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21.渾身のプロポーズ 啓一郎side
しおりを挟む『………あの、私…………日本に帰ることに、しました』
『……っ! 日本に?』
その言葉にオレの心臓は凍りついた。
いつかこんな日が来てしまうことは分かっていたが、こんなにすぐだとは予想もしていなかった。
ギプスも取れてようやくリハビリが開始し、なんとか日常までの歩行はこなせるようになっているというレベルだったが、以前と同じように踊れる回復を目指している紗雪にとってはまだ主治医の存在は必要不可欠。
だが日本は帰国してしまうとなると二度と会うことはできない。
愕然とする俺を尻目に紗雪はおかしいほど明るい声色で話した。
無理をしていることはバレバレだった。
『バレエ団から退団を言い渡されて……仕方ないですよね。役立たずで将来どうなるかも未定な私を置いておいても意味ないですし』
『それで……瑠璃川さんは日本に帰ったあとはどうするんですか?』
『分かりません。私、これまでバレエしかやってこなくて……バレリーナ以外の道なんてかんがえたことなかったんです。だからもうなんていうか…………全てがどうでもよくって』
すべてを諦めたような表情に胸が痛くなるほど辛かった。
なんとかして紗雪を救いたい、元気づけたいと思った。
このとき、俺は本当の意味で彼女に対する恋心を自覚する。
自分よりも大切で守りたいと思えるほどは紗雪以外いないとはっきり分かったからだった。
俺は意を決意し、ベンチから立ち上がり彼女の前に膝を折る。
まるで愛を希う従者のように。
今から告げる言葉に似合う1番のシチュエーションで。
『瑠璃川さん──いえ、紗雪さん俺と…………結婚していただけませんか』
本当は『好きだ』『愛している』と告げてから求婚するものなのだとは分かっていた。
この言葉が口から出たのは俺の弱さだった。
どうしても愛の言葉を紡ぐことができない俺は、その弱さを誤魔化すようにして希う。
俺の言葉に紗雪は驚き、そして戸惑った表情を浮かべた。
『ええと……聞き間違いでなければプロポーズされたような…………』
おずおずと口を開く紗雪に間違いでないことを伝え、真っ直ぐとその黒い瞳を見つめ返した。
白い頬はいつもに比べて朱が差し、わずかに耳も赤みを帯びている。
動揺で視線が揺れているのが分かった。
『これからのこと、何一つ考えていないんでしょう? それなら俺の妻になってからゆっくり考えればいい。俺はあなたのしたいことであればなんでも応援しますよ。それに、自分で言うのもアレですが俺結構面倒見いい方だと思うし』
これでもかと言うほど自分の有用性をアピールし、少しでも求婚を受けてもらえる確率をあげたかった。
たとえこの場で断られたとしても、俺は何度も希うつもりだ。
──あなたと共にいたいと。
『──俺はあなたが欲しい。紗雪さんは今、すべてを諦めた顔をしてる。全部諦めて捨てるなら──俺にあなたの人生をくれませんか?』
あなたが欲しくてたまらないと気持ちを込めて言葉を紡ぐ。
今の紗雪は目を離した隙にどこかへ消えてしまいそうなほど頼りなかった。
生きる希望を失い、自暴自棄になっているのが目に見えて伝わる。
紗雪のことをあまり知らない人間には分からないかもしれない。
彼女は本心を押し殺すのが上手から。
けれどここ最近はずっと隣で見てきた俺だからわかった。
このまま一人にしておくことはできない。
少しの間考え込んでいた紗雪はその瞼を震わせる。
長いまつ毛が揺れ、黒い瞳が俺を見据えた。
『────はい。私の人生、あなたに全て差し上げます。結婚──お受けします』
このときの俺は一生分の運を使い果たしたのではないかと思った。
人生の中で最高の瞬間だった。
そうして俺たちは夫婦となった。
紗雪との初めての旅行──新婚旅行は驚くほど充実した時間だった。
誰かと一緒に過ごすというのがこんなに満たされることなのだと初めて知った。
俺にとって女性というものは男よりも面倒な存在で、ことあるごとに『恋人になって』だの『一晩でいいから』などと付き纏われて正直うんざりしていたのだ。
だからこそ割り切れる関係ばかりを選び、それが崩れそうになるのであればすぐに切り捨てた。
もちろん俺だって傷つけることは本意でないため、初めからその可能性のなさそうな相手を選んでいたのでそうそうなかったのだが。
だが紗雪と一緒にいると今まで自分に愛を伝えてきた相手に罪悪感を覚えた。
俺を利用しようとしているだけの人間もいただろうが、どれだけ本気なのかなんて気にしたことがなかったために拒否するばかりで。
口では『気持ちは嬉しい』と言っておきながら、心は寒々としていた自分が恥ずかしく思う。
好きという気持ちは甘いだけでなく、ときには苦しいことさえあった。
紗雪は美人であるし、バレエをしているときにも男と密着していたのかと考えるだけでその相手の男に腹が立って仕方がなかった。
触っていいのは俺だけで、そのまっすぐな瞳に映るのは俺だけでいい。
何度願ったことだろうか。
共に過ごす時間が経てば経つほど心の中ではどんどん愛と──そして独占欲が溢れる。
けれども俺は弱虫で。
まだ昔のトラウマを乗り越え、自分の気持ちを伝えることができなかった。
そのせいで俺は紗雪を傷つけた。
勇気を振り絞り真っ赤な顔で『好き』だと告げてくれた紗雪。
嬉しい気持ちは大きかったが──それ以上に罪悪感と恐怖を覚えてしまった。
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