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最後はお決まりのあの曲で

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「はぁッ……、た、楽しい。」
 曲が終わってその余韻に浸る。俺は久々に運動したこともあって少し息があがってしまうが、アックスはなんともなさそうだ。
「最初に比べると見違えるほどだな。リズム感もいい。」
「アックス先生の教え方が上手いので。俺、ダンスが好きになりそうです。」
「生徒にそう言ってもらえると、教師冥利に尽きるな。」
 アックスは笑って、少し休憩しようと言って俺をベンチに座らせた。
「喉が渇いただろう?何がいい?」
「えっと……じゃあ炭酸の飲み物がいいです。」
「はは、俺も同じだ。じゃあ待っててくれ。」
 そう言って屋台に向かうアックスの背中を見送る。
(最初に出掛けた日も、こうして飲み物を買いに行ってくれたな。)
 俺達の最初の外出はイベント①であり、一緒に雑技団の演技を見たり買い物をしたりワクワクすることがいっぱいだった。そして今日も、ゲームで起こったイベントだということも忘れ楽しく過ごしている。
(うん!もしアックスと付き合っても、うまくやっていけそう。)
 俺はうんうんと頷いて、アックスが戻ってくるまで他の人達を見てダンスの研究をした。

「最後に1曲踊って帰るか。そろそろ差し入れを買いに行かないと、あいつらがうるさそうだ。」
 思えば、会場内のバザーを見たり他愛も無い話をしたりと、随分のんびりと過ごしてしまった。
 最近では日が暮れるのが遅くなってきたためすっかり忘れていたが、俺には今日大事なミッションがある。
「そうですね!じゃあ1曲だけ。」
「ずっと隅だったから、中央の方へ行ってみるか?」
「え、大丈夫ですかね。誰かにぶつかったりしたら……。」
「俺がさせない。」
「ふふ、先生がそう言うなら。」
 アックスは立ち上がって俺の手を掴み、会場の中の方へ進む。そして他の人と距離の取れるスペースを見つけると、俺に向き合って手を持ち直した。
 次の音楽が始まる。バイオリンの最初のメロディーだけで、会場にいる人々から、おおお~!と歓声が上がった。
「この曲、有名なんですか?」
 俺は周りの異様な盛り上がりが理解できずアックスに尋ねる。彼は少し言いにくそうに、えっと……と漏らして続けた。
「これは結婚式で踊る時によく掛かる曲だ。もうステップが決まっていて皆その動きをするんだが、少し……いや、かなり密着するんだ。」
(えっと……なんとなくこの曲が恋人同士向きだってことは分かるけど、どんな踊りか想像がつかない。)
 そしてこの曲は、ゲームで主人公が踊った時のものではないと分かる。主人公は今までで一番アップテンポな曲を最後に選んでしまい、後ろにいる男性とぶつかってアックスとキス寸前の体勢になってしまう。
(うーん、俺が踊りに熱中したせいで、ゲームと違う展開になったのかな。)
 ついつい楽しくて思ったよりもここに長居してしまった。俺はそれを反省しつつも、踊りたい気持ちでソワソワとしてきた。
「そんなに有名なら、経験しておくのもいいかなって思うんですが……。もちろん、アックスが良ければですけど。」
「俺は構わない。ただ、見たことがあるだけで踊ったことが無いから、もし間違えたらすまない。」
「俺こそ。」
 そう言ってクスクス笑っていると、アックスが俺の背後にぴったりとくっつく形で後ろから俺の両手を握る。
「えッ……、アックス?」
 振り返ると顔が近く、思わず固まる。
「これがこの曲の始まりの決まった形なんだ。」
「あ、そうだったんですね。」
 周りを見渡すと、カップルも友達同士も皆同じ体勢だ。そして近くにいる60代のおじさん達は、互いを抱きしめ合ってゲラゲラと笑っている。
「さぁ、始まるぞ。」
 いくつものバイオリンの音が重なった時、アックスが俺をギュッと後ろから抱きしめ、3、2、1とカウントした。

(ちょ、こんな踊り……ッ、子どもが見てる場所でやっていいの?!)
 今、俺は向かい合ってアックスの肩口におでこを当てている。
 アックスの大きな手は俺の腰辺りを両手で支えたままゆっくりと踊りをリードしており、この動きに至るまでも、ハグする形になったり、手の甲に口付けるフリをするなど、このダンスは俺には刺激が強かった。
(てか、アックスの胸板が……。)
「おでこをもっと上に付けて……、そうだ。」
 そう言われて、おずおずとアックスの胸から肩部分に顔を寄せたが、人前でこんなことをするなんて……と顔が熱くなる。そして自分とは違う鍛えられた胸は、厚さを感じるが柔らかく、不思議な感触だ。
 いよいよ恥ずかしくなってきて少し顔を外に向けると、皆も同じポーズでゆっくりと左右に動いている。
(あ~、俺が主人公と同じタイミングで帰っていれば、こんな恥ずかしい思いをしなくて済んだのに!)
 自分の行動に後悔していると、急に曲が早くなった。それと同時にアックスが「じっとしてろよ。」と一言言って俺の脇腹を持って持ち上げる。
「あ……ッ!」
 俺は弱い脇腹を急に触られて変な声が出た。そしてその声に驚き、アックスの手が少し緩まる。
 急いで俺を掴んでくれたが、俺はその間もツルッとしたシャツが自分の肌の上を滑り、アックスの顔面に近づいていく。
(あ、待って!これってキス寸止めのやつ?!……え、でも寸止めってどうすんの?!え、え、え!)
 俺はかつてないスピードで頭をフル回転させる。しかし、焦るばかりでどうすることもできなかった。
「んッ……!」
「セラ!」
 アックスは俺と顔面同士がぶつかる寸前で俺を掴むことに成功した。
「あ、やった!」
 俺がつい、そう零した時ーー…
「おっと、」
 後ろから、ゲーム同様に男が俺にぶつかり、顔が数センチ前に出た。そして、唇に何かが触れる。
(え、これって……。)
 柔らかいものが触れた時間は1秒にも満たない。アックスは慌てて俺を地面に下ろす。
「セラ、大丈夫か?」
「……あ、はい。」
 俺は自分の唇に手を当てる。
 今起こったことを思い返す。「やった!」と言ったまま開いた下唇が、アックスの唇に触れたのだ。
(え、これって大丈夫なの?!告白の時が初キスじゃないと!……えええ、ど、どうしよ。)
 俺が黙っていると、アックスは俺の手を引いて、さっきまで座っていた場所へと連れて行った。
「セラ、すまない。周りをよく見ていなくて……怪我はないか?」
「け、怪我は無いです!怪我は……!」
 明らかに動揺している俺を見て、アックスは落ち着かせるように言った。
「ぶつかってしまったな。俺は気にしないが、セラは嫌だっただろう。」
「嫌ってわけじゃ……。事故ですし、俺は大丈夫です。」
(なんだ……。アックスはこれをキスとは思ってないんだ。そうだよね、ただの事故だし。)
 今回のことは、キスにカウントしないのだと安心する。
(よ、良かった~。この件は告白に影響なさそう。)
「セラを傷つけたかと思った。」
「いえ!俺、全然気にしてませんから!」
「少しは気にして……いや、行こうか。」
 アックスの最初の呟きは聞こえなかったが、「行こうか」という彼の言葉に頷き、音楽と笑い声が響く会場を後にした。
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