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皇帝の企み
しおりを挟むベルシュカはおそるおそる尋ねる。
「どうして私に暗殺者を差し向けたのですか?」
ついに一番聞きたかったことを口にし、心臓が早鐘を打った。
陛下が答えるまでの間の数秒が異様に長く感じる。
たった数秒程度であったのに、体感時間では何分も経ったかのようだった。
そしてとうとう、陛下が口を開く。
「全ては試練だったのだ」
「試練、ですか?」
陛下は「ああ」と鷹揚に頷き、不敵な笑みをこぼした。
目を丸くしながら見つめる私に言う。
「お前が次期皇帝の器に足りうる存在が確かめるためのな」
時間が止まった気がした。
聞き間違えかと一瞬思った。
次期皇帝?
器?
様々な単語が頭の中を飛び交い、唐突な言葉にうまく事情を飲み込むことができなかった。
背中を冷や汗が伝い、無意識に顔が強張るのを感じた。
「次期皇帝、ですか……」
「そうだ。私はベルちゃんをこのフランベルクの皇帝に据えようと考えておる。この暗殺未遂はそのための試練だったのだ」
「ちょ、意味が分かりません……ど、どうして私が次期皇帝の試練を受けなければならないのですか。優秀な皇帝の器は足りうる兄たちもいますし、しかも私は女です」
一息に質問攻めにしてしまうのは恐ろしいほど頭の中がごちゃごちゃしていたからだ。
この瞬間、ベルシュカが生まれた中で一番と言っても過言ではないほど混乱していた。
陛下は立派な髭をさすり、どこか考え込みながら答える。
「そうだな。第一皇子も第二皇子も皆、王足りうる器の持ち主ではある。だがな、このフランベルクを支配するには足りぬのだ」
「な、何故……」
「あやつらは悪人ではあるが、所詮環境の生み出した悪人。本当の悪人というものは、生まれながらにしてその素質を持っているもの。あやつらにはそれが不足している」
つまり、陛下の言いたいことというのはこういうことだ。
世の中には2種類の悪が存在しており、環境の生み出した悪人というのは付け焼き刃のようなもの。本当の悪たり得ない。
そしてもう一種類の悪というものが、生まれ落ちたその瞬間に持って生まれたもの。誰にも左右されない、天性のものだという。
「ベルちゃんの悪の素質というものは、このフランベルク帝国歴代をたどっても突出したもの。悪を悪とも思わない。ただ人が呼吸をするように悪行を成す。ーーそんな存在がいるのに他の人間に皇帝の座を譲るはずないだろう」
「……っ、」
思わず「違うんです」と答えたかった。
私は前世の記憶を思い出したことにより、人並みの善悪の感情を持つにあたったのだ。
けれど目の前の陛下の瞳をみて、その訴えをしたところで後の祭りなのだとわかる。
その双眸には盲目的に悪を信仰する狂気的な感情を宿していた。
今までのベルシュカの悪行のインパクトのせいもあり、すでに自分への認識を変えることは不可能だと悟る。
今までのベルシュカは陛下の言った通り、悪を悪とも思わない悪逆非道な女だった。
生まれ落ちたその瞬間から人としてのなにかしらの感情が欠落していたとしか思えない人間性。
それが当たり前のように許される環境。
すべてが噛み合ったことによって悪の種は芽吹き、悪の花として大輪の花を咲かせた。
「私がお前を殺せるはずがない。だが、皇帝へと据えるためにはこの試練が必要だった。ベルちゃんに暗殺者を差し向けるだなんて胸が痛んで仕方がなかった」
「……」
「私はな、長年自分という存在は悪人の中の悪人だと思っていたのだ。だが、お前が生まれてそれは錯覚なのだと気付いた。ベルちゃんのような悪を体現するーーーー悪の権化ともいえる人間が存在したと分かった時、自分の矮小さに気付いたのだ」
もう何も言うことができなかった。
目の前の玉座に座るのは周辺諸国にも恐れられている鬼人でもなく、家臣からも尊敬されている陛下でもない。
そしてベルシュカに優しかった父親でもなくーーーーただ盲目に悪を愛する一人の男だった。
ベルシュカはそのとき悟ったのだ。
陛下がこれまで自分に甘かったのは、愛娘だからというわけではない。
ただベルシュカという存在が己の悪を超える存在であると思い知ったからだった。
身体がぶるりと震える。
全身の鳥肌が立ち、目眩すら覚えた。
だが、ベルシュカは奥歯を噛み締めて陛下にまっすぐな視線を送る。
「私は皇帝の座には興味がありません。なので、辞退させていただきたいです」
「…………そう言うと思っていた。ベルちゃんが王座には興味がないのは知っておった。お前はただ悪を振り撒く存在。権利にも興味がなく、王というものはしがらみにしか過ぎない。……それが悪の権化という存在なのだからな。ーーだが」
陛下は口元を緩ませて狂気的な笑みを見せる。
そして信仰に酔いしれながら続けた。
「周りはそうは考えない。ベルちゃんが望もうと望まないとも、勝手に王へと祭り立てられるだろう」
「……それは」
「まあよい。たしかにお前は悪の権化とは言えど、まだ芽吹いたばかりの蕾。ひよっこだ。長年王を務めてきた私にはまだ勝てぬよ」
ベルシュカは息を詰めた。
権力の上でも陛下に勝てるわけもなく、今は言われたままにする他なかった。
そんな悔しさを胸に宿すベルシュカを尻目に、陛下はまたも仰天することを言い出し始めた。
「ベルちゃん、ひとまずお前を結婚させることに決めた。相手はーーーー
ーーーーフランシス・テプラーだ」
目の前が真っ暗になった気がした。
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