【完結】スパダリ医師の甘々な溺愛事情 〜新妻は蜜月に溶かされる〜

雪井しい

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6.足湯でのひととき

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 私たちは露天風呂の前に、近くの足湯に足を向けていた。

 今は春。
 街へと続く並木路には桜が咲いており、観光客が押し寄せている。
 啓一郎さんは徒歩で移動すること心配してくれたが、今日は朝からずっと痛みもなく調子がいい。
 せっかくであれば旅館周辺の街を散策したいと考え、足湯へと赴くこととなったのだ。
 
 風光明媚な自然と古き良き街並みを楽しみながら歩いていると、すぐに足湯へと到着する。
 
 私は履いていたロングスカートの裾を膝までたくし上げ、白く濁るお湯に足を浸す。
 少し熱めのお湯がつま先をあっため、私は気持ちよさに小さく息を吐いた。
 隣に並ぶ啓一郎さんと「あったかいね」と笑い合う。

 一緒に足湯に浸かっていると、私はふと疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「そういえば……啓一郎さんって私の舞台観たことあったんですね」

「えっ…………あ、ああ。そういえばそんなことも言ったね」
 
 何故か照れて目線を逸らす啓一郎さん。
 私は頭を傾げた。

「俺、実は紗雪がオペラ座のバレリーナだってこと最初から知ってたんだよ」

「そうなんですか?」

「以前、知り合いに連れられてオペラ座のバレエ公演を観に行ったことがあって。日本人ダンサーって結構珍しいだろう?」

 確かに私が所属していた間でも、他に日本人は2人しかいなかった。
 基本的に西洋人の多いバレエ団の中ではアジア人はかなり目立つ。
 私が所属できたのも、とあるコンクールで入賞した際の踊りをオペラ座バレエの関係者が観てくれており、是非今度外部生の入団オーディションがあるから受けてみないかと誘われたためだった。

 私は頷き、言葉を紡ぐ。
 

「でも舞台上だとアジア人ってことは分かるかもしれませんが、私だってことは分かりませんよね」

「うん。……俺さ、実はそのとき初めてバレエを観たんだけど、正直全然分からなくて。……でも、紗雪が出てきて──なぜか目を奪われたんだ。主役の人よら誰よりも。だから記憶に残ってた」

 真っ直ぐな言葉に私は視線を落とす。
 足をつけた白いお湯からはふわりと湯気が立ち上っていた。

「そのときまるで空を飛んでるみたいだ──天使なんじゃないかって…………いい歳ながら、そんなこと思ったよ。足が地面から離れてふわふわと飛んで……あの子は羽が生えているのかなって」

「……っ」

「それが紗雪の主治医になる2年前のこと」

 2年前といえば紗雪が初めて役をもらった頃と同じだ。
 もしかして啓一郎さんはそのときの舞台を観てくれたのかもしれない。

 あまりにも臭い言葉だったが、啓一郎さんが口にすると自然なのは何故なのだろうか。
 私は心臓の高まりに息が苦しくなった。

「なんか……啓一郎さんに舞台の姿を観られていたって知ると少し、恥ずかしいです」

「俺はどんな紗雪のことも見たいけどね。例えば──俺の言葉に照れて真っ赤に染まった紗雪の顔、とか」

 そう言って啓一郎さんは私の顔に手を添える。
 私は誰かに見られてしまうんじゃないかと焦り、周囲を見渡す。

「大丈夫、今は誰もいないよ」

 甘く囁き、私の長い髪を耳にかける啓一郎さん。
 どくんどくんと強く跳ねる心臓の音が啓一郎さんにも聞こえてしまうのではないか、そう思った。

「可愛いよ、紗雪」

「……かわいくなんて」

 砂糖のような甘い口調に対して少しだけ反抗的な態度をとってしまう自分に対し、己ながら可愛くないなんて思う。

「ううん、紗雪は可愛いよ。どこの誰よりも」

 顔が近づいていく。
 啓一郎さんの右目付近にある泣き黒子が至近距離で目に入る。
 口から心臓が飛び出しそうだった。

「ねえ紗雪。────いい?」

 何を言っているのか分からないほど子供ではない。
 私は目をぎゅっと閉じながらこくりと頷いた。

 そして唇に──柔らかな温もりを感じる。


 初めてだった。 
 啓一郎さんとも今まで一緒に生活し、共に寝ていたのに唇さえ合わせたことがなかった。
 だから不安でもあった。

 私を女として見ていないんじゃないかと。

 ゆっくりと唇が離れ、啓一郎さんと至近距離で見つめ合う。
 ときの流れがいつもよりゆっくりと感じた。


 私ははっとし、顔を赤らめながら啓一郎さんと距離を取る。
 
 そんな様子を見て啓一郎さんは。
 

 「やっぱり可愛いね」

 
 そう言って微笑んだ。

 余裕綽々な啓一郎さんに少しだけ腹の立った私は勢いよく立ち上がる。

「さ、先に上がります!」

 そして逃げるようにして足湯を出て行った。

 私は濡れた足を拭き、高ぶる鼓動を鎮める。

「…………やっぱりよく分からない」


 なぜあんな事をするのか。
 私を可愛いと言うのか。

 肝心な言葉は一度も口にしないのに。

 一体何を考えているのか分からず、私は振り回されるばかりだ。

 足湯以外にも色々あったせいで余計に汗をかいた私は足湯施設の中にあった自動販売機で水を買い、近くにあった休憩スペースに腰を下ろした。

「なんか恥ずかしすぎて置いてきちゃったけど大丈夫だったかな……」

 買った水で喉を潤しながら考え込む。
 さっきの行動は子供っぽすぎたのではないかと。

 夫婦であるはずなのに大人な啓一郎さんとは違い、私はいつまでも落ち着きがない。
 そんな劣等感にため息をついていると────。



「……あれっ? もしかして瑠璃川、センパイ?」


 聞き覚えのある声が聞こえた。
 
  
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