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25.バレエスクール
しおりを挟む庭を通り離れに着くと、大きな鏡張りの壁と滑りにくい床の練習場があった。
入り口にはこの場所を管理してくれているという事務員さんがおり、その方が鍵の管理をしてくれているようだ。
十数人の10歳前後の子供たちがレオタードを身に纏って柔軟をしている。
「こんにちは、ステファニア先生!」
「先生、今日もお願いします!」
「皆さん、こんにちは。今日も一緒にレッスンを始めていきましょう」
子供たちの元気な声に挨拶をするステファニアさんは、手をパンパンと叩いて視線を集める。
「今日は見学する人がいますが、気にせず頑張っていきましょう。でもまあ自己紹介くらいはしておきましょうか。じゃあ紗雪」
言葉を促すステファニアさんの指示に従い、自己紹介をする。
「初めまして、蓮見紗雪と言います。今日は見学をしにきました。よろしくお願いします」
「紗雪は先生と同じ有名なバレエ団にいた人なの。だから紗雪のことを呼ぶ時はちゃんと紗雪先生というように。いいですか?」
生徒たちの元気な返事が聞こえ、そこから練習が始まった。
子供たちはみな真剣で、そしてなにより楽しそうにレッスンを受けていた。
失敗しても、注意されてもとにかく一途だ。
以前、長谷川くんの所属するバレエ団の見学に行ったときも同じだった。
けれどステファニアさんのスクールの方が和やかで楽しげな雰囲気に溢れているのは子供たちがメインの練習場だからだろうか。
バレエ団は立派な設備や環境があったが、こちらはステファニアさん一人でやっているスクールだからなのか設備ははっきりいって精度が低い。
けれど小さい頃は私もこんなふうに練習していたなと思い出し、なんだか懐かしい気持ちがした。
温かな雰囲気にあふれており、これがステファニアさんの作り上げた場所なのかと思うと尊敬に値すると感じた。
練習を終え、私は以前の見学のような疎外感は全く感じていなかった。
私はバレエがまだ好き。
そう思えたのが今日一番の功績だろう。
「どうだった? みんなすごく可愛いでしょ! それに一生懸命で。あんなに楽しく踊ってるのを見ると、それだけでワタシの方が幸せになっちゃう」
「はい! 見ているだけですごく楽しくて……昔を思い出しちゃいました」
そう言って微笑むと、ステファニアさんも屈託のない顔で微笑む。
私の心は少しずつ前向きになっている。
──残る問題を除いて。
「それじゃあ次のクラス──中学生のレッスンがあるまで1時間あるから一度母家に戻りましょ」
私たちは先ほど通った庭を通って戻る。
けれどその途中、玄関先に見覚えのある車が泊まっているのが見えた。
「……あれって、啓一郎さんの……」
「そうね。……実は昨日も一昨日も毎日来ていたらしいの。ワタシはちょうどいなかったけど、夫に紗雪の旦那が来ても今はまだ会わせないようにしておいてって頼んでおいたから」
ステファニアさんはにやりと悪戯がバレた子どものように無邪気に微笑んだ。
彼女の気遣いに「ありがとうございます」と感謝の心を伝える。
私が啓一郎さんに会いたくないと分かっていたステファニアさんは手を回しておいてくれたのだろう。
「ステファニアさん、私……」
「旦那と話してくる? さっきまでとなんだか顔つき変わったもんね。見学が役立ったなら良かったわ」
ずっと逃げ続けていては何も変わらない。
ステファニアさんの過去を聞き、バレエの練習風景を見てようやくそう思えたのだ。
啓一郎さんに謝られたとき家を飛び出すより、どうして謝ったのかを聞かなければいけなかった。
謝るならどうして私のことを「かわいい」と言ってくれるのか、結婚をしたのかを問い詰めなければならなかった。
私は逃げてばかりだった。
だからこそ、今度は立ち向かわなければいけない。
そして前へ進まなければいけない。
「ステファニアさん、本当にこの数日お世話になりました。ありがとうございました。このお礼は必ずいつかします!」
「そんな気にしないで! 元気になってくれて本当によかった。もしまた何かあれば、頼ってちょうだい」
私はステファニアさんに手を振り、啓一郎さんの元へと走る。
今度こそ、ちゃんと向き合おう。
「啓一郎さん」
「……っ紗雪!」
私の声を聞いた啓一郎さんは一瞬の驚愕のあと、真剣な顔つきで私の名前を呼ぶ。
心臓がばくばくと高鳴り、自分が緊張しているのだと自覚する。
「迎えに来てくれたんですね」
「もちろんだ。ごめん紗雪。俺、言葉が足りなかった。もっときちんと全部伝えていれば、紗雪を傷つけることも風邪を引かせることもなかったのに」
「風邪引いてたこと知っていたんですね」
雨に濡れて風邪を引いただなんて、まるで子供のようで。
私は少しだけ気恥ずかしくなり顔を俯かせた。
「熊沢から聞いたんだ。ねえ紗雪、本当に申し訳なかった。謝った理由も全部話すから──だから、俺の話を聞いてほしい」
「はい、聞かせてください。私も……逃げたりしてすみませんでした。昨日も一昨日もずっと車でここに通ってきてくれていたんですよね」
そう言うと、啓一郎さんは気まずげに頭をかいた。ぼそりと「ストーカーみたいで気持ち悪かったか」と呟いたのを聞いて、なんだか顔が緩んだ。
私が「そんなことないですよ」と答えると、曖昧に微笑んだところがなんだかおかしかった。
そして私たちはそのまま啓一郎さんの車に乗り込み、自宅へと向かった。
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