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人間らしさ
しおりを挟むベルシュカはアンナに返事を返し、その背を見送る。
記憶を思い出す前のベルシュカは彼女に宝石商を殺してこいと命令していた。
そしてアンナも顔色ひとつ変えずに「かしこまりました」と従った。
ただそれだけのこと。
だが。
当たり前のように人を殺める召使い。
前世の記憶から考えればありえない。
倫理観が歪みすぎている。
ベルシュカを狙ってきた暗殺者はまだよしとしよう。
仕事だとしても殺しに来たのだから、殺されても当然だと考えることはできる。
ただ、宝石商は違う。
彼はたしかにベルシュカの欲しかった宝石を先に他の人間へと売ってしまっただけだ。
宝石商とは必ず購入するという約束はしていなかったので、これはこちら側が悪い。たとえベルシュカが王女だとしても。
ベルシュカは心の中で陳謝した。
宝石商には申し訳ないと思いながらも今この場ではそれ以外にすることが思いつかなかった。
「失礼致します」
ノックの後に白衣を着た老人がが部屋へと入室してきた。アンナと一緒にだ。
この老人は皇帝陛下────アンナの父親担当の王室筆頭医師だった。
普段であればこの老人が出てくることはない。
「皇帝陛下の命により、第三王女殿下の診察を承りました」
「あなたが?」
「はい。陛下は心底心配していらっしゃいました。愛する殿下にもしものことがあれば私の首を切ると────それほどまでに」
陛下が言いそうなことだ。
ベルシュカはそう思い、苦笑した。
恐らくもしベルシュカが死ねば、言葉通りのことになっていただろう。
ベルシュカの激しい気性は父親譲りなのだ。
「そういえば私、階段から落ちたことは覚えているのだけれど」
それ以降の記憶がさっぱりないということは、階段から落ちてしばらく気を失っていたということだろう。
「殿下は階段から足を滑らせ頭を強くぶつけてから1週間ほど眠っていらっしゃいました」
「い、1週間ですって!?」
医師の言葉にベルシュカは驚愕した。
想像以上に眠っていたためだ。
それならば陛下が筆頭医師を来させるのも納得いく話だ。
その後ベルシュカは一通りの診察を終え、医師は部屋を退出した。
診察の結果は特に問題なし。
数日は安静にして様子を見て、問題ないようであれば日常に戻っていいとのことだった。
アンナと二人きりになり、口を開こうと思ったそのとき。
「1週間前に殿下が階段から落ちた際の護衛担当。いかが致しますか。やはりここは打首でしょうか」
「………………」
一白おいてベルシュカは内心『いやいやいや、それはやりすぎでしょ!』と突っ込みを入れそうになった。
だがなるべく早く平静を崩さ内容にして尋ねる。
「……どうしてそう考えるの?」
「殿下の御身を傷つけたことに対する罰は必要ですのでそう考えたまでのことです」
あの日は良いお酒が手に入ってついつい飲みすぎていたのだ。
不浄へと赴こうとしたのだが、護衛の騎士たちが付いてくることにカチンときて怒鳴り散らしてしまった。
そしてついてくるなと厳命したのだ。
そのせいで護衛の者たちはベルシュカに近づくことが出来なかったため、これは騎士らが悪いことではない。
「そうね、アンナの言う通りだわ」
「それではすぐに──」
「でも!」
ベルシュカはアンナを遮るよう声を上げる。
「最近は特に私に暗殺者を向ける不敬者が多いでしょう? それなのに騎士の減らすのは得策じゃないわ」
「たしかに」
アンナは相変わらずの機械のような無表情でうなずく。
「それにここで赦しを与えておいて、より一層私に忠実に仕えてくれるでしょ?」
「…………そういうことでございますね。かしこまりました、その通りにいたします。役立たずの護衛らには強く言って聞かせますので」
ベルシュカの言葉に納得した様子のアンナにホッと胸を撫で下ろした。
アンナはベルシュカに影響されてか、だいぶ過激なところがあるのだ。
当たり前だが、こんな理不尽なことで殺すだなんて前世の聖女であれば絶対に許さないだろう。
仮に騎士たちによる仕事の怠慢での出来事であれば、アンナは絶対に納得しなかったに違いない。
「アンナ、今日はもう下がりなさい。なんか疲れたわ」
今日は本当に疲れてしまった。
それにもう少し一人で色々と考えたい。
ベルシュカには一人で思考を整理する時間が必要なのだ。
アンナは命令通り部屋から出ていった。
ベルシュカはアンナを下げ、一人きりとなった部屋で考え込む。
先程護衛騎士たちを殺さない理由について無い知恵を絞って答えたが、たしかにあながち間違いではない。
ここ1年ほどベルシュカは暗殺者を向けられる数が増えてきているのだ。
暗殺され慣れていたベルシュカにとってはなんでこともないが、今のベルシュカは少しでも自分を守れる盾が欲しい。
一体誰が狙っているのか。
心当たりはたくさんある。
なんせベルシュカは悪逆非道を繰り返しているのだ。
目覚めたときアンナが暗殺者を処分したと言っていたが、そのときの依頼人を口にしなかったということは聞き出すことが出来なかったということだろう。
「私を狙うのは……一体誰?」
複数人か。
もしくは単独。
それすらも分かっていない。
今までのベルシュカならば全く気にしなかっただろう。
あのときは自分以外のことなど興味のかけらすらなかったのだ。
父親である皇帝陛下ですら自分の財布としか思っていなかった。
でも、今は違う。
ベルシュカを狙う犯人が気になって仕方がなかった。
「そう……これが恐怖なのね」
ベルシュカはカタカタと震える。
死にたくない、そう本能が訴えかけてくる。
以前のベルシュカならばありえないことだ。
前世の記憶を取り戻し、ベルシュカはやっと人間らしい感情を手に入れたのだ。
そう、ベルシュカは。
────生きたかった。
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