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33.目撃 玲二side
しおりを挟む目の前の出来事が信じられなかった。
あいつが裏切ることなんて一ミリも考えていなかった。それだけに俺の心を深く傷つけたのだ。
「昨日も現場に訪ねたときめちゃくちゃ驚いてたが、今日もおもしろい顔するんだろうな」
俺は今日もうまく仕事を片付けることが出来たのでこはるの元へと駆けつけることにした。
この映画制作には月ノ島グループも多額の出資をしており、自由に現場への出入りは許されていた。それに、こはるは月ノ島プロダクションの新人女優だ。彼女のプロモーションも担当する上で、映画の出来は多く関係がある。
連日撮影現場に赴いてしまうのは、こはるの相手役かあの遠藤朝陽だからというのも関係していた。
昨日の遠藤のこはるに対する目。あれはおそらく未だ女としてこはるのことを見ており、円満に別れたと言っていたが未練たらたらなのが伝わってきた。
わざわざ俺の前でこはるを呼び捨てにし、軽く挑発してきたことを考えるだけで頭にくる。そんなやつをわざわざこはるの相手役として選ぶなんて、キャスティングしたやつをぶん殴ってやりたい気分に陥ってしまうのは至極当然のことだろう。
現場に足を踏み入れるとどうやら休憩中のようで、その場から出て行くこはると遠藤の後ろ姿が目に入った。
どうやらこの目には遠藤がこはるの腕を掴んで引きずっていくように見える。
「なんだ? あいつを連れてくなんて……」
自然と足は二人の後を追っていた。
現場にはこはるのマネージャーとして付いている内山もいたが、置き去りにて一人で追いかける。
心の中にふつふつと遠藤に対する怒りが湧き上がるのがわかった。
俺のこはるをどうしようとしてるのか。
こはるもどうして抵抗しないのか。
二人に対する苛立ちを覚えていると、二人が廊下の隅で隠れるようにして立っているのが分かった。
思わず駆け寄ろうしたそのとき。
二人の影が重なる。
すぐにキスをしているのだとわかった。
こはるは特に抵抗するわけでもなく、遠藤の好きなようにさせているのだとわかった。
こはるの表情は影になって見えない。逆に遠藤の必死な形相が目に焼き付き、呼吸が荒くなっていくのがわかった。心臓が嫌な音を立てる。
茫然と足を進めるも、二人の会話が耳に届く。
「でも、花宮がいいようにされているのを見ていられないんだ」
どうやら俺とこはるの関係について話しているようでーー。
「あんなに苦手だって言ってたのに結婚することになったのは、あの人に何か弱みでも握られたからなんだろ?」
「それは……」
人生でここまで心が凍ったことはなかった。なぜ、こはるはすぐ否定しないのだろうか。そしてそんなに苦しそうな声をしているのか。
ああ、とすぐに理解した。
こはるは俺じゃなくて遠藤朝陽を選びたいのか。だけど俺に恩があるせいで、契約から逃れることができないと知っているからこそ、苦しげに話しているのだ。
こはるは俺のことなど好きではなかった。
そう思考がたどり着いた途端、急激に虚脱感に襲われる。昔、留学前にこはるに拒絶されたときでさえ、ここまでの虚無感は感じなかった。
まるで自分が人形になったかのような気分で。そしてそのあと、猛烈に怒りと悲しみが押し寄せてきた。
怒りと悲しみはより深くなり、憎しみと絶望へと変化する。
気づけば二人の前に姿を表していた。
自分が何を語ったのか覚えていない。
ただその憎しみと絶望をぶつけるかのように、ひたすら言葉を並べ立てたことはわかる。
そのとき見せたこはるの泣きそうな表情が瞼の裏に張り付いて離れない。
裏切った張本人がなぜそのような顔をするのか分からなかった。だが、それを聞く勇気は俺にはなかった。こはるの口から直接俺を非難するような言葉をもう一度聞くことがあればーーーー俺の心は死に絶えるだろうから。
だからこはるの視線や遠藤が何かを訴えかけていることが分かっていても、その場から逃げることしかできなかった。もう、何も聞きたくなかったのだ。
俺はこんなにも弱い人間だったのだろうか?
今まで俺の思い通りにならないことなどほとんどなかった。勉強も運動も人間関係も、俺が願えばなんでもうまくこなす事ができた。
だからこそ、痛みに耐性がなかったのだろう。絶望に打ち勝つだけの力がなく、ただひたすら逃げるだけの人間になってしまったに違いない。
逃げた俺はそのままタクシーを呼び、会社へと戻った。あそこには俺専用の自室があり、家に帰れない時のためにキッチンやシャワーなど、全て完備されている。
こはると暮らしていたあの家に戻ることなど出来ない。その空間にいるだけで、心がはち切れそうになるだろうから。
タクシーに乗り込んだ俺のスマートフォンに電話がかかってくる。連絡主はどうやら内山のようで、画面をタップして電話に出た。
『玲二様、今どちらにいらっしゃいますか? 撮影現場を全て確認しましたがいらっしゃらなくて』
「……ああ、今タクシーの中だ。会社に戻る。伝えるのを忘れていた。余計な手間をかけてすまないな」
『いいえ、仕事ですのでお気になさらず』
内山は落ち着いた声に溢れそうな激情が少しだけ落ち着いたような気がした。自分が動揺していた事に気がつき、タクシーのシートに身を委ねた。
『それでは今日はこはる様の撮影終了後、このまま私は帰宅する形ということでよろしいですか?』
「………………ああ、そのまま送ってやれ」
内山と少しだけやりとりしたあと、通話ボタンを切った。
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