31 / 44
30.忘れることなんてできなかった
しおりを挟む「そんなふうに考えてたなんて全然知らなかった」
「……言ってなかったからな。……なぁ、花宮。昨日のことなんだけどさーー本当にあの人と結婚してるのか?」
瞳を揺らしながら腫れ物に触るような雰囲気を漂わせながら話す。どこか顔に影を滲ませつつも真剣な眼差しを向けてくる。
その強い瞳に少したじろぎながらも私はおずおずと答えた。
「……うん。結婚してる」
「……………………そっか。そりゃそうだよな……」
遠藤はぽつりと言った。
翳った表情は次の瞬間には笑顔に変わり、口を開こうとした私よりも先に話し出した。
「幸せにしてもらえよ! ってかいつ結婚したんだよ、少しくらい教えてくれりゃいいのに水臭い奴だな」
先程の顔が夢と思えるほど明るい様子に疑問が思い浮かんたが、藪蛇に話を聞き出すのも躊躇った。
「つい最近だよ。まあちょっと色々あって……」
「というか今思い出したんだけど、月ノ島さんってもしかして花宮の幼馴染だって言ってた人?」
「そうだけど……」
そういえば、以前遠藤に玲二のことを話した事があったような気がする。あのときは遠藤と仲の良い友人だったため、私生活でのことなど相談に乗ってもらっていたのだ。
私が肯定すると、途端に遠藤の表情が固くなる。どうしたのかなと目を瞬くと、突然椅子から立ち上がってこちらを凝視してきた。
「数年前、女好きで傍若無人な人ですごく苦手って愚痴ってたよな? ……今は治ったか?」
「あー、そ、そうだね、どうなんだろう? 少なくとも傍若無人っていうのは今も当てはまってる気がするけど……」
「……そ、それでもお互い想いあって結婚したんだよな?」
答えづらい質問に思わず動揺し、視線を逸らしてしまう。
私は玲二のことを好きになったが、玲二はどうなのだろうか。気に入られているというのは見ていれば分かるのだがーー妻として愛されているのかといえば、正直分からない。
私は彼に自分の気持ちを言ってもいないし、彼が私にどういう気持ちを持っているのかということも聞いたことがない。
私たちは互いにの気持ちについて何も知らなさすぎなのだ。
そんな私の様子を見て、遠藤は信じられないものを見るような瞳を向けてきた。そして次の瞬間、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……っ、俺がどんな思いで……」
「…………?」
遠藤の声は小さすぎて耳に届かない。
小首を傾げる私を一瞥したあと、顔を俯かせる。そして顔をあげたかと思えばーー。
「……俺、やっぱり諦めきれねえわ」
「…………え? なにがーー」
「花宮のこと、諦めきれない」
遠藤は曇りのない眼差しを向け、唇を強く結ぶ。その濁りのない瞳を見て、場に沿わずとも、ただ美しいなと感じる自分がいた。
とても遠藤らしい純粋で、好奇心旺盛で、どこまでもまっすぐでーー。
「俺、まだ好きなんだ。…………こはるのこと、ずっと思い続けてたんだ」
「……っ」
息を呑む。
遠藤の言葉に思考が停止する。
周囲の時間が突如ゆっくりと流れ始めたような気がした。
我に帰った私は何か話さなければと口を開くものの、上手い言葉がなに一つ出てこず。
先に沈黙を破ったのは遠藤だった。
「花宮が既婚者だって分かってる。でも、そんな風なら俺が奪う。俺の方がこはるを幸せにできる自信があるから」
そう言い切ると、さっと背中を向けた。
そしてそのまま歩き出す。途中、一度立ち止まった遠藤は振り向くことなく言葉を放った。
「……キスシーン、楽しみにしてる」
言い残した遠藤は去っていった。
私は呆然と立ちすくんでいたが、どくどくと心臓が早鐘を打っていることは自分でも分かっていたーー。
◆
「それじゃあ始めるよ、シーン43ーー」
『スタート』という言葉の代わりにカチンコが鳴る。
学生時代の見せ場とも言えよう、ヒーローとヒロインのキスシーンの撮影が始まった。
制服を身に纏った女が頬を染めながら男に駆け寄る。その男も同じ高校のだろう制服を纏い、駆け寄ってきた女を見て目を見開いた。
『湊! わ、私……あなたに伝えたいことがあって!』
『か、加奈子……それでわざわざここまで来てくれたのか? すっげぇびっくりした。一体どうしたんだ?』
『わ、私ね……その』
女は顔を伏せ、口籠る。先ほどまでの素直そうな瞳には不安を滲ませ、二の足を踏んだような状況で。
そばで見守っていた男は顔を緩ませながら、女の頭を優しく叩いた。
『ゆっくり言え。俺はずっと待ってるから』
『…………うん』
女は照れながらも歓喜を含ませた笑みを見せ、頷いた。そして顔を紅潮させながらも満面の笑みで告げた。
『私、あなたのことが好き! ずーっと好きだったの』
女の言葉に一瞬表情を忘れたような男だったが、次の瞬間、目端からほろりと涙を零し始める。驚いた女は思わず手を伸ばすが、逆に男にその腕を引き寄せられーー。
唇と唇が合わさった。
このときのヒロインーー加奈子は一体どんな気持ちだったのだろうか、何度も考えた。
歓喜に打ち震えたのか、それとも驚きで頭が真っ白になったのか。
私はーーそのどちらともだと思った。
だから私はそのまま男の唇の温もりに寄り添うようにして瞼を閉じる。
優しいキスに酔いしれる二人の唇が離れたあと、男が『俺も』と告げる。そして二人は額を合わせて微笑み合いーーこの場面でカメラが引いていき、カットがかかるはずだった。けれどーー。
「……んんっ」
優しいキスなどではなく、強く求められるようなキスで。
こんなのは台本にもなかったはずなのに。
ここにいるのはヒロインの加奈子ではなく、私自身に戻ってしまっている。
玲二とは異なる男の唇の温もりに演技を忘れて動揺するほかなかった。
2
お気に入りに追加
138
あなたにおすすめの小説
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。


溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

優しい愛に包まれて~イケメンとの同居生活はドキドキの連続です~
けいこ
恋愛
人生に疲れ、自暴自棄になり、私はいろんなことから逃げていた。
してはいけないことをしてしまった自分を恥ながらも、この関係を断ち切れないままでいた。
そんな私に、ひょんなことから同居生活を始めた個性的なイケメン男子達が、それぞれに甘く優しく、大人の女の恋心をくすぐるような言葉をかけてくる…
ピアノが得意で大企業の御曹司、山崎祥太君、24歳。
有名大学に通い医師を目指してる、神田文都君、23歳。
美大生で画家志望の、望月颯君、21歳。
真っ直ぐで素直なみんなとの関わりの中で、ひどく冷め切った心が、ゆっくり溶けていくのがわかった。
家族、同居の女子達ともいろいろあって、大きく揺れ動く気持ちに戸惑いを隠せない。
こんな私でもやり直せるの?
幸せを願っても…いいの?
動き出す私の未来には、いったい何が待ち受けているの?
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
恋愛
大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。
いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。
クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。
王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。
彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。
それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。
赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる