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Irregular 16
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「い・・・いいえ。結構です。ちょっとトイレ・・・飲み過ぎかな・・・」
「はい、行っておいで。廊下の突き当りにあるよ。」
酔ったせいなのか、Sは無性にNに会いたくなって仕方なかった。
店を出る時に電話で呼び出してみようか・・・Nの明日のスケジュールはどうだったかな。この時間では、もうビールの一杯も飲んでしまったかな。だったら車は乗れないから、自分が電車を乗り継いで行くしかないか。何杯飲んだか分からないが、無事にたどり着けるだろうか。
などなど様々に頭に過り、Kの待つ個室に戻って来た頃には気もそぞろになっていた。
「デザート頼んでおいたよ。もう、お開きにするでしょう?君は一人で帰れるの?また、泊っていく?」
「毎回お泊りは流石に図々しいと思いますので・・・・」
その時、Sのポケットが震えた。
「すみません。電話です。」
「いいよ、出なよ。俺、トイレに行くから。」
Sが会釈をして電話に出るのを見届けて、Kは席を立った。
「うん。飲んだよ・・・分かんない。一杯じゃない、もっと。うん。え!迎えに来てくれるの?ありがとう、お母さん!」
最後の言葉が耳に入って、Kはくすりと笑った。
Sは何処か幼い感じがしていたが、先日の酔っぱらっての”お母さん”発言と言い、マザコンだったのか・・・と妙に納得していた。
会話は続いていたが、Kはトイレに向かった。
席に戻ると、Sは上機嫌な笑顔で新たなグラスを手にKを迎えた。
「デザート美味しかったです。これは僕が作るのは無理かなあ~」
「何、君、また飲んでるの?いつの間に?」
「はい。電車に乗らずに済むと分かったらなんだか安心しちゃって。」
「さっきの電話?」
「はい。僕、迎えを待つので・・・先生、お先にどうぞ?」
「どうせなら、ご挨拶したいけど。」
「ええ・・・そんな、気を遣って頂かなくても・・・」
急に明るくなったSは饒舌になり、珍しく自分語りをした。
大学での専攻も自分で想像していたのと異なり、毎日物足らなくて仕方なかったなどなど。
幼くも見えるSに新たな発見をしたKは、その様子を微笑ましく感じ、いつまでも眺めたい気持ちになっていた。
「先生、あれから30分経ちましたよ。明日の教室、午前からあったじゃないですか。僕一人で待てますので・・・お気遣い無く。」
「そっかぁ~じゃあ、ご挨拶は又の機会に。」
「はい。お会計、済ませてありますので!」
「マジか。俺が出そうと思ってたのに。」
「今度またご馳走して下さい。お気を付けて~。おやすみなさい。」
来た道の廊下を引き返していると、踊り場の所でスタッフが先導案内する背が高い男性とすれ違った。
背の高いKより若干高いだけなのに、身体の厚みが二倍あるのでは無いかと思う程威圧感があり、何かのスポーツ選手かな?と漠然と思っていた。
靴を取ろうと今来た廊下側へ目を向けると、先程まで自分が居た個室へ案内されたのを見て、小さくあっと声を出してしまった。
顔見知りのスタッフらに挨拶をして店外へ出て、禁煙に慣れた筈なのに無性に煙草が吸いたくなった。
「お母さんって・・・彼氏の事かよ。」
どうりで自分がふざけて「お母さんって呼んでもいいよ」とトークに書いた時にスルーしたわけだ。
Kは今まで他人の恋路を邪魔した事など一度も無い。
Sに「人の者には手を出さない」と言った言葉に嘘は無かった。
そんな非生産的な事をして、楽しめる年齢はとうに過ぎている。新しい行動は億劫になり、少しでも楽な方へと自然と保守的に流れ込む年齢だ。
「そうさ、俺からは手を出さない。」
Kは年の功もあって、Sよりはずっと世間を、人を知っている。世を渡り歩くのに狡猾さが必要である事も身に染みている。
だからと言ってそれを個人的な人間関係の駆け引きになど使った事は無い。
調香師の彼との別れが今に至るまで尾を引いて、敢えて希薄な人付き合いしかしてこなかったからだ。
「幸せのぬるま湯に浸りながら、遠くにある別の物が欲しくなったらどうするんだろうね、S君。」
Kは思い直して禁煙を継続すると決めて、道すがらのコンビニでガムを買った。
「来てくれると思わなかった。」
「タイミングだよ。ビール飲もうとして、思い付いたから。」
「ありがとう。実はね・・・飲み過ぎちゃったみたいで。Nさんにはお酒我慢させちゃったんだね。ごめんなさい。ご飯は?何か食べて行く?」
「ううん。帰ろう。」
「うん。ありがとう。」
少し離れた場所のパーキングに停めたNの車の番号を確認して、Sは支払い機に小走りに駆けた。
「おおい、酔って走ったら転ぶ!ゆっくりでいいから。」
「はぁい。」
乗車すると、Sの方からすぐに腕を絡めてきた。
「ん?どうした?」
「良かった。今夜会えて。」
「随分甘えモードだな。飲めない癖に一体何杯飲んだんだ?今日の相手は教室の先生だったか?まさか、飲まされたわけじゃないよな?」
「違うよ。そんな乱暴な人じゃないよ。いかにも芸術家って感じ、スマートで優しい先生だよ?」
「・・・楽しかったか?」
「うん。レシピ研究会。」
「何の?」
「僕がこれからNさんに作る料理の講習会。」
「なんだ、それ。」
自分以外の男の話をされて不機嫌になりかかったが、今のSの言葉で上機嫌が移ったかにまで上昇するのだから安いな、とNは苦笑いをした。
それにしても・・・走り出して間もないのにこれだけ酒臭いとは・・・とNは車窓を少しだけ開けた。
「Nさん、眠くなっちゃった。迎えにまで来て貰って、ごめんなさい。」
「いいよ。着いたら起こすから。外で俺に抱き上げられたくなかったら、ちゃんと起きろよ?」
「はぁい。」
腕を絡めたまま、Sはすぐに寝息を立て始めた。
Nのマンションに到着後、車で揺られた事が酔いを加速させたのか、結局SはNに背負われてエントランスを抜ける羽目になった。
こんなあられもない姿を初めて見るNは、呆れるどころか愛しく思うのだから、600年も昔に書かれた小説の一句「恋は盲目」が現代まで受け継がれているのは当然というわけだ。
「ほら、家に着いたぞ。」
「うう・・・ん。Nさん、ごめんなさいー。」
「気持ち悪くないか?」
「うん。大丈夫。でも、お風呂入って歯磨きしたい~」
「酔って湯舟はダメだ。シャワーだけな?ほら、脱いで。」
帰宅して既に風呂は済ませたNも全裸になり、頭をグラグラさせているSを担ぐようにしてバスルームに入った。
シャワーを出し、手早くシャンプーをし、ボディーシャンプーを全身に塗り付けるだけにして、大きな手で一つかみ出来る程小さな顔にも塗り付けた。
「うっぷ。目、目!」
「ほらっ。顔にシャワー当てるぞ。」
Sは両手で顔を擦った。
「よしっ。これで何とか・・・」
流し残しの無いよう何度もSの全身にシャワーを浴びせた。
バスタオルで身体を拭いてやり、まだグラグラするSの頭にドライヤーを当て、半分程乾かしてから歯ブラシを手渡した。
よく見えて無いのか洗顔剤を歯ブラシに着けようとするのを慌てて取り上げ、歯磨き粉を着けてSの口にそっと挿した。磨き方が出鱈目に見えたが、Nが声掛けしないと永遠に歯磨きを続けそうだったので、子供に教えるようにしてNは強制終了させた。
「んふふ。お母さん、ありがとう。」
「酔っ払いめ。」
「ごめんなさい。」
洗面所に下げてあったバスローブだけ着衣させて、NはSを抱き上げてベッドに寝かせた。自分も横になり掛けたが思い出したようにペットボトルの水をサイドボードに置き、灯りを落とした。
「こういう事があるから、住処をひとつにしたいって・・・」
独り言のつもりで呟いたNに、Sの手足が絡まってきた。いつものように懐に抱き入れると
「うん。そう思う。」
Sの呟きにNは驚いて起き上がった。
「S、寝言か?」
「はい、行っておいで。廊下の突き当りにあるよ。」
酔ったせいなのか、Sは無性にNに会いたくなって仕方なかった。
店を出る時に電話で呼び出してみようか・・・Nの明日のスケジュールはどうだったかな。この時間では、もうビールの一杯も飲んでしまったかな。だったら車は乗れないから、自分が電車を乗り継いで行くしかないか。何杯飲んだか分からないが、無事にたどり着けるだろうか。
などなど様々に頭に過り、Kの待つ個室に戻って来た頃には気もそぞろになっていた。
「デザート頼んでおいたよ。もう、お開きにするでしょう?君は一人で帰れるの?また、泊っていく?」
「毎回お泊りは流石に図々しいと思いますので・・・・」
その時、Sのポケットが震えた。
「すみません。電話です。」
「いいよ、出なよ。俺、トイレに行くから。」
Sが会釈をして電話に出るのを見届けて、Kは席を立った。
「うん。飲んだよ・・・分かんない。一杯じゃない、もっと。うん。え!迎えに来てくれるの?ありがとう、お母さん!」
最後の言葉が耳に入って、Kはくすりと笑った。
Sは何処か幼い感じがしていたが、先日の酔っぱらっての”お母さん”発言と言い、マザコンだったのか・・・と妙に納得していた。
会話は続いていたが、Kはトイレに向かった。
席に戻ると、Sは上機嫌な笑顔で新たなグラスを手にKを迎えた。
「デザート美味しかったです。これは僕が作るのは無理かなあ~」
「何、君、また飲んでるの?いつの間に?」
「はい。電車に乗らずに済むと分かったらなんだか安心しちゃって。」
「さっきの電話?」
「はい。僕、迎えを待つので・・・先生、お先にどうぞ?」
「どうせなら、ご挨拶したいけど。」
「ええ・・・そんな、気を遣って頂かなくても・・・」
急に明るくなったSは饒舌になり、珍しく自分語りをした。
大学での専攻も自分で想像していたのと異なり、毎日物足らなくて仕方なかったなどなど。
幼くも見えるSに新たな発見をしたKは、その様子を微笑ましく感じ、いつまでも眺めたい気持ちになっていた。
「先生、あれから30分経ちましたよ。明日の教室、午前からあったじゃないですか。僕一人で待てますので・・・お気遣い無く。」
「そっかぁ~じゃあ、ご挨拶は又の機会に。」
「はい。お会計、済ませてありますので!」
「マジか。俺が出そうと思ってたのに。」
「今度またご馳走して下さい。お気を付けて~。おやすみなさい。」
来た道の廊下を引き返していると、踊り場の所でスタッフが先導案内する背が高い男性とすれ違った。
背の高いKより若干高いだけなのに、身体の厚みが二倍あるのでは無いかと思う程威圧感があり、何かのスポーツ選手かな?と漠然と思っていた。
靴を取ろうと今来た廊下側へ目を向けると、先程まで自分が居た個室へ案内されたのを見て、小さくあっと声を出してしまった。
顔見知りのスタッフらに挨拶をして店外へ出て、禁煙に慣れた筈なのに無性に煙草が吸いたくなった。
「お母さんって・・・彼氏の事かよ。」
どうりで自分がふざけて「お母さんって呼んでもいいよ」とトークに書いた時にスルーしたわけだ。
Kは今まで他人の恋路を邪魔した事など一度も無い。
Sに「人の者には手を出さない」と言った言葉に嘘は無かった。
そんな非生産的な事をして、楽しめる年齢はとうに過ぎている。新しい行動は億劫になり、少しでも楽な方へと自然と保守的に流れ込む年齢だ。
「そうさ、俺からは手を出さない。」
Kは年の功もあって、Sよりはずっと世間を、人を知っている。世を渡り歩くのに狡猾さが必要である事も身に染みている。
だからと言ってそれを個人的な人間関係の駆け引きになど使った事は無い。
調香師の彼との別れが今に至るまで尾を引いて、敢えて希薄な人付き合いしかしてこなかったからだ。
「幸せのぬるま湯に浸りながら、遠くにある別の物が欲しくなったらどうするんだろうね、S君。」
Kは思い直して禁煙を継続すると決めて、道すがらのコンビニでガムを買った。
「来てくれると思わなかった。」
「タイミングだよ。ビール飲もうとして、思い付いたから。」
「ありがとう。実はね・・・飲み過ぎちゃったみたいで。Nさんにはお酒我慢させちゃったんだね。ごめんなさい。ご飯は?何か食べて行く?」
「ううん。帰ろう。」
「うん。ありがとう。」
少し離れた場所のパーキングに停めたNの車の番号を確認して、Sは支払い機に小走りに駆けた。
「おおい、酔って走ったら転ぶ!ゆっくりでいいから。」
「はぁい。」
乗車すると、Sの方からすぐに腕を絡めてきた。
「ん?どうした?」
「良かった。今夜会えて。」
「随分甘えモードだな。飲めない癖に一体何杯飲んだんだ?今日の相手は教室の先生だったか?まさか、飲まされたわけじゃないよな?」
「違うよ。そんな乱暴な人じゃないよ。いかにも芸術家って感じ、スマートで優しい先生だよ?」
「・・・楽しかったか?」
「うん。レシピ研究会。」
「何の?」
「僕がこれからNさんに作る料理の講習会。」
「なんだ、それ。」
自分以外の男の話をされて不機嫌になりかかったが、今のSの言葉で上機嫌が移ったかにまで上昇するのだから安いな、とNは苦笑いをした。
それにしても・・・走り出して間もないのにこれだけ酒臭いとは・・・とNは車窓を少しだけ開けた。
「Nさん、眠くなっちゃった。迎えにまで来て貰って、ごめんなさい。」
「いいよ。着いたら起こすから。外で俺に抱き上げられたくなかったら、ちゃんと起きろよ?」
「はぁい。」
腕を絡めたまま、Sはすぐに寝息を立て始めた。
Nのマンションに到着後、車で揺られた事が酔いを加速させたのか、結局SはNに背負われてエントランスを抜ける羽目になった。
こんなあられもない姿を初めて見るNは、呆れるどころか愛しく思うのだから、600年も昔に書かれた小説の一句「恋は盲目」が現代まで受け継がれているのは当然というわけだ。
「ほら、家に着いたぞ。」
「うう・・・ん。Nさん、ごめんなさいー。」
「気持ち悪くないか?」
「うん。大丈夫。でも、お風呂入って歯磨きしたい~」
「酔って湯舟はダメだ。シャワーだけな?ほら、脱いで。」
帰宅して既に風呂は済ませたNも全裸になり、頭をグラグラさせているSを担ぐようにしてバスルームに入った。
シャワーを出し、手早くシャンプーをし、ボディーシャンプーを全身に塗り付けるだけにして、大きな手で一つかみ出来る程小さな顔にも塗り付けた。
「うっぷ。目、目!」
「ほらっ。顔にシャワー当てるぞ。」
Sは両手で顔を擦った。
「よしっ。これで何とか・・・」
流し残しの無いよう何度もSの全身にシャワーを浴びせた。
バスタオルで身体を拭いてやり、まだグラグラするSの頭にドライヤーを当て、半分程乾かしてから歯ブラシを手渡した。
よく見えて無いのか洗顔剤を歯ブラシに着けようとするのを慌てて取り上げ、歯磨き粉を着けてSの口にそっと挿した。磨き方が出鱈目に見えたが、Nが声掛けしないと永遠に歯磨きを続けそうだったので、子供に教えるようにしてNは強制終了させた。
「んふふ。お母さん、ありがとう。」
「酔っ払いめ。」
「ごめんなさい。」
洗面所に下げてあったバスローブだけ着衣させて、NはSを抱き上げてベッドに寝かせた。自分も横になり掛けたが思い出したようにペットボトルの水をサイドボードに置き、灯りを落とした。
「こういう事があるから、住処をひとつにしたいって・・・」
独り言のつもりで呟いたNに、Sの手足が絡まってきた。いつものように懐に抱き入れると
「うん。そう思う。」
Sの呟きにNは驚いて起き上がった。
「S、寝言か?」
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