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2巻
2-2
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「何を百面相している。先ほど、フランに注意したことをまだ怒っているのか」
「……違うよ。僕が腹を立てているのは、ウェスハムの言動だ。ムカついて仕方がないよ」
今までもサモンの持つ黒髪・黒目を忌み嫌い、避ける人を見たことはある。
だけど、あんなにも心底拒否している反応を目の当たりにすると、胸の中に蟠りが残る。
「そういうことなら、フランが怒る必要はない。俺ほどの黒色を持つ人間は珍しいからな。王都ではあからさまな態度を取る者は少ないが、情報が入りにくい田舎ほど偏見は強いのだろう」
「でも、こんなに格好いい人を髪と瞳が黒いというだけで毛嫌いするなんて、もったいない」
「……」
ずっと頬を膨らませているのも馬鹿らしくなって、止めた。僕はサモンの方に向きを変えて、引き締まった両頬に手を添える。
「君の艶やかな髪の毛も瞳も、きらきら光り輝いているよ。黒い宝石みたいで綺麗じゃないか。さっきも澄み切った満天の夜空を見ていて、君のようだなぁ、なんて思っていたんだ。他にも色々あって、黒薔薇とかを見るとつい君をイメージしてしまって……」
べらべらと話していたけれど、サモンの表情に変化がないことに気付き、尻すぼみになる。
自分の言動に羞恥が込み上げてきた。
「……僕は見惚れてしまうほど、大好きなんだけど、さ……」
「……」
──なぜ、何も反応してくれないんだ。
もしかして、宝石や空や薔薇だと例えることが気障すぎて、引かれているのだろうか。
そういえば、よく〝君の瞳は宝石よりも輝いている〟だとか僕に対して言う男どもがいる。初対面なのに、歯が浮くような気障な言葉などよく言えるものだ、と内心悪態を吐いていた。
今、僕はサモンをそんな気持ちにさせてしまったようだ。確実にすべっちゃった……
羞恥と気まずさを誤魔化すように、えへ、えへ……と苦笑いする。
「えーと……そう! 何が言いたいかというと、僕は君のいいところを、分からず屋どもの分までいっぱい褒めたいってことだよ!」
「……」
──だから、無反応はやめておくれ。
反応のなさに耐えられなくなり、サモンの頬から手を離そうとした時、目の下の真っ黒なクマが濃くなっているのに気付いて、顔を近づける。
「あぁっ! 君ってば、またクマが酷くなっているじゃないか。ちゃんと寝なくちゃ!」
目の下を親指で撫でると、サモンの頬がぴくりと動く。
「お風呂からあがったら、すぐに寝よう。今日は絶対仕事をさせないんだから!」
「……分かった」
素直に返事をするサモンをよしとして、浴槽から腰をあげると、腕を掴まれ引き寄せられた。僕はそのままサモンの膝上に座ってしまう。
そこで、緩く抱き締められる。
「──え」
急に空気に甘さが加わり、サモンの顔が近づいてくる。僕はキスの予感に瞼を閉じた。
予感は的中して僕の唇に柔らかい感触が触れる。ちゅっと軽い音を鳴らして、少し唇が離れた後、もう一度唇が降ってきた。
侵入してくる舌を受け入れて、僕からも舌を絡ませる。サモンの手が後頭部と腰に添えられ、キスが深まっていく。
「……ん、ふっ」
僕の太腿に、サモンの固い熱が当たっている。
だけど、よくあること。恋人同士が裸で密着すれば大抵こうなるものだろう。
気を逸らしながらキスを続けていると、腰に添えられたサモンの手が背中を掠めるように何度も撫でる。その弱い触れ方がくすぐったくて身体を捩る。
何度も続けられて、くすぐったがりやの僕はとうとう唇を離した。
「ふっ、んっ……サモン君! やめてよっ、くすぐったいじゃ──んっ」
勝手に唇を離すなというように、後頭部に回された手に力が籠り、また口付けられる。そしてくすぐっていたサモンの手が、今度は脇腹を通り、太腿を撫でる。
「んっんっうぅっ……うっ、ん、ん!」
身を捩りながら、喘ぎ声のような変な声を漏らす。
なんとかサモンの膝から降りて、浴槽の底に膝をついた。太腿から手は離れたけれど、代わりに胸を同じように手が掠める。
「ふぅ、んっ」
淡い刺激に反応した乳首を、サモンの指の腹が弱く何度も擦ってくる。
首を横に振ると、乳首を指で軽く摘ままれ、身体にびりりと電気のような快感が走った。
「んっ、んんっ……! 寝ようよ」
唇がようやく離れたので、僕は文句を言いながらサモンを見た。獲物を狙うような獰猛な瞳がそこにあって、ぎくりとする。
だけど今日はサモンを寝かせると決めたばかりだ。それに、明日の午後からはアーモンとの会合がある。
首に吸いついてくるサモンの肩を軽く叩いて、止まるように伝える。
「サモン……ふぅん、寝……」
「今は眠くない」
「ぼ、僕はこのままベッドに向かえば、一瞬で……んっ」
サモンの唇が首から顎をたどり、そしてまた戻って僕の下唇を食む。強請られるような口付けに絆されそうだけど、心を鬼にして目に力を込めた。
「駄目、サモン君の睡眠は大事! 今日はしないよ⁉」
サモンは不服そうな表情をして僕を見る。
「一度だけ。そうしたらフランと共に寝る」
「え……一度だけ?」
「あぁ、頼む」
「頼むって……。あぁ、そう、か。……もしかして、した方がよく眠れるの?」
恐る恐る訊ねると、サモンは頷く。
僕は視線を下げて彼の猛るものを見た。
それは天を向いて、辛そうなほど漲っている。
ここで止めたら欲求不満で悶々として眠れないかもしれない。それに僕でこうなってしまったのなら、責任は僕が取るべきだろう。
「うん。なら、いいよ」
「──ふ」
サモンが急に息を吐くように笑った。
愛おしそうというか、何か──そう、面白珍獣を見るような含みのある笑いだ。
もしかして、ちょろい、と思われている?
心外だと言おうとしたけれど、サモンの手が僕の身体に大胆に触れて来たから、言葉にならなかった。
「──あっ」
代わりに喘ぎ声が漏れる。
さっきまでの淡い刺激じゃなくて、ついに与えられた直接的な刺激に内股が震える。陰茎を柔らかく掴まれて扱かれると、あっという間に快感が登りつめていく。
そうしているうちに、僕は再びサモンの膝上に戻された。今度は彼と向かい合うように跨らされている。性器同士が軽く当たって、視界がとてもいやらしい。
「あ……ふ、ん」
キスしながら、骨ばった長い指が尻の中に入ってくる。よく知った指の感触に期待して、奥が疼いてしまう。
既に彼とは何度も性行為をしているのに、心配性のサモンは毎回、丁寧すぎるほど慎重にそこを拡げてくれるのだ。
激しく求めてくれるのに、いざ行為が始まればじっくりと進む。
深い愛情を感じるけれど、丁寧すぎて焦れてしまう。
「う……う、んん……はっあ……、あっ、サモ、ンく……あ……まだ?」
咥え込んでいる彼の指が、僕の中のいいところを掠めていく。指だけで果てそう。
僕の身体は総受け設定なだけあって、元々感度がよかった。
さらに、サモンと回数を重ねるたびに後ろの刺激にどんどん弱くなっている。
「あっ、イっ、ちゃう……からっ、……もう、いいよぉ……っ」
「駄目だ。解し足りない」
「い、いじわるっ」
指から与えられる快感に焦れて、僕は我慢できずに身体を捩った。
僕の意見を無視してイかせようとするから、目の前にあるサモンの肩を噛む。
「……噛まれた」
唇を肩から離すと、そこには歯形がくっきり付いている。
こんなことをしたのは初めてだからか、珍しくサモンが目を見開いて驚いていた。
「あ、しまった……痛かった? ごめんなさい」
治癒魔法を使うほどではないかと噛み痕を指で撫でていたら、急にお腹の中が熱くなった。
「んぁ……あ」
挿入の前に潤滑魔法で潤いを足されたと分かった時には、サモンの猛りが僕の中へゆっくりと押し進められた。
中を擦られる感覚に、びくびくと小さく身体が跳ねる。
サモンはある程度、腰を進めたところで、ゆっくり浅く中を穿った。
「──っ、あっ、あつ、い……っ、んんんっ。お湯、やぁ、お湯がはいっちゃ……!」
抽挿のたびお湯が入ってくる。潤滑魔法とお湯のせいで、濡れた音が浴室によく響いて羞恥が増す。
慣れない感覚に身を捩っても、サモンはそのまま動きを止めない。
「んんんっはっ、だ……んぁ、でちゃ……!」
目を閉じて絶頂を我慢する。
けれどどうにもできず、そのままお湯の中に白濁を吐き出してしまった。
「ん──はぁん……」
サモンの腕に強く抱き締められながら極めると、すごく心が満たされる。
絶頂の余韻で身体が痺れて動けない。息を整えていると、サモンが身体を繋げたまま僕を軽く持ち上げ、浴室の床に寝かせた。
「ん……」
ひやりとする大理石のタイルの感触が火照った身体に心地いい。それでも火照りが引かないのは、漆黒の瞳が僕を見つめるからだ。
熱視線と共に、長くて骨ばったサモンの指が僕の頬から首、鎖骨、胸、へそへと移動する。
「フランは俺をその気にさせるのが上手いな」
「は……え?」
快感に惚けていると、サモンはにやりと口角を上げた。
S気漂う表情にドキリとしていると、達したばかりだというのに、彼は僕の腰をゆらゆらと揺らして抽挿を再開した。
「んんあっやあっ……まだ、あうぅんっ」
結合部がびくびくと痙攣しているというのに、気持ちよさを加えられてのけぞった。
──容赦ないよぉ……
気持ちよくなりすぎるのが怖くて手を伸ばすと、ぎゅっと手を繋いでくれる。
そうじゃない、もう少し待っての意味なのに。
強すぎる快感が怖くて、無意識に僕は首を横に振っていた。すると、僕の中から剛直が抜けそうなほど、腰を引かれる。
「──ぁ……」
サモンは完全には出ていかず、ぎりぎりのところで止めた。そしたら、僕のお尻が彼を求めるように、ひくひくと痙攣する。
ひぃい。僕ってば、なんでこう淫乱なんだろう。
「駄目か?」
サモンは熱の籠った目で僕に問いかけた。
僕が嫌だと言ったから?
身体の心配?
それともいじわる?
「──っ……うぅ。ズルいよ」
僕はサモンの肩に腕を回して応えた。笑う彼がにくたらしい。
煽ったからには一回では済まされなかった。
サモンは絶倫──なのだ。
結局その後、ベッドでも彼に抱かれた。しかもベッドでは気持ちいいところを執拗に責められて、眠ったのは朝方になってしまった。
◇
『プリマリア次期侯爵フラン様、俺と結婚してください』
今、僕が横になっているキングサイズのベッドは、サモンとの同棲が決まってから購入したものだ。
学園寮の狭いベッドとは違い、二人で両手を広げて眠ることができる。
だけど朝、僕が目覚めると、決まって彼の姿は隣にはない。
「……」
白いシーツをぼんやりと眺めた後、僕は重だるい上体を起こした。
窓の外から差し込む日差しの眩しさに目を細める。太陽が真上に位置していて、眠気がすっかり覚めた。
「フラン様、おはようございます」
廊下に出ると、掃除をしていたメイド二人が挨拶してくれる。彼女たちが次に話す内容はなんとなく分かった。
「今日はお客様とお会いになると伺いましたので、青空のような色のお洋服をご用意しております」
「髪の毛のリボンは服を着てから選びましょう」
人と会う予定がある日は、メイドたちの仕事魂に火が点くようで、あらゆる活動に相応しい服装を前日から用意してくれているのだ。
話が長くなりそうだったので、「また後でお願いするね」と声をかけて、食堂に向かう。
途中にあるリビングには、細長い楕円形のテーブルと四人掛けのソファ、そして花柄の椅子がある。母のナターシャはそこに腰かけて編み物をしていた。
年を取って輪郭が丸くなったけれど、母は変わらず美しい。穏やかなのに凛としていて、未だに社交界ではモテているようだ。
「母様、おはようございます」
僕が声をかけると、振り向いた母は含みのある笑みを向ける。
「おはよう、フラン。昨日は随分夜更かししたようですわね」
「……えぇ、少しばかり」
「そう。ところで、のんびりしていていいのですか? サモンさんはもう働いているようだけれど」
母の言葉に目を見開いて、窓の外に目を向けると、一台の馬車が停まっている。その客車部分に見慣れた紋章が描かれていて、誰が来ているかすぐに分かった。
「しゃんとしてからお客様と会うのですよ」
「はい!」
返事をした後、僕はメイドに声をかけて身なりを整えた。
髪の毛を編み込みにする予定だったそうだが、そんな時間はない。白いリボンで一つに縛り、普段よりあっさりした装いで急ぎ客室に向かう。
客室の扉の前に立つと、サモンの低い声が聞こえてきた。話が盛り上がっている様子だ。
耳がもう一人の声も拾い、僕は逸る気持ちで客室の扉をノックして開けた。
「アーモン君!」
僕が名前を呼ぶと、サモンの前の椅子に腰かけていたアーモンは立ち上がった。くるんとした天然パーマがふわりと揺れ、大きな丸眼鏡の奥にある目が弧を描く。
「──フラン様! お久しぶりです」
「遅くなってすまない。君が来るのはもう少し後だと思っていたんだ。出迎えなくて悪かったね!」
「とんでもありません。お伝えしていた時間より、少し早くにこちらに着いてしまったのです。それにサモン様に近状をお聞かせいただき、楽しいひと時でした」
アーモンが嬉しそうに顔を綻ばせるのを見て、ふと、彼と一番初めに出会った時のことを思い出す。
あの時は、サモンが珍しく僕以外と話しているものだから、ひどく驚いた。
しかもアーモンは恋をしているようなうっとりした表情をしていて、彼はサモンのことを好きなのではと勘ぐったものだ。
実際は僕らに萌えていただけだったけれど。
近状、ね。
何を話していたのだろうか。
僕はソファ席にいるサモンに視線を向けた。彼の無表情からは、何も読み取れない。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない」
僕がサモンの隣に座ると、話し合いは始まった。
アーモンは卒業後、魔法具の卸売業を営むチョコリレ商会の会長補佐に就いている。
彼は物言いが穏やかで、容姿も素朴だから、決して目立つタイプじゃない。けれど、実は肝が据わった人物であることを僕らは学生時代から知っている。
何せアーモンは学生の頃、今よりずっと刺々しかったサモンに臆さず近寄り、意見していた。人の懐に入ることが抜群に上手いのだ。
相手に嫌味を一つも感じさせないところは、僕やサモンも見習うべきである。
そして現在、プリマリア商会はチョコリレ商会にポーションを卸していた。
何代も続くチョコリレ商会の販路は広く、新参者である僕らにとって欠かせないパートナーだ。
「──え? アーモン君、一か月間、王都を離れるのかい?」
「えぇ。今日はそのご挨拶に参りました」
チョコリレ商会は、南に位置するバンボスという街に、今年新たに物流倉庫を構える。代表代理として、アーモンは一か月そこに滞在するのだそう。
移動や準備の期間も含め、戻ってくるのは二か月後。
バンボスは問屋の数が多く、商業地として賑わっている。ふた山超えた先には国境があり、隣国に向かう旅人や商売人が休憩地としても訪れる有名な街だ。
「バンボスか」
サモンは一言を呟いたのち、真剣な表情のまま瞳を光らせる。
「では、最南端の地、マリリードまで足を運べるだろうか?」
「マリリード、ですか? はい。バンボスからそう離れていませんが、何かほしいものでも?」
「街の様子や、統治する辺境伯がどんな人間なのかを調査してほしい」
アーモンはサモンの思惑が分かったらしい。笑みを深め、僕らの間に置かれたテーブルに地図を開いた。
僕らの住むルーカ王国は大陸の真ん中に位置しており、海と面しているのはごく一部の地域のみだ。その中でもマリリードは水の都として有名である。
バンボスの隣街には違いないけれど、軍事基地があることくらいしか知らない。
「マリリードには貿易港がありますね」
アーモンが地図の臨海地区を指さしてそう言うと、サモンは頷いた。
僕は二人の空気を汲み取って様子を見ていたけれど、少し会話を止める。
「待って。まさか他国に輸出するのかい? サモン君、商会が軌道に乗り始めたとはいえ、そこまで手が回らない。まずは手堅く国内の郊外から、そういう話ではなかったかい?」
話が大きな方向に飛びそうで、僕は二人を相互に見やる。
だけど二人とも、国外に輸出するほどのポーションがないことは分かっているようだ。
「えぇ、フラン様。現状のポーション生産量では、輸出は到底無理です」
「う」
「サモン様が押さえておきたいのは、まず、海からやってくる情報ですね?」
アーモンがいると、話を噛み砕いてくれるので助かる。
その確認にサモンは頷いた。
「情報って?」
「はい。情報は大陸からだけではなく、海からも入ってきますよね。流行も政も争いも。海からの情報は国を左右するほど重要です。支配者階級──そう、レイティアス一族は情報を制する力と頭脳があるからこそ、長い間どこの国でも高い地位を築いていると言われています」
「……よく知っているね」
「えぇ、僕も商売人ですから。──ただ、国内で商売するだけなら、そう多くの情報を集める必要はないと僕は思います」
何も分かっていなかった無知な自分に羞恥が湧き、身を縮める。そんな僕の隣でサモンが姿勢を正すから、横目で見た。
「いや、俺たちの顧客には王族も多い。ポーションが国家に悪用されないようにするためにも情報は欠かせない。いつだって盾となる切り札を揃えておきたい」
アーモンはサモンの思惑を聞いて、しばらく沈黙した。顎に手を当てて考え込み、そして頷く。
「……できる限り、力を尽くします」
「あぁ、だが無理する必要はない。どちらにしても、俺はこれからマリリード辺境伯にコンタクトを取るつもりでいる」
商業を近くで学び続けたアーモンと、広い見識を持つサモン。彼らには商業の流れや展開図が見えている。
美貌と治癒能力だけが取り柄の僕と、二人の差は大きい。
今は彼らの話を静かに聞いているだけだけど、追いつかなくちゃ。
「少し、喉が渇きましたので、紅茶をいただきますね」
「──うん、シェフ特製の焼き菓子もどうぞ!」
アーモンは話の区切りのよいところで、紅茶を啜る。
難しい表情をしていたアーモンだけど、紅茶を飲んでいる間に何か思い出したのか、急に口元を緩めた。
そして、彼は僕とサモンを交互に見て、もじもじと膝頭を擦る。
照れているような、何かを我慢しているような……
「アーモン君、お手洗いは廊下の突き当たりを右に曲がって……」
「いえいえ。トイレではありません。あの──サモン様、先ほど僕がお聞きしたことをフラン様にお話ししていただいても?」
さっき? 僕がいない時の話?
僕も二人が何を話していたのか気になっていた。
アーモンは頬を赤らめて、表情は緩んでいる。そんな反応をするということは──もしや、サモンは僕への惚気を語っていたのだろうか⁉
僕とサモンは三か月後、式を挙げて正式な伴侶となる。
サモンは惚気るタイプではないけれど、マリッジブルーならぬ、マリッジハイになって、気持ちが溢れ出しちゃったとか⁉
そんなことがあったらいいのにと期待してサモンを見ると、彼は表情を変えず頷く。
「あぁ、今後の商会の総合目標だろう?」
「──え」
「なぜしょぼんとするんだ、フラン」
「ううん……はは。うん……目標は大事だ」
乾いた笑いが僕の口から漏れる。
アーモンの反応のせいで、盛大に誤解してしまった。
そう、このサモンが他人に惚気話なんてするわけがない。
落胆して肩を落としかけた時、サモンが僕の方を向いて話し始めた。
「プリマリア商会の売り上げを、十五年後には王国一にする」
「──え?」
目を見開く僕を見ながら、サモンは言葉を続ける。
「まだポーションの在庫の確保や人員など、目途が付いていない部分もあるが、ポーションは絶対の需要がある。それくらいにはしてみせよう」
王国一をそれくらい?
簡単に言う……
冷静で正確な判断に定評があるサモンが大きなことを言うからには、根拠があるはず。
──でも、恐らく無理だ。レイティアスの後ろ盾があったとしても、商業の〝通り道〟である商業国家ルーカ王国ではライバルが多すぎる。
「──萌っ!」
突然、アーモンが突拍子のない声を上げたので、急に空気が緩んだ。
アーモンを見ると、はあはあと息を荒らげている。
「それが、サモン様の愛ですよね⁉ ますます美しくなられていくフラン様の愛を独り占めするからには、それくらいはなさるという決意! そんなサモン様に僕もついていきたいです!」
「えぇ?」
──今のはそういう決意表明なの⁉
それこそ拡大解釈しすぎでしょう⁉
心の中でツッコミを入れていると、サモンが頷いた。
「あぁ。フランは金が好きだからな。大富豪くらいにはならなくては」
「え、っ、えええぇえ⁉」
サモンの圧倒的〝攻様力〟に、思わず僕は素っ頓狂な叫び声を上げる。
「……だっ、大富豪⁉」
「あぁ、そういうの好きだろう」
「うっ! キュンしちゃうゲスな僕を許しておくれ。……今、君がすごく輝いて見えるよ」
僕はときめく胸を手で押さえた。サモンが言うと、有り得ない話も現実味を帯びる。
アーモンが茶化すから、サモンの言葉の端に滲む〝僕への愛〟を意識してしまう。
「……違うよ。僕が腹を立てているのは、ウェスハムの言動だ。ムカついて仕方がないよ」
今までもサモンの持つ黒髪・黒目を忌み嫌い、避ける人を見たことはある。
だけど、あんなにも心底拒否している反応を目の当たりにすると、胸の中に蟠りが残る。
「そういうことなら、フランが怒る必要はない。俺ほどの黒色を持つ人間は珍しいからな。王都ではあからさまな態度を取る者は少ないが、情報が入りにくい田舎ほど偏見は強いのだろう」
「でも、こんなに格好いい人を髪と瞳が黒いというだけで毛嫌いするなんて、もったいない」
「……」
ずっと頬を膨らませているのも馬鹿らしくなって、止めた。僕はサモンの方に向きを変えて、引き締まった両頬に手を添える。
「君の艶やかな髪の毛も瞳も、きらきら光り輝いているよ。黒い宝石みたいで綺麗じゃないか。さっきも澄み切った満天の夜空を見ていて、君のようだなぁ、なんて思っていたんだ。他にも色々あって、黒薔薇とかを見るとつい君をイメージしてしまって……」
べらべらと話していたけれど、サモンの表情に変化がないことに気付き、尻すぼみになる。
自分の言動に羞恥が込み上げてきた。
「……僕は見惚れてしまうほど、大好きなんだけど、さ……」
「……」
──なぜ、何も反応してくれないんだ。
もしかして、宝石や空や薔薇だと例えることが気障すぎて、引かれているのだろうか。
そういえば、よく〝君の瞳は宝石よりも輝いている〟だとか僕に対して言う男どもがいる。初対面なのに、歯が浮くような気障な言葉などよく言えるものだ、と内心悪態を吐いていた。
今、僕はサモンをそんな気持ちにさせてしまったようだ。確実にすべっちゃった……
羞恥と気まずさを誤魔化すように、えへ、えへ……と苦笑いする。
「えーと……そう! 何が言いたいかというと、僕は君のいいところを、分からず屋どもの分までいっぱい褒めたいってことだよ!」
「……」
──だから、無反応はやめておくれ。
反応のなさに耐えられなくなり、サモンの頬から手を離そうとした時、目の下の真っ黒なクマが濃くなっているのに気付いて、顔を近づける。
「あぁっ! 君ってば、またクマが酷くなっているじゃないか。ちゃんと寝なくちゃ!」
目の下を親指で撫でると、サモンの頬がぴくりと動く。
「お風呂からあがったら、すぐに寝よう。今日は絶対仕事をさせないんだから!」
「……分かった」
素直に返事をするサモンをよしとして、浴槽から腰をあげると、腕を掴まれ引き寄せられた。僕はそのままサモンの膝上に座ってしまう。
そこで、緩く抱き締められる。
「──え」
急に空気に甘さが加わり、サモンの顔が近づいてくる。僕はキスの予感に瞼を閉じた。
予感は的中して僕の唇に柔らかい感触が触れる。ちゅっと軽い音を鳴らして、少し唇が離れた後、もう一度唇が降ってきた。
侵入してくる舌を受け入れて、僕からも舌を絡ませる。サモンの手が後頭部と腰に添えられ、キスが深まっていく。
「……ん、ふっ」
僕の太腿に、サモンの固い熱が当たっている。
だけど、よくあること。恋人同士が裸で密着すれば大抵こうなるものだろう。
気を逸らしながらキスを続けていると、腰に添えられたサモンの手が背中を掠めるように何度も撫でる。その弱い触れ方がくすぐったくて身体を捩る。
何度も続けられて、くすぐったがりやの僕はとうとう唇を離した。
「ふっ、んっ……サモン君! やめてよっ、くすぐったいじゃ──んっ」
勝手に唇を離すなというように、後頭部に回された手に力が籠り、また口付けられる。そしてくすぐっていたサモンの手が、今度は脇腹を通り、太腿を撫でる。
「んっんっうぅっ……うっ、ん、ん!」
身を捩りながら、喘ぎ声のような変な声を漏らす。
なんとかサモンの膝から降りて、浴槽の底に膝をついた。太腿から手は離れたけれど、代わりに胸を同じように手が掠める。
「ふぅ、んっ」
淡い刺激に反応した乳首を、サモンの指の腹が弱く何度も擦ってくる。
首を横に振ると、乳首を指で軽く摘ままれ、身体にびりりと電気のような快感が走った。
「んっ、んんっ……! 寝ようよ」
唇がようやく離れたので、僕は文句を言いながらサモンを見た。獲物を狙うような獰猛な瞳がそこにあって、ぎくりとする。
だけど今日はサモンを寝かせると決めたばかりだ。それに、明日の午後からはアーモンとの会合がある。
首に吸いついてくるサモンの肩を軽く叩いて、止まるように伝える。
「サモン……ふぅん、寝……」
「今は眠くない」
「ぼ、僕はこのままベッドに向かえば、一瞬で……んっ」
サモンの唇が首から顎をたどり、そしてまた戻って僕の下唇を食む。強請られるような口付けに絆されそうだけど、心を鬼にして目に力を込めた。
「駄目、サモン君の睡眠は大事! 今日はしないよ⁉」
サモンは不服そうな表情をして僕を見る。
「一度だけ。そうしたらフランと共に寝る」
「え……一度だけ?」
「あぁ、頼む」
「頼むって……。あぁ、そう、か。……もしかして、した方がよく眠れるの?」
恐る恐る訊ねると、サモンは頷く。
僕は視線を下げて彼の猛るものを見た。
それは天を向いて、辛そうなほど漲っている。
ここで止めたら欲求不満で悶々として眠れないかもしれない。それに僕でこうなってしまったのなら、責任は僕が取るべきだろう。
「うん。なら、いいよ」
「──ふ」
サモンが急に息を吐くように笑った。
愛おしそうというか、何か──そう、面白珍獣を見るような含みのある笑いだ。
もしかして、ちょろい、と思われている?
心外だと言おうとしたけれど、サモンの手が僕の身体に大胆に触れて来たから、言葉にならなかった。
「──あっ」
代わりに喘ぎ声が漏れる。
さっきまでの淡い刺激じゃなくて、ついに与えられた直接的な刺激に内股が震える。陰茎を柔らかく掴まれて扱かれると、あっという間に快感が登りつめていく。
そうしているうちに、僕は再びサモンの膝上に戻された。今度は彼と向かい合うように跨らされている。性器同士が軽く当たって、視界がとてもいやらしい。
「あ……ふ、ん」
キスしながら、骨ばった長い指が尻の中に入ってくる。よく知った指の感触に期待して、奥が疼いてしまう。
既に彼とは何度も性行為をしているのに、心配性のサモンは毎回、丁寧すぎるほど慎重にそこを拡げてくれるのだ。
激しく求めてくれるのに、いざ行為が始まればじっくりと進む。
深い愛情を感じるけれど、丁寧すぎて焦れてしまう。
「う……う、んん……はっあ……、あっ、サモ、ンく……あ……まだ?」
咥え込んでいる彼の指が、僕の中のいいところを掠めていく。指だけで果てそう。
僕の身体は総受け設定なだけあって、元々感度がよかった。
さらに、サモンと回数を重ねるたびに後ろの刺激にどんどん弱くなっている。
「あっ、イっ、ちゃう……からっ、……もう、いいよぉ……っ」
「駄目だ。解し足りない」
「い、いじわるっ」
指から与えられる快感に焦れて、僕は我慢できずに身体を捩った。
僕の意見を無視してイかせようとするから、目の前にあるサモンの肩を噛む。
「……噛まれた」
唇を肩から離すと、そこには歯形がくっきり付いている。
こんなことをしたのは初めてだからか、珍しくサモンが目を見開いて驚いていた。
「あ、しまった……痛かった? ごめんなさい」
治癒魔法を使うほどではないかと噛み痕を指で撫でていたら、急にお腹の中が熱くなった。
「んぁ……あ」
挿入の前に潤滑魔法で潤いを足されたと分かった時には、サモンの猛りが僕の中へゆっくりと押し進められた。
中を擦られる感覚に、びくびくと小さく身体が跳ねる。
サモンはある程度、腰を進めたところで、ゆっくり浅く中を穿った。
「──っ、あっ、あつ、い……っ、んんんっ。お湯、やぁ、お湯がはいっちゃ……!」
抽挿のたびお湯が入ってくる。潤滑魔法とお湯のせいで、濡れた音が浴室によく響いて羞恥が増す。
慣れない感覚に身を捩っても、サモンはそのまま動きを止めない。
「んんんっはっ、だ……んぁ、でちゃ……!」
目を閉じて絶頂を我慢する。
けれどどうにもできず、そのままお湯の中に白濁を吐き出してしまった。
「ん──はぁん……」
サモンの腕に強く抱き締められながら極めると、すごく心が満たされる。
絶頂の余韻で身体が痺れて動けない。息を整えていると、サモンが身体を繋げたまま僕を軽く持ち上げ、浴室の床に寝かせた。
「ん……」
ひやりとする大理石のタイルの感触が火照った身体に心地いい。それでも火照りが引かないのは、漆黒の瞳が僕を見つめるからだ。
熱視線と共に、長くて骨ばったサモンの指が僕の頬から首、鎖骨、胸、へそへと移動する。
「フランは俺をその気にさせるのが上手いな」
「は……え?」
快感に惚けていると、サモンはにやりと口角を上げた。
S気漂う表情にドキリとしていると、達したばかりだというのに、彼は僕の腰をゆらゆらと揺らして抽挿を再開した。
「んんあっやあっ……まだ、あうぅんっ」
結合部がびくびくと痙攣しているというのに、気持ちよさを加えられてのけぞった。
──容赦ないよぉ……
気持ちよくなりすぎるのが怖くて手を伸ばすと、ぎゅっと手を繋いでくれる。
そうじゃない、もう少し待っての意味なのに。
強すぎる快感が怖くて、無意識に僕は首を横に振っていた。すると、僕の中から剛直が抜けそうなほど、腰を引かれる。
「──ぁ……」
サモンは完全には出ていかず、ぎりぎりのところで止めた。そしたら、僕のお尻が彼を求めるように、ひくひくと痙攣する。
ひぃい。僕ってば、なんでこう淫乱なんだろう。
「駄目か?」
サモンは熱の籠った目で僕に問いかけた。
僕が嫌だと言ったから?
身体の心配?
それともいじわる?
「──っ……うぅ。ズルいよ」
僕はサモンの肩に腕を回して応えた。笑う彼がにくたらしい。
煽ったからには一回では済まされなかった。
サモンは絶倫──なのだ。
結局その後、ベッドでも彼に抱かれた。しかもベッドでは気持ちいいところを執拗に責められて、眠ったのは朝方になってしまった。
◇
『プリマリア次期侯爵フラン様、俺と結婚してください』
今、僕が横になっているキングサイズのベッドは、サモンとの同棲が決まってから購入したものだ。
学園寮の狭いベッドとは違い、二人で両手を広げて眠ることができる。
だけど朝、僕が目覚めると、決まって彼の姿は隣にはない。
「……」
白いシーツをぼんやりと眺めた後、僕は重だるい上体を起こした。
窓の外から差し込む日差しの眩しさに目を細める。太陽が真上に位置していて、眠気がすっかり覚めた。
「フラン様、おはようございます」
廊下に出ると、掃除をしていたメイド二人が挨拶してくれる。彼女たちが次に話す内容はなんとなく分かった。
「今日はお客様とお会いになると伺いましたので、青空のような色のお洋服をご用意しております」
「髪の毛のリボンは服を着てから選びましょう」
人と会う予定がある日は、メイドたちの仕事魂に火が点くようで、あらゆる活動に相応しい服装を前日から用意してくれているのだ。
話が長くなりそうだったので、「また後でお願いするね」と声をかけて、食堂に向かう。
途中にあるリビングには、細長い楕円形のテーブルと四人掛けのソファ、そして花柄の椅子がある。母のナターシャはそこに腰かけて編み物をしていた。
年を取って輪郭が丸くなったけれど、母は変わらず美しい。穏やかなのに凛としていて、未だに社交界ではモテているようだ。
「母様、おはようございます」
僕が声をかけると、振り向いた母は含みのある笑みを向ける。
「おはよう、フラン。昨日は随分夜更かししたようですわね」
「……えぇ、少しばかり」
「そう。ところで、のんびりしていていいのですか? サモンさんはもう働いているようだけれど」
母の言葉に目を見開いて、窓の外に目を向けると、一台の馬車が停まっている。その客車部分に見慣れた紋章が描かれていて、誰が来ているかすぐに分かった。
「しゃんとしてからお客様と会うのですよ」
「はい!」
返事をした後、僕はメイドに声をかけて身なりを整えた。
髪の毛を編み込みにする予定だったそうだが、そんな時間はない。白いリボンで一つに縛り、普段よりあっさりした装いで急ぎ客室に向かう。
客室の扉の前に立つと、サモンの低い声が聞こえてきた。話が盛り上がっている様子だ。
耳がもう一人の声も拾い、僕は逸る気持ちで客室の扉をノックして開けた。
「アーモン君!」
僕が名前を呼ぶと、サモンの前の椅子に腰かけていたアーモンは立ち上がった。くるんとした天然パーマがふわりと揺れ、大きな丸眼鏡の奥にある目が弧を描く。
「──フラン様! お久しぶりです」
「遅くなってすまない。君が来るのはもう少し後だと思っていたんだ。出迎えなくて悪かったね!」
「とんでもありません。お伝えしていた時間より、少し早くにこちらに着いてしまったのです。それにサモン様に近状をお聞かせいただき、楽しいひと時でした」
アーモンが嬉しそうに顔を綻ばせるのを見て、ふと、彼と一番初めに出会った時のことを思い出す。
あの時は、サモンが珍しく僕以外と話しているものだから、ひどく驚いた。
しかもアーモンは恋をしているようなうっとりした表情をしていて、彼はサモンのことを好きなのではと勘ぐったものだ。
実際は僕らに萌えていただけだったけれど。
近状、ね。
何を話していたのだろうか。
僕はソファ席にいるサモンに視線を向けた。彼の無表情からは、何も読み取れない。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない」
僕がサモンの隣に座ると、話し合いは始まった。
アーモンは卒業後、魔法具の卸売業を営むチョコリレ商会の会長補佐に就いている。
彼は物言いが穏やかで、容姿も素朴だから、決して目立つタイプじゃない。けれど、実は肝が据わった人物であることを僕らは学生時代から知っている。
何せアーモンは学生の頃、今よりずっと刺々しかったサモンに臆さず近寄り、意見していた。人の懐に入ることが抜群に上手いのだ。
相手に嫌味を一つも感じさせないところは、僕やサモンも見習うべきである。
そして現在、プリマリア商会はチョコリレ商会にポーションを卸していた。
何代も続くチョコリレ商会の販路は広く、新参者である僕らにとって欠かせないパートナーだ。
「──え? アーモン君、一か月間、王都を離れるのかい?」
「えぇ。今日はそのご挨拶に参りました」
チョコリレ商会は、南に位置するバンボスという街に、今年新たに物流倉庫を構える。代表代理として、アーモンは一か月そこに滞在するのだそう。
移動や準備の期間も含め、戻ってくるのは二か月後。
バンボスは問屋の数が多く、商業地として賑わっている。ふた山超えた先には国境があり、隣国に向かう旅人や商売人が休憩地としても訪れる有名な街だ。
「バンボスか」
サモンは一言を呟いたのち、真剣な表情のまま瞳を光らせる。
「では、最南端の地、マリリードまで足を運べるだろうか?」
「マリリード、ですか? はい。バンボスからそう離れていませんが、何かほしいものでも?」
「街の様子や、統治する辺境伯がどんな人間なのかを調査してほしい」
アーモンはサモンの思惑が分かったらしい。笑みを深め、僕らの間に置かれたテーブルに地図を開いた。
僕らの住むルーカ王国は大陸の真ん中に位置しており、海と面しているのはごく一部の地域のみだ。その中でもマリリードは水の都として有名である。
バンボスの隣街には違いないけれど、軍事基地があることくらいしか知らない。
「マリリードには貿易港がありますね」
アーモンが地図の臨海地区を指さしてそう言うと、サモンは頷いた。
僕は二人の空気を汲み取って様子を見ていたけれど、少し会話を止める。
「待って。まさか他国に輸出するのかい? サモン君、商会が軌道に乗り始めたとはいえ、そこまで手が回らない。まずは手堅く国内の郊外から、そういう話ではなかったかい?」
話が大きな方向に飛びそうで、僕は二人を相互に見やる。
だけど二人とも、国外に輸出するほどのポーションがないことは分かっているようだ。
「えぇ、フラン様。現状のポーション生産量では、輸出は到底無理です」
「う」
「サモン様が押さえておきたいのは、まず、海からやってくる情報ですね?」
アーモンがいると、話を噛み砕いてくれるので助かる。
その確認にサモンは頷いた。
「情報って?」
「はい。情報は大陸からだけではなく、海からも入ってきますよね。流行も政も争いも。海からの情報は国を左右するほど重要です。支配者階級──そう、レイティアス一族は情報を制する力と頭脳があるからこそ、長い間どこの国でも高い地位を築いていると言われています」
「……よく知っているね」
「えぇ、僕も商売人ですから。──ただ、国内で商売するだけなら、そう多くの情報を集める必要はないと僕は思います」
何も分かっていなかった無知な自分に羞恥が湧き、身を縮める。そんな僕の隣でサモンが姿勢を正すから、横目で見た。
「いや、俺たちの顧客には王族も多い。ポーションが国家に悪用されないようにするためにも情報は欠かせない。いつだって盾となる切り札を揃えておきたい」
アーモンはサモンの思惑を聞いて、しばらく沈黙した。顎に手を当てて考え込み、そして頷く。
「……できる限り、力を尽くします」
「あぁ、だが無理する必要はない。どちらにしても、俺はこれからマリリード辺境伯にコンタクトを取るつもりでいる」
商業を近くで学び続けたアーモンと、広い見識を持つサモン。彼らには商業の流れや展開図が見えている。
美貌と治癒能力だけが取り柄の僕と、二人の差は大きい。
今は彼らの話を静かに聞いているだけだけど、追いつかなくちゃ。
「少し、喉が渇きましたので、紅茶をいただきますね」
「──うん、シェフ特製の焼き菓子もどうぞ!」
アーモンは話の区切りのよいところで、紅茶を啜る。
難しい表情をしていたアーモンだけど、紅茶を飲んでいる間に何か思い出したのか、急に口元を緩めた。
そして、彼は僕とサモンを交互に見て、もじもじと膝頭を擦る。
照れているような、何かを我慢しているような……
「アーモン君、お手洗いは廊下の突き当たりを右に曲がって……」
「いえいえ。トイレではありません。あの──サモン様、先ほど僕がお聞きしたことをフラン様にお話ししていただいても?」
さっき? 僕がいない時の話?
僕も二人が何を話していたのか気になっていた。
アーモンは頬を赤らめて、表情は緩んでいる。そんな反応をするということは──もしや、サモンは僕への惚気を語っていたのだろうか⁉
僕とサモンは三か月後、式を挙げて正式な伴侶となる。
サモンは惚気るタイプではないけれど、マリッジブルーならぬ、マリッジハイになって、気持ちが溢れ出しちゃったとか⁉
そんなことがあったらいいのにと期待してサモンを見ると、彼は表情を変えず頷く。
「あぁ、今後の商会の総合目標だろう?」
「──え」
「なぜしょぼんとするんだ、フラン」
「ううん……はは。うん……目標は大事だ」
乾いた笑いが僕の口から漏れる。
アーモンの反応のせいで、盛大に誤解してしまった。
そう、このサモンが他人に惚気話なんてするわけがない。
落胆して肩を落としかけた時、サモンが僕の方を向いて話し始めた。
「プリマリア商会の売り上げを、十五年後には王国一にする」
「──え?」
目を見開く僕を見ながら、サモンは言葉を続ける。
「まだポーションの在庫の確保や人員など、目途が付いていない部分もあるが、ポーションは絶対の需要がある。それくらいにはしてみせよう」
王国一をそれくらい?
簡単に言う……
冷静で正確な判断に定評があるサモンが大きなことを言うからには、根拠があるはず。
──でも、恐らく無理だ。レイティアスの後ろ盾があったとしても、商業の〝通り道〟である商業国家ルーカ王国ではライバルが多すぎる。
「──萌っ!」
突然、アーモンが突拍子のない声を上げたので、急に空気が緩んだ。
アーモンを見ると、はあはあと息を荒らげている。
「それが、サモン様の愛ですよね⁉ ますます美しくなられていくフラン様の愛を独り占めするからには、それくらいはなさるという決意! そんなサモン様に僕もついていきたいです!」
「えぇ?」
──今のはそういう決意表明なの⁉
それこそ拡大解釈しすぎでしょう⁉
心の中でツッコミを入れていると、サモンが頷いた。
「あぁ。フランは金が好きだからな。大富豪くらいにはならなくては」
「え、っ、えええぇえ⁉」
サモンの圧倒的〝攻様力〟に、思わず僕は素っ頓狂な叫び声を上げる。
「……だっ、大富豪⁉」
「あぁ、そういうの好きだろう」
「うっ! キュンしちゃうゲスな僕を許しておくれ。……今、君がすごく輝いて見えるよ」
僕はときめく胸を手で押さえた。サモンが言うと、有り得ない話も現実味を帯びる。
アーモンが茶化すから、サモンの言葉の端に滲む〝僕への愛〟を意識してしまう。
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