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Irregular 17
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声を掛けるとSは目を開け、片手でNの頬を包んだ。
「起きてる。」
「酔っ払いのたわ言か?」
「そう思うなら、また明日、聞いて?もう・・・眠い。」
Nは半信半疑に首を傾げながら再び横たわり、Sを胸に抱いた。
「歯磨きしたよ。Nさん、キスして・・・」
「どうした・・・」
日頃Sから誘うのが滅多に無いので、今夜は驚かされてばかりだ。
「早く・・・寝ちゃう・・・・」
NはSの唇にただ押し付けるだけの短いキスをした。唇を離そうとした時、Sの手に強く頭を押し戻されて舌を差し込まれた。そのまま舌を絡めとって唇を深く重ね直したが、すぐにSの舌が力無く引いていき軽いイビキを掻き始めた。
「Sは忙しいなあ。」
笑いながらNも目を閉じた。
それからSは展示会へのエントリーを済ませ、週一で通っていた陶芸教室をKの提案で2回に増やした。
講習料はそのまま、追加分はモデル料に含むとの提案だった。Sは作品のクオリティを高めたい意欲があり、KはSへの個人的な興味・・・好意を隠そうとはしなかった。幸か不幸か、自己肯定感が低いSは他者からの情が絡む好意などには鈍感極まりなく、Kがじわじわと距離を縮め迫って来るのを気付いていない様子だった。
ただ、ふとした時、何気ないシーンで切ない顔をしたり、普段の声は低いのに溜息に高く短い掠れ声が混じる事がある。それがKにとってはたまらなく魅力的であり何度でも引き出したいSの表情だった。
Sに宣言した通り「人の者には自分から行動は起こさない」のを徹底させて、いずれはS自ら誘い水に乗らざるを得ない所まで追い詰めるつもりもあった。あの切ない表情を浮かべる秘めた”感覚”と理性のせめぎ合いを、Kは暫く傍観するつもりだ。
狡猾な上に卑劣だと自覚している。しかし、久々に味わう男性としての狩猟本能が疼いてKを逸らせた。
「S君、就活は進んでる?」
「はぁ、まぁ、ぼちぼちです。」
「何処か当てがあるの?もし無いんだったら・・・僕の助手をしない?時給、相場より弾むよ?」
「助手って、何をするんですか?」
「陶芸教室の土の管理、準備と後片付け、生徒さんの質疑応答とか、空いた時間があれば僕のモデル。あ、モデル代はまた別途だからね。」
「質疑応答って、僕はまだ質疑する側じゃないですか。」
「S君は出品準備の合間に上級クラスになったでしょ?だったら、それ以下のレベルクラスの生徒さんには応答出来るじゃない?」
「そんな・・・恐れ多い。」
「サラリーマンに拘りがあるのなら、少しでも若いうちに次を探さないと正社員への道は厳しくなるんだろうけど、それに拘りが無いなら色んな仕事をしてみるのも面白いよ?社会保障の点では劣るけどね。」
「・・・いつも色々とお気遣い頂いて・・・申し訳無い気持ちで一杯です。」
「急になに?畏まっちゃって・・・」
「いいえ、本心です。出品するって決まってからは特に・・・先生の時間を僕が沢山奪ってるみたいで・・・心苦しくて。」
「そんな事無いよ。俺もいい大人だからさ、ボランティア精神ばかりで人に親切とか、出来ないよ。ちゃんと計算してるから。色々。」
「僕なんかに、何の計算を・・・採算なんか取れませんよ?」
「君が嫌になったら止める。それだけ。」
そう言ってKは顔を覗き込んで来たが、Sは苦笑いを浮かべ、その話をスルーしようと別の話題を懸命に探していた。
「あ!そうだ、先生は講師を始める時、プレゼンセミナーとかには行かれました?」
「何なの、唐突。」
「だって・・・凄く分かりやすいし、聞き取りやすいんです。僕みたいに地方出身者じゃないから、言葉もイントネーションも綺麗で・・・ラジオ聞いてるみたいで。」
「ラジオ?褒め過ぎじゃない?うん、まあ、この手の〇〇教室を開いている知り合いが居たから、始める前には色々聞きには行った。そこで一通りセミナー受けてみろって進められて。話し方講座、プレゼン講座、コミュニケーション何たら、メンタルトレーニングも受けたかな。全部一回で止めた。」
「はぁ~やっぱり人が相手となると、準備にそれだけの事をやるんですね・・・」
「やる人もやらない人も居るよ。俺は一回で飽きたから止めたけど、基本を忘れない為にって、定期的に通うサラリーマンとかも居たなあ。君が言うように結局仕事って人相手でしょ。でもさ、そういう訓練しなくても、天性のひとたらしなら愛嬌一つでどうにかなっちゃうんだよね。世の中は不公平。」
Kはありふれたよくある話として笑っていた。
だが、Sは違う。想像するだけで、始める前から挫折したかの陰鬱な気分に陥っている。
それには理由があった。
Sが漸くNの悲願でもあった”同棲”にOKを出し、部屋を引き払うと決めたのがつい先日だ。
Nは喜びの余り、同居生活が落ち着いてから話すつもりだったSの再就職案をうっかり暴露してしまったのだ。
それが提案の域を超えていた。勿論、Sを慮っての事だと分かっている。その一方で、SがNの元を逃げられないように外堀を埋められているかにも感じて、普段鈍感なSも流石に素直にありがとうとは言えなかった。
提案と言いながら、その8割方がNによる既定路線を敷かれていると思わざるを得なかった。
同居が叶った事で、まるで今までひた隠しにしてきた独占欲を全開放したかに思えた。
同居以前でこうなら、実際に生活をし始めたらどれだけの拘束が始まるのだろう・・・Sは想像力を膨らませて憂鬱になった。
疚しい事など一つも無い。わざわざ独占欲を曝け出さずとも、自分を奪う者など居やしない。ほんの少しなら、互いがパートナーであると確信出来る程の愛情の裏返し・・・執着があっても良いとは思う。でも、監視下に置くような真似事なら・・・
一気に負の感情が押し寄せてきて、同居承諾を撤回したい気持ちが湧いていた。
「S君、深刻な顔してどうしたの?土、乾き始めちゃってるよ?」
「あ・・・すみません。」
Sは慌てて両手に水を掬って土に掛けた。
「再就職の事で、何か壁に当たってる?俺で良かったら話してみて?君よりずっと年上だから、何か力になれるかもよ?」
「はい。ありがとうございます。」
Sは深呼吸を一回してから、思い直して頭を振った。
「違う・・・僕のせいだ。」
声に出てしまっているのも気付かない程、Sはたった今までの自分を殴りつけたい程の衝撃と羞恥心に顔を真っ赤に染めていた。
Nは今までずっと、自分に対して”役に立ちたい””力になりたい”と行動で示してくれていた。時折迷子犬のような目で「余計な事だったか?すまん。」とまで気遣ってくれた。野球以外は全て自分中心に一日を回していてくれた。それを当然とばかりに受け流していたのは、自分だ。都度感謝を口にはするけれど、心底Nの役に立とうと、力になろうと動いた事があっただろうか・・・アスリートフードマイスターを取得したのも、純粋にNに役立ちたいからだったか?無職でこれと言った強みの無い自分の、コンプレックスの裏返しでしか無かったのでは無いか。
今も関係が浅い筈のKからも気遣いを受けている。関係が深いNの日々の気遣いは、もっと大きく重いものだっただろう。全て、軽く受け流してばかりいたのでは無いか・・・
自分の愚かさが全て目前に広げ並べられたかのようで、Sは顔から火が出る思いだった。
「うわぁぁぁ」
Sは頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
「S君、どうしたの?髪!泥着いちゃってるじゃん!」
慌てて駆け寄ってきたKを見上げたSの目には、涙で瞳が膨らんでいた。
「僕・・・もしかして、僕は、浮気を・・・・だから?」
「起きてる。」
「酔っ払いのたわ言か?」
「そう思うなら、また明日、聞いて?もう・・・眠い。」
Nは半信半疑に首を傾げながら再び横たわり、Sを胸に抱いた。
「歯磨きしたよ。Nさん、キスして・・・」
「どうした・・・」
日頃Sから誘うのが滅多に無いので、今夜は驚かされてばかりだ。
「早く・・・寝ちゃう・・・・」
NはSの唇にただ押し付けるだけの短いキスをした。唇を離そうとした時、Sの手に強く頭を押し戻されて舌を差し込まれた。そのまま舌を絡めとって唇を深く重ね直したが、すぐにSの舌が力無く引いていき軽いイビキを掻き始めた。
「Sは忙しいなあ。」
笑いながらNも目を閉じた。
それからSは展示会へのエントリーを済ませ、週一で通っていた陶芸教室をKの提案で2回に増やした。
講習料はそのまま、追加分はモデル料に含むとの提案だった。Sは作品のクオリティを高めたい意欲があり、KはSへの個人的な興味・・・好意を隠そうとはしなかった。幸か不幸か、自己肯定感が低いSは他者からの情が絡む好意などには鈍感極まりなく、Kがじわじわと距離を縮め迫って来るのを気付いていない様子だった。
ただ、ふとした時、何気ないシーンで切ない顔をしたり、普段の声は低いのに溜息に高く短い掠れ声が混じる事がある。それがKにとってはたまらなく魅力的であり何度でも引き出したいSの表情だった。
Sに宣言した通り「人の者には自分から行動は起こさない」のを徹底させて、いずれはS自ら誘い水に乗らざるを得ない所まで追い詰めるつもりもあった。あの切ない表情を浮かべる秘めた”感覚”と理性のせめぎ合いを、Kは暫く傍観するつもりだ。
狡猾な上に卑劣だと自覚している。しかし、久々に味わう男性としての狩猟本能が疼いてKを逸らせた。
「S君、就活は進んでる?」
「はぁ、まぁ、ぼちぼちです。」
「何処か当てがあるの?もし無いんだったら・・・僕の助手をしない?時給、相場より弾むよ?」
「助手って、何をするんですか?」
「陶芸教室の土の管理、準備と後片付け、生徒さんの質疑応答とか、空いた時間があれば僕のモデル。あ、モデル代はまた別途だからね。」
「質疑応答って、僕はまだ質疑する側じゃないですか。」
「S君は出品準備の合間に上級クラスになったでしょ?だったら、それ以下のレベルクラスの生徒さんには応答出来るじゃない?」
「そんな・・・恐れ多い。」
「サラリーマンに拘りがあるのなら、少しでも若いうちに次を探さないと正社員への道は厳しくなるんだろうけど、それに拘りが無いなら色んな仕事をしてみるのも面白いよ?社会保障の点では劣るけどね。」
「・・・いつも色々とお気遣い頂いて・・・申し訳無い気持ちで一杯です。」
「急になに?畏まっちゃって・・・」
「いいえ、本心です。出品するって決まってからは特に・・・先生の時間を僕が沢山奪ってるみたいで・・・心苦しくて。」
「そんな事無いよ。俺もいい大人だからさ、ボランティア精神ばかりで人に親切とか、出来ないよ。ちゃんと計算してるから。色々。」
「僕なんかに、何の計算を・・・採算なんか取れませんよ?」
「君が嫌になったら止める。それだけ。」
そう言ってKは顔を覗き込んで来たが、Sは苦笑いを浮かべ、その話をスルーしようと別の話題を懸命に探していた。
「あ!そうだ、先生は講師を始める時、プレゼンセミナーとかには行かれました?」
「何なの、唐突。」
「だって・・・凄く分かりやすいし、聞き取りやすいんです。僕みたいに地方出身者じゃないから、言葉もイントネーションも綺麗で・・・ラジオ聞いてるみたいで。」
「ラジオ?褒め過ぎじゃない?うん、まあ、この手の〇〇教室を開いている知り合いが居たから、始める前には色々聞きには行った。そこで一通りセミナー受けてみろって進められて。話し方講座、プレゼン講座、コミュニケーション何たら、メンタルトレーニングも受けたかな。全部一回で止めた。」
「はぁ~やっぱり人が相手となると、準備にそれだけの事をやるんですね・・・」
「やる人もやらない人も居るよ。俺は一回で飽きたから止めたけど、基本を忘れない為にって、定期的に通うサラリーマンとかも居たなあ。君が言うように結局仕事って人相手でしょ。でもさ、そういう訓練しなくても、天性のひとたらしなら愛嬌一つでどうにかなっちゃうんだよね。世の中は不公平。」
Kはありふれたよくある話として笑っていた。
だが、Sは違う。想像するだけで、始める前から挫折したかの陰鬱な気分に陥っている。
それには理由があった。
Sが漸くNの悲願でもあった”同棲”にOKを出し、部屋を引き払うと決めたのがつい先日だ。
Nは喜びの余り、同居生活が落ち着いてから話すつもりだったSの再就職案をうっかり暴露してしまったのだ。
それが提案の域を超えていた。勿論、Sを慮っての事だと分かっている。その一方で、SがNの元を逃げられないように外堀を埋められているかにも感じて、普段鈍感なSも流石に素直にありがとうとは言えなかった。
提案と言いながら、その8割方がNによる既定路線を敷かれていると思わざるを得なかった。
同居が叶った事で、まるで今までひた隠しにしてきた独占欲を全開放したかに思えた。
同居以前でこうなら、実際に生活をし始めたらどれだけの拘束が始まるのだろう・・・Sは想像力を膨らませて憂鬱になった。
疚しい事など一つも無い。わざわざ独占欲を曝け出さずとも、自分を奪う者など居やしない。ほんの少しなら、互いがパートナーであると確信出来る程の愛情の裏返し・・・執着があっても良いとは思う。でも、監視下に置くような真似事なら・・・
一気に負の感情が押し寄せてきて、同居承諾を撤回したい気持ちが湧いていた。
「S君、深刻な顔してどうしたの?土、乾き始めちゃってるよ?」
「あ・・・すみません。」
Sは慌てて両手に水を掬って土に掛けた。
「再就職の事で、何か壁に当たってる?俺で良かったら話してみて?君よりずっと年上だから、何か力になれるかもよ?」
「はい。ありがとうございます。」
Sは深呼吸を一回してから、思い直して頭を振った。
「違う・・・僕のせいだ。」
声に出てしまっているのも気付かない程、Sはたった今までの自分を殴りつけたい程の衝撃と羞恥心に顔を真っ赤に染めていた。
Nは今までずっと、自分に対して”役に立ちたい””力になりたい”と行動で示してくれていた。時折迷子犬のような目で「余計な事だったか?すまん。」とまで気遣ってくれた。野球以外は全て自分中心に一日を回していてくれた。それを当然とばかりに受け流していたのは、自分だ。都度感謝を口にはするけれど、心底Nの役に立とうと、力になろうと動いた事があっただろうか・・・アスリートフードマイスターを取得したのも、純粋にNに役立ちたいからだったか?無職でこれと言った強みの無い自分の、コンプレックスの裏返しでしか無かったのでは無いか。
今も関係が浅い筈のKからも気遣いを受けている。関係が深いNの日々の気遣いは、もっと大きく重いものだっただろう。全て、軽く受け流してばかりいたのでは無いか・・・
自分の愚かさが全て目前に広げ並べられたかのようで、Sは顔から火が出る思いだった。
「うわぁぁぁ」
Sは頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
「S君、どうしたの?髪!泥着いちゃってるじゃん!」
慌てて駆け寄ってきたKを見上げたSの目には、涙で瞳が膨らんでいた。
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