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短期の海外出張から戻ってきた。
事業所から頂いた土産に加えて、フリーになった一日で街ブラをしていたら予想外に買い物をしてしまった。
この国には数回渡航しているから、来るたびに懐かしささえ感じる。
その国に住んでいる友達にも会った。
もう二十代も後半の年齢の僕らは、新しい仕事や役職、目的が決まった新たな出会いやその他諸々、人生の過渡期に差し掛かっている。
誰もがそれを感じているから、焦りが無いと言えば嘘になる。前回の再会と、雑談の内容が少し変わっている。
誰もが、肝心な胸の深い真実の部分だけは何かで包んで、自分以外に全容を見せたりしない。
いつものようにはしゃいでふざけていても、何処かで誰かの溜息が混じっているように聞こえてしまう。
そんな年頃になったんだ、と少し寂しい気持ちもした。
又近いうちの再会を誓って、僕は自室に帰って来た。
数日誰も住んでいないだけで、こんなに部屋が冷たくなってしまうものなんだ。暖房が中々広がっていかない。
肩をすくめて手を擦り合わせながら、荷物の整理をし始めた。
小さなテーブルには作業途中で置き去りにしたままの趣味のハンドクラフト。それを退かしても荷物は乗り切れなくて、床やソファーに着古した洗濯物や土産の数々や自分の買い物や空港で買ったお菓子やドリンクなど、とにかく散乱した。
それらを片付けるより先にシャワーを浴びたい。寒くて辛い。
再会した友人らに言えなかった事がある。
僕には、人生を先に進めない、進まない理由がある。
時間を掛けてお湯を浴び続け、髪も身体も隅々まで丹念に洗った。
シャワーを切り上げようと何度もバルブを捻るけど、その瞬間に寒さが蘇ってまたお湯を浴びるのを繰り返し。いつこれを止めようか。
ガタン、と音がしてバスルームの曇りガラスの前を人影が過った。
帰りの便に乗る時にメッセは入れたけれど、到着してからは入れて無かった。その後の予定を言わなかったし聞かなかった。
それでも・・・
僕は漸くバスルームからの脱出を適えた。タオルを掴んだ指先がふやけているんじゃない?
髪は濡れたまま、急いで下着だけ着てからバスルームを出た。
「お帰り。部屋、寒いな。」
「うん。帰ってきたばっかり。」
今の僕が人生をわざと立ち止まっている理由。”彼”が笑顔で僕の散乱したものを片付ける為に、大きな身体を曲げているところだった。
「この散らかり具合なら、そうだと思った。」
「後でやるから、いいよ。」
「後でっていつよ?」
彼は笑いながらも手は止めなかった。勝手知ったる他人の家よろしく、汚れ物を仕分けしてランドリーのスイッチを入れた。
「髪乾かして、服を着なよ。」
言いながら背中を丸めて床の散乱を整理している。
その背に覆い被さっても、子供が親におんぶされているみたいにしかならない。今までは小柄なのを僻みもしたけれど、今となってはこれが最適だ。彼の腕の中にすっぽり収まる事が出来るから。
「風邪引いたら、どうするんだ?ドライヤー掛けて来いって。」
「ええ~?ヤダ。」
「ああ、じゃあ、俺が掛けてやるから。」
僕の魂胆なんかとっくに見透かしているんだ。いつものパターンだから。
ジャージの上下を着て、二人分のスペースをソファーに作って、フリースブランケットを二人で膝に掛けて。
彼はアマチュアだけどスポーツマン。彼の居るジムのロゴ入りの正直ダサいフリースは、もうくたくたに馴染んでる。それ位使っていると言う事。
「事業所からね、季節柄、チョコのプレゼントばっかりだよ。」
彼は目指す大会があるから、節制中。この量を分けたら、僕が彼の努力を台無しにしてしまう。
「俺はいいよ。食べな。こんなに細いんだから、これ全部食べても大丈夫。」
彼はこの夜初めて自分から僕の腕に触れた。
痩せっぽちの僕の体も、役に立つ事もあるんだ。
僕らは何故か暫く顔を見合わせて、理由も無いのに浮かんで来る笑みをこれまた理由も無くかみ殺していた。
「ん?」
彼は僕の上目遣いのこの顔が好きなんだって。自分じゃ分からないね。意識して鏡と睨めっこする顔はきっと、彼が見てる映像とは違う。
「まだ、寒い?」
「あ~う~ん。ちょっと?」
「じゃあ、ここ。」
彼はフリースを捲って、自分の両足の間、ソファーの生地をぽんぽんと叩いた。僕は笑って誘いを受ける。背後から抱き締められて、凄く温かい。僕の肩に置いた彼の髪からシャンプーの香りがした。そうか、来る前に済ませていたんだ。
「もうすぐ春になるじゃん?」
「うん。」
「君の誕生日から付き合いだしたから・・・二年目突入する。」
「ふふっ。長い?」
「うん。俺がいつまでも捨てられないのが、不思議。」
「それ、こっちのセリフ。なんで付き合いだしたんだっけ?」
「君がジムに来て俺が君のトレーナーになって・・・何やっても筋肉つかなくて、食事からホームトレーニングやら指導してたらさ・・・」
この話を僕たちは一体何度繰り返しているのだろうか。話す度に、初めての告白みたいにドキドキする。
「男とそういうの、初めてだっただろうに・・・よく先に手を出せたね。」
僕はふざけて肩で彼の胸を小突いた。
「君が悪い。凄くいい匂いさせて・・・目で誘ってた。他の人にも、そう?」
彼も僕も同性との恋愛は初めてだと知りながら、わざとそんな意地悪を言う。全部、知っている癖に。
「じゃあ、初めてキスされてからずっと目で誘ってたのに、なんで二回目までインターバル長いんだよ?」
「ははっ。気付かなかった。」
「なんだよ、ソレ。」
もう何度もしている話だもの。分かっているよ。彼が慎重な性格で、自分の気持ちより僕の気持ちの確信が持てないうちは手出し出来なかった事を。
「手、触って?」
彼が僕の両肩でクロスさせた手を僕に見せた。スポーツマンらしい、ゴツゴツした手。
「うん?」
「冷たい?」
「ううん?温かいよ?」
「良かった。」
僕を覗き込むようにしてから、両手がもぞもぞして僕のジャージの上着の中に裾から入り込んで来た。
温かくて気持ちいい。
彼のこういう気遣いは、僕には真似できない。これが素なんだから、憧れる。
「向こうで、友達に会えた?」
「うん。少し、遊んだよ。買い物もした。お土産もあるよ。後で渡すね。」
「ありがとう。友達、元気だった?」
「うん。ちょっとしか遊べなかったけど、楽しかった。コーヒーショップ巡りとか。」
「相変わらずコーヒー好きだなあ。カフェインの取り過ぎに注意。」
「はぁあい。」
僕のお腹の辺りをさわさわしていた彼の手が、少しずつ上に移動している。その感触にいちいち小さく震えてしまうのは、恥ずかしいな。
彼と僕は、互いの友達を知らない。機会を作れば一緒に遊ぶ事も不可能では無いけれど、彼も僕もそれを望まない。
全部ひとつの世界しか無いよりも、互いに知らない世界を幾つか持つ方がいい。会った時、どれだけ大切か分かる為にもその方がいい。
「はぁ、いい匂い。」
「シャワー浴びただけだよ?コロンも何も着けてない。」
「うん。この方が、いい匂い。」
彼が僕の匂いを嗅ぐついでに唇を首筋に着けたのが、今夜の始まりの合図だ。キスもしていないのに、雑談しながらじわじわと迫って来るのは、ずるい。
「僕が留守の間、変わった事は無かった?」
「三日連続で雪が降った事位かな。」
「ううん、君の事を聞いてるんだよ?」
「無いよ。ただ、待ってただけ。」
また気付かないうちにこんなに顔を近付けてる。唇の先が触れ合うギリギリの場所で、どうして止めてるの?彼の目線が僕の唇に釘付けになっていた。
「チョコ食べなよ。」
「今?」
「うん。俺は直に食べられないんだからさ・・・」
僕はふっと笑って漏れた鼻息を、彼の顔に掛けてしまっただろうか。
「どれがいい?アルコールが入ってるやつもあるよ?」
「じゃあ、それで。」
彼は酒好き。僕は飲めない。違う所を挙げたらキリがない。共通項は・・・好きな気持ちだけ。
ボンボンタイプを口に放り込んで、何度か彼の顔を見て顎で催促されて、僕は慎重に慎重に口の中でチョコを割った。苦みのある度数の弱い酒を舌を丸めた中に溜めて、彼の肩を支えにして少し身体を浮かせて、半開きで待つ彼の唇目掛けて口移しした。軽く彼の喉から音がして、その後は僕ら二人の合わせた唇から湿った音が響いて・・・そのうち僕の鼻から声が漏れて来てしまうからその前に・・・
あ、リモコン・・・彼が向こうのテーブルに綺麗に並べてた。届かない。どうしよう。
「なに?」
「あ、音楽でも掛けようかなあって。リモコン片付けられちゃってるし。」
「どうして今、音楽必要なの。気分、盛り上がらないから?」
「・・・音、恥ずかしいって知ってる癖に。」
彼は笑って、わざと音を盛大に立てて何度も僕にキスをした。
「ううん、そういうのじゃないよ・・・」
「どうせベッドルームに行くだろ?そこで掛けたらいいよ?それとも、今、ここでしたいの?」
彼の言葉で思い出した。帰宅してからまだベッドルームに行ってない。どれだけ冷え切っているか・・・シーツに寝転ぶのさえ恐ろしい。暖房を点けておくんだった。
「あのさ、あっちの部屋の暖房、まだ入れて無い。きっと、外位寒い。」
「じゃあ、スイッチ入れておいで。」
僕の胴から離れる彼の両手が名残惜しい。でも、仕方ない。
部屋の仕切りのドアを開ければ、途端に冷気がこちらの部屋に入り込んで来た。これはもう、開けっ放しにして両方のエアコンを入れておくしかない。
僕が色々と作業している間に、彼が部屋のプレイヤーのスイッチをオンにした。
「まだコレ聞いてた?好きだねえ。」
「別なのが聞きたければ、そっちから飛ばして?」
「ああ、いいよ。コレ、俺も好きだし。」
寝室に出入りしてすっかり身体が寒くなってしまった僕は身を縮こませて、彼の太い首筋で暖を取ろうと両手で掴むようにした。
「ひぃっ。冷たいっ!」
すぐに両手を掴まれて、立ったまま彼のシャツの中に引き入れられた。こっちの方が面積が広いから、すぐに手が温まる。
固い腹筋から胴を辿って広い背に手を滑らせた。少しでも身動きすると、何処の筋肉がどういう動きをするのか掌に教えて来る。標本みたいだね。
彼も僕も年相応に女の子とも経験がある。でも、この想いを知ればあれが恋愛ごっこレベルだったと分かる。性欲が何なのか、彼だけが教えてくれたんだ。その欲が想いとセットである事も。
僕らは立ったままで、互いに服の下に両手を入れて暫く素肌の感触を楽しんだ。
「こうして抱き合うの、好きだな。」
「うん。そうだね。新鮮。」
だって、カムアウトしてる訳じゃないし、それを二人共望んでいないし、増してや外でいちゃつく事も今は求めていない。少なくとも、僕は。そのうち、どんどん欲が出て来るものなんだろうか?
今は・・・二人きりで逢えるだけでいい。何かに追われて、タイムリミットを知らされるその時までは。
「本当に好き。」
何だろう、ビックリした。僕がこんな事を言うだなんて。不意打ちなのは、言った本人の僕。
「俺は違うぞ?」
「え?」
「俺は・・・愛してる。」
「ぷっ、何だよそれ。同じだろ?」
「違うよ。この先・・・来年、再来年、もっと先、二人の姿を想像し始めたらそれは、好きを超えてる。」
なんだか涙が出そうになって、僕は違う話ではぐらかさなきゃと頭が一杯になった。
「さっきからずっとループ再生してるだろ、この曲。」
「ん?ああ、僕がコレ好きだから。」
「飽きるまで聞いて、少し聞かないで、またすぐに聞きたくなって、ループだろ?」
「うん。」
「プレイヤーオフにしても、頭の中でまたループしてる。」
「うん。」
「でもまた、起きたら同じのを掛けてるんだ。」
「うん。」
「俺は・・・君にそんな感じ。愛してる。」
僕が泣き出す前に、早く唇を塞いで欲しい。
未来は見てみたいけど、明日は来なくていい。暫くこのままで・・・
ねえ、お願いだよ。
キスはお互いの顔を隠してくれるから、僕が泣き出す前に・・・隠してよ・・・早く・・・・
事業所から頂いた土産に加えて、フリーになった一日で街ブラをしていたら予想外に買い物をしてしまった。
この国には数回渡航しているから、来るたびに懐かしささえ感じる。
その国に住んでいる友達にも会った。
もう二十代も後半の年齢の僕らは、新しい仕事や役職、目的が決まった新たな出会いやその他諸々、人生の過渡期に差し掛かっている。
誰もがそれを感じているから、焦りが無いと言えば嘘になる。前回の再会と、雑談の内容が少し変わっている。
誰もが、肝心な胸の深い真実の部分だけは何かで包んで、自分以外に全容を見せたりしない。
いつものようにはしゃいでふざけていても、何処かで誰かの溜息が混じっているように聞こえてしまう。
そんな年頃になったんだ、と少し寂しい気持ちもした。
又近いうちの再会を誓って、僕は自室に帰って来た。
数日誰も住んでいないだけで、こんなに部屋が冷たくなってしまうものなんだ。暖房が中々広がっていかない。
肩をすくめて手を擦り合わせながら、荷物の整理をし始めた。
小さなテーブルには作業途中で置き去りにしたままの趣味のハンドクラフト。それを退かしても荷物は乗り切れなくて、床やソファーに着古した洗濯物や土産の数々や自分の買い物や空港で買ったお菓子やドリンクなど、とにかく散乱した。
それらを片付けるより先にシャワーを浴びたい。寒くて辛い。
再会した友人らに言えなかった事がある。
僕には、人生を先に進めない、進まない理由がある。
時間を掛けてお湯を浴び続け、髪も身体も隅々まで丹念に洗った。
シャワーを切り上げようと何度もバルブを捻るけど、その瞬間に寒さが蘇ってまたお湯を浴びるのを繰り返し。いつこれを止めようか。
ガタン、と音がしてバスルームの曇りガラスの前を人影が過った。
帰りの便に乗る時にメッセは入れたけれど、到着してからは入れて無かった。その後の予定を言わなかったし聞かなかった。
それでも・・・
僕は漸くバスルームからの脱出を適えた。タオルを掴んだ指先がふやけているんじゃない?
髪は濡れたまま、急いで下着だけ着てからバスルームを出た。
「お帰り。部屋、寒いな。」
「うん。帰ってきたばっかり。」
今の僕が人生をわざと立ち止まっている理由。”彼”が笑顔で僕の散乱したものを片付ける為に、大きな身体を曲げているところだった。
「この散らかり具合なら、そうだと思った。」
「後でやるから、いいよ。」
「後でっていつよ?」
彼は笑いながらも手は止めなかった。勝手知ったる他人の家よろしく、汚れ物を仕分けしてランドリーのスイッチを入れた。
「髪乾かして、服を着なよ。」
言いながら背中を丸めて床の散乱を整理している。
その背に覆い被さっても、子供が親におんぶされているみたいにしかならない。今までは小柄なのを僻みもしたけれど、今となってはこれが最適だ。彼の腕の中にすっぽり収まる事が出来るから。
「風邪引いたら、どうするんだ?ドライヤー掛けて来いって。」
「ええ~?ヤダ。」
「ああ、じゃあ、俺が掛けてやるから。」
僕の魂胆なんかとっくに見透かしているんだ。いつものパターンだから。
ジャージの上下を着て、二人分のスペースをソファーに作って、フリースブランケットを二人で膝に掛けて。
彼はアマチュアだけどスポーツマン。彼の居るジムのロゴ入りの正直ダサいフリースは、もうくたくたに馴染んでる。それ位使っていると言う事。
「事業所からね、季節柄、チョコのプレゼントばっかりだよ。」
彼は目指す大会があるから、節制中。この量を分けたら、僕が彼の努力を台無しにしてしまう。
「俺はいいよ。食べな。こんなに細いんだから、これ全部食べても大丈夫。」
彼はこの夜初めて自分から僕の腕に触れた。
痩せっぽちの僕の体も、役に立つ事もあるんだ。
僕らは何故か暫く顔を見合わせて、理由も無いのに浮かんで来る笑みをこれまた理由も無くかみ殺していた。
「ん?」
彼は僕の上目遣いのこの顔が好きなんだって。自分じゃ分からないね。意識して鏡と睨めっこする顔はきっと、彼が見てる映像とは違う。
「まだ、寒い?」
「あ~う~ん。ちょっと?」
「じゃあ、ここ。」
彼はフリースを捲って、自分の両足の間、ソファーの生地をぽんぽんと叩いた。僕は笑って誘いを受ける。背後から抱き締められて、凄く温かい。僕の肩に置いた彼の髪からシャンプーの香りがした。そうか、来る前に済ませていたんだ。
「もうすぐ春になるじゃん?」
「うん。」
「君の誕生日から付き合いだしたから・・・二年目突入する。」
「ふふっ。長い?」
「うん。俺がいつまでも捨てられないのが、不思議。」
「それ、こっちのセリフ。なんで付き合いだしたんだっけ?」
「君がジムに来て俺が君のトレーナーになって・・・何やっても筋肉つかなくて、食事からホームトレーニングやら指導してたらさ・・・」
この話を僕たちは一体何度繰り返しているのだろうか。話す度に、初めての告白みたいにドキドキする。
「男とそういうの、初めてだっただろうに・・・よく先に手を出せたね。」
僕はふざけて肩で彼の胸を小突いた。
「君が悪い。凄くいい匂いさせて・・・目で誘ってた。他の人にも、そう?」
彼も僕も同性との恋愛は初めてだと知りながら、わざとそんな意地悪を言う。全部、知っている癖に。
「じゃあ、初めてキスされてからずっと目で誘ってたのに、なんで二回目までインターバル長いんだよ?」
「ははっ。気付かなかった。」
「なんだよ、ソレ。」
もう何度もしている話だもの。分かっているよ。彼が慎重な性格で、自分の気持ちより僕の気持ちの確信が持てないうちは手出し出来なかった事を。
「手、触って?」
彼が僕の両肩でクロスさせた手を僕に見せた。スポーツマンらしい、ゴツゴツした手。
「うん?」
「冷たい?」
「ううん?温かいよ?」
「良かった。」
僕を覗き込むようにしてから、両手がもぞもぞして僕のジャージの上着の中に裾から入り込んで来た。
温かくて気持ちいい。
彼のこういう気遣いは、僕には真似できない。これが素なんだから、憧れる。
「向こうで、友達に会えた?」
「うん。少し、遊んだよ。買い物もした。お土産もあるよ。後で渡すね。」
「ありがとう。友達、元気だった?」
「うん。ちょっとしか遊べなかったけど、楽しかった。コーヒーショップ巡りとか。」
「相変わらずコーヒー好きだなあ。カフェインの取り過ぎに注意。」
「はぁあい。」
僕のお腹の辺りをさわさわしていた彼の手が、少しずつ上に移動している。その感触にいちいち小さく震えてしまうのは、恥ずかしいな。
彼と僕は、互いの友達を知らない。機会を作れば一緒に遊ぶ事も不可能では無いけれど、彼も僕もそれを望まない。
全部ひとつの世界しか無いよりも、互いに知らない世界を幾つか持つ方がいい。会った時、どれだけ大切か分かる為にもその方がいい。
「はぁ、いい匂い。」
「シャワー浴びただけだよ?コロンも何も着けてない。」
「うん。この方が、いい匂い。」
彼が僕の匂いを嗅ぐついでに唇を首筋に着けたのが、今夜の始まりの合図だ。キスもしていないのに、雑談しながらじわじわと迫って来るのは、ずるい。
「僕が留守の間、変わった事は無かった?」
「三日連続で雪が降った事位かな。」
「ううん、君の事を聞いてるんだよ?」
「無いよ。ただ、待ってただけ。」
また気付かないうちにこんなに顔を近付けてる。唇の先が触れ合うギリギリの場所で、どうして止めてるの?彼の目線が僕の唇に釘付けになっていた。
「チョコ食べなよ。」
「今?」
「うん。俺は直に食べられないんだからさ・・・」
僕はふっと笑って漏れた鼻息を、彼の顔に掛けてしまっただろうか。
「どれがいい?アルコールが入ってるやつもあるよ?」
「じゃあ、それで。」
彼は酒好き。僕は飲めない。違う所を挙げたらキリがない。共通項は・・・好きな気持ちだけ。
ボンボンタイプを口に放り込んで、何度か彼の顔を見て顎で催促されて、僕は慎重に慎重に口の中でチョコを割った。苦みのある度数の弱い酒を舌を丸めた中に溜めて、彼の肩を支えにして少し身体を浮かせて、半開きで待つ彼の唇目掛けて口移しした。軽く彼の喉から音がして、その後は僕ら二人の合わせた唇から湿った音が響いて・・・そのうち僕の鼻から声が漏れて来てしまうからその前に・・・
あ、リモコン・・・彼が向こうのテーブルに綺麗に並べてた。届かない。どうしよう。
「なに?」
「あ、音楽でも掛けようかなあって。リモコン片付けられちゃってるし。」
「どうして今、音楽必要なの。気分、盛り上がらないから?」
「・・・音、恥ずかしいって知ってる癖に。」
彼は笑って、わざと音を盛大に立てて何度も僕にキスをした。
「ううん、そういうのじゃないよ・・・」
「どうせベッドルームに行くだろ?そこで掛けたらいいよ?それとも、今、ここでしたいの?」
彼の言葉で思い出した。帰宅してからまだベッドルームに行ってない。どれだけ冷え切っているか・・・シーツに寝転ぶのさえ恐ろしい。暖房を点けておくんだった。
「あのさ、あっちの部屋の暖房、まだ入れて無い。きっと、外位寒い。」
「じゃあ、スイッチ入れておいで。」
僕の胴から離れる彼の両手が名残惜しい。でも、仕方ない。
部屋の仕切りのドアを開ければ、途端に冷気がこちらの部屋に入り込んで来た。これはもう、開けっ放しにして両方のエアコンを入れておくしかない。
僕が色々と作業している間に、彼が部屋のプレイヤーのスイッチをオンにした。
「まだコレ聞いてた?好きだねえ。」
「別なのが聞きたければ、そっちから飛ばして?」
「ああ、いいよ。コレ、俺も好きだし。」
寝室に出入りしてすっかり身体が寒くなってしまった僕は身を縮こませて、彼の太い首筋で暖を取ろうと両手で掴むようにした。
「ひぃっ。冷たいっ!」
すぐに両手を掴まれて、立ったまま彼のシャツの中に引き入れられた。こっちの方が面積が広いから、すぐに手が温まる。
固い腹筋から胴を辿って広い背に手を滑らせた。少しでも身動きすると、何処の筋肉がどういう動きをするのか掌に教えて来る。標本みたいだね。
彼も僕も年相応に女の子とも経験がある。でも、この想いを知ればあれが恋愛ごっこレベルだったと分かる。性欲が何なのか、彼だけが教えてくれたんだ。その欲が想いとセットである事も。
僕らは立ったままで、互いに服の下に両手を入れて暫く素肌の感触を楽しんだ。
「こうして抱き合うの、好きだな。」
「うん。そうだね。新鮮。」
だって、カムアウトしてる訳じゃないし、それを二人共望んでいないし、増してや外でいちゃつく事も今は求めていない。少なくとも、僕は。そのうち、どんどん欲が出て来るものなんだろうか?
今は・・・二人きりで逢えるだけでいい。何かに追われて、タイムリミットを知らされるその時までは。
「本当に好き。」
何だろう、ビックリした。僕がこんな事を言うだなんて。不意打ちなのは、言った本人の僕。
「俺は違うぞ?」
「え?」
「俺は・・・愛してる。」
「ぷっ、何だよそれ。同じだろ?」
「違うよ。この先・・・来年、再来年、もっと先、二人の姿を想像し始めたらそれは、好きを超えてる。」
なんだか涙が出そうになって、僕は違う話ではぐらかさなきゃと頭が一杯になった。
「さっきからずっとループ再生してるだろ、この曲。」
「ん?ああ、僕がコレ好きだから。」
「飽きるまで聞いて、少し聞かないで、またすぐに聞きたくなって、ループだろ?」
「うん。」
「プレイヤーオフにしても、頭の中でまたループしてる。」
「うん。」
「でもまた、起きたら同じのを掛けてるんだ。」
「うん。」
「俺は・・・君にそんな感じ。愛してる。」
僕が泣き出す前に、早く唇を塞いで欲しい。
未来は見てみたいけど、明日は来なくていい。暫くこのままで・・・
ねえ、お願いだよ。
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