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14.目覚めの朝
しおりを挟む次の日、私は頭痛で目が覚めた。
うめき声をあげて身体を起こすとどこか怠さを感じる。
なんとなく記憶にある部屋。
けれどもいつもの寝室ではない。
私は寝ぼけ眼で自分の身体を見る。
どうやらドレスではなく、見たことのないバスローブを着ていた。
「……ん? ドレス……じゃない。バスローブ…………あれ、昨日って──」
「ああ、起きたんだ。おはよう紗雪」
啓一郎さんの声が聞こえ、私はそちらに視線を移す。
彼はにこやかな笑みをしていた。
昨日のような獣のような瞳でない──。
「……って、わ、わ、わ、わたし──」
昨日の記憶がフラッシュバックし、私は固まる。
獣のようだったのは啓一郎さんだけでない。
むしろ私の方が恥知らずな──獣だった。
あのように自分から誘って、そして──。
「……~~っっ!」
思わず啓一郎さんの視線から逃れるようにシーツをかぶる。
私は胸元の赤く散る華を見て愕然とした。
すべて夢じゃない。現実だ。
何度も合わせた唇。
全身を撫でる手。
そして啓一郎さんの指先で──。
私は今日何度目かの声にならない声を上げる。
「……おはよう紗雪」
啓一郎さんがベッドに腰を下ろす気配を感じる。
それでも私はシーツから出ることが出来なかった。
ドレスからバスローブに着替えさせたのもおそらく啓一郎だろう。
すべて見られてしまった。
恥ずかしくて死にたい思いだった。
「紗雪……もしかして、嫌だった? 俺、嫌われちゃったかな……」
寂しげな声にちくりと胸が痛む。
私は腹を決めてシーツから顔を出した。
「……嫌じゃ、なかったです。私……ああいうの初めてで……ちょっと……だいぶ恥ずかしくて」
その言葉に啓一郎さんは息を呑む。
なぜかひどく驚いているようだった。
「啓一郎、さん?」
「ほんと?」
真剣な面持ちの啓一郎さんに対し混乱した私は「え?」と返す。
「紗雪って……ああいうことする人今までいたことなかったの?」
そういうことか、と納得する。
たしかに23歳になってまで処女を守り続けていたと言われれば今どき誰だって驚くだろう。
もしかして処女は重かったのかと、私は落ち込みかける。
羞恥と劣等感を抱きながら頷く私に啓一郎さんは──。
いきなり私を抱きしめた。
そして声色高く耳元で話す。
「嬉しい。紗雪の初めてが俺って、生まれてこのかた一番嬉しいかも」
「そんな……重くないですか?」
「重いなんて! こんな可愛い紗雪の初めてなんて……逆に光栄だよ」
啓一郎さんは本当に嬉しそうだった。
私もすでに引け目は感じなくなり、安堵を覚える。
けれど、腕の中で思った。
────昨日の最後の言葉。
『ごめんね』
私の意識が完全になくなる寸前、啓一郎さんはそう言っていた。
それが一体なにに対しての謝罪なのか。
そしてなにより、昨日は結局最後までしなかったこと。
私が快楽を享受するだけで、結局啓一郎さんは一切手を出してこなかった。
頭を撫でられて寝かしつけられたから眠ってしまっただけで、最後までしようと思えばいくらでも出来た。
私も正直そのつもりだった。
確かに酔いのせいもあるが、彼に全てを捧げたい──その気持ちに嘘はなかった。
だが彼はやんわりと回避したのだ。
ごめんという謝罪と、最後までしなかった意味。
全然分からない。
なんとなくそのことに対し、私は不安を覚えた。
ずきり、と頭に痛みが走る。
二日酔いだろう。
元々お酒はからきしなのに、一気飲みしてしまったせいだ。
「紗雪、一応コンビニでこれ買っといたけど飲む?」
そう言って差し出してきたのは『ウコンの活力』だった。
私は頷き、キリリと痛みを訴える頭を押さえて飲み干す。
「ありがとうございます」
「ううん、それより動ける?」
私は寝起きに染みる朝日を感じながらベッドから這い出た。
啓一郎さんはすでに着替え終わっており、だらしない姿の自分との違いに恥ずかしさを覚える。
「実は朝食を頼んでおいたんだ。もうすぐ届くけど、もし二日酔いで気分良くないんだったら食べなくでもいいけどどうする?」
「あっ、ありがとうございます! 朝食いただきます。あっ、シャワー……」
「そこにあるよ。気になるなら浴びてきな」
そう言って啓一郎さんが指をさす。
私はなんとなくいつもと同じ様子の啓一郎さんに少しだけ引っかかりを覚え、駆け足でバスルームへと駆け込んだ。
──私は啓一郎さんのことを何も知らないのだろう。
しばらくしてシャワーを浴び終えた私がバスルームから出ると、食べ物のいい香りがした。
その香りにお腹が空腹を訴える。
シャワーを浴びたおかげで二日酔いもだいぶ楽になり、私は朝食の並んだテーブルについた。
朝食らしく重くないパンや小さいオムレツ、彩り豊かなサラダなどが並んでいる。
私はナイフとフォークでそれらを口に入れる。
「美味しいですね。なんか洋風の食事だと向こうでの暮らしを思い出します」
普段は和食の定番であるお味噌汁やご飯をメニューとしているため、少しだけ懐かしかった。
向こうでは常に和食が食べたいと思っていたのに不思議な気分だ。
「たしかにそうだね。……そういえば紗雪って向こうではどんな暮らしをしてたの? こういうことあまり聞いたことなかったよね」
「私はずっとバレエばかりやってたので……あんまりパリの暮らしって感じのことはしてなかったです。あ、でも年末のシャンゼリゼ通りのカウントダウンには毎年参加してましたよ」
話しながら向こうの暮らしを思い出す。
フランスにも四季はあるため気候は日本とあまり変わらなかったが、街中は物騒だった。
人通りの多い道は比較的安全だが、少しそれるだけで犯罪者や浮浪者などがうろうろしており女一人には危険な場所なのだ。
「カウントダウンは1回だけ参加したな。でも年末年始は逆に体調崩す人も多くて、あんまり休みが取れなかったんだよ」
私は「そうなんですね」と相槌を打つ。
「啓一郎さんはパリ暮らしで思い出に残った場所とかイベントとかありますか?」
「うーん、そうだな。パリから1時間くらいかけたジヴェルニーに『モネの庭』っていう睡蓮の花が綺麗な観光名所があるんだけど。それを観に行ったときはすごく感動したな」
「私行ったことないです! いいなぁ、景色の綺麗な場所。そういうところもっと行っておけばよかった……ちょっと今更ながら後悔です」
私は苦笑した。
本当にバレエ一筋だったんだなと、感傷を覚える。
そんな私を見て啓一郎さんは微笑みを浮かべた。
「それじゃあまた俺と一緒に行こうか」
そう言ってくれた啓一郎さんの優しさに喜びとともに──ちくりと痛む不安を私は隠していた。
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