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5.ハネムーン
しおりを挟む「新婚旅行?」
私は啓一郎さんの言葉を繰り返す。
そういえば世の新婚さんは行くものなのかと私は納得する。
患者と主治医という関係から一足飛びした夫婦であっても、世の中の常識と照らし合わせればいくものなのだろう。
「紗雪は新婚旅行、行きたくないか?」
「ええと……」
なんとなく啓一郎さんの声音がトーンダウンしたようで。
目を瞬いて凝視すると不思議としょんぼりしているようにも見えた。
まるで犬みたい、と妄想の中に犬の尻尾と耳を思い浮かべて軽く吹き出す。
「いいえ、新婚旅行行きたいです」
そう答えると啓一郎さんの顔が分かりやすくパッと明るくなった。
喜怒哀楽のわかりやすさにくすりと笑いながら、私は尋ねる。
「どこに行くとかは決めてますか?」
「うん、色々考えたんだけど……やっぱりせっかく日本に帰ってきたんだから日本のゆっくりできるところがいいかなって。ハネムーンは海外に行く人が多いみたいだけど、あんまり遠出すると紗雪の身体も心配だし」
そう言って私の右足に手を当てる。
松葉杖は必要なくなり普段の歩行はある程度出来るようになった。
けれども雨の日など湿度の高い日や過度に歩いた日は痛みを訴えることもあり、完全回復とまではいってない。
もちろん踊ることは難しい。
「だから良ければ体を癒せるところ────温泉地に行くのはどうかな。怪我に効く効能のある有名な秘湯があるんだけど」
啓一郎さんは慈しむような視線を向けて言う。
彼は優しすぎる。
その気遣いに勘違いしてしまいそうだった。
────自分が愛されているのだと。
心が苦しくてたまらなかった。
私は「ありがとう」と口にした。
それ以上、言葉が出なかった。
戸惑いと悶々とした気持ちに気が付いたのか。
啓一郎さんは座っていた私の右足首をそっと手に取り、足の裏のアーチに手を添える。
そして──。
まるでお姫様に忠誠を誓う騎士のように────足の甲にゆっくりと唇を落とした。
「…………っ!」
反射的に身を引くが、意外にも強い力で触れられているため、離れることができない。
私の足はマメだらけだ。
トウシューズを履いて毎日踊っていたため、普通の人に比べて醜く汚い足なのだ。
けれども啓一郎さんは顔色ひとつ変えなかった。
私は啓一郎さんの強い視線に気づき、反射的に顔を赤らめる。
「────この足は天使の足だ。舞台をひらひらと舞い踊る天使」
「天、使?」
「うん。初めて紗雪の舞台を観たときにそう思ったんだ。この歳になって恥ずかしい物言いかもしれないけど、はっきり」
そう言って今度は私のふくらはぎにキスをする。
そんなところ今まで誰にもキスされたことなどなかった。
びくりと身体が震え、体の奥から何か淫らなものが溢れてくるのを感じ、ぎゅっと目を閉じる。
そんなこともお構いなしに啓一郎は言葉を続ける。
「大丈夫、君の足はきっと元通りになる。大丈夫」
安心させるように、何度も何度も大丈夫だと語りかける。
その手つきは全く性を感じさせない穏やかなもので。
けれども──私の心臓は今にも壊れそうなほど脈を打っていた。
***
「うわー、すごい! こんな綺麗な旅館、私泊まったことない!」
啓一郎さんの運転で車を3時間弱走らせ、ついたのは木造建のいかにも高級旅館と呼ばれる建物だった。
旅館に入るとすぐに女将さんが出てきて、深々と挨拶をしてきた。
「蓮見様、ご夫人の紗雪様。本日は当旅館にお越しくださり誠にありがとうございます。特上客室である『空雲の間』をご用意しておりますので、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
その格式ばった挨拶に一瞬気遅れするものの、隣にいる啓一郎さんを見て安心する。
そして部屋へと案内の道中に旅館や周辺地理についての様々な説明を受けた。
「ここが『空雲の間』でございます」
そう言って女将さんは正座で深々と頭を下げ、部屋を退出した。
着いた部屋は広々とした美しい和室だった。
私は初めての旅館にワクワクしながら啓一郎さんと共に部屋を見て回る。
中には開け閉め出来そうな大きな窓があり、私は外に出た。
「すごいです、部屋にも露天風呂がついていますね」
私は目を丸くした。
ただの客室にこんなに豪華な露天風呂があるだなんて、一体一泊どのくらいの値段なのだろうと考え私は身震いする。
啓一郎さんは微笑みを浮かべて、そばにあった私の手を握る。
まるで熱々な恋人のように指と指が絡まり合い──私は驚き身を硬くした。
そんな私を傍目に啓一郎さんは耳元に口を寄せる。
「一緒に入ることも出来るね。──俺、紗雪と混浴したいな」
急激に体の温度が上がった気がして、私は「それはあとで考えます!」と言い残し部屋へと戻った。
私と啓一郎さんは東北地方にある秘湯のある旅館に新婚旅行で来ている。
ちなみに啓一郎さんが新居とともに購入した外車は値段を聞くのも恐ろしい黒塗りのものだ。
啓一郎さんの親戚や私の両親に挨拶をしに行く際初めて乗ったのだが、黒塗りの外車なんてものに初めて乗った私は肩身の狭い思いをするほかなかった。
けれどこの新婚旅行での数時間でようやく慣れてきていた。
「紗雪、道中疲れてない? 身体は平気?」
露天風呂のあった場所から戻った啓一郎さんが私のそばに腰を下ろしながら言う。
「はい、啓一郎さんが色々話しかけてくれたおかげで疲れよりも楽しくて……むしろ時間が短く感じました。ありがとうございます。私のことより……啓一郎さんこそ何時間も運転していてお疲れなんじゃありませんか?」
「平気だよ。仕事で何時間もオペしたりすることあるし、体力だけは人一倍あるからね」
啓一郎さんの顔は嘘を言っている様子はなかった。
私はその整った顔を見ながら考える。
たとえ妻であろうとこんなにもよくしてもらっていいのだろうか。
私は何も返せていないのではないか──と。
少しだけナイーブになりかけた私に啓一郎さんは口を開く。
「混浴、考えてくれた?」
「…………~~っ! もうっ! 啓一郎さんのえっち!」
私は顔を赤くしながら啓一郎さんの肩を叩くのだった。
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