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-第1章- 生きたい俺と死にたい俺

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 コンコン
 その夜、晩御飯の準備が整い、器に食事を盛ろうとしたところ玄関の扉からノックの音がした。
 一体誰だ? 思わず刃物を手に扉へ視線を向ける。この一年と数か月、誰かがこの家に訪ねてきたことはなかった。
 町でも、俺がどこに住んでいるのか知る人はいない。
 コンコン
 動揺し固まっている中、もう一度扉が叩かれた。どうするべきか考えていると、若い男の声がした。
「誰かいるのか? いるなら開けてくれないか?」
 無理やり入ってこないあたり、悪い人ではなさそうだ。
「はい。今開けます」
 返事はしたものの、油断はできない。持った刃物を背中に隠すと返事をして玄関へ近寄った。
 そして扉をかすかに開けると、背の高い男が自分を見下ろしていた。
「……わッ!」
「すまない。驚かせたか?」
 男は申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
「私はイヴァン・グライラだ。この土地の領主をしている。遅くにすまないな」
 最初の印象通り男は背が高く、髪と瞳は黒に近い茶色だ。
 華奢な自分の身体とは対照的にしっかりとしていて、怒らせて殴られでもしたら、奥の壁まで飛ばされそうだ。
「いえ。俺は、あさひです」
 身構えつつ名前を名乗る。俺の名前は上川あさひだが、この世界でこの名字は珍しいらしく、仲良くなったパン屋の息子に驚かれてからは、フルネームを言わないことにしていた。
「アサヒ? 初めまして」
 男が握手を求めてきたので、慌てて手を前に出す。
 それが刃物を握っていた方の手だと気付いた時には、男は目を丸くして俺の顔を見ていた。
「……すみません」
 そう言って刃物を背中に戻すと、急に男が笑いだす。
「はははっ、気持ちは分かる。急に訪ねて申し訳ないが、君に少し話があるんだ。」
 イヴァンと名乗ったその男は、眉を少し下げて俺の様子を窺う。
「とりあえず、中へどうぞ」
「ありがとう」
 男は礼を言うと、屈みながら玄関をくぐった。

 男の説明はこうだ。
 この森の所有者が先日亡くなり、家族が国へこの土地を寄贈した。自然が豊かなこの土地を国は保護することに決め、人間が住むことを禁じた。
 しかし、ここに小さな家があると遺書に記されていたため、領主である彼がそれを確認しに来た。
「私も本当にここに人がいるとは思わず驚いているんだ」
「俺、どうなるんですか……?」
 男の説明に不安が募る。ここには俺のすべてがある。
 この家も、最初はあばら家だったものを自分で直した。畑を作って、自分の力で手に入れたふかふかの寝床だってある。立派な俺の『家』だ。
 不安げな瞳を見て、男は努めて優しく話しかけてきた。
「大丈夫。このままこの場所に住めるかもしれないし、もし無理だとしても、国がきちんと君を保護する」
「……でも、」
「心配しなくていい。私が悪いようにはしない」
 真剣な顔で言う男に、気持ちが少し落ち着いてくる。
「アサヒはなぜここに住んでいるんだ?」
「えっと……説明が難しくて。というか……真実を言っても、信じてもらえないと思います」
「話してくれないか? 時間はいくらかかってもいい」
 どこから説明を始めたら良いものか。頭を整理して一年以上前の出来事を振り返った。

「なるほど……」
「変な話をして、すみません」
 話をすべて聞き、驚いた表情のイヴァンが何か考え事をしている。
 否定はしなかったが、こんな話を信じるわけない。事実を話したのは、これが初めてだ。
 まず誰も信じないだろうし、最悪頭のおかしい奴だと思われて仕事を失いかねない。しかし、国からの遣いで来た領主様とあれば、正直に話すべきだろうとイヴァンに全てを伝えたのだ。

 言い終わるとお腹が空いてきて、器によそうはずだった夕食を思い出す。
 ただの魚のスープで申し訳ないけど……
「夕食を食べていきませんか?」
 立ち上がり、二人分用意して前に出すと、男は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。私に分けて、君の分は足りるか?」
「大丈夫です。沢山作ったので」
「では、その言葉に甘えよう」
 二人で囲炉裏の側で夕食を食べる。
「君は料理が上手なんだな」
 食べながら、イヴァンは俺の料理を何度も褒めた。
 今まで誰かに振舞ったことなどない。初めての感覚に胸がジンと熱くなった。
 それから俺の話を再度細かく聞き、一通りメモを取ったイヴァンは町に降りると言う。
 時刻は夜の十時を過ぎていた。
 ここから町までは歩いて二十分程度だが、それは土地勘のある俺だからだ。普通の人なら、その倍はかかるだろうし、夜となればもっと時間が必要だ。
「今降りない方が良いと思います。明日、町に行く予定なので一緒に行くのはどうですか?」
「そうなると、ここに泊まることになるが……」
「俺は大丈夫です」
「しかし、」
 何か言いかけたイヴァンだったが、俺が引き下がらずにいると素直に頭を下げた。
 湯の用意をしてタライに入れると、布を手渡し一緒に身体を拭く。
 着やせするタイプなのだろうか。服を着ている時は分からなかったが、男の身体には程よく筋肉が付いていて逞しい。薄っぺらい自分の姿を見て、小さく溜息をついた。

「一緒に寝るのか?」
「あ、嫌ですよね」
「いや、私は構わないが」
「では寝ましょう」
 先に布団に入りその端をめくる。二人で入っても十分にスペースのある大きな布団。
 今日のような事が起きて、改めて大きな寝具を買って正解だったと感じる。ただ、これを持ち帰るためには森を何往復もしなければならず、かなり苦労した。
「もう少し聞いてもいいか?」
「はい。何でもどうぞ」
 男は言いづらそうにしながらも、口を開く。
「アサヒの身体の傷……一体、何があったんだ?」
「ああ、これは……」
 俺は睡眠時に『身体が死のうとする』のだと説明した。
 イヴァンは驚き心配していたが、対処法が何個かあるのだと言うと、少し安心したようだった。
「それで君の枕元には、明かりと難しそうな本が置いてあるのか」
 納得したように頷いている。
「いつも疲れて泥のように眠るなど、身体に良くないな。何か別の方法があるといいんだが」
「まだ誰かと寝たことはないので、今日は実験です」
「それで私に泊まれと言ったのか?」
「いえ、そんなつもりは……」
 天井に向いていた顔をイヴァンの方へ向ける。男はいつの間にか体勢を変えていたようで、こちらを向き優しい表情で俺を見ていた。
「……ッ明かり、消しますね」
「ああ」
 俺は枕元の火を吹き消した。

 穏やかな光が部屋に差し込み、ふわふわと心地よい暖かさの中で目を開ける。
「ん……」
 感覚で分かる。ここは布団の中だ。
 久しぶりの穏やかな目覚めに頬が緩むが、目を開けて間近にある男の顔を見て固まる。しばしそのまま石のようになっていたが、徐々に昨日の出来事を思い出してきた。
 あ、そうか。俺、イヴァンさんと一緒に眠って……
 身じろぎしたところで、身体にイヴァンの腕が回っていることに気づく。
 その腕は自分を逃さないようしっかりと抱きこんでいた。
 これで動けなかったのか。
 昨日は運動が足りずそこまで疲れていなかったため、絶対に眠ったまま外へ出ていたはずだ。
 それを食い止めることができたのだと、心の中で力強くガッツポーズをした。

 それから、起きてきたイヴァンに朝食を用意し、軽く身支度を整えて一緒に町へ向かう。
「今朝は布団にいたんだな。良かった」
「あんなに安心して眠れたの初めてです」
 ふふっと笑う俺の顔をイヴァンがじっと見つめる。何だろうと横を見やると、男の顔が少し赤い。
「君、笑うんだな」
 その言葉で気づいた。自分は笑っているのだ。立ち止まって地面を見る。
「俺、何年も笑ってなかった」
 ぼそっと零した俺の独り言を、イヴァンは静かに聞いている。
 友と呼べるパン屋の息子の前でも、笑顔でいた記憶がない。元いた世界でも、母が死んだあの日から、心から笑ったことが何回あっただろうか。
「アサヒはずっと頑張っていたからな。やっと安心できたんだろう」
 よしよしと頭を撫でる大きな手に、自然と涙が瞳に溜まる。彼はそのまま、俺を包むように抱きしめた。
「う……ッ、うぁぁぁあ、」
 胸から熱いものがせりあがってきて、俺はイヴァンの胸の中で、声を上げて泣いた。

「落ち着いたか?」
「……はい」
 人前で大泣きするなんて初めてだ。耳まで熱く、きっと俺の顔は真っ赤に違いない。
 イヴァンはハンカチを取り出すと、川の水で少し湿らせて俺の目元を優しく拭いた。
 それからは何となく気恥ずかしくなり、聞かれてもいないのに「これは食べられる野草で、あれは毒があって、」と、目につく植物について片っ端から説明した。
 子どものようで恥ずかしく思うが、イヴァンはその説明を聞き、「アサヒは物知りだ」と笑顔で褒めてくれた。

 町に降りてイヴァンの予定を尋ねる。昨夜書いた手紙を出しに行くと言うので、彼とは別れて食料を買いに市場へ向かった。
 今日は、手品をして少し収入を得たいと思っていたが、泣き腫らした目のまま芸をするわけにもいかず、買い物に専念することにした。
「おーい、アサヒ!」
 鮮度の良さそうな食材を見繕っていると、後ろから聞きなれた声が響いた。
「買い物か? 今ちょうどパンが焼けたところだからさ。寄ってけよ」
「ライ、ありがとう!」
 明るい声に導かれ店内に入ると、焼きたての香ばしい匂いがする。
「あのさ、」
 温かいパンを見ながらどれにしようかと選んでいると、心配そうな顔でライが見てくる。
「目が腫れてるけど、どうしたんだ?」
「ああ、ちょっと擦っちゃって」
「……そっか」
 そう言った後、少し黙ったライはパンを並べていた手を止める。
「お前、離れたとこに一人で住んでるんだろ? ここに住めばいいじゃん。うちの親父も、上の部屋が空いてるから使って欲しいって言ってるしさ」
 笑顔で勧められるが、頭を横に振って断る。
「大丈夫だよ。今の家が気に入ってるんだ」
「ふーん。でも、もし困ったら遠慮なく言えよ。俺とお前の仲じゃん」
 にかっと笑うライの顔が眩しい。
 金が無く、町をただただ散策していた時、パン屋の前でショーケースを見つめる俺に声をかけてきたのが彼だ。
 金が無いと言う俺に、試食して美味しかったら今度買いに来てくれと言い、店のパンをいくつか袋に入れて強引に渡してきた。
 それからは町に来る度に何かと世話を焼いてくれる兄のような存在だ。
「じゃあ、全部で三百ベルクだな」
 俺が選んだパンを袋に入れたライが、本来よりもかなり少額を請求する。
「おい、安くしすぎだって」
「そうか? アサヒ価格だから、こんなもんだ」
 ここへ初めて来た日のイメージが消えないのか、毎回俺に求められるのは小銭ばかり。半額にも満たないその金額に、俺は毎回申し訳なさを感じている。
「そんで、これは俺からプレゼントな!」
「もう、いいって!」
 二、三個おまけを袋に放り入れたライは、くるくると手際よく口を折り、俺に手渡した。
「次はちゃんと払うからな」
「はいはい。じゃあ、またすぐ来いよ?」
 笑顔のライに見送られ、店を後にする。
「あ、イヴァンさんだ」
 パン屋を出てすぐ、イヴァンが郵便局の方から歩いて来るのが見えた。軽く手を挙げると、こちらに気付いたようで手を振ってくる。
「アサヒ、ここにいたのか」
「すみません。最初の予定通り市場に居たんですが、友達に呼ばれて」
「良い匂いがする」
 イヴァンは焼き立てのパンが入った袋を見て、顔を綻ばせた。
「今夜食べましょう。パンに合う料理を作りたいので、また市場に寄ってもいいですか?」
「え……」
 イヴァンが驚いた表情で俺を見た。俺は驚く理由が分からず首をかしげる。
「今夜も、泊まっていいのか?」
 俺はその言葉に、一瞬で顔が熱くなった。
 今朝、イヴァンは森を歩きながら、陛下から御返事があるまでここにいる、と言っていた。
 『ここ』って俺の家じゃなくて、この町の宿のことだったのか。
 赤面している俺の顔を見たイヴァンは、だんだんと笑顔になる。
「私も滞在するなら、アサヒの家がいいと思っていた」
 俺の反応に気を遣っての社交辞令だろう。領主である彼ならば、この町の一番良い宿にだって泊まれるはずだ。
 あんなあばら家に招待するなんて……と後悔したが、目の前のイヴァンが機嫌良さげに笑っているのを見て、それ以上は何も言わなかった。
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