Irregular

neko-aroma(ねこ)

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Irregular 6

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「そう、元彼。さて、休憩はこの位にして再開しようか。水、引いて?」
何事も無かったかのようにKは講師として指導を始めた。今の会話で軽く衝撃を受けていたSの集中力が途切れ途切れになってしまったが、何とかその日の技量としてのアップデートは少なからず感じていた。
Sが後片付けをして手を洗っていると、Kから食事に誘われた。Nが帰京するのは明日だから、元々その準備は明日やろうと思っていた。
「展覧会に出す作品、希望を聞いておきたい。傾向と対策ね。どうせなら、賞取りやすいのを作った方がいいから。その打ち合わせ兼ねて。ご飯、何が食べたいの?好きなものは?」
「僕はそんなに好き嫌い無いから、何でも大丈夫です。先生のお好きな所でいいですよ?」
「そう。じゃあ、この近くに肉が美味いバルがあるんだけど、お肉は?」
「はい、大好きです。でも・・・バルってお酒の店ですよね?僕はあんまり飲めないから・・・」
「そっか。じゃあジュースやコーヒーもあるから。無理して飲まないでいいよ?」
「先生は?お酒好きですか?」
「うん。結構、飲む。でも、酒癖酷い分けじゃないから心配しないで。」
工房が入ったビルから徒歩数分で着いたバルは、駅からの道とは外れている為、Sは今まで見た事も無かった。
「まだ5時にもなっていないのに、結構お客さん入っているんですね。」
Sは普段の生活でこの手の店には無縁だ。会社勤めしている時は、打ち上げだ何だと強制出席を余儀なくされてもいたから、居酒屋位は入った事がある。飲酒をしない人種にとって、永遠の苦行のような時間を過ごした印象でしかない。
「これからどんどん混んで来るからね、話し声も聞こえ辛くなるから。大声出して喉痛めないようにね。お肉好きなんだもんね?最初に適当に頼むから。足らなかったら、言ってね。今日は俺が誘ったからご馳走する。遠慮なくどうぞ?」
「お言葉に甘えて、ご馳走になります。最初の一杯だけ、飲みます。薄めのお酒を頼んで下さい。」
「無理しなくていいのに。」
「何事も経験ですので。」
Sは笑ってそう答えたが、既に自分の普段の話すトーンでは隣に座るKに届き難い店内と化していた。
Sにはフルーツが沢山入ったサングリアを、Kは白ワインのボトルが運ばれて来て二人は乾杯をした。料理が運ばれてくる間にSが出品する予定の作品について話をし、逆算して簡単なスケジュールを組んだ。
「陶芸家になるつもりも無いのに、どうして出品を目指したの?」
「僕、前の会社で身体が着いて行かなかったって理由だけで退職しました。仕事も中途半端で、達成感が全然無かったんです。大学の専攻も、いざ入ってみてなんか違うなんか違うって思いつつ取りあえず卒業してしまって・・・大学の時に別の科の生徒らがろくろ回しているのを羨ましく見てたんです。今、ニートみたいなものだから、やりたかった事一つでも多くやり遂げたくて・・・電車乗り換え無しで通える先生の教室に偶然出会って、ラッキーでした。まさか出品まで出来ると思ってなかったから。」
「そう。じゃあ、この出品が最初で最後になるのかな?」
「最後かどうかは分かりませんが・・・趣味の域は越えられないってのだけは、分かっています。」
「そっか。じゃあ、君が出品作を仕上げて、次の就職が決まったら・・・俺とはお別れだね。」
「え・・・・あ・・・・考えた事ありませんでした。」
どんどん増える人のさんざめきで煩くなる店内で、Sは何故かグラスを一気に煽った。
今まで人の出会いと別れを意識した事が無かった。だから、Kの言葉はショックだった。
一度出会えば、いつかどこかでまた会えるような、漠然とした思いがあった。そう言われてみると、会社を退社してから元同僚達とは誰とも再会していない。再会する理由が無かったからだと今知った。
「ちょっと、お酒飲めないんじゃなかったの?大丈夫?」
「はい・・・同じ水分なのに、お酒は喉が渇くんですね。不思議。」
「いや、酒は水分にカンウントされないから。だから真夏に喉が渇いてビール飲んで熱中症になるんでしょ?ノンアルの何か頼もう。」
「いえ、大丈夫です。同じものをオーダーして下さい。美味しかったし・・・」
「ううん・・・」
Kはサングリアと炭酸水を頼んだ。
「あ!僕の出品で終わりじゃなかった!先生のモデル役がありましたね。お別れじゃないじゃないですか。」
「あれぇ?モデル、OKしてくれるの?」
「はい・・・教室卒業でお別れは・・・ちょっと・・・寂しいので・・・」
「ふうん。」
Kはニヤニヤしながら白ワインの入ったグラスを空けた。
「先生、彫刻モデルって、よく見るやつですか?全裸でずっと同じポーズの・・・」
「ええっ?脱ぐ気満々?」
Kが一人で声を出して笑っていたが、それも店内の騒音に吸い込まれてしまう程だ。SはKの肩に手を掛けて、声が聞こえやすいようにと自分から顔を寄せた。
「脱ぐ程の身体じゃないので・・・脱ぎたくないです。」
「そう言われちゃうと、脱がしてみたくなるね。」
顔を間近に見詰めながら、Kは笑った。
「本当に、貧相でガリでみっともないんです・・・プールで水着になるのさえ恥ずかしくて堪らないのに・・・」
「・・・でも、その恥ずかしさを押してまで、見せる相手が居る分けでしょ?」
「え・・・・」
「俺が君をモデルにしたいと思ったのはね・・・そういう時の君の表情、きっと俺が知ってる顔と全然違うと思うんだ。そこに凄く興味が湧いてさ・・・」
Sは酔いが回って次第に思考の幅が狭くなっているのを何処かで感じながらも、昨日のNが囁いた言葉の数々を思い出していた。
「ふふっ。ほらね?思い出しただけで、そんな顔するんだ。興味が尽きないよ。」
「僕なんかそこら辺のモブでしか無いのに、興味なんか持って・・・先生は変わってますね。芸術家はそうなのかな。」
「じゃあS君のいい人は、どうしてモブだっていう君に・・・あんな顔させるの?」
「え・・・・」
「そういう事でしょ、興味持つ切っ掛けって。」
「なんだか・・・分からないや・・・僕の何処が・・・Nさんも・・・・」
自然に出てしまったのだろうSの相手の名前は聞こえなかった振りをして、Kは半分にまで減ったSのグラスに炭酸水を注いだ。
元々のワインの赤味が薄れて照明に照らされると、グラスの中はだいだい色に見えた。
「随分酔いが回ってるね。一人で電車に乗って帰れるかな?」
「う~ん。大丈夫・・・な筈です。でも、もう少し飲みたい気分です。」
サングリアが薄められた事にも気付かず、Sはグラス半分までごくごくと飲んだ。
「僕、先生みたいな大人の人・・・こうして話すなんて、今まで無かったから・・・毎回びっくりで・・・でも、楽しくて・・・だからかな、匂いで思い出しちゃうの・・・」
「もう禁煙してるんだから、煙草の匂い=俺じゃないんだよ?」
「ああ、そうか。じゃあ、さっき教わったやつ・・・ブルータス?それ、書き換えなきゃ。」
「あはは、ブルータスじゃ古代ローマの別の話になっちゃうよ。プルースト効果だよ。」
「新しいプルースト効果の資料・・・・」
そう言いながら、SからKの肩に頭を乗せ、首筋に鼻先を着けた。くんくんと鼻を鳴らしたついでに、小さなくしゃみをひとつしてKを笑わせた。
「何だか分からないや・・・甘い?柔軟剤の匂い?なんだろう。」
いつの間にかSの片手がKのシャツの胸元を握って、顔が近付け過ぎて唇が首筋に触れていた。
Sの思わぬ行動に目を丸くしたが、Kはゆっくりと顔を傾けて互いの息が混じり合うまで側に寄せた。Kを見上げる大きな目が、酔いのせいなのか潤んで照明が反射していた。
視線が絡み合ったが、Kはしばらくそのままを保った。
「S君、俺はね、人の者には自分からは直接アクション起こさないよ。」
何を言われたのか分からないと言った顔付をして、Sは身体を離した。薄められたサングリアの残りを飲み干し、座った目付きでKを見上げた。



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