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34.梅本の抵抗 啓一郎side
しおりを挟む「紗雪っ!」
「啓一郎さん!」
涙を目に浮かべて助けを呼ぶ紗雪の姿を目にし、俺の頭には血がのぼる。
駆け出そうと部屋の中に入るが──。
「くるんじゃねぇ」
「……きゃぁっ!」
梅本はあろうことか紗雪をベッドから引き摺り下ろし、自身の所有していたであろう折りたたみナイフを持ち出す。
そしてそれを紗雪の首元へと近づけたのだ。
「紗雪っ!」
助けようと手を伸ばすが梅本の持つナイフがより紗雪の首元へと近づく。
切れてしまったのか、紗雪の真っ白な首から一筋の血が流れ落ちた。
俺は思わず叫びそうになる。
だがここで不穏な動きを見せることは紗雪の命にも関わることで。
フロントスタッフの女性も顔を蒼白にして佇んでいる。どうやら彼女を押しのけて先に俺が部屋へと入ったせいか、梅本はその女性の存在に気づいたないようだった。
俺は後ろ手に助けを呼びに行けと合図を送る。混乱している女性に伝わるかどうか分からないが一か八かだ。
どうやら背後から走り去る足音が微かに聞こえたため、その女性が助けを呼びに行ってくれたことを理解した。
あとは警察が到着するまで時間稼ぎを──。
「ははは……いい気味だ。お前のそういう顔見るのは初めてだけど、スカーっとすんな」
「……っ! 一体何が目的だ。そんな物騒なものまで持ち出して」
睨みつけるように視線を送りながら言った。
正直この状況で時間稼ぎなんて言っている場合じゃないと感じる。
目の前の愛する人がナイフを突きつけられて震えているのだ。犯人──梅本が許せなかった。今にもぶちのめしてやりたいほどに。
「お前がここにこなきゃ奥さんと楽しいことをするっていう目的だったんだがな。いいところを邪魔しやがって」
「人の妻を勝手に拐って、そして犯す? お前はどれだけ罪を重ねれば気が済むんだ? 仮にも医者だろ」
「それ、さっき奥さんにも言われたわ。らっぱり夫婦って似るもんなんかね? ……反吐が出る」
梅本は口元からぺっ、と唾を吐き出し嫌悪感を催すようなニヤリとした笑みを浮かべた。
そうして──紗雪の首元から垂れる血を真っ赤な舌で舐めとった。
怒りで頭の中が真っ赤になり、思わず飛び出そうとしてしまう。
「……おっと、近づくなよ。奥さんがどうなってもいいのなら別に構いやしないが」
「……っ」
紗雪は恐怖で顔を歪めている。
その様子を見て俺は奥歯をグッと噛み締めた。今ほど自分の無力さを実感したことはなかった。
「……どうしてこんなことするんだ」
「別に特に意味はなかったんだが……まぁある意味ではお前の──蓮見のそういう屈辱に身を浸すような顔が見たかったっていう理由もあるかな。……俺はお前のことが昔からムカついて、大っ嫌いだったから」
梅本は嘲るような視線を視線に向けながらも、今は優越感に浸っているようだった。
「ああ、一ついいことを思いついた。……お前、億さんを助けたいんだろう? ……なら、こいつで────死ねよ」
梅本はそばにあったウェルカムフルーツ用のナイフを床に落とし、俺の方へと蹴飛ばす。
言葉を聞いた紗雪は目を見開き、ガタガタと震えた。
「な、何言って……やめて、啓一郎さん絶対そんなことしない──」
「うるせぇ! 奥さんは黙ってろ」
思わず叫んだ紗雪に対し、梅本はナイフを持っていない方の手でその細い首を締め上げる。
キツく締められてるのか、紗雪は苦しそうにうめき声話あげた。
「おい! やめろ! 紗雪に手を出すな!」
「それならさっさと死ねよ」
梅本のその表情からは『どうせ他人のために死ぬなんてできない』という感情が伝わってくる。
この男はただ、この場を楽しみたいだけなのだ。
「…………こ、こんなことして……捕まるのわから、ないんですか……っ!」
紗雪は片手で首を掴まれながらも、梅本に対して諭すように言う。
だがその当人である梅本は突如吹き出すようにして笑い出した。
「俺は捕まらないんだよ。何をしてもな。これまでだってそうだった。目撃者はお前たちしかいないし、どうせこれも親父が揉み消す」
「……っ私はどんなにこの件が、揉み消されても……けい、いちろうさんが死ぬような目に合えばっ…………絶対にあなたを許さない」
紗雪は震えていた。
それでもなお、勇気を出して梅本に告げる。本当は今にも逃げ出したくてたまらないはずなのに、恐ろしくて叫びたいはずなのに、それでも感情をグッと飲み込んで俺のために言ってくれた。
こんな場面なのに、どこか俺は嬉しかった。自分が死にそうな目にあいながら、俺のことも心配してくれる。そんな紗雪が愛おしくてたまらなかった。
それこそ、紗雪のためならなんでもしてしまえるほどに。
「わかった。梅本の言う通りにする」
「だめっ! 啓一郎さん!」
俺はナイフを拾い上げ、自身に刃を向ける。
紗雪の叫びが耳に入るが、聞こえないふりをした。
今、このナイフでどんな抵抗をしたとしても首元1センチのところにナイフのある紗雪に刃が届く方が先だとわかる。
死にたくないと思った。
もっと紗雪と一緒に生活して、子供を作って、おじいちゃんおばあちゃんになるまで仲良く生きていきたいと思っていた。
だが、それでも紗雪の命以上に優先するものではない。俺の未来には紗雪がいなければなんの意味もないのだ。
俺は自身首元にナイフを当てようと──。
「……っな、なにをっ!」
その一瞬、あろうことか紗雪が自身の命も厭わず、梅本のナイフを持つ手に噛み付いたのだ。
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