3 / 7
邂逅
しおりを挟む沈む。
身体が落ちていく。
寒い。凍えるほど冷えている。
「──目を、覚ましなさい」
何処からか、声が聞こえる。
それは慈悲深いような、けれどもどこか突き放すような。
ゆっくりとまぶたを開く。
周囲は闇なのか、はたまた光に包まれているのか。
ぼんやりとした頭では判断できない。
「…………っ……」
ここはどこ?
そう言おうと口を開くが、漏れるのは吐息だけ。上手く声を出すことが出来なかった。
周囲を見渡し、ようやく周囲に何かがいることに気がつく。
「ようやく目が覚めたようでなによりだ。さて、まず一つ質問といこう。……お前は、一体何者だ」
問いかけてくるのはぼんやりとした影だった。
姿形がはっきりと分からない。
だが、不思議と嫌な気配はしなかった。
自分が何者なのか。
ゆっくりと思い出そうとする。
私の名前は────。
声に出そうとするが、己の喉が本調子でないことに気づき、目の前の影に視線を向ける。
「──ああ、そうだった。お前、いま声が上手く出ないだろう。それならば……」
影はなにか小さく呟くと「これで声が出せる」と言った。
にわかには信じがたいと思ったが、この目の前の影の主ならば出来るだろう。
それだけの説得力を言葉の節々から感じた。
「わ……私は……」
試してみると本当に声が出る。
目の前の影は小さく頷き、質問の答えを促した。
「わたしの……わたしの名前は──オデット・クレイモア……です」
オデットはここに来るまでの細かい過程を思い出さなかった。
ただ、己がすでにこの世のものではないことははっきりと分かる。
死んだ時の記憶を持っているのだから。
「そうか。覚えていてくれて安心した」
「えっと……あなたは?」
安堵したような気持ちを滲ませる影の主に思わず問いかける。
周囲の状況が全く分からない。混乱するほかなく、救いを求めるようにして影をじっと見つめた。
「……混乱するのも当然だ。わたしは……」
まるでオデットの心の奥を見透かしたかのように混乱を言い当てる影。
一歩前に踏み出したかと思うと、突如指を鳴らす。
その途端。影は周囲へと飛散し、瞬く間にその正体が露わになった。
「あなたは…………あなた様は女神、シーボルト様」
丸みを帯びた体つき。
絹糸のような銀髪。
そしてなにをおいても引きつけられる、その虹の瞳。
それはオデットの国で信仰されていた女神、そのものだった。
「いかにも、私はシーボルト。私はあなたに選択を迫るため、ここに呼んだのだ」
女神の神々しい気配に当てられ、思わずオデットは一心に見つめてしまう。
オデットの心には驚愕と混乱が渦巻いていた。
オデットはたしかに死んだはずだ。
あの夜、屋敷の雑用人である青年ジョナにバルコニーから突き飛ばされたのだ。
かと言って、いきなり女神が目の前に現れるという事態は想定を遥かに超える出来事だった。
「選択、ですか?」
女神の問いを無視するわけにもいかず、冷静に言い聞かせながら答える。
一体何の選択なのだろう。オデットは考える。
ふと、一つ答えが浮上した。
──罰の選択。
オデットは生前、人を一人殺めた。
己のために、そして家族のために。
それはけして許されることではないだろう。
「なにか勘違いしているようだな」
「……? と、いうと」
「まあいい。私は遠回しに言葉を並べるのはいささか不得意なのだ。単刀直入に言わせてもらう」
女神は未だ呆然と座り込むオデットを見下ろしながら、言葉を発した。
「お前は贖罪を果たすか、否か?」
「しょく、ざい?」
オデットは言葉を繰り返す。
シーボルトは頷き、再度口を開く。
「お前は人を殺めた。だが、それには数多の理由があったはずだ。かと言って人殺しは人殺し、罪は罪だ。簡単に許すことは出来ない」
オデットは頷く。
「だからこそ、その罪を贖う機会を与えようと考えた。オデット。お前にはもう一度時を遡り、一年前よりやり直す機会を与えようと思う」
シーボルトのその言葉に、オデットは思わず目を見開く。
やり直す機会を与えるなど、いくらなんでも荒唐無稽としか思えない。
だが、女神の言うことだ。
信心深いオデットが神の言葉を否定するなど、もっと有り得ない。
「なぜ、一年前なのですか?」
オデットは恐る恐る疑問を口にする。
人を殺めたことを無かったことにするのであれば、三年前が妥当だ。
なぜならオデットが父を殺めたのはその頃だったのだから。
一年前といえば弟が家督を継ぎ、徐々に安定の兆しが見え始めた頃だった。
そして──ジョナを救った頃も。
「それは的を得た質問だな。だが、私はなにもお前の人殺しを無かったことにすることを贖罪にしようとは考えていない。……私は救えるはずのものを救うべきだと思ったから、これを贖罪と化したのだ」
「救うべきもの。それは…………ジョナのことでございますか」
シーボルトは「ああ」と頷く。
女神が伝えたいことはなんとなくわかる気がした。
オデットの脳裏にはジョナの憎しみに満ちた表情が蘇る。そして、最後のあの悲しみと絶望に満ちた──。
「……ジョナは私を殺して…………救われたのではございませんか?」
「……お前は本当にそう思うのか?」
オデットは言葉を詰まらせた。
分からない。
オデットにはなにも分からなかった。
なぜ、彼は最後の瞬間、場に似合わぬ言葉を口にしたのか。そして。
なぜ────涙を零していたのか。
雨に濡れていた。
涙を零しているかなど、はっきりと分からないと皆言うかもしれない。
だけれど──何故だか分からないけれどオデットにはわかったのだ。
「彼は…………ジョナはあのあと……どうなったのですか」
「ああ─────
死んだよ。自害したんだ、お前の後を追うようにして。騎士どもが駆けつける前にね」
9
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》

あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

王太子殿下の小夜曲
緑谷めい
恋愛
私は侯爵家令嬢フローラ・クライン。私が初めてバルド王太子殿下とお会いしたのは、殿下も私も共に10歳だった春のこと。私は知らないうちに王太子殿下の婚約者候補になっていた。けれど婚約者候補は私を含めて4人。その中には私の憧れの公爵家令嬢マーガレット様もいらっしゃった。これはもう出来レースだわ。王太子殿下の婚約者は完璧令嬢マーガレット様で決まりでしょ! 自分はただの数合わせだと確信した私は、とてもお気楽にバルド王太子殿下との顔合わせに招かれた王宮へ向かったのだが、そこで待ち受けていたのは……!? フローラの明日はどっちだ!?

【完結】小さなマリーは僕の物
miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。
しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。
※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる
kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。
いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。
実はこれは二回目人生だ。
回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。
彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。
そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。
その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯
そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。
※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。
※ 設定ゆるゆるです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる