白狼は森で恋を知る

かてきん

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第1章 白狼は恋を知る

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「失礼します。」

ミアの部屋から少し離れた場所、美しい庭園がいつでも眺められるよう、それをとり囲むような造りをした王の執務室は、王家の者であれば誰でも自由に立ち入ることができる。

カルバンの父であり狼国シーバの国王であるアイバンの視界に、急ぎ早にこの部屋にやってきた息子の姿が入る。
アイバンは「どうしたのか」と顔を上げ、手元にあった資料を机に置いた。


国王アイバン・ラタタは、とても楽観的な考えの持ち主だ。
そして狼には珍しく人間にとても関心があり、各国の王との交流も盛んだ。
アイバンが王になってからは人間国との貿易も増え、人間国同士も交流も盛んになっている。

「ミアのことで少し話が。仕事のことではありません。」

「そうか、では茶をいれよう。私も休憩しようと思っていたところだ。」

黒い髪をまとめていた紐をほどくと、斜め横に座る母をチラと見る。

「あら、カルバン。母も一緒に休憩して良いかしら。」

執務室には母シナもいたようだ。カルバンの突然の訪問を笑顔で出迎える。

王妃であるシナは、国王アイバンのおおらかすぎる部分をサポートするしっかりとした女性だ。
国民からも、そのカリスマ性を称えられ、今では父より先に母に助言を求める者もいるくらいだ。

白く艶のある髪を耳にかけると、お茶の準備をするよう従者に伝えた。

少しすると、庭のテーブルにティーセットが用意された。その横には軽食や菓子が並べられ、女性であれば何時間でも居れそうだ。

(少し話を..と思っていただけなのに、ずいぶん大げさになってしまったな。)

「ミアがどうかしたのか?」

席に着いた王は、入れられたばかりの紅茶を受け取りながらカルバンに尋ねる。

「最近、人間のところに通っているのをご存じですか?自衛隊の男で、剣を習っているようです。」

「ああ、イリヤから少し聞いたが、何か問題があったのか?」

「ミアは剣が好きだから、教えていただけて喜んでいるでしょう。」

そう言うシナは息子が世話になっている人間が剣に長けていると既に知っており、嬉しそうな表情だ。

「確かに最近のミアの素振りは、前より速いし型も綺麗だ。」

「まぁ、覚えが早いのね!」

楽観的な父と、ふふっと微笑む母に呆れつつ、話を続ける。

「ミアは王子ですよ!もしその男にたぶらかされでもしたら…」

「はは、カルバンは心配性だな。その男はそんなに信用ならない人間なのか?」

「私も詳しくは…サバル国のガイアスという男だそうです。」

「ガイアスか…ふむ。サバルの王は気さくでいい奴だぞ!あいつの国の者なら、間違いなく良い人間に違いない!」

「彼が参加するパーティだと、アイバンがいつも飲みすぎるから、心配なのよ。」

「彼は酒を勧めるのがうまいんだ!」

はっはっは、と笑う父の姿に、カルバンは眉間のシワがさらに深くなる。

「ミアが懐いているというのなら大丈夫。心配しすぎだ。」

「ふふっ、ミアは彼のこと好きだったりして。」

先ほど見たミアの真っ赤な顔を思い出す。
襲われたら、と尋ねた時の予想外の反応は、兄を狼狽えさせるには十分だった。

(よもや、もう手を出されているんじゃないだろうな…。もしそうなら、殺す…ッ!!)

「母上!冗談でもそんなこと言わないでください。ミアは純粋に剣を学びたいだけです。」

「分からないだろ~。父はどちらでも良いがな。」

「心に従って相手を探すよう、常に子ども達には言ってますからね。」

(その寛大な心は素晴らしいが、今はそういう話ではない…。)

しかし、『結婚相手を自由に』という父母の方針は、カルバンも平民の妻と結ばれる際に、大変ありがたかったため、ぐうの音も出ない。

「ミアが人間を連れてきたらどうしましょう。」

「ははは、サバルの王によく言っておかんとな。」

盛り上がる母と、笑う父。

これはだめだ、と判断したカルバンは、この話はおしまいとばかりに紅茶を飲みながら、美しい庭を見つめた。





・・・・・

「それで、狼は本当に安心できる相手の前でしか仰向けで寝ないんだ。」

「そうなのか。だからミアは丸まってうたた寝してたのか。」

「うつ伏せも多いよ。」

「…苦しくないか?」

「全然!」

剣の練習が終わってからは、今度がミアが教師となって狼について教える。
座ってお菓子をつまみながら行われるそれは、授業というよりはお茶会のようだ。

「他に聞きたいことある?」

「今日は大丈夫だ。」

「おっけー!もし質問あったら、すぐ聞いてね。」

「はい、先生。」

目を細めてミアの短めの前髪を梳くように撫で、その流れで頭を撫でる。

「それ、先生にする態度じゃないだろ!」

ははっ、と笑い紅茶のカップに口を付けるミア。

ミアに剣を教えるようになって数回。
興味のある分野だからか、教えたことをすぐに吸収するミアの剣の腕は、みるみる上達していった。
それとともに、ガイアスも狼について詳しくなっていく。
その文化や習慣を学ぶたびに、ミアに少し近づけたような気持ちになった。

(こうやって話せる日がくるとはな。)

改めて、再び出会えた奇跡に感謝した。

黙っているガイアスを不審に思ったのか、ミアがのぞき込んでいる。
紅茶を飲んだばかりで、少し湿った上唇は、真ん中が少し尖って上を向いていた。薄いピンクの貝殻のような唇から、目が離せない。

ゴクリ…

「ガイアス?どうしたんだ?」

はッ…として少し身体を後ろへ下げると、ミアの背中の後ろについていた自分の左手が、気づかぬうちに肩を抱いていたことに気づく。

「寒くはないか?」

「ん?…寒くないよ。ありがとう。」

肩を抱く手を少しだけ上下させて聞けば、無邪気に礼を言うミア。
にっこり、といった表現がぴったりなその笑顔を見ていると、自分の中にあるミアに対する不埒な心が、ひどく汚いものに思える。

(もう一度、会ってみたかった。そして話をしてみたかった。その目が自分を見つめ、名前を呼んでもらうことを何度も想像した。)

また会って、話をして、自分はどうしたいのだろうか…ガイアスはずっと答えを出せずにいた。
しかし、初めてミアが目を開けるのを見た瞬間、ガイアスは心臓がギュッと握りこまれたように苦しくなった。


これは恋だと、確信した。


何とか繋ぎとめようと、菓子を無理やり勧め、剣の指導を申し出た。

見た目通り、元気で明るい性格のミア。
素直に剣を習う姿は好ましく、コロコロ変わる無邪気な表情に癒される。
嬉しいことがあると満面の笑みでこちらに走ってくる姿が愛しい。

今、こうしてミアが一緒にいてくれるだけでも奇跡だというのに、もっとミアを知りたいと…自分のものにしてしまいたいと…ガイアスの欲は留まることを知らない。

(肩を抱いたり、頭を撫でるのを許可するくらいには、ミアは俺に心を許している。)

それ以上を求めて、もしこの森に来なくなったら…?

狼であるミアに会う手段をガイアスは持っていない。
彼が自分に関心がなくなれば、終わってしまう関係なのだ。

心は激しくミアを求めているものの、そのことに無理やり蓋をしたガイアスは、今は師匠としてミアの傍にいようと、決心したのであった。
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