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-第1章- 生きたい俺と死にたい俺

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「お金、全部出してもらってすみません」
「こちらこそ泊めてもらうのに、何の礼も無しでいるんじゃ気を遣う」
「ありがとうございます」
 家に帰り、足がはやい食材を氷の入った保管庫へと詰めていく。
 森から出てすぐに氷屋があり、定期的に買って箱に詰めているのだ。あちらの世界の冷蔵庫と比べるとずいぶん性能は劣るが、無いよりはマシだ。
 まだ外は明るく、畑仕事をすることを伝えると、イヴァンも手伝うと言う。
 領主様にそんなことさせられるかと思い断るが、身体を動かしたいと押し切られ、しぶしぶ了承してしまった。
 しかし、綺麗になった畑を見ると、素直にありがたいと思った。
「イヴァンさんのおかげであっという間に耕せました」
「役に立ったなら良かった」
 畝が四つ程のこじんまりとした畑には、森の環境でも育ちそうなハーブや菜花を植えている。
 畝を一つ増やして何か簡単に作れる野菜でも植えようと考えていた俺は、鍬を振って耕していたが、すぐにイヴァンが交代しようと言ってきた。
「は、早い……っ!」
 サクサクと硬い土を掘っていくイヴァンに男として尊敬の目を向ける。あっという間に終わり、あとは町で買った肥料を混ぜて土を寝かせる。
 それから、暗くなる前に水を浴びた方が良いだろうと二人で池に向かった。
 汗が張り付いて邪魔な衣服を脱ぎ足を浸けると、横に大きな影が落ちる。
 イヴァンは、思ったほど冷たくないと言いながら、躊躇なくザブザブ池に入っていった。
 領主様が池で水浴びなんて……
 少し申し訳ない気持ちもするが、本人が楽しそうにしているので、気にしないことにした。
「アサヒ、この気持ち悪い草は何だ?」
「ああ、これは茹でて食べたら美味しいんですよ」
「これを……食べる?」
 イヴァンは、水の中でゆらゆらと揺れるぬめった草を指で恐る恐る触った。感触が気持ち悪かったのか、ブルッと肩を震わせるイヴァンがおかしくて、思わず声が漏れる。
「ふふっ……」
「あ、また笑ったな」
 気づかないうちに、俺はまた笑っていたようだ。
 今朝泣いてしまったことも一緒に思い出し、少し気恥ずかしくなって俯いた。
「アサヒ」
 イヴァンが近づき、頭を優しく撫でながら名前を呼んできたので、どうしたのかと顔を上げる。
「アサヒの笑った顔、凄く好きだ」
 イヴァンは俺の目を見つめながらそう言って微笑んだ。
 それから、どうやって池から上がり家に戻ってきたのか覚えていない。おそらくガチガチに固まってロボットのように歩いたに違いない。
 やることがいちいちキザすぎる……
 イヴァンに他意は無いだろうが、微笑みかけてくる顔や撫でてくる手、甘い台詞など、俺には耐性のないものばかりだ。調子が狂う。

「アサヒはやっぱり料理が上手いな」
「ありがとうございます」
 今日もイヴァンは美味しいと何度も言いながら、作った夕食を全て綺麗に平らげた。
 気持ちの良い食べっぷりに、こちらまで嬉しくなる。明日はまた違った料理を作ると伝えると、楽しみだと言って微笑む。
 その笑顔は少年のようで、さらに口の端についたおかずが子どもっぽさを引き立たせる。
「イヴァンさん、付いてますよ」
 ひょいと指で掬うようにそれを取ると、笑って自分の口へ運ぶ。昔、母が自分にしてくれたことを無意識にしてしまったのだが、イヴァンはいきなりの事でかなり驚いたようだ。
 目を見開いたまま、少しの間固まっていた。

「明かり消しますね」
「ああ、……ちょっと待て」
 夕食後は、布団に入ってお互いの話をした。イヴァンが普段どんな仕事をしているのか、俺があちらの世界でどんな生活を送っていたのか。
 俺の話を聞く度に、イヴァンは感心したように頷いたり驚いたりと大忙しだった。
「便利な世界から来て、辛かっただろう」
 そう言われ頬を撫でられた時は、恥ずかしながらまた泣きそうになった。
 イヴァンが俺に掛け布団を被せる。
「こっちにおいで」
 大人しく首から下を全て布団の中に収めた俺の身体を、イヴァンが優しく引き寄せた。
「これで逃げられない」
 イヴァンは俺を腕の中にすっぽりと抱えこむと、にこっと笑った。
 死にたがりな俺の身体のためにくっついて寝てくれる親切なイヴァン。彼には申し訳ないが、この方法が一番安眠できると知ったのだ。断ることなどできるはずがない。
「じゃあ、明かりを消すぞ」
 そう言ってすぐに枕元の火が吹き消される。
 それから、もぞもぞと動いてしっくりくる場所を見つけた俺は、ありがとうとイヴァンに伝えたのを最後に夢の世界へ旅立った。

 イヴァンの胸で目覚める二日目の朝。俺は続けて安眠できたという事実に感動した。
 目の前の男はスカーッと寝息を立てており、いつもの精悍な顔とは違って子どもっぽい表情だ。しかし俺の救世主であることに変わりはない。
 見ているとうずうずしてきて、俺はその胸にギュッと抱き着いた。
「……ん、アサヒ⁈」
 その衝撃で目覚めたイヴァンは、俺の行動を確認し驚いた様子だ。そして、黙って抱き着いたままの俺を見て焦りだした。
「どうした? もしかして具合でも悪いのか?」
 尋ねてくるイヴァンの声は本当に心配そうだ。
 パッと胸から顔を離した俺は、興奮しながら告げる。
「また布団の中で起きれました!」
 胸から救世主の顔を見上げた。
 ぽかんとした顔のイヴァンが俺を見つめる。
「本当だな」
 すぐにハッとした表情になり、俺の頭を微笑みながら撫でてくれた。
「良かった良かった」
 今度はイヴァンが俺を腕に抱きしめ、そう呟いた。

 それから俺達は二週間、この家で共に生活をした。
 離れる時間は用を足す時くらいで、それ以外は常に一緒。俺達はずいぶん打ち解けた。
 俺は彼に敬語を使うのをやめ、イヴァンは弟に接するように頭を撫でたり抱きしめたりとスキンシップが増えた。
 イヴァンはすっかりここの生活に慣れたようで、いろんな手伝いをしてくれる。今も、頼んでいた畑仕事を終えて、一緒に池に泳ぎに行かないかと呼びに来た。
 俺も食品の加工がひと段落ついたので頷く。

「アサヒは泳ぐのも上手いな」
「昔、水泳やってたんだ」
 あちらの世界で小学校の時に習っていた水泳は、母が亡くなったことをきっかけに辞めたきりだった。
 しかし泳ぎ方は身体に染みついており、この池で何も考えず泳いで過ごすことも多かった。
 そして運動全般が得意な俺は、この世界で人気であるサッカーのようなスポーツも得意で、以前町で披露した時には、国の選手になれるとイヴァンに褒めちぎられた。
「一番得意な競技があるんだけど、この国には似たものが無いみたい」
「どうやるんだ?」
 俺はバスケのルールを一から説明した。イヴァンは時々質問をしながら、興味津々にその話を聞いていた。
「それはぜひ俺の住む町から広めたい。皆に見せてやってくれるか?」
 軽い調子で聞いてくるイヴァン。イヴァンの住む町はここからかなり離れており、行くとなると長旅になりそうだ。
「じゃあついでに観光でもしようかな。その時は何日かイヴァンのところに泊まってもいい?」
 この世界に来て旅行をするのは初めてだとワクワクする俺を、真面目な表情で見るイヴァン。その顔があまりに真剣で、俺は首を傾げた。
「アサヒ。俺の町で、一緒に暮らさないか」
 ちゃぷ……と水の音が近くで聞こえる。
 イヴァンの表情は少しこわばっているが、その目は俺から外れない。彼が本気で言っているのだと分かった。
「驚かせたか?」
 俺が黙っていると、イヴァンが困ったように笑った。
 昨日町に降りた時、王からの返事が郵便局に届いていたらしい。その内容は、この森以外であれば好きな場所に住んで良いとのこと。その際、生活を補助する金を国が出すというものだった。
「俺はアサヒに、俺の住む町に来て欲しいと思っている」
 国から補助金が出る上に、イヴァンの側にいることができるなんて。
「えっと……俺、」
 待遇の良さに関して有難く思いながらも、すぐに首を縦に振ることができなかった。
 そんな俺にイヴァンは優しい声で言う。
「急に決められないよな。考える時間はまだある」
 国からは『できる限り本人の意思を尊重するように』とお達しがあったとのことだ。
「一年以内には、どこに住むかを決めてほしい。ただ、俺は一週間後には、ここを出て自分の町へ戻る」
「……返事、ちょっと待ってもらえる?」
「もちろんだ。一緒に帰れたら嬉しいが、もし考える時間がもっと必要なら、その間に何度でも会いに来る」
 そう言うと、話はおしまいだと示すかのように水の中に潜っていったイヴァン。
 遠く離れた町から『会いに来る』と言ってくれた彼の言葉が胸に刺さる。
 どうしたらいいんだろう……
 俺はこれから、この世界での自分の未来を考えなければいけないのだ。

 それからすぐに三日が経った。
 イヴァンはあの池で話をして以来、例の話題には触れてこない。そして、俺もどうすべきか考えてはいるが、明確な答えは出せずにいた。
「へぇ~、じゃあイヴァンはかなり大きな領地を治めてるんだな」
「大きいとは言っても人口は少ない」
 眠る前の穏やかな時間、俺はイヴァンに彼の治めている地域について質問した。
 イヴァンは十二個の町々を統治しているらしく、年の半分は各地での調査のために飛び回っているのだと言う。
「俺、田舎の方が好きだよ」
「そうか」
 イヴァンが微笑んで頬を撫でてくる。その大きな手に安心して身を任せている自分にびっくりだ。
 なんか、安心するんだよなぁ……
 最近では、すっぽりと自分を包んで眠るイヴァンに朝、無意識にすり寄っていることもある。
 日に日に増えていく彼からのスキンシップも、まるで当たり前のように受け入れていた。
「そろそろ寝るか」
「うん」
 イヴァンが明かりを消し、そのまま俺の身体をぐいっと引き寄せる。俺はぴったりと彼の胸にくっつき、いつもの体勢になったが、足の位置がどうにもしっくりこない。
 もぞもぞと良いポジションを探している中で、片足をイヴァンの身体に掛けてみた。
「……ッ、」
 イヴァンは少し身じろぎしたが何も言わない。
 密着する面積が増え、より安心できるこの体勢が気に入った俺は、そのまま眠ろうと目を瞑った。

 ぱさっ……
 俺がうとうとと船を漕ぎだした時、隣のイヴァンが何やら動いていることに気が付いた。
「んぁ……イヴァン?」
「起こしてしまったか? すまないな。アサヒはそのまま寝てていいぞ」
 俺の頭を軽く撫でると、布団から出ていこうとその端を捲っているイヴァン。寝ぼけつつもヒンヤリとした空気が布団に入り、熱を求めてイヴァンに抱き着く。
「アサヒ、すぐ戻るから」
「やだ」
 理由も分からず出ていこうとするイヴァンにムッとしてさらに近づくと、足の間の固いモノに気が付いた。
「あ……これ」
「だから言っただろう。すぐ戻るから寝ててくれ」
 俺はそれが何か分かり一気に覚醒する。イヴァンは少し気まずそうにしていたが、状況を分かっても離さない俺を不思議に思っているようだ。
「アサヒ……?」
 尋ねるような声が聞こえる。
「あの、さ……外は寒いし、ここでしなよ」
 俺、何言ってんだ……ッ! 言ってすぐに後悔した。

 自分はあまり性的なことに興味が無い方だと思っている。母に似た見た目は中性的で、女の子にモテていたのは中学校まで。
 背がぐんぐんと伸びていく周りの男達に比べても華奢と言える自分は、高校生の女子にとってそういう対象にならなかったようだ。
 性的な経験をすることは勿論、交際する機会もなかった。そんな自分が、隣で自慰をしてはどうかと提案していることが信じられなかった。
 黙ったままのイヴァンに、冗談だと言ってごまかそうとしたが、急に手を掴まれる。
「ッイヴァン?」
「いいのか……?」
 暗闇であり、イヴァンがどんな表情をしていたのか知ることはできなかったが、その声には熱がこもっていた。
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