これまで、何度か脱走しては追いかけられたり追いかけられなかったり連れ戻されたり帰られたりしたが、今日、アーロンを無理やり下ろそうとしないのは珍しい対応だった。……これじゃまるで、構ってほしくて駄々を捏ねる子どもみたいだ。
 まさしくその通りでしょう、と、その内心の声が聞こえていたらセシルは答えただろう。幸い読心術など持ってないセシルは書類に集中しているようで、下りようかな、と思い始めたアーロンに気づく様子はない。
 その時、ひときわ強く風が吹き、枝葉がざあっと揺れた。とっさに目をつむって、開いたとき。ひらりと、視界を白いものが横切った。黒い文字と赤い文字が踊る白。陽光に反射して眩しく照りつけた。

「あ――」

 とっさに手を伸ばしかけ、がくん、と体がずり落ちた。しまった。
 一瞬、舞い上がった紙を掴もうとして失敗したセシルと目が合った。

「シド!」

 時として護衛の役目も果たす、優秀なる従者はその期待に十全に応えた。
 アーロンはセシルの従者の腕の中に閉じ込められたまま二転三転し、やがて止まってからも、しばらくぽかんとしていた。

「……お怪我はございませんか?」

 言葉もなく頷くアーロンを起こし、シドはざっとその体を撫でていき、本当に痛がっている様子がないことに表情を和ませた。おもむろに立ち上がり、一歩距離を置いたシドは、騎士のように跪いた。

「御身にご無礼をいたしました」

 呆けっぱなしのアーロンは、シドの服が砂埃で汚れきっているのを、なんとなく見つめるだけだった。自分の護衛が走ってくるのでやっと我に返り、「ゆ、許す」と慌てて言った。

「殿下、ご無事ですか!?」
「ああ、この通りだ。だから、シド、と言ったか、頭を上げろ」

 そういえばセシルは、と思ったアーロンの頭上に影が差し、すぐ近くに、ひらりとセシルが飛び降りていた。手には先ほど掴み損ねた紙が握られている。まさかあの短時間で巨木に登って回収してきたらしい。 

「王城で木登りとは、中々珍しい経験をしました」
「お前……」
「これを取ろうとしてくれたのでしょう、お礼申し上げます」
「はっ!?」
 
 今度こそアーロンは雷に撃たれたような衝撃を受けた。だって、あのセシルが。
 慇懃無礼、厚顔無恥、自己中三拍子揃ったセシルが――嫌味の一つもなく礼を言った!?

「お礼とお詫びに、今度、絶対に木から落ちない木登りを教えて差し上げましょうか」
「貴様、図々しくなにを抜かすか!厚かましい!」

 アーロンの代わりに、護衛が真っ当な怒り方をした。が、セシルがにっこり笑って言い返した。

「厚かましいのはそちらでは?マルグレイド卿。本来なら貴殿の責務のはずだ。この者がいたからなんとか事なきを得たものの、万一の際はいかがするつもりでいたのか、お聞きしたい」
「ぐっ、ぬ」

(……やっぱりこいつが素直に礼を言うわけなかった)

 ここぞとばかりに護衛は解任されるだろう。 いやしかし、「絶対に木から落ちない木登り」ってなんだ。気になる。

「絶対に落ちないって、どうやるんだ?」
「今度教えますよ。田舎貴族の知恵です」
「お前が?」
「ええ。果樹に登ってもぎ取ったものをその場で齧るのも、木登りの醍醐味ですね」
「そんなことができるのか!」

 どうやら口約束で終わらせるつもりではないと知ったアーロンは、セシル相手にも関わらず、瞳を輝かせるのだった。







 その後、セシルはアーロンと部屋に戻り、シドは別室で着替えることになった。待っていたケリーは、事情を聞いて、セシルに礼を告げ、深々と頭を下げた。同時にすぐさま別の護衛を手配した。シドがアーロンを守って怪我をしたとしても名誉の負傷で済むが、それはスートライト次期侯爵の護衛を、その任とは無関係な理由で損なうことに他ならない。身内話では終わらず、アーロンの名に傷が付くところだったのだ。……というのは半分くらい建前だ。

「今日のも済みましたし、書類の添削も終わりました。従者の身繕いが終わり次第、辞去させて頂きますよ」
「ええ。お手数おかけしました」

 以前よりも王太子の部屋に出入りすることが増えたとはいえ、セシルは相変わらず無駄な長居を嫌った。そもそもが多忙すぎてひとところにいれない、という意味もある。侯爵名代としての出仕と商会の運営、領内統治も少なからず手を出している現状、膨大な業務を捌けているのは、セシルの並外れた能力と、シドとアレンの補佐のお陰だった。
 そんなだから、息抜きに木登りの一つでもしたくなって当然なのだ。セシル的には。

(王太子殿下の許可も頂いたし、童心に返ろう)

 王太子をついで扱い、もしくは隠れ蓑に使う臣下セシルは、今日も相変わらず自己中の権化だった。
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