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3.求婚
しおりを挟むそれからというものの、ギプスが取れてからは私蓮見先生と共にリハビリに励んだ。
怪我をしてからは2週間ほど入院しなければならなかったが、その間にも電話でバレエ団の方には事故にあったことを伝えてあった。
そして怪我が治ればリハビリに励むということも。
退院をした翌日には直接団の方へ赴いて説明もした。
バレエ団の仲間や関係者は皆一様に心配してくれた。
だがそれと同時に同情の視線を感じ、私は悔しさを覚えることとなった。
当たり前だ。
現役のバレエダンサーの命ともいえる足が壊れてしまったのだから。
内心、この子はもうだめだと思っているに違いない。
そんなネガティヴな思いを抱えながらも、私はリハビリをする。
「瑠璃川さん、ギプスが取れて数日が経ちましたけどお痛みとかはどうですか?」
「……そうですね…………力を入れると少し痛みを感じます。あと、なんか自分のものじゃないみたいな違和感が」
動かそうとはするものの、思い通りに動かない体がもどかしい。
私は悔しさと虚しさをを覚え、下唇を噛んだ。
私は1人だった。
ここパリでは家族とも気軽に会えない。
怪我をして一番そばにいて欲しいはずの人が今は誰もいない。
友人や同僚はいたが、やはり言葉の壁というものはネックで本当に心を許せる友達は日本にいるだけだ。
日本人ダンサーもいることはいたが、友達になる前に私たちはライバルだった。
それでもよかった。
私にはバレエがあったのだから。
それだけ私はバレエだけを一途に、ひたむきに励んできたのだ。
「瑠璃川さん、大丈夫ですか? 唇を噛むと血が出てしまいますよ」
蓮見先生は心配げに顔を覗き込む。
はっ、とした私は思わず顔を赤めた。
──顔が近すぎる。
整った顔がいきなりそばにくるだけで、私はどきどきしてしまう。
無意識なのか、天然なのか。
「あ、そうですよね。少し考え事をしていて……」
私は赤らんだ顔を見られないように答えるのが精一杯だった。
「何かあったんですか?」
私は誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「ええと明日、バレエ団から呼び出しを受けて────」
「ああ、もしかして怪我の進捗ですかね。もうギブスも取れて、あとはリハビリに励んでいく予定ですから。カルテの方もバレエ団ようにお作りしますので、あとで渡しますね」
「ありがとうございます」
ひとりぼっちだと思っていたが、私は蓮見先生のおかげで助けられていた。
けれど──そんな蓮見先生の心遣いも虚しく。
翌日、私はバレエ団にて退団を言い渡された。
『あなたには才能があった。でも、この足じゃ、これからここでやっていくのは難しいの。これから毎年優秀な人材も入ってくるのに、あなたは指を咥えて待っていられる?』
私はそう言われて返す言葉もなかった。
前には優秀な先輩、後ろにはこれから伸びていく新人たち。
きっと私は今以上に絶望するに違いない。
答えられなかった私にバレエ団は幾ばくかの退団金と、そして日本で活躍するつもりならばと何人かのツテを紹介された。
そして、私のパリでの夢は本当の本当に潰えた。
私はそのまま当てもなく歩いた。
まだ歩行もうまく出来ないため、松葉杖をついて。
気づけばよく知る場所にいた。
ここパリで唯一頼れる人の近く──入院していた病院だった。
私は駐車場付近のベンチに腰を下ろし、遠くを見ていた。
冷たかった風が今では少しずつ暖かくなり、心地よい天候だった。
「────あれ? 瑠璃川さん?」
優しく暖かい人の声が聞こえる。
「…………蓮見、先生」
ようやく絞り出した声は掠れていた。
「一体どうされたんですか? 今日はバレエ団のところへ行くって昨日仰ってましたけど……」
蓮見先生は目を瞬かせ、私の隣に腰掛ける。
私はぼんやりとした頭で口を開いた。
「………あの、私…………日本に帰ることに、しました」
「……っ! 日本に?」
蓮見先生は私の言葉に驚いたのか息を呑む。
「バレエ団から退団を言い渡されて……仕方ないですよね。役立たずで将来どうなるかも未定な私を置いておいても意味ないですし……」
口から出るのは自分を卑下する言葉ばかりだった。
そんな自分が情けなくて。
「それで……瑠璃川さんは日本に帰ったあとはどうするんですか?」
蓮見先生は真剣な面持ちで私の顔をじっと見つめた。
私はその真っ直ぐすぎる視線から目を逸らすようにして俯きながら答えた。
「分かりません。私、これまでバレエしかやってこなくて……バレリーナ以外の道なんてかんがえたことなかったんです。だからもうなんていうか…………全てがどうでもよくって」
私は自虐するようにからからと笑った。
そんな私の様子を見て蓮見先生はいきなりベンチから立ちあがる。
私は突然のことに顔を上げた。
蓮見先生はそのまま座っている私の目の前に立ち、膝をついた。
ぎょっとして、近くにあるその美しい顔を凝視する。
「あの……」
発言をする前に、蓮見先生は私の右手を取った。
あのとき──怪我に落ち込んだ私を励ましてくれたときと同じだな。
こんなときなのになんとなくそそう思った。
けれどそんな私の思いに反し、予想もつかない言葉が聞こえ──。
「瑠璃川さん──いえ、紗雪さん俺と…………結婚していただけませんか」
一瞬耳を疑った。
私の妄想なのかとすら思った。
おずおず口を開く。
「ええと……聞き間違いでなければプロポーズされたような…………」
「いいえ、間違いではないです。俺はあなた支えたい。一緒に頑張りましょうって以前言ったでしょう?」
「そ、それは怪我の治療とリハビリという意味では──」
私は蓮見先生の勢いに押されていた。
彼の瞳は痛いほどに真剣だった。
「これからのこと、何一つ考えていないんでしょう? それなら俺の妻になってからゆっくり考えればいい。俺はあなたのしたいことであればなんでも応援しますよ。それに、自分で言うのもアレですが俺結構面倒見いい方だと思うし」
「は、はぁ……」
呆然としながら頷く。
「──俺はあなたが欲しい。紗雪さんは今、すべてを諦めた顔をしてる。全部諦めて捨てるなら──俺にあなたの人生をいただけませんか?」
私はこくりと唾を飲みこんだ。
私はもうなにもない人間だ。
夢も潰え、これからの人生は空っぽのまま生きていくのだろう。
私はこのとき自暴自棄になっていた。
こんなに真剣な告白に対し、いい加減な気持ちで答えていいはずがないと分かっていた。
けれど────いつも温かく見守ってくれて、空っぽの私をここまで求めてくれる人に私は救いを求めていたのかもしれない。
「────はい。私の人生、あなたに全て差し上げます。結婚──お受けします」
私は自然と頷いていた。
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