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しおりを挟むおずおずと立ち上がり、私は店内へと戻る。テーブルにつき、酒を酌み交わす客たちの頭上にはやはり数字が浮かんでいた。
「……81、39、6、211…………見事にばらばらな数ばっかりだわ」
いつも得意げに女性遍歴を話す常連客の数字が一桁だったり、寡黙で真面目そうな爽やかな青年の数字がまさかの四桁だったりと驚愕すべきことが多々あった。だがそれよりも、経験回数が見えることになってしまったことの方が重大な問題で。
涙目で店内を歩き続けていると、明るい耳触りのよい男の声が背後から耳に届く。
「……あれ、ルーナさん? そんな所に立ってどうされたんですか?」
私は思わず振り返り、その男に視線を向けた。
「…………ジェフ? 今夜は早いのね……………………って、なっ!?」
そこには成人男性としては幼げにも見える童顔の男性が不思議そうな顔つきで私を見ていた。服装は国から支給された軍服を身に纏っており、厳格さの見える服装によって彼の童顔が強調されているようにさえ感じられた。
けれど今はそんなことなどどうでもいい。
私は彼の頭上に目をやり、目を白黒させる。
「……い、いちまんせんはっぴゃくきゅう…………」
そう。
その男の頭上には今日一番、いや下手したらこの国一番であろう数字が刻まれていた。
11,809。
ありえないほど、膨大な数だ。
私の驚愕を知る由もないジェフは屈託のない微笑みを浮かべていた。だが私の反応が返ってこないことを不審に思ったのか、眉を下げながらこちらを覗き込んでくる。
「……大丈夫ですか? もしかしてお加減でも悪いんじゃ……」
「だ、だ、だ、大丈夫よ。あっ、そうだ私店長に次の給仕早めにってお願いされていんだったわごめんなさいまたあとでそれじゃあっ!」
息継ぎなしで言い切り、私は逃げるようにして店長のいる厨房へと駆け込む。
全身が冷や汗をかき、しっとり濡れた肌が服と擦れ合うことで不快感さえ覚えた。
私は手のひらで額を抑えながら思考の波に沈む。
ジェフはこの店の常連客で、そしてなにより私の友人だった。とは言っても、私がここで働き始めてからの縁で、三年ほどの付き合いではあるのだが。
彼はこの国の騎士団に所属しており、生粋のエリートである。普段ならば友人として付き合うには気が引けてしまうのだが、彼の持ち前の愛嬌と童顔とも言える顔立ちのせいか気がつけば打ち解けていた。
ジェフは私よりも2つ年下の21歳で、弟のような存在だったということも理由の一つである。実際に私に血の繋がった兄弟はいないのだが、彼の親しみやすさはそう感じさせるのだ。
けれどそれだけで頭上の数にだけ驚いているわけではない。私がこれほどまでに慌てふためいたのには理由があるのだ。
ジェフは以前、女性経験がいまだにないのだと語っていた。確かにここ三年間で彼が女性と親しくしている姿を見かけたこともなく、私は安易に信じ込んだのだ。彼の容姿が性の香りを感じさせない甘めな作りなことも理由の一つとして挙げられる。
ジェフは童顔ではあるものの整った顔立ちをしていて、なんとも勿体無いとすら思い、陰ながら心配すらしていた。
そして同時に仲間意識を抱いていたのも事実だ。周囲の知り合いは皆すでに経験を済ませ、恋人を作っている。結婚すらしている者もおり、私はひとり世界から爪弾きにされたような気さえしていたのだ。
『……そういうことは本気で好きになった人じゃなきゃ嫌だって思うのは変なことなのかな。……まあその好きな人っていうのができないからこうなっちゃったんだけど』
以前、たまたま共に話をした際、私はジェフにそう語ったことがある。そのとき彼はこう言ったのだ。
『おかしくないですよ。ルーナさんは真っ当です。自分を大切にしてるってことですし、僕はそういう人の方が信頼できるし、尊敬できます』
私はそのときのジェフの言葉が嬉しかった。周りの人間は私が未だ処女だと分かると、不思議なものを見るような目でみるか、「なんで」と詰め寄ってくるばかりだった。だからこそ、同じように初めてを大切にしている彼の言葉に胸が温かくなった。
だが、先程の誰よりも突出した数字を見た途端、今まで築き上げてきたジェフへと信頼が崩れ落ちて行くような気持ちさえしたのだ。
「…………あの数字がエッチの経験回数っていうのが私の思い違いなのかもしれない…………そうよね」
私は自らに言い聞かせ、頭の中にあったもやもやを振り切ろうと頭を振る。そして倦怠感さえ覚えるほどの疲弊した体を引きずり、仕事へと戻った。
だが、その日は散々だった。
商品を別の客のテーブルに届けてしまうわ、注文数や料理自体を間違えてしまうわと、注意力が散漫なせいかミスを犯してしまう。
「……すみません。私があんな光景を初心なルーナさんにお見せしてしまったばかりに……」
「違うの……確かに驚いたけど、そういうことじゃないから……」
自分のせいで私の様子がおかしくなったと考えたパトリシアが罪悪感に満ちた顔つきで謝罪に来たが、私は顔を引きつらせて否定することしかできなかった。確かにあの光景は目に毒で衝撃的なものだったが、今私の頭を悩ませているのはそのことではないのだから。
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