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竜騎士少年の献身
しおりを挟むそれから2年、16歳になったカインツは竜騎士見習いとして訓練に明け暮れた。
カインツの竜は最初に乗ったあの竜で、勝手にシーナと名付けた。
初めの頃は、もう一度夕方に落ちてあの少女に会いたい…と思ったが、訓練を繰り返していく内に「落ちる」恐怖を覚えてしまった。
落ちて、もし会えなかったら…。
今日は綺麗に出ている夕日を見ながら、あの日の事を思い返していた。
その夜。カインツは思いがけない事を耳にする。
「俺、今日訓練でミスって落ちたんだけどさ、黄昏姫に助けてもらって…」
「マジかよ!ラッキーじゃん!」
「ちょっとゴメン!今の話、詳しく聞かせて!?」
「うわっ!何だお前!?」
話を聞くと、落ちた時間、シチュエーション、草原のような場所、白い少女、こちらに戻されるタイミング、戻された場所…全て同じ条件だった。
「あと最後に「晴れてて良かったわね」って言われたぞ」
それだけ聞くと、礼を言い部屋に戻った。
「晴れてて」?そういえば今日は、あの日のような綺麗な夕日だった。
落ちたタイミングは分からないけれど、戻ったのは夕陽の赤が失くなる寸前だった。
「晴れて、夕日が見える日だけ会える…とか?」
条件が合っているかは分からないけれど、可能性があるのならもう一度会いたい…と、思ってしまった。
---
「シーナ、いいか。僕がこの崖から飛び降りるから、
下で受け止めてくれ」
不安そうに鳴く竜に言い聞かせ、夕日の見える今、カインツは飛ぶ決意を固めた。
怖い…のはもちろんだが、下には相棒となったシーナがいる。普段から命を預けているのだ、信頼できる。
「いくぞっ…!」
綺麗な夕日を目掛けて、あの少女に会いたいと強く願いながら、崖から飛び降りた…!
分かっていても風に身体が煽られ、体勢を維持する事が出来ない。
竜の背に乗っている時の方が何倍も速いスピードなのに、自由落下とはこんなに不安で怖いものなのか…!
地上が近付いてくる恐怖に、思わず目を閉じてしまう。と、
「ギャウゥゥン!」
「うわぁぁぁ!!」
ドスン!とシーナの上に腹這いで落ちた。
シーナが下に衝撃を逃がしてくれたが、それでも痛い。
それに体勢が悪ければ、受け止められても鞍に上手く乗れず、ずり落ちるかもしれない。
改めて、怖いことをしていると自覚したが…それでも「会った」と聞いてしまった今、カインツに止めるという選択肢はなかった。
ただ、あの少女に会いたい。
別の日。
シーナに下で待機してもらわず、落ちるカインツと並走飛行して受け止めてもらったが、ダメだった。
また別の日。
ならばあの日のように、崖ではなくシーナの上から飛び降りたが、ダメだった。
「後は…時間?日の沈むタイミング?」
夕日で空が赤くなっていればいいのかと、いつも太陽を見ながら落ちていた。が、もしかすると藍色になるまで待たないといけない…?
推察すると早く試したいが、綺麗な夕陽が出る日は意外と少ない。
連日雨だとか、晴れていても西の空に雲が多いとか、体感的にチャンスは5日に1回ぐらいに思える。
また夕方に訓練や任務のない日となると、試せるのは
20~30日に1回程しかなかった。
待ちに待った決行日。
そろそろ仮説が当たって欲しいが…確証がないので、他の要素も可能な限りあの日を再現してみる。
夕日が沈み空が藍色と赤色のグラデーションの時に、シーナの背から飛び降り、森に向かって落ちる。
これで完璧なはずだ。
西の空に雲はなく、夕日も赤々と輝いている。
太陽の本体が徐々に沈み…空は藍色と赤色のグラデーションに。
「今だっ!」
シーナの背を蹴り、あの日と同じ色の黒い森に向かって落ちる。
もう慣れたもので、目を開けて行くと…
何の前触れもなく、草の上にいた。
「…っ!成功だ!」
急いで起き上がり周りを見ると、前と同じ大パノラマに黄昏の空。
そして…何故か会いたくてたまらなかった少女が、2年前と全く変わらぬ出で立ちで、そこにいた。
「君っ!会いたかった…!」
「キラキラしていて、綺麗ね…」
カインツの事は気にせず、あの日と同じように髪に手を伸ばす。
「ねぇ、君は誰…?」
聞きたい事は色々あるのに、また会えた感動で何も出てこない。
オレンジと青に染まり風にはためいている髪が、こちらに触れそうでドキリとする。
無表情でカインツの髪を触る少女に見惚れていると…
「次は気を付けてね…」
「しまった!待って!聞きたい事が…!」
世界が霞み、地面にいた。
---
あれから15日後、またチャンスがやってきた。
前回と同じ場所、同じ方法で試してみる。
体感時間で3分程しかないので、今度は聞きたいことを頭に入れてきた。
「シーナ!今回も宜しくね!」
「クキュゥ~…」
力のない声が返ってくる。
竜にとっても相棒となる騎士が落ちるのだ、心配しない訳がない。
「…ゴメン。でも僕、あの子に会わなきゃいけない気がするんだ…」
何故だろう?彼女に会う度に焦燥感に駆られる気がする。
一目惚れ…かと思ったが、そんな言葉では言い表せない何か。
太陽が沈み、黄昏時が訪れる。
シーナの背を飛び出し、彼女の元にたどり着く。
「黄昏姫!」
「…なぁに?それ」
今日は草の上に座っていた少女に駆け寄る。
こちらを振り返ってコテンと首を傾げる少女の仕草は、外見より幼く見えた。
「ごめん、君の事だよ。名前が分からなくて…教えてもらっても?」
「名前…?」
「君の名前、何ていうの?」
「…わからないわ」
その顔には悲しみも困惑もなく…。
ただ事実を伝えたのみ、という事が窺えた。
「じゃあ…黄昏姫って呼んでいい?」
「たそがれ…ひめ?」
「うん。君に会った人はみんな、そう呼んでるんだよ。…嫌かな?」
「そう…。嫌じゃないわ」
「良かった!今度からそう呼ぶね!」
コクリと頷く少女を見て、やっと会話が出来た事を喜んでいると…もう藍色が迫る。
「時間が!えっと、ここはどこかな?」
「…ここ?私の世界よ」
「えっ?君が作ったの…?」
「そうよ、空が綺麗でしょう?」
そう言うと少女は徐に立ち上がり、ゆっくり空に手を伸ばす。
今まで無表情だった顔が、少し微笑んだ気がした。
橙色が消えゆく。世界が霞む。
「ねえ!また来ていいかな!」
「好きにするといいわ」
また目の前に、暗い森が、いた。
---
「黄昏姫!」
「…なぁに?それ」
「前にそう呼んでいいって言ったよ?」
「…そう、そうだったかしら?」
黄昏姫は何も覚えていない。
カインツがこの世界を去る時、記憶がリセットされるようだ。
それでも質問には答えてくれるので、少しづつ分かってきた。
ここに1人でいること。
空腹や眠気を感じないこと。
ずっと黄昏色の空なこと。
時々訪れる人は「落ちた人」だと認識していること。
他の「黄昏空の世界」と繋がること。
そして、自分の事は何も分からないこと。
そもそも他の「黄昏空の世界」と繋がって「落ちた人」が何故、どうやってここに来るのかも分からないらしい。
が、彼女の中で「助けなきゃ!」という強い感情があるようで、その気持ちに魔力が乗っている…と推測するしかない。
毎回記憶がリセットされなければ、もう少し彼女の事が分かるのに…。
カインツはなぜ黄昏姫の事を知りたいのか、自覚のないまま…
気付けば出会った日から4年が過ぎていた。
---
「カインツ!お前、最近夕方になると時々サボるよな?すぐに帰って来るから黙ってたけど、どうしたんだ?」
同じ時期に見習いから上がった同僚が、とうとう声をかけてきた。
バレているのは分かっていたが、それよりも黄昏姫に会いたい気持ちが強く、任務以外の時は夕方にこっそり抜け出していたのだ。
「いや、ちょっとね…トイレだよ、トイレ。最近お腹が弱くて…。その分残って作業するから、黙っていてくれないか?」
「そりゃあいいけど…。何か理由があるんじゃないのか?まさか…先輩に揺すられてるとか、ないよな?何か力になれるなら遠慮なく言ってくれよ?」
優しい同僚に本当の事を言えないのは気が引けるが、黄昏姫の事がバレるのが嫌だと思ってしまった。
なのに西の空が晴れているのを見て、今日も会いに行けると心が踊る。
「ありがとう。本当に何もないから…!」
そう言ったカインツの顔には隠せぬ喜びが浮かんでおり、同僚は苦笑するしかなかった。
---
「黄昏姫!」
「…なぁに?それ」
「君の名前だよ!って…分かっているけれど、毎回忘れられるのはやっぱり悲しいなぁ…」
「私、貴方と会った事があるの?」
「そう。僕がね、君に会いたくて何度もここに来ているんだ」
カインツの悲しそうな顔に同情したのだろうか、黄昏姫が見上げなから髪に手を伸ばす。
…最初はこんなに差はなかったのに。
18歳の青年になったカインツと、何も変わらない14歳程の黄昏姫とでは、もう20センチほど差が出来てしまった。
カインツはまだ成長期なので、これからも差は開くのだろう。
「…こんなに綺麗な金色を忘れるなんて、残念ね」
「それ!初めて会った時も、髪の色を褒めてくれたよ!僕の髪色が好きなの?」
「ええ。ここでは見られない、昼間の太陽みたいで好きだわ」
少しだけ微笑んだ黄昏姫を見て、カインツが閃いた。
「そうだ!僕の髪をあげる!」
竜に乗るときに邪魔にならないよう、少し長めに伸ばし括ってる髪をほどき、無造作に一房掴むと紐で結び、短刀で根元付近からザクリと切り落とした。
「これを見て、僕の事を思い出してみて?そしたら忘れない…かもしれない」
今まで散々忘れられてきたので期待はしていないが、物を置いて行くのは初めてだ。
もしかすると変化があるかもしれない。
黄昏姫は髪を空にかざし、色の変わり具合を見ている。
その横顔は楽しそうに見えた。
「ありがとう、大切にするわ」
3分程で帰されてしまうこの世界で、髪だけでも黄昏姫に寄り添えたら嬉しいと思った。
---
それから雨が続き、天候を利用して奇襲をかけ、勢いに乗って砦を連続して3つ落とし…
黄昏姫に会いに行けたのは、3ヵ月も後の事だった。
彼女はきっと覚えていないけど、カインツは会いたくてたまらなかった。
「黄昏姫!」
「…なぁに?それ」
「久しぶり!任務さえなければ直ぐにでも来たかったよ!」
「本当に、髪だけ残して中々来ないのだから、暇でしょうがなかったわ」
「…え?」
今、何て?
「…僕のこと、覚えているの…?」
「ええ、今まで「還った」瞬間にその人の事は忘れていたのだけれど、貴方の事は忘れなかったわ。髪が残っているからでしょうね」
そう言って、綺麗に纏められた髪を見せた。
カインツが適当に結んだ物とは違い、綺麗な白いリボンで纏められ、髪の長さも揃えられていた。
初めて覚えていてもらえた事、髪を大切にしてもらえた事、感動が大きすぎて何も言葉にならない。
「ねぇ、貴方の名前を教えて?」
「…カインツ…」
黄昏姫に初めて質問をされた。
今までこちらから一方的に質問していたのに、やっと興味を持ってもらえた…!
「カインツって言うのね。それに、今までどんな話をしたのか教えてくれる?髪をもらう前の記憶は…思い出せないみたい」
「…うん、…うん!」
色々な感情が爆発して、涙が出るのを止められない。
カインツより小さい黄昏姫が、クスクスと笑いながらお姉さんのように背中を摩ってくれるのが、何だかくすぐったかった。
「カインツ、貴方が来るのを待ってるわ」
もう橙色がほとんどない。
「…次の夕日に、必ず…」
こんなにも離れ難いと感じたのは初めてだった。
---
それから3日。
空高くからの斥候の任務中だったが、単騎行動中なのを良いことに、こっそりと落ちて会いに行った。
「黄昏姫!」
「待っていたわ!」
お互い話す気満々だった。
たった3分程という短い時間だが、今まで毎回初対面の黄昏姫の対応が固く、質疑応答という感じだったので、普通に会話ができるだけで嬉しい。
初めて会った日の事や、今まで何度もここを訪れた事、この世界について黄昏姫から教えてもらった内容を話し…
「やっぱり、自分の事は何も分からない?」
「そうなの。靄がかかったように、何も思い出せないの。でもこの世界のルールや「助けたい」という気持ちは分かるのよ」
そう言うと、カインツの切った髪を纏めていたリボンと同じ物を、空中に出してみせた。
「この世界は私の想像で出来ているの。時間を止めているのも私。…なのだけれど、どうしてそうしたのか、何も分からないの…」
悲しそうに俯く黄昏姫が儚く消えそうに見え、思わずカインツの腕の中に閉じ込めた。
「…大丈夫、一緒に思い出していこう」
「…ありがとう。心強いわ…」
この世界から、カインツだけが霞んでいく。
力強く押し当てられていた腕も、胸も、背中も、温もりだけ残して消えていった。
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